平太郎独白録

国際問題からスポーツまで、世の出来事に対し、独自の歴史観で語ります。

小林繁氏の急逝に振り返る「空白の一日」事件

2010年01月21日 | スポーツ
親愛なるアッティクスへ

元プロ野球投手の小林 繁さんが急逝され、葬儀の模様がニュースで流れてましたが、この人は、やはり、我々の世代にとっては記憶に残る選手の一人でしょう。(合掌・・・)
昭和53年(1978年)11月に、あの「空白の一日事件」があったとき、当時、阪神ファンだった私が真っ先に思ったことは、「いずれにしても、巨人に批判の矛先が向かうことは間違いない」ということで、その後、世論の後押しもあって強行(?)されたドラフトで阪神が江川卓投手の交渉権を獲得し、さらに、コミッショナー裁定で当時、巨人のエース格だった小林氏との三角トレードとなったときには、「海のものとも山のものともつかぬ江川を獲るよりも、確実に15勝以上、うまく行けば22勝くらいはいけそうな小林が獲れた方が阪神にとっては効果的だ」と思いましたね。
(当時、江川投手は前年に我が福岡クラウンライター・ライオンズにドラフトで指名されたものの、それを拒否して、一年間、アメリカ野球留学しており、このブランクにより実績を残せないまま終わるのではないか・・・ということが言われてました。)

移籍一年目、小林投手は22勝を挙げ最多勝を獲得し、特に古巣・巨人には負け無しという大活躍だったんですが、この22勝というのは結構、凄いことなんですよ。
おそらく、私の記憶では、この時以来、22勝以上というのは出てないはずなんですよね。
(前年に、近鉄の鈴木啓示投手は25勝挙げてますが。)
一方で、阪神はこの年、掛布雅之選手が球団の本塁打新記録を更新する48本本塁打王に輝き、投打の主軸が最多勝と本塁打王という最高の結果を残しながらも4位・・・。
まあ、それも仕方がない話で、掛布さんも48本も打ちながら、打点はわずかに95で、やたらとソロホームランばかりの48本でしたからね。

ただ、翌年以降は江川投手との直接対決には見事に勝てなかったのですが、この組み合わせは明らかに小林投手には不利でしたよ。
小林という投手は2点くらいに抑えるものの、殆ど、完封というものがない投手なんですよ。
つまり、完封できる能力を持った江川と対戦すると、いくら良い投球をしても打線が完封されてしまうと勝てない・・・という構図が出現するわけです。
(この点は、少し前の松坂大輔投手に対する和田 毅投手などがそうでしたね。)

ついでに言うと、あのときの阪神は、元々、江本孟紀、古沢憲司、上田次郎・・・と、主力投手陣がサイドスローの投手ばかりでしたから、小林投手の加入によりサイドスローの投手ばかりになってしまったんですよ。
こういうことは、時々、編成上、まれに起こるみたいで昭和56年(1981年)の大沢啓二監督に率いられてリーグ優勝したときの日ハムがそうでしたね。
高橋一三、間柴茂有、江夏豊・・・と左投手ばかりになってしまい・・・。
まあ、それでも皆、それなりの成績を残したわけですから構わないのでしょうが、相手チームからすると対策が立てやすかったことには違いないように思うのですが。

ちなみに、小林投手と巨人で同僚だった高田 繁現ヤクルト監督は「投手という人種はあまり、付き合いたくない人が多いが、唯一の例外が小林 繁」と言ってましたが、その小林さんでも、子供の頃はメンコで負けたら、下駄で相手をぶん殴っていたそうですから・・・(笑)。
                                         平太独白
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お知らせ

2009年01月17日 | その他
親愛なるアッティクスへ

このたび、別館だったgooの方の平太郎独白録を今月一杯を持ってリストラすることにしました。
これからは、本館である平太郎独白録 親愛なるアッティクスへの方に一本化する次第です。
お手数ですが、ご理解のほど、お願い申し上げます。

これは、先日から申し上げておりますように、始めた当初は平太郎独白録- livedoor Blogからのスタートだったのですが、3ヶ月くらい過ぎた頃、「ライブドアのブログがある日、突然、消えてしまった」という記事を目にしました。
そこで初めて、書き留めた物が消えてしまう危険性に気づいたことで、「これはならじ」予備としての別館併設必要性を思い立ったわけですが、このブログも三年を過ぎた今、予備を残しておく必要性はなくなったのではないかと思い至りました次第です。
(つまり、それほどの物でもないし、消えたっていいんじゃないの・・・と。)

で、そんなこんなで、これまで両者を併設していながら、なぜ、gooの方をリストラするのか・・・という点ですが、それは特に、gooの方が悪い・・・というわけではなく、偏に私の個人的なブログにおけるニーズによるもの・・・(というよりも、私の個人的な嗜好の問題)です。
むしろ、ブログ内検索に関しては、エキサイトは非常に出来が悪く、「これは、以前、書いたあれがあったよな・・・」と思い、検索してみると、検索にやたら時間かかる上に、「キーワードに一致する結果が見つかりませんでした」と出る・・・。
で、ならば・・・と、一文字、二文字減らして、同じ、ワードで検索してみると、またもや時間がかかったあげくに、しっかりと、その文言で検出される・・・という体たらく。
それを、gooで検索すると、その場で、過去の古い分からずらっと一瞬にして挙げてくれるんですよ。

それに、個人的な感覚ですが、エキサイトは、どこか閉鎖的な臭いがします。
エキサイト・ユーザーだけを囲い込んでしまおう・・・みたいな。
人の目に触れる機会もgooの方が多いんじゃないですかね。
何か、そんな気がします。

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七草粥と関係ないけどお知らせ

2009年01月07日 | その他
親愛なるアッティクスへ

ワタクシも本日は実家で胃腸に優しい七草粥を食して参りました。
(でも、雑煮食って、七草粥お代わりしてたら一緒か・・・という気もしないでもありませんが(笑)。)
で、昔は七草と言っても、私の祖母などは「こだわらなくて良いから、とにかく、今、ある物を入れなさい」と言っていたという話を聞きました。
おそらく、「七草」と銘打ちながらも、実際は、「正月の間に中途半端に余った野菜を使いきってしまいなさい」・・・という生活の知恵ではなかったでしょうか。

で、本日はまずはお知らせです。
お気づきの方も多いと存じますが、今年からこれまで、拙稿の末尾にありましたブログランキングのクリックの方を削除しております。
元々、こちらのランキング自体は殆ど、気にしていなかったのですが、ランキングの側からこちらへ来られる方もいらっしゃるだろうという程度で載せていたものでした。
ところが、実は、昨年半ばから、どうにも私のパソコンにスパイウェアが侵入することが多くなり、当初、大量に来ていた迷惑メールが原因かと思っていたのですが、昨年秋くらいでアドレスメールソフトごと削除したのですが、それでもまだ来る・・・。
しかし、特に、毎度、怪しいメールを開いているわけでもないし、かといって、いかがわしいHPなども殆ど見た記憶もありませんないので、原因がまったくわかりませんでした。
で、年末年始の間に、ウィルスチェックを掛けた直後、ブログランキングをクリックし、再び、ウィルスチェックをしたところ、見事にスパイウェアが検出されましたので、もしや・・・と。
それでも、その後、もう一度やったときは、特に出なかったので、ダイレクトにブログランキングが感染根源だ!と決めつけるわけにはいかないのですが、元々、それほどこだわりがあったわけでもなく、まあ、飾り程度の物ですから、わずかでもリスクがあるのであれば、わざわざ、置いておく必要もないだろうと思い、だったらキリが良いところで・・・と思った次第です。

・・・ということで、本日の本題に行く前に本日はここで力尽きてしまいました。
いとをかし・・・(笑)。

                                         平太独白
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アメリカ金融危機は対岸の火事ではない日本の脆弱性 3

2008年10月04日 | 国際問題
親愛なるアッティクスへ

バブル崩壊後の不況色が強まり出した頃だったと思うのですが、当時、ある方が、「湾岸危機が終われば景気はよくなる」と言われたのに対し、私は、「いや、この不況はむしろ、50年というサイトで考えるべきだろう」と言ったことがあります。
結果的に、湾岸危機湾岸戦争となって、それが終わっても、何ら景気回復には繋がらなかったことは周知のことですが、同時に、実感はなかったとしても、ここ数年は数字の上では好景気だったわけですから、私の予想も見事に外れたことになります。
もうひとつ、同じ頃に私が言ったことの中に、「大恐慌になることはないまでも、今後、中恐慌、小恐慌になる可能性は十分にある」というものがあります。
その根拠は、大恐慌とは、そもそも、世界に協調態勢がまるでなかった時代のことであり(サミットG7もなかった時代ですから。)、その辺が格段に整備された現代ではよほどのことがない限り、起こりえないだろうということだったのですが、(無論、所詮は、各国とも、いざとなれば、自国だけは助かろうとするのが国際社会行動原理であり、そのことは、現在のアメリカの対応を見ていれば可能性は否定できないと思います。)こちらも、FRB手綱捌きよろしく、そういうことには至りませんでした。
ただ、それが外れたのではなく、まだ継続中だったとしたならば少し話は違ってきます。

で、昨日の続きですが、今回の第二次バブルともいえる不動産市況の好調の原動力となっていたのは、第一次バブル期と違い、投資家から金を集めて儲かるネタに投資して利益を上げようとするファンドであり、ファンドの購入額(投資基準)は、かつてのように周辺でこの金額で売れたという「事例」ではなく、投資と収入との割合、すなわち、利回りでした。
そして、ファンドは損をすることもながら、それ以上に「儲かってます」といって金を集めてこなければならず、つまり、実際にはそれだけの賃収が得られていないにもかかわらず、敢えて、高額の賃料設定し、高利回り保証することで儲かっているかのように偽装したのではないかと。
そうなると、表面上はうまくいっているように装っていても、内実は、倒れたくなければ走り続けなければならないという自転車操業と一緒で、いつかはどこかで破綻するシステムだったのではないかと・・・。
その上で、日本の現実は平成2年の第一次バブル崩壊後、何ら体質改善清算もすることなく、とりあえず、痛み止めでごまかして、臭い物に蓋をして、ずるずると今日まで来たのではないかと。
もしそうならば、ここで問題となってくるのはマンションオフィスビルなどの過剰建築です。

この辺はちょうど、一年くらい前に新潟に行ったとき、街のあちこちちでタワークレーンが見えることを指して、私が新潟人に、「新潟、景気良いじゃない」と言ったところ、「こんなに建ててどうするんですかね。新潟なんてこんなに人いませんよ」という答え・・・。
傍らの熊本人も、「熊本も一緒ですよ」と言い、それを受けて、私も、「福岡もそうだよ。明らかに実力以上に物が建ちすぎている」と。
私が、「来年の稚魚まで獲ってしまった」と言ってからすでに17年・・・。
それでなくとも供給過剰だったところへ、無思慮なまでに建て続けた状態のところへアメリカのバブルが弾けたわけで・・・。

アメリカは今回の金融危機が凌げたとしても、公的資金の投入はそれでなくとも借金漬けの国莫大な債務を抱え込むことを意味しており・・・。
アメリカははっきりとひとつの曲がり角を曲がったと思います。
(ちなみに、8年前の今頃、アメリカに行ったときに、向こうにいる親戚に「今のアメリカは間違いなくバブルだ」と言ったところ、「バブル?ボワット?」と。向こうでは「ブーム」と言うらしいです。何とも味気ないネーミングだこと・・・。)
そもそも、アメリカの金融危機対策にしても、日本の緊急景気対策にしても、国民のためにと言いながら、結局はまた、借金で首が回らなくなっている国が、「自分が選挙に勝つために」さらに借金を重ねるだけのことで、つまりは、これこそが、「自分の任期中だけ景気が良くなればいい」という民主主義というものの行き詰まりの必然的な構図なのだと思います。

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アメリカ金融危機は対岸の火事ではない日本の脆弱性 2

2008年10月03日 | 経済・マネジメント
親愛なるアッティクスへ

最近、難しい話題ばかり続いていますね。
本来であれば、少し柔らかい話題に行くところですが、ここしばらくの社会情勢は私からすれば、それほどに深刻なもののように思えるわけで・・・。

で、昨日の続きです。
これまで書いてきたとおり、バブル崩壊後、「とりあえず、任期中だけ景気を良くすればいい」ということを続けてきた歴代政権ですが、その最たる物が小渕恵三政権であり、対して、「もう、痛み止めではなく、痛いけれども手術をしましょう」と言って登場したのが小泉純一郎政権だったでしょう。
(これは、政策の是非ではなく、あくまで、スタイルの問題ですね。)
それにより、生活レベルでの景況感は別にして、こと、地価に限って言えば、場所によっては上がるところも出てきたわけですが、ただ、その原動力となっていたのは規制緩和により参入しやすくなったファンドと呼ばれる「外資」だったわけです。

この点で、先般、倒産した某中堅ゼネコン専務なる人が、「サブプライムローンなどという物が問題になっているのは知っていたが、それが自分たちに関係してくるとは夢にも思わなかった」と言っていたのを聞いて、私は、本当に、びっくりしました。
私だって、それが一時的な物であるか、どの程度の持続性があるかどうかは別にしても 「これは不動産業建設業は大変だな・・・」くらいはわかりましたから。
なぜなら、日本の不動産を買い、地価を押し上げていたのはその外資だったからで、それが、サブプライムローン問題で引っかかってしまえば、日本の不動産市場から資金を引き揚げる・・・ということになることは十分考えられることで、すると、日本の不動産市況は当然、低迷することになる・・・と。
そうなると、すでに土地を購入している不動産業者や建設にかかっている建設業者に影響があることは必至であり、だからこそ、某中堅ゼネコンの専務の発言には驚いたわけです。

ただ、その不動産市況の活況を支えていた根拠は何だったかというと、それは、投資に対する見返り、つまり、利益なわけですが、不動産投資に置ける利益とは、無論、転売していくら残ったかというキャピタル・ゲインもながら、一番の前提は賃料収入なわけです。
ところが、東京の地価が上がり始めた頃、これだけ物が余っているにも関わらず、外資が手がける物件だけはもの凄く割高な賃料設定で、しかも、それで借り手が付いている・・・ということを聞き、大変驚きました。
NHKの特集番組で見ると、彼らは間取りをいじったり、室内装飾を豪華な物に変えたり・・・ということをやって、高賃料を実現してましたが、当時、私の感覚では、「そんなことやって、賃料が上がるなら、皆、やってるはずだがな・・・」というもので、まあ、「おそらく、外資の側も肝心の所は見せてないんだろうな」とは思いましたが、それにしても、「どうして、あんなことができるんだろう」というのは謎でした。

で、今回、第二次バブル崩壊(ミニバブルという言い方は正確ではないと思います。)の結果、おそらく、あの高額の賃料設定というのは「嘘」だったんだろうなと思い始めました。
つまり、「これだけの賃収を保証しますよ」と言って、資金を募っておきながら、実際にはその数字では借り手は付いていなかったのではないかと。

明日に続きます。

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アメリカ金融危機は対岸の火事ではない日本の脆弱性 1

2008年10月02日 | 経済・マネジメント
親愛なるアッティクスへ

いつの間にか気が付けば10月ですね。
今月に入って、福岡県地方は台風一過、秋晴れの日が続いております。
もっとも、快晴と言っても天気の割には、結構涼しく、私も少し風邪を引いてしまいました。
まあ、今月の終わりには年賀状も発売されるわけですから、当然と言えば当然なのでしょうが、昔はもっと、残暑は厳しかったような気がしていたんですけどね。

ところで、これまた、先週からの続きでもあるのですが、現在、アメリカを中心とする金融危機が勃発しておりますが、この件では私は深く危惧しております。
無論、私ごときに複雑な国際金融の話などわかるわけもないのですが、ただ、私も国内の不動産事情という点ではまったくの素人でもないことから、この点で、今回のサブプライムローン問題に端を発する金融危機は日本にとっても決して、対岸の火事などではないと思っております。
私が危惧する理由・・・、それは日本が20年前バブル崩壊清算を終えていないまま、今回の金融危機を迎えた・・・という日本独自の国内事情についてです。

平成2年のバブル崩壊当時、私は29歳。(若かった・・・。)
で、私の記憶では、バブル崩壊後、しばらくは、金融引き締めなどでバブル潰しに躍起になった当時の三重野 康日銀総裁を、「平成の鬼平」などともてはやす傾向もみられたものの、やがて、不況深刻化して行くに連れ、特に、政治が、「自民党分裂による55年体制崩壊」と、その後の権力闘争による離合集散という混迷が続いたことで、政権担当者は不況にあえぐ国民へ向かい、「とりあえず、任期中だけ景気を良くすればいい」という政策を実施していきます。
そして、その柱となったのが、裾野が広いと言われる住宅産業への傾斜政策でした。

まず、引き締めていた金融を再び緩め・・・どころか、公定歩合(懐かしい・・・。)を史上最低金利に誘導。
さらに、住宅金融公庫貸出枠を大幅に増やなど、購入希望者に買いやすい環境を整えました。
これにより、危機に瀕していたマンション分譲会社が一斉に飛びつき、至る所、マンションが建ち始め、活況を呈していきました。
平成4~5年頃のことだと思います。
しかし、それは当然、マンションが実需以上に建ったからといって、客の数が増えたわけではない以上、私に言わせれば、「本来なら来年の獲物(客)になるはずだった稚魚まで今年食ってしまった」という状態であり、となれば、「数年したら、売れ残りの分譲マンションが大量に市場に出回り、やがてそれは、競売などで落とされたとしても、実需には限りがある以上、賃貸に廻されることとなり、賃料の暴落を招く」という予想を懐くに至りました。

その後、事態は私の予想どおりに進展するかと思いきや、小泉純一郎内閣の登場以後、地価に限っては下げ止まりの観を見せ始めました。
ただ、それを後押ししていたのは、バブル期と違い、外資のマネーだったわけで・・・。

明日に続きます。

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祝!石の上にも三年の3周年記念! 付属報告編

2008年04月04日 | その他
親愛なるアッティクスへ

ついに、明日より四月・・・。
ガソリンは下がるそうですが、代わりに色々な物が値上がりするようですね。
取り急ぎ、ビールを買いだめしてきました(笑)。
とりあえず、上がるのは、サッポロだけだそうですが、ま、他のもいずれ上がるでしょうから買っておいていいかな・・・と。
どうせ、これから暑くなるんだし・・・と。


(←福岡タワーを真下から見上げた画像です。見上げるほどに高い・・・繋がりですね(笑)。)

で、まずはご報告です。

このたび、別館だったgooの方の平太郎独白録を今月一杯を持ってリストラすることにしました。
これからは、本館である平太郎独白録 親愛なるアッティクスへの方に一本化する次第です。
お手数ですが、ご理解のほど、お願い申し上げます。

これは、先日から申し上げておりますように、始めた当初は平太郎独白録- livedoor Blogからのスタートだったのですが、3ヶ月くらい過ぎた頃、「ライブドアのブログがある日、突然、消えてしまった」という記事を目にしました。
そこで初めて、書き留めた物が消えてしまう危険性に気づいたことで、「これはならじ」予備としての別館併設必要性を思い立ったわけですが、このブログも三年を過ぎた今、予備を残しておく必要性はなくなったのではないかと思い至りました次第です。
(つまり、それほどの物でもないし、消えたっていいんじゃないの・・・と。)

で、そんなこんなで、これまで両者を併設していながら、なぜ、gooの方をリストラするのか・・・という点ですが、それは特に、gooの方が悪い・・・というわけではなく、偏に私の個人的なブログにおけるニーズによるもの・・・(というよりも、私の個人的な嗜好の問題)です。
むしろ、ブログ内検索に関しては、エキサイトは非常に出来が悪く、「これは、以前、書いたあれがあったよな・・・」と思い、検索してみると、検索にやたら時間かかる上に、「キーワードに一致する結果が見つかりませんでした」と出る・・・。
で、ならば・・・と、一文字、二文字減らして、同じ、ワードで検索してみると、またもや時間がかかったあげくに、しっかりと、その文言で検出される・・・という体たらく。
それを、gooで検索すると、その場で、過去の古い分からずらっと一瞬にして挙げてくれるんですよ。

それに、個人的な感覚ですが、エキサイトは、どこか閉鎖的な臭いがします。
エキサイト・ユーザーだけを囲い込んでしまおう・・・みたいな。
人の目に触れる機会もgooの方が多いんじゃないですかね。
何か、そんな気がします。

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日本に追随しているアメリカ

2008年04月03日 | 国際問題
親愛なるアッティクスへ

本日の福岡県地方は、久々の晴天・・・。
土手の桜は、やや、葉桜となっていましたが、ここ数日、あまり、天気も良くなかったので、今年最初で最後の馴染みの桜となるだろうと思い、このときとばかり、目に焼き付けてきました・・・(笑)。
で、本日の本題です。

       「ふてえ口 叩くアメリカ この程度」 
                      平太独白 

これは、2002年の8月に「米企業不正会計問題、決算書の正しさ証明の「宣誓書」提出期限迫る。700社以上が未提出」という記事を見たときに詠んだ句です。
当時、「なあなあで処理してきた日本型ぬるま湯経営行き詰まり」などと言っていたアメリカも蓋を開けてみれば、大して変わんねーことやってるじゃないか・・・と思いましたね。
思えば、日本のバブル崩壊後、アメリカは、散々、日本の政策を「失われた10年」などと言って嘲笑しておきながら、今のサブプライムローン問題などの現状を見ていると、日本のバブル崩壊当時と何ら変わらないことがはっきりしてきたわけで、おそらく、こちらも公的資金投入しない限り納まらないでしょう。
(救いは、アメリカの経済当局は、かなり、日本のバブル崩壊を研究しているな・・・と感じられることでしょうか。だから、軽々に、公的資金投入を口にしないし、金利も上げない・・・と。)

