城東の甍

宗岳寺からのお知らせです。ときどき更新します。

中学生力士たちの熱闘

2010年07月24日 | 相撲のこと
今日から県下の中学校の体育の祭典、いわゆる「中体連」が始まりましたが、その相撲競技が益城町相撲場で開催されたので行ってきました。

団体戦に出場したのが9校。常時全国大会に顔を出す学校もあれば、今年になってから創部し、なんとか団体戦に出るメンバーをそろえてきた学校もありました。相撲自体初心者なのか、廻しの下に黒いスパッツを履いて土俵に上がる生徒もいました。こうして少しづつでも競技人口が増えつつあるのは喜ばしいことです。

この大会は九州大会や全国大会の予選も兼ねていたので選手たちはみな真剣でした。わたしも審判(副審)として協力させていただきました。
九州大会は8月6日に同じ会場で行われる予定です。
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盆おどりとバザー

2010年07月17日 | 今日の出来事
盆踊りというのは元来は仏教に由来します。お釈迦様のお弟子の目連(もくれん)尊者が先に他界したお母様が成仏できずに餓鬼(がき)となって苦しんでいるのを見て、お釈迦様にアドバイスを求めたところ、「7月15日に(夏の修行を終えた)大勢のお坊さん方に供養しなさい」と言われ、その通り僧侶、精霊たちに飲み物食べ物を供養して僧侶に法要をつとめてもらったところ、お母様も餓鬼から救われ、成仏されました。喜びのあまり目連さんが踊り狂った、それが「盆踊り」の由来となったという言い伝えがあります。
だから、わたしたちお坊さんもお盆まいりが済んだら、お檀家さんのご先祖さまの成仏を祝って思いっきり踊ってもいいんですね。

今日は、うちの校区の盆踊り大会ならびにバザーが、小学校の校庭で開催されました。長女が今年入学したこともあり、PTAの一員としてお手伝いさせていただきました。午前中のテント張りのときは、真夏の灼熱の太陽が照り付けていましたが、2時過ぎから突然の夕立。法事を済ませて夕方学校に戻ったら、雨はあがったものの、グラウンドが水浸し。グラウンドでの開催が危ぶまれました。
結局、一部のブースを体育館に移動して、5時にバザーが始まりました。わたしはお父さん方や前校長先生たちと「おにぎり」販売担当に当たりましたが、おかげさまで早くに完売しましたので、空いた時間は子どもとゆっくりブラブラしました。しかし、浴衣姿の女の子たちも、地面がぬかるんでいたから歩きにくかったでしょうね。
夜8時。ラストを飾る盆踊りは「おてもやん」と、それをアレンジした「サンバおてもやん」。わたしは熊本育ちではないので、あまり踊り方を知りません。ですので、見よう見まねで先輩(?)の動きを見ながら踊りました。来年までに勉強しておきます。
そのあと保護者のみなさんで協力して後片付け。わたしも長女とその弟(保育園児)は先に帰らせてお手伝い。ようやく帰れたのは10時ごろだったか。こういった地域と学校が協力しての行事は、子供を地域で守っていくために、保護者同士のつながりを深め、先生や地域との協力関係を構築していく意味で大切だと思います。
おつかれさまでした。
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エンマさんの日

2010年07月16日 | 仏教
今日は7月16日。うちのお寺の別院にて年に一度の「地獄極楽絵図」の開帳です。これに伴って、エンマさんの縁日ですので、般若心経などを読み、世界平和と地域のみなさんの幸福健康、万霊供養をいたしました。
地元の町内会の方々と檀信徒のみなさんにも案内した上でおつとめならびに法話(地獄極楽絵図の説明を含む)を行なっております。
今年も町内の方々や、通りすがりの高校生たち、むかし縁日にはいつも参りしていたという子供連れの方々など、多くのみなさんにおまいりいただきました。

ところで、今日は京都の祇園祭りの宵山の日でもあります。京都に住んでいたとき、一度だけこの日に八坂さんを訪れたことがありましたが、あまりにも人ごみに圧倒され、もうそれ以降は「遠くