親愛なるアッティクスへ
先日、私が企業人として敬愛してやまぬ人物として、元本田技研工業副社長、藤沢武夫氏について述べましたが、もう一人、私が敬愛してやまぬ人物として、こちらも度々、名前が出てきていると思いますが、元帝国陸軍参謀にして、兵法研究家、大橋武夫という人物がいます。
私にとっては、主に学生時代に、この方の著作に触れたことで、もちろん、お会いしたことは有りませんが、何だか、勝手に、昔の恩師のような気がしております。
藤沢武夫、大橋武夫両氏ともに、奇しくも名前が一緒であるばかりか、共に明治生まれの同世代同士なのですが、(大橋武夫という名前には、確か、同姓同名の吉田内閣の国務大臣などもおられましたので、武夫という名前は、当時は、まあ、割とよくあった名前だったのかもしれません。)まずは、大橋武夫氏の略歴を列挙致しますと、
「大橋武夫 1906年、愛知県蒲郡市出身。 陸軍幼年学校から旧帝国陸軍参謀・陸軍中佐。戦後は、激しい労働争議で倒産した東洋精密工業の立て直しに手腕を発揮し、その過程で軍人時代に学んだ「兵法」が経営にも効果的であることに気付き、昭和37年に「兵法で経営する」を出版。その年のベストセラーになる。 定年退職後、兵法評論家として活躍。1987年没。」というところですが、これとは別に、氏が、自らの人生を回想した言葉として、印象に残っているものがあります。
「人の人生とはわからないものだ。私は陸軍幼年学校に入った段階で、そのまま、軍人として一生を終えるものだと思って疑わなかった。それが、敗戦により一転して経営者となり、定年後は作家になって講演などをして余生を送るようになるなどとは夢にも思わなかった。本当に人の人生とはわからないものである・・・。」
私がこの人物の名前を知ったのは、高校時代。
昭和53年か54年の夏。
海水浴の帰りに、ある友人の家に遊びに行って、たまたま、傍らにあったその家の親父さんの本棚で、図解兵法という本を見つけたときでした。
一読して、面白そうだと思った私は、「それは、親父のだから・・・。」と渋る友人を拝み倒して、半ば、奪い取るようにして持ってきました。
(「返す」とは言いましたが、「いつ、返す」とは言ってませんから、未だに持ったままになってます(笑)。ていうか、そいつとも、もう、四半世紀会ってません。どこでどうしているものやら・・・。)
この本は、大まかに「戦法編」、「策略編」の二つに分けられていたのですが、最初、私は枕元に置いて読んでいたのですが、「戦法編」はなかなか、読み進まず、要した時間(・・・というよりも、歳月)は、2〜3年くらい(笑)かかったのですが、それが、そこを読み終えて、「策略編」に移った瞬間、自分でものめり込むのがよくわかるくらいに読み進み、何と、2〜3日で読み終えてしまいました。
私にとっては、自分自身の本質を鼻先に突きつけられたような一事でしたが、以来、この方の著書は、手当たり次第に買い漁り、今でも、氏の大半の著作は所蔵しております。
これ以上は、長くなりそうですので、その氏の著作の中から、ご紹介させて頂きますと、かつて、第二次大戦中、日中戦争の最前線では、見張りに立った兵士がたびたび、失踪すると言ったことがあったそうで、そんなとき、部隊の中に、不思議な人気を持っていた古参兵がいたそうで、彼は、どういうルートを持っているか、はたまた、中国側の兵士たちにも人気があったのか、中国軍の中に入っていって、その兵士を見つけてくるのだそうですが、大抵、見つかったときは殺されていることが多く、中には、埋められていたのを掘り返したようなボロボロに腐った遺体もあったとか。
ところが、驚くべきは、その古参兵は、その腐って、異臭を放つ遺体を車の助手席に載せ、まるで、愛おしいモノを抱きかかえるようにして帰ってくるそうです。
兵士たちは、誰も、その腐乱した遺体に、進んで触れようとする者はいなかったそうですが、同時に、誰もが、その光景を見て、「あ、俺も死んだら、この人にだけは、こんな風にしてもらえるんだな。」と思ったと言います。
少し違いますが、かつて、エディ・タウンゼントというボクシングの名トレーナーがいましたが、この人の言葉で、忘れられないものがあります。
「世界チャンピオンになった人の控え室には、僕が居なくても、たくさん、人が来てくれる。でも、負けた方の控え室には誰も来ない。だから、僕は負けた方の控え室に行くんだ。」
よく、「友達が出来ない・・・」と嘆く、人生相談などを耳にしますが、そんな方は、もしや、勝った側の控え室にばかりに足をお運びになっておられる・・・と言うことはないでしょうか?
負けた選手が、チャンピオンになることはない・・・という決まりはないんですけどね・・・。
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先日、私が企業人として敬愛してやまぬ人物として、元本田技研工業副社長、藤沢武夫氏について述べましたが、もう一人、私が敬愛してやまぬ人物として、こちらも度々、名前が出てきていると思いますが、元帝国陸軍参謀にして、兵法研究家、大橋武夫という人物がいます。
私にとっては、主に学生時代に、この方の著作に触れたことで、もちろん、お会いしたことは有りませんが、何だか、勝手に、昔の恩師のような気がしております。
藤沢武夫、大橋武夫両氏ともに、奇しくも名前が一緒であるばかりか、共に明治生まれの同世代同士なのですが、(大橋武夫という名前には、確か、同姓同名の吉田内閣の国務大臣などもおられましたので、武夫という名前は、当時は、まあ、割とよくあった名前だったのかもしれません。)まずは、大橋武夫氏の略歴を列挙致しますと、
「大橋武夫 1906年、愛知県蒲郡市出身。 陸軍幼年学校から旧帝国陸軍参謀・陸軍中佐。戦後は、激しい労働争議で倒産した東洋精密工業の立て直しに手腕を発揮し、その過程で軍人時代に学んだ「兵法」が経営にも効果的であることに気付き、昭和37年に「兵法で経営する」を出版。その年のベストセラーになる。 定年退職後、兵法評論家として活躍。1987年没。」というところですが、これとは別に、氏が、自らの人生を回想した言葉として、印象に残っているものがあります。
「人の人生とはわからないものだ。私は陸軍幼年学校に入った段階で、そのまま、軍人として一生を終えるものだと思って疑わなかった。それが、敗戦により一転して経営者となり、定年後は作家になって講演などをして余生を送るようになるなどとは夢にも思わなかった。本当に人の人生とはわからないものである・・・。」
私がこの人物の名前を知ったのは、高校時代。
昭和53年か54年の夏。
海水浴の帰りに、ある友人の家に遊びに行って、たまたま、傍らにあったその家の親父さんの本棚で、図解兵法という本を見つけたときでした。
一読して、面白そうだと思った私は、「それは、親父のだから・・・。」と渋る友人を拝み倒して、半ば、奪い取るようにして持ってきました。
(「返す」とは言いましたが、「いつ、返す」とは言ってませんから、未だに持ったままになってます(笑)。ていうか、そいつとも、もう、四半世紀会ってません。どこでどうしているものやら・・・。)
この本は、大まかに「戦法編」、「策略編」の二つに分けられていたのですが、最初、私は枕元に置いて読んでいたのですが、「戦法編」はなかなか、読み進まず、要した時間(・・・というよりも、歳月)は、2〜3年くらい(笑)かかったのですが、それが、そこを読み終えて、「策略編」に移った瞬間、自分でものめり込むのがよくわかるくらいに読み進み、何と、2〜3日で読み終えてしまいました。
私にとっては、自分自身の本質を鼻先に突きつけられたような一事でしたが、以来、この方の著書は、手当たり次第に買い漁り、今でも、氏の大半の著作は所蔵しております。
これ以上は、長くなりそうですので、その氏の著作の中から、ご紹介させて頂きますと、かつて、第二次大戦中、日中戦争の最前線では、見張りに立った兵士がたびたび、失踪すると言ったことがあったそうで、そんなとき、部隊の中に、不思議な人気を持っていた古参兵がいたそうで、彼は、どういうルートを持っているか、はたまた、中国側の兵士たちにも人気があったのか、中国軍の中に入っていって、その兵士を見つけてくるのだそうですが、大抵、見つかったときは殺されていることが多く、中には、埋められていたのを掘り返したようなボロボロに腐った遺体もあったとか。
ところが、驚くべきは、その古参兵は、その腐って、異臭を放つ遺体を車の助手席に載せ、まるで、愛おしいモノを抱きかかえるようにして帰ってくるそうです。
兵士たちは、誰も、その腐乱した遺体に、進んで触れようとする者はいなかったそうですが、同時に、誰もが、その光景を見て、「あ、俺も死んだら、この人にだけは、こんな風にしてもらえるんだな。」と思ったと言います。
少し違いますが、かつて、エディ・タウンゼントというボクシングの名トレーナーがいましたが、この人の言葉で、忘れられないものがあります。
「世界チャンピオンになった人の控え室には、僕が居なくても、たくさん、人が来てくれる。でも、負けた方の控え室には誰も来ない。だから、僕は負けた方の控え室に行くんだ。」
よく、「友達が出来ない・・・」と嘆く、人生相談などを耳にしますが、そんな方は、もしや、勝った側の控え室にばかりに足をお運びになっておられる・・・と言うことはないでしょうか?
負けた選手が、チャンピオンになることはない・・・という決まりはないんですけどね・・・。
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自分の記事は長くても気にならないのに、人の記事って長いとつい、途中で挫折してしまうことが多く_すんません。
でもココのところは、ちゃんと全部読んでますので(^.^)
やはり継続が重要ですね。
一度読み出すと、止まりません_笑。
いやぁ、なんか材料が一杯で・・・。
何書いたらいいのか、書ききらなそうで、
自分の方に、書いちゃおうかなぁって。
でも、それもまた問題。
絞込みをしないと、仕事が出来ません_苦笑。
ほんと、私もよくこのことば使うようになってしまいました。まだ早すぎるのですが、大体この言葉をはくときというのは、親として子供にとか、カミサンととか、酒を酌み交わしながらとか・・・。
後輩に助言するときとか・・・。
自分を振り返るにはまだ早すぎる歳ですが、それでも私にはまだ先がある!なんて、能天気なことを言っている始末です。
それにしても、社会人になったとき、まさか今のようになっているとは想像だにしませんでしたねぇ。
そして、若い人(子供含めて)に言う時、同時に自分にも言い聞かせてはいるのですが・・・。
>>だから、僕は負けた方の控え室に
このトレーナーの話も聞いたことがあるような・・・。
私はどっちかと言えば、負けた方の控え室?
自分で書くのに弄する時間よりも、
拝読させていただく時間の方が、
よっぽど効率もよく、内容もよく、
仕事にも支障がないように思いますよ。
まったく。
まずは、一日1〜2の記事に減らすのが
目標ですねがねぇ_笑。
実は、私もたびたび、人の書いたモノで長すぎると読まないって事が・・・。
だから、できるだけ、長くならないようにと心がけて居るんですよ・・・、実は。
師匠はご存じと思いますが、昔、ノストラダムスの大予言ってあったじゃないですか。
当時、私は15歳。
1999年って何歳だ・・・と考えたら38歳。
まったく、自分が想像できませんでしたね。
今となっては、こんなしょぼくれた親父になってしまって・・・。
でも、そうは言いながらも、心のどこかで自分の行けるところというのは、わかっていたような気がしますね。