この点で、先日、ロバート・レッドフォード監督の「大いなる陰謀」という映画を見ましたが、なかなかに考えさせられる映画ではありました。
ただ、この作品や、先般のクリント・イーストウッド監督の「父親たちの星条旗」などを見ていると、結局、日本とアメリカの差は何だったんだろうか・・・と思えるようになってきました。
単に、「勝ったか負けたか・・・」だけの違いだけだったんじゃないのか・・・と。
(日本の軍部の暴走ユーラシア大陸の反対側まで行っても止まりそうにありませんでしたが、アメリカの軍産複合体体質自転車が倒れるまで止まりそうにありませんし、「一将功成りて万骨枯る」体質も大して変わらないように思えましたよ。)
そう考えれば、軍事的破綻経済的行き詰まりも日本が先行しているわけですから、「アメリカが進んでいる」んじゃなくて、「日本で起きたことが、しばらくしてアメリカで起きている」・・・、つまり、アメリカが日本に追随しているんじゃないですか・・・。

ちなみに、今、日本でも一部の議員さんたちの間で、政府系ファンドを立ち上げようという動きがあるように聞きますが、それは、絶対にやめておいた方がいいと思います。
役人の天下り先が出来るだけで、結局、バブル崩壊後の第三セクターのような無責任なことになるだけですから・・・・。
老婆心ながらアメリカのためにも言っておきます(笑)。

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祝!石の上にも三年の3周年記念! おまけ編

2008年03月29日 | その他
親愛なるアッティクスへ

←昨日、たまたま入った店で昼飯の後に出てきたアフターコーヒーの画像がです。

なかなか個性的な器だな・・・と思って、撮影したのですが、少し、近づきすぎたでしょうか、パッと見は何かわからなくなってしまいましたね(笑)。

で、本日は、3周年記念が、訳あって中途半端に終わりましたので、今更ながらのおまけ編です。
過去二回の周年記念号においては、それぞれ、副題である「アッティクス」と私の名前のいわれについて述べましたので、今回の周年では、私自身のことについて述べてみたいと思います・・・と言いたいところですが、実は、本当は、ここで、別の・・・、もっと、しっかりした周年に相応しい内容を考えていました。
が、それはまた、次回の4周年(あるのか?(笑)。)のお楽しみに廻すとして、私にもっとも相応しくない、私のファッション観というものについて述べてみたいと思います。

かつて、司馬遼太郎をして、「日露戦争において、日本軍陸海両軍匹敵する働きをした」と賞賛しめた、筑前福岡藩出身の軍人、明石元次郎大将は、風采にまるで気を使わなかった人だそうで、人から、「もう少し、気を遣ったらどうだ?」と言われたとき、「身なりなどに気を煩わされないのが筑前武士というものだ」とか。
別にそれに触発されたわけではありませんが、私も、元々、ファッションなんてものにはあまり興味がありませんで、以前、友人にそう言ったら、「あまり・・・じゃなくて、マッタクだろうが」と言われました。
まあ、確かに・・・と(笑)。

ここで、私に好意を持ってくださっている数少ない女性の皆様のために(←ここ、笑うところです(笑)。)くれぐれも誤解のないように申しあげておきますが、ファッションに興味がないといっても、決して、不浄不潔という意味ではありませんよ。
むしろ、逆で、家人などからは、「ちょっと汗かいたからと言って、日に何度も着替えやがって!」と言って怒られてます(笑)。

で、その、ファッションという点では、私にはひとつの理想とする姿があります。
それが、ゴルゴ13です。
ゴルゴ13とは、言うまでもなく、国際社会暗躍するスナイパーを描いたさいとう・たかをロングラン漫画ですね。
(私が幼稚園くらいから連載されてますが、やつは一体、いくつなんだ・・・と(笑)。)

彼は、報酬として大金を得ていますから、決して、貧しいわけではない・・・どころか、大金持ちなんですよ。
しかし、労働者として潜入しなければならない場合には作業服を着るし、浮浪者に成りすまさねばならないときには浮浪者の格好もする・・・。
つまり、私は、おしゃれとしてのファッションについては興味が無く、衣服については、機能性のみしか考えておりませんで、色形などどうでも良く、従って、ブランドなどにはまったく興味がない・・・ということで、つまりは、衣服などというものは、そのときそのときで、必要なシュチエーションにだけ意を持ち得ればいい・・・と思っている次第です。

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ホームでの突き落とし殺人に思う鉄道会社の責任の是非

2008年03月27日 | 時事問題
親愛なるアッティクスへ

←最近、色々あって・・・、昨日は、珍しく独りで飲ってました。
隣はカップルでしょうか・・・。
私がいる間は、この上に物が並べられることはありませんでしたが・・・。

ところで、先日からの、相次ぐ少年の凶悪犯罪についてですが、今朝も「少年の心の闇」・・・などという、いかにもワイドショーが喜びそうな視点から、例によって張り切って採り上げられてましたが、ただ、私は、特にそのうちのJR岡山駅の事件については少し思うことがありました。
即ち、この事件に関しては、こういった「背景」以前に、鉄道会社の責任を云々する声があっても良いのではないかということです。
事実、岡山県警の調べによると、「少年は、当初、ナイフで事件を起こそうとしたが怖くてできず、結局、ホームから人を突き落とすことにした可能性がある」とのことで、だとすれば、もし、電車のホームが安易に突き落とせる構造になってなかったら・・・、もしくは、そこにいる人がこの状況の危険性を十二分に認識できるような啓蒙を受けていたら・・・、かなりの可能性で、この事件は防げたのではないかと思うのです。

