東北のブロック紙(実質上は宮城県の地方紙)によれば、
東京都知事選への出馬が確実な浅野史郎前知事の宮城県知事時代の財政運営について、村井嘉浩知事は5
日、「(退任時の借金が就任時の2倍に増えたことを)国の責任だというのは非常に無責任」と批判した
。村井知事はこれまで、前県政批判は極力封印してきたが、今回は腹に据えかねたようだ。
定例記者会見で答えた。浅野氏が4日のテレビ番組で県の借金増を国の責任としたことを、村井知事は
「国に言われたから予算を付けたというのはおかしい」と指摘した。
旧三本木町の保健医療福祉中核施設計画を浅野氏の判断で中止した例を挙げ、「知事の判断で事業は中
止できる。(財政難は)浅野さんに最も大きな責任がある」と反撃した。
浅野氏が「東京都知事は宮城とか岩手県知事をやるのとは違う」と発言したことについて、村井知事は
「岩手県民に対して失礼。そういう発言はしないほうがよいと思う」と述べた。
そういう感覚で東京都知事に立候補しようというのは困る。
まず、国のせいにするような知事は改革ができまい。国がどうしてこようと、対峙したのは石原氏だ。浅野氏は厚生省の役人であるから、宮城県を見下せていろいろな改革ができたが、知事になって国と向うと態度が変わる証拠でもある。
第二に、宮城県や岩手県の知事と違って、都知事は確かに首都の知事であるから少し違うのはわかるが、こうした感覚で東京をとらえられると、東京に根付いている人たちにとっては反発を食らうだろう。
いまだに仙台市に住んでいるそうで、ご自身では自分に投票できないらしい。有罪判決のおりた鎌田さゆり民主党元衆議院議員も仙台から新幹線で通い、育児しながら国会議員をしていたというから通えない距離ではないだろうが、区部東側の都民をはじめとして、やはり余所モノとのイメージはぬぐえない。
ところで、浅野氏は4期目の宮城県知事選挙には出馬せず、変わって当選したのは浅野氏批判をした現在の村井知事である。宮城県民が浅野県政にノーをつきつけたわけで、その人を都知事に私は推奨したくはない。
そのまま引退していれば、情報公開の大先生として慕われたのだろうが、最近の討論をみると、石原都政を無理にでも批判し、ムキになっている傾向がある。浅野氏らしくない言動が多く現れている。あのまま引退していれば、よかったのにとつくづく思う。
私は都知事選挙についてこのように考えている。
つねに時代のサイクルというものがあって、それはリーダーシップ型→文化・知識人型→経済追究型→利権・金持ち・権力に対しての反乱型という流れで、またリーダーシップ型に戻り、それを繰り返していく。
東京の場合は、すでに鈴木俊一元知事時代に経済追究、青島幸男前知事時代に権力反乱をなしており、次は石原知事のリーダーシップ型になっている。浅野氏は青島タイプであり、もしも知識人型であるのならば、もう少しあとになってからのほうがよい。
九州の宮崎県(さいきん宮城県と宮崎県を間違って言う人が多いので注意)のような東京に少し遅れて、そのまんま東のような反乱型が当選できるような自治体ならともかく、石原都政が仮に不正経理をなしていたとしても、かつてほどのものではない。
権力をふりかざし横暴をするというのは、石原都政時代以前のものはもっとひどく、それは青島前知事誕生によって、都庁の役人も意識が少し変わったのである。
東京都の情報公開の手数料にコピー用紙一枚10円かかるという。こんな有料制度をやっているのは東京ぐらいであると、浅野氏が発言していた。私は、それが当たり前であると思っていたし、それぞれの区役所でも条例でたしかそうなっていたと思う。
浅野氏はこれの無料化を求めているようだが、こうした細かいところから宮城県の財政赤字はひどくなったのではないだろうか。たしかに公のものであるから、無料で情報公開せよとの論法は間違ってはいないが、そうした手数について手数料をとらないでやるから、結局のところ全体的に財政がうまくいかなくなるのではないだろうか。
情報公開やら、ガラス張りやらというのが、田中康夫氏や東国原英夫知事などが好んで使うが、(黒川紀章氏も同様)そのための都民の損失というのも生じる。何が得策なのかは改めて考える必要があり、浅野氏の方向は、民主主義のためにカネを使うということである。人間は民主主義のために生きているのでもなく、民主主義はこれまでの人類普遍の価値観ではない。
石原知事が外国の要人を接待するのに、そんなに接待費を使うなというのは、やっかみのようにも聞こえる。庶民感覚でとよく言うが、それぞれに見合った方式というのがあり、なんでも情報公開というのはおかしいだろう。
