マージャンが近隣社会の道案内になるとは、最近まで考えた事がなかった。 時々は休んでいるが、結構まじめに、毎週開かれるマージャン仲間とゲームを始めて早半年、近隣社会の住民が少しずつ見えてきた。
中国系アメリカ人のLさんは、白人のだんなさんと二人の息子さんがいる。 一人はイラク出兵、運良く無事帰還、元軍人用に政府が出している奨学金で、大学院へ進学した。 でも、同じ国に出兵した近所の学友は戦死、はすかい向かいに住んでいるその両親に会うのがつらいという。
Lさんは連邦政府の、其の省庁の出先機関で長く働いている。 仕事に出かける前の早朝、近所の仲間と早足で歩くという運動を長年続けている人で、オリンピックの選手ではと思うほど、体が引き締まって健康そうだ。
近所に住む知人数人を招待、Lさんは典型的アメリカ風感謝祭のパーティーを開き、私も招待された。 来年は大学進学という17歳のチェロを弾くお嬢さん、Aさん、とその父親も出席、L さん宅の近くに住んでいる人々で、長年家族ぐるみで付き合っているようだ。
わたしには始めて会う人々であった。 でも、おいしい食べ物が潤滑油の役割を果たし、ニュージャージに住むL さんの長男も車を飛ばして来ていたので、その友人なども参加、楽しい時間を過ごした。
アメリカ人のお一人様も出席していた。 やはり、単発的であるがたまに出席するマージャン仲間で、年はすでに80代であるが、頭の年齢はまるで50代だ。
中南米から来た大学院生の下宿人の世話を良くしているらしく、「アメリカの祖母である」と、やはり感謝祭に出席した、マルコス君(仮名)はうれしそうに話していた。 統計学と分子生物学を研究している優秀な中南米の人材だ。 遺伝子解明に統計学は必須らしいのだ。
マージャンには関係ないが、我が家の近くに、まるで20代の恋人同士のように仲の良かった老夫婦が住んでいた。 奥さんのBさんはドイツ出身で、古い話になるがB さんの夫であったNさんは、 第二次大戦中ドイツで恋におちいり、その人と結婚、戦後、アメリカの有名私立大学院で経済学修士号を取り、専業主婦のBさんを60年以上守り通したNさんは、80代でBさんが病死するまで、自宅で甲斐甲斐しく看護をした。
一人になってからも、 我が家近くの同じ家で、御自身が92歳で他界するまで、自炊生活を続けた人だった。 高齢者住区域に引っ越すのをさけ、あくまで、独立した生活を続けた。
高齢化して、ちょっとした自動車事故を起こしてから、運転もやめ、幸い近くにバス停もあったので、公共交通手段を利用していた。
2年近く、Nさんの家は空き家であったが、数週間前、中国系の家族がその家に越してきた。 また、これから、新しい出会いがありそうだ。
私が、モデルとしたい生き方をしたNさん、犬の散歩中などに偶然であうと、よく冗談を飛ばして、青空を見上げてわっはっはと笑っているような人だった。
「風が吹けば桶屋がもうける」の諺ではないが、太極拳の教室で偶然であった若い中国系アメリカ人のZさんと知り合い、その結果マージャンクラブに入り、近隣住区の人々を知る事が可能になったのだ。
Zさんは驚いた事に家のすぐ近くに住んでいた。 パーティーに呼んでくださったLさんもそうだが、Zさんも、顔は完全なアジア系であるが、英語は完璧で、アメリカ生まれである事が良く分かる。 2世代目か3世代目の中国系アメリカ人なのだ。
Zさんのだんなさんは白人で30代だ。 二人の間に3歳になるかわいい娘さんがいる。 Zさんの夫は軍人で、来年は沖縄に派遣される事がすでに決まっているようだ。
衛星放送を通して、NHKのテレビニュースなどを見ている私は、沖縄県民の気持ちも良く分かるだけに、ちょっと心の中で複雑な気持ちだ。
Zさんは世話好きな人で、近所の誰とでも仲良くする素晴らしい人だ。 彼女のおかげで、私も遅まきながら、自分が住んでいる近隣住区の人々と少しずつ知り合いになれたのだ。