まず、ナイフで人を殺す・・・ということですが、これは、実は、それほど簡単なことでもありません。
なぜなら、相手も抵抗する・・・というこの難しさもながら、刺した経験の無い人は、「さあ、刺せ」と言われても、「はい、そうですか」と刺せるものではない・・・ということがあります。
料理をしたことのない人が、「さあ、この鶏を捌きなさい」と言われても、なかなか出来ないくらいですから、ましてや、万物の霊長である人間は簡単には刺せないでしょう。
ところが、電車のホームというのは、例外的に、それが極めて簡単にできる状況にあるわけですから、本来、運営者側は、この点に十分に配慮する必要があったのではないでしょうか。
鉄道会社は、一刻も早く、これに対応しないと、この事件は、「安易に人が殺せる」方法があることを満天下に示したわけですから、次もある可能性もありますよ。

この点では、阪急の創始者・小林一三翁だったかが、最初に鉄道事業に乗り出したときに、経営の師匠であった北浜銀行岩下清周頭取だったかから、「駅のホームにはを付けるべきだ。そうでないと、上客は乗車を危険視して、その電鉄会社を敬遠するようになる」と強く要求されたことを思い出しました。
小林翁は、岩下頭取の要求にも頑として従わず、そのまま、開業したのですが、 それが、今日、電車のホームには柵がないことが一般的な形となったことで、これを翁の先見性だというような評価が為されている向きもあるようです。
ただ、このとき、翁が柵を設けなかった本当の理由は資金不足であり、そのときに口にしたのが、「欧米でも柵がないのが一般的だ」というものだったのですが、それを日本の電鉄会社は、安易に、「欧米でもそうなんだから・・・」という神話として受け入れすぎて来たのではないか・・・と思えるのです。
昭和の通勤ラッシュの時代など、よく、あれで責任が問われなかったものだな・・・という気もしますが、ちなみに、福岡市営地下鉄では、最近では、自動開閉式の柵が設けられています。

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祝!石の上にも三年の3周年記念! 後編

2008年03月21日 | 私小説
親愛なるアッティクスへ

一昨日、いつものように川沿いの歩道を歩いていると、目の前で1m大魚が釣り上げられるところに出くわしました。
何と今日の記事に相応しい目出度い画像かと・・・。
で、「これ、何という魚ですか?フナ?」と聞くと、「いや、ソウギョだ」とのこと。
・・・私はソウギョが何か知らないのですが、針を外すと、そのまま、おもむろに魚を川にドボン・・・。
「食べないんですか?」と聞くと「食べるとは聞かんな」と・・・。
何か、絶版になったにも関わらず、中古市場ではなぜか定価以上で売れている拙著、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]を象徴しているような・・・、目出度さ半分・・・といったところでしょうか(笑)。

で、気を取り直して、昨日の続きです。

その、自分では自信作ではあったものの、発表しようにも対象の賞が見あたらなかった最初の拙著ですが、その後、さて、どうしたものかな・・・と思っていたところ、「他に応募した作品でも可。字数も問わない」という自費出版系の出版社の賞が目に付きました。
まあ、これに応募すると言うことがどういうことかくらいはわかりましたが、他に選択肢もなく、やむなく応募したものの、こちらでも、字数の多さ(=本の厚さ=値段が高くなる=買い手が限られる。)敬遠されたとのことで、結果、落選・・・。
で、その出版社より声がかかったわけですが、もとより、こういう会社の営業トークを本気にすることはなく、一旦、これを断りました。
(もっとも、本音を言えば、自信があった作品だけに、こういう形でしか世に出せないことに対して忸怩たる物があったことが最大の要因でしたけどね。)

とはいえ、このまま、お蔵入りにするのも忍びなく、自分の中で、しばし、葛藤があった後、ある先輩の「私の取引先の社長は最近、乗っていたセスナ墜落して亡くなった。人間、悔いの無いように・・・」という言葉を聞き、また、出版社も、かなり値引きした金額を提示してくれたことで(後で、計算したところ、ほぼ、向こうも原価でしたね。)、さらに、通常は1000部しか刷らないところを、当初から、2000部刷る・・・という力の入れようを示してくれましたので、ようやく、重い腰を上げた次第でした。

が、結果は、無名の著者の本がすぐに売れるはずもなく、数ヶ月程度で店頭からも姿を消したわけですが、ここで、私は思いました。
田中角栄進歩党大麻唯男から、『君は何もしなくて良いから』と言われて初めて公認で選挙に出たとき、話と違って、誰も何もしてくれなかったので落選したことから、『よし!自分の力で通ってやる!』と思い直し、次の選挙で当選した」・・・と。
また、「歌手の松崎しげるさんは、名曲〔愛のメモリー〕をひっさげ、外国で賞を獲得して帰国したのに、何の話題にもならず、レコード化もされなかったので、自分でことあるごとにレコード会社へ売り込みをかけて、ようやく、世に出た」・・・と。

とはいえ、業界に何のコネも知識もない私にできる自助努力などあるはずもなく、そこで、まずは「自分の主張を知ってもらうこと」から始めようと、手を付けたのがブログでした。
ということで、「石の上にも三年」と言いますので、この3年間、休日以外は一日も欠かすことなくUPし続けてきましたが、ちょうど、先頃には、その、拙著、[傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯]2000部を売り尽くし、このたび、目出度く絶版になったこともあり、「もう、この辺で良いかなー」と思うようになってきましたね・・・。

ということで、とりあえず、お付き合いくださってお疲れ様でした・・・。

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祝!石の上にも三年の3周年記念! 前編

2008年03月19日 | 私小説
親愛なるアッティクスへ

おかげさまをもちまして、このブログも2005年の3月下旬(実は結構あやふやです(笑)。)より書き始めて以来、3周年を迎えることが出来ました。
この間、UPした記事は836本、訪問者数はメインのエキサイトと当初やっていたライブドア75,000名、これに、別館であるgooも加えれば、おそらく、延べ15万名以上の方にお越し頂いたものと思われまする。
(ちなみに、検索ワードランキングでは、その時々で色々と変動はあったものの、なぜか、「瀬島龍三」というワードが、絶えず上位にランクインされていたことが印象的でした。他にも、何でこれなんだ?・・・というのも、ちらほら・・・(笑)。)