国政の話だが、外交や軍事、治安に関することまで情報公開の対象にしたら、なんにもならない。これらは、それぞれに隠しカードというのがあるから成功するのであって、何の目的のために何をやるのかということが重要なのだろう。
知事とは経営者である。経営者が平社員と同じようなスタイルで物事をしたら好かれることもあるが、かえって損失になることもある。社長がラフなスタイルでファミレスで接客したら良い場合もあるが、悪い場合も必ずある。すべて平社員と同じようにするのは演出能力がないというものだ。これによって、なめられて、そこにいる社員が能力を発揮できなくなることもある。
そして、なによりもこのような嫉妬から生まれる情報公開やら市民運動やらは主流にならなくなってきている。こうした役所の悪さを暴く事で、エクスタシーを感じるだけの愚かな市民運動が横行している。
石原知事には、問題もないわけではないが、現職に対抗するだけの納得できる新人候補者は誰もいないような気がする。
おそらく石原知事に反発する人というのは、その彼のイデオロギーの部分において反発していることが多い。だが、おおよそ都政とはとくに関係がなく、都知事として国防はできないし、むしろ自衛隊の発動については防災の面からであるから大いに発揮してもらって欲しい。
また、日の丸・君が代について強制するということに反発する声も大きいが、強制されないという意識を持っているのであれば、そんなものはほっとけばよいのだが、騒ぎたがる。己の信念に強制されないというものがあるのであれば、反応する必要はない。独自のポジティブな部分で政治活動をすればよいのだ。
天皇の問題でどうしたこうしたというのも無視すべき問題。皇居は東京都にあって、東京都にあらず、国の管轄である。ちなみに皇居の中には選挙権を有している人が二人ほどあって、おそらく宿直の守衛さんとかだろうか。
むしろ問題なのは、土壌にきわめて高い有害物質を含んでいる豊洲に市場を移転することや、ディーゼルエンジンを規制することである。
ディーゼルエンジンの規制は、どの新人候補者も石原都政に対して一定の評価を与えているが、これはとんでもない間違いである。
松沢・上田・堂本などの隣県知事もこれに呼応してしまい、首都圏はいっせいにディーゼルエンジンが悪者扱いされている。軽油から排出されるガスは有害であっても、エンジンそのものは効率がよい。
てんぷら油や菜種油での燃料化が可能であり、これを規制することは長期的にみておそらく損失を被るだろう。
もっと実質的な政策部分で批判すべきであり、雰囲気で石原都政を断罪すべきものではない。
今回の浅野・黒川・吉田の三氏は、東京というと特別区23区のことしか考えておられないようだが、西多摩も伊豆諸島も小笠原諸島も東京都であり、これらは東京の食料資源ととらえていない。むしろ単なる観光資源として、いかにカネを稼ぐかというところに視点が向けられているのも残念だ。
ここに東京の活路があり、区部との交流があいまって東京1都で自給自足ができる重要ポイントかつ環境浄化のキーワードである。都道府県とは、市町村をまたがる行政単位であり、河川の浄化・治水は重要な政策だ。ここに全てがかかっているといってよい。
それから築地移転の問題は東京五輪とも密接な関係にあるが、石原知事は、築地はとても老朽化が激しく、危険であり衛生上もよろしくないという。
だが、築地の改築は可能であり、移転する必要はない。東京の文化を守ることも知事の仕事である。そもそも下町というのは汚いところである。かってに下町文化とか呼んで崇めるようになっただけだ。しかし、その汚さが近現代による化学物質での汚染となるととりかえしがつかないのである。よって豊洲への移転は撤回すべきものと考える。
東京五輪は推進されてしかるべきである。東京にはスポーツ施設が不足しており、武道文化を作る事はこれから必要な事。浅野氏は、そうした施設づくりによる経済復興というかつての東京オリンピックみたいなことは過去のことだというが、今世紀に必要なのは建物そのものではないことは誰でもわかっている。必要なのはスポーツを通じての人間の精神のありかただ。
また、家族・地域という問題においてもその関心が強いのは、石原氏をおいて他にいない。浅野氏の場合はとても機械的に感じられる。
そして、なによりこれらを達成するには、自然主義経済で行うことが成功の近道であり、現在の経済体制でやるには、今言ったどの政策も必ず行き詰まるだろう。このことには世の政治家は誰も気づいていないことが大きな問題である。