天真爛漫に、生まれて初めて行く沖縄生活を、今から楽しみにしているZさん。アメリカは軍事大国だけに、どの地域に住んでも、軍関係者と出会う可能性が多いのが現実だと思う。
その中でも、海軍病院、軍関係の医学専門学校なども近くにある関係上、私が住んでいる近所は、軍関係者が他の地域より多い可能性もあるのだ。 マージャン仲間39人の内、少なくとも3人は、軍人さんの奥さんだ。 しかも、 偶然、その3家族が近未来、沖縄派遣が決まっているようだ。
Zさんがマージャンクラブを教えてくれ、それに参加している内に、Lさんとも知り合いにあり、音楽家族であるAさんのお父様と娘さんともパーティーで同席したのだ。 そして、気丈夫な80代のアメリカ人お一人様とも出会えた。
数日後、驚いた事に、Aさんのお母様が52歳の若さで死亡した。 癌を患っていたようだ。 私と割と年齢が近いアジア系のLさんは、Aさんのご両親とも、子供達がスクールバスで同じ学校に通っていた関係もあり、長年付き合っていたので、病気の実情は知っていたが、客人もいたパーティーでは話題にならなかったのだ。
マージャンクラブの伝言ネットワークで、お葬式の日時も知り、私も出席する事にした。 10年以上われわれと同じ近所住まいを続けていた人だったし、偶然、数日前娘さんとご主人にもお会いしていた。
病死したPさんは、東部出身で、裕福なご家庭のお嬢さんであったようだ。 Aさん家族が属している教会での葬儀は、Pさんの大写しの写真を何枚も見せてくれた上、高校時代、大学時代などの友人が思い出話をしたり、ピアノ、チェロなどの演奏もあった。
一貫して私立の学校生活を送り、結婚後は、50代のアメリカ人としては珍しい事だが、専業主婦として、学校の保護者会役員として、活躍した人のようだ。また、ロンドンなどヨーロッパへの旅も楽しんだようだった。
個人的にお会いした事も無かったが、特殊なお葬式のお陰で、お人柄が分かった。 Aさんの家族が所属している教会の人々が主な出席者であったが、近所からの参加者も多く、マージャンクラブ員数名とも、そこで会う事が出来た。
1986年頃から、同じ所に長く住んでいるが、迂闊にも、近所に住む人がどんな人々なのか全然知らないまま時を過ごしてしまった。
私が属しているマージャンクラブは、10年近く前にできたそうだ。 アメリカ風マージャンのやり方を知っている人が、仕掛け人らしく、自宅に近所の人を招いて手ほどきをしたのがきっかけだったようだ。
マージャンでよく顔を会わせるマリアさん(仮名)は5年前から、参加しているという。 ワシントンの非営利団体勤務で、毎朝我が家の前を通って、地下鉄前まで歩いてゆく。 車はもちろん持っているが、彼女の主義から、自動車通勤を避けているようだ。
マージャンクラブに所属している人の職業も多種多様だ。 弁護士、看護士、教師、国立衛生研究所の研究員などで、仕事が終了してから、家族の夕食を急いですまし、月曜日の夜、女性だけが集まるマージャンクラブに顔をだすのだ。
常に自由参加で、39人ぐらいいる会員の誰かの自宅で、出席できる人だけが参加する方式なのだ。 すべてはメールで連絡を取る。 たまには、元近所に住んでいたが引っ越した人の家まで、押しかけることもある。
イギリス生まれの、女性も会員で、イギリス英語を楽しむこともできる。 アメリカ風隣組の新会長になったばかりのHさんは、先月癌の手術をしたばかりで、現在化学療法を受けていると言う。 残念ながら、経過は良好ではないらしい。
近所も、よくよく注意してみてみると、人生こもごも、喜怒哀楽に満ち溢れている事も分かった。 自分だけが不幸のどん底にいると考える事の愚かさを悟るという意味でも、マージャンクラブの真面目会員であり続けるだろう。
夜に弱い私ではあるが、たかがマージャンとは言え、人生の勉強の場でもあるようだ。 歯を食いしばってでも、眠さと戦いながらも、近所の人々との人間関係を大切にしたい。 日本生まれの新お一人様、心に鉢巻、両手を振り振り頑張れ!