これもひとえに、皆々様のご厚情あってのことと、厚く御礼申し上げます。



(←毎年恒例、特に関係ないけど周年が殺風景過ぎるのもいかがなものかという、ただ、それだけの理由での画像です。私のホームグラウンド・博多駅前の夜景ですね。そういえば、過去二回は「道」繋がりでしたが、今回も、まあ、道と言えば、道ですね(笑)。)

思えば、このブログを書き始めた三年前・・・、当時、私はそのちょうど1年前の平成16年3月に、処女作、「傾国の烙印―国を傾けた男毛利輝元の生涯」を出版していました。
実は、この作品は、自分的には、それなりに自信はあったのですが、ここが地方にいる身の哀しさで、書いたは良いが、それをどうやって世に出せばいいのかが皆目検討がつきませんで、やっと、手がかりを掴んだのが、当時、とっていたそっち関係のメルマガでした。
そこには、「持ち込みなんてのは、まず、見てももらえない。に応募するのが王道」と書いてありましたので、なるほど・・・と思い、賞に応募することとしました。

ところが、調べてみたら、推理小説以外は、殆どの賞が「原稿用紙200枚以下」であり、中には、「50枚以内」というものさえある始末で、私のそれはと言えば、すでに、原稿用紙650枚になっていましたので、200枚以下では、少々、減らしたところで到底無理なわけで、やむなく、一つだけあった原稿用紙500枚以内の賞に応募しようと、様々なところをカットし、さらに、雑巾を絞るように、点や丸、さらには行を削除するなどして、ようやく、500枚ちょうどにしました。
ただ、その賞は、一応、「ジャンルは問わない」とは書いてあった物の、過去の入選作品を見てみると、明らか拙著とはにニーズが違うものばかりで、この点、そのメルマガにも、「賞には賞の求めている雰囲気のようなものがあるので、自分の作品が、それにあっているかもよく検討すること」とも書いてありましたが、そうは言われても、もとよりこちらには字数の問題で、賞に対しての選択肢などはないわけで・・・。
で、その結果は・・・というと、やはり予想通り、箸にも棒にもかからない・・・というものに終わったわけですが・・・。

後編へ続きます。

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話の種にモンゴル式住居ゲルに泊まった肥前路 その7

2008年03月18日 | 歴史的教訓
親愛なるアッティクスへ

先週の続きです。

この鷹島という島ですが、行ってみて思いましたが、大きさの割には船が入れられるの数が多いんですよね。



(←元軍来襲時に日本側本営跡より睨む眼下の港。おそらく、往事にはここに元の大船団がひしめいていたのでしょう。)

最寄りの港としては、現在でも3カ所もの港からフェリーが出ているようですし、それ以外の港も含めると、繋留可能港はかなり多いのではないでしょうか。



(←鷹島守備隊本営跡に置かれた日本側現地軍司令官・少弐経資の像。戦死した経資の像は今も港を睨む。)

また、大船団の繋留港としては、広さもながら、その深さというものも問題になってくるでしょうね。
この点まではわかりませんでしたが、見た目的には問題なかったように思いましたが・・・。



(←鷹島で食べたアジ丼。鉄火丼のように鯵の刺身が乗ってくるのか・・・と思いきや、フライにされた鯵が乗ってきたときには、結構、新鮮な驚きを覚えましたよ。味の方も、見かけに似合わず(?)、まずまず、美味しかったですし・・・。)
で、鷹島に置ける元軍の最期に触れておくと、弘安4年(1281)、平戸島において友軍との再編成を終えた元軍は、捲土重来、再度、博多湾に侵入すべく鷹島沖へ移動を完了・・・。
無論、日本側も手をこまねいてみていたわけではなく、軍船による執拗な夜襲を敢行し、元軍に少なからぬ損害を与えるも、大打撃を与えるには至らず、両軍共に、にらみ合いのまま、運命の7月30日夜半・・・を迎えたところ、この夜、つかの間の静寂に包まれる両軍に、突如、激しい暴風雨が襲いかかり、特に、海上にいた元軍大船団は大打撃を受けます。
辛うじて生き残った兵士らも、日本軍の掃討作戦にあい、「日本遠征に参加して帰還しなかった者は、元軍(蒙漢軍と蛮軍)十万有余人、高麓軍七千余人」と伝えらるほどの損害を出し、「元寇」はここに終結します。
いわゆる、「神風」というやつですね。
ちなみに、この暴風雨については、最近、真鍋大覚九州大学工学部助教授が、興味深い推論を発表されましたが、曰く、中国南部の泉州湾の海底から引き揚げられた南宋時代の軍船を、風と波に対する船の復原力を計算した「船舶安全基準」にあてはめ、これをもとに、この船を沈没させるに足る台風の規模を計算したところ、結果は、「最大瞬間風速54.57m、中心気圧938ミリバール、毎秒25m」という暴風圏を持つ超巨大台風となったとか・・・。
やはり、神風だったのでは・・・(汗!)。

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豊田泰光のチェンジアップ人生論に思う大部屋の効用

2008年03月17日 | 経済・マネジメント
親愛なるアッティクスへ

先日、球界の一言居士と言って良い元西鉄ライオンズの名選手、豊田泰光翁の著書を読み終えたと申しましたが、その中でいくつか考えさせられる話がありました。
まず、そのうちのひとつが、プロ野球選手遠征時宿泊についてでした。
曰く、『旅館からビジネスホテルへという宿泊形態の変化は日本の旅を大きく変えた。大部屋文化から個室文化へという「個人」重視の象徴的な現象だが、プロ野球選手にとっていいことばかりではない』・・・と前置きした上で、『昔は主力だって個室を与えられることはなかった。よくて二人部屋で、普通は三、四人』だったそうで、その面での不便は色々とあったようですが、翁が説くのはその効用の部分でした。

曰く、『野球選手などというものは結局は一人一人が個人営業の事業主で、すべての企業機密を公開したら商売にならないから、隠しておく部分も多いのだが、上達のヒントはお互いに交換する』・・・ということであり、その上で、『西の端の球団、西鉄は遠征も一番長く、博多−川崎−東京−大阪−博多といった具合に、二週間、三週間と続く。最初の一週間は花街に遊びに出ていた野武士たちも、最後は路銀が寂しくなり、宿舎でくすぶるようになってくる』・・・と。
すると、手持ちぶさたの数人が野球談義を始めると、ぞろぞろと集まってきて、『勉強会』となり、『みんな何かを吸収してやろうとギラギラしていた』・・・ということになったのだとか。

私なども、ホテルよりは旅館の方が好きな人間なので、羨ましいようにも感じますが、もとよりそれは、家族や友人など、気心が知れた者同士で行く旅の場合・・・。
職場まるごと出張・・・などという場合は、そうはいかないでしょう。
誰しも、気むずかしい上司との相部屋などはご遠慮蒙りたいでしょうから・・・。

ただ、この話を聞いて、どうしても想起してしまうのが、私が常日頃、企業人として敬愛する本田技研工業元副社長にして、事実上のホンダの創業者であった藤沢武夫氏の話です。
本田宗一郎氏に代わり、ホンダの経営を一手に担っていた氏は、ホンダの役員室をそれまでの個室から大部屋にしています。
本来、大企業の役員ともなると、個室をあてがわれるのが普通なのでしょうが、敢えて個室を取っ払って、全員、大部屋に入れてしまったわけですね。
まあ、この辺は、創業者でないとなかなか出来ないような思い切った措置なのでしょうが、大部屋なればこその効用は決して小さくないと思います。
(その最大の効用は何と言っても、風通しでしょう。縦割り組織の悪弊を一番上の部分で再び繋げてしまう・・・わけですから。また、お互いの目があるわけですから、背任行為の防止にも繋がるでしょうし。)

豊田氏も、その辺をこう結んでおられました。
『帰ったらすぐ個室に直行というホテルだとこうはいかない。若い選手の大部屋であり食堂、かつ、ミーティングの場でもあるという旅館の大広間あってこそ。遠征先やキャンプ地のホテルをのぞくと、ロビーのテレビゲームに興じている選手がたまにいるが、野球談義に興じている姿などみたことがない』・・・と。
こと、風通しという点では、個室にしてていいことは何もないですよ・・・。

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原則論を軽んじるがゆえの三権分立の現実!

2008年03月15日 | 政治システム
親愛なるアッティクスへ

(←佐賀県の鏡山山頂よりの夕景。なんか、日本の原風景残り香のようなものが・・・。)

今朝は3時に起きましたので、今ごろは白河夜船です。
眠くって、考えはさっぱりまとまりません。
で、適当にお茶を濁します(笑)。

以前、誰だったが、外交を専門にする学者の方の著書で、「原則があって外交上手というのはイギリスくらいで、アメリカを始め殆どの国が原則があって外交下手というものである。対して、原則が無くて外交上手というのはタイくらいで、原則が無くて外交下手というのは哀しいかな日本くらい」という記述を目にしたことがあります。
当時、この「原則」という意味が、イマイチ、わからず、しばらく考えた後に、「あ、哲学ということか」と思い当たったので、この話を、外務省OBである知己にしたところ、「いや、それは哲学とは少し違う。あくまで原則なんだよ」ということを言われました。
そこで、この話は私の中で課題として残っていたのですが、その後、しばらく時が流れ、ようやく、愚鈍な私にも、「哲学」と「原則」の違いについて思い至ることできました。
確かに、言われたとおり、ここで使われていた「原則」は、あくまで、「原則」であり、「哲学」というのとは、少し、違いましたね。
身の不明が慚愧に堪えませんでした。

で、それからまた、長ーい年月が流れ、その違いは・・・忘れました(笑)。
ただ、「哲学」と「原則」が違うものだということだけ、形骸的に頭に残っております。

その上で・・・、そもそも、この国の政治家全般には原理原則というものが無さ過ぎると思います。
以前、東京都の石原慎太郎都知事が、「都内のホテル・旅館などの宿泊施設に課税する。イヤなら東京に来るな!」と言ったことがありましたが、旅行者から都民の為の税金を取ろうなどと言い出すこと自体、見識を疑います。
それでは、都民には負担は少なく、都知事としては万々歳でしょうが、こういうのは、たとえ、役人からそういう意見が出ても、都知事が「いや、都の財政が厳しいのはよくわかっているが、都民税金は都民が負担するべきだよ。旅行者から都の税金をもらうわけにはいかない。」と言って、原則論で歯止めをかけなければならないものだと思います。
石原都知事としては、とりあえず、自分の実績さえ上がればいいという考えでしょうが、大体が原理原則論を持たないという点では、日本の政治家一般に当てはまることのようです。

年金国債宗教・・・etc。
み〜んな入口の段階で原則論を盾にストップをかけておけば容易だったものを、時の政権が自分たちの今現在に有利だから・・・と、安易に導入した結果、今となってはもう、誰も止められない・・・そう言うものが多すぎるようにも思えます。
今や現代の真の三権分立の三権とは、行政・立法・司法ではなく、マスコミ官僚宗教では・・・と。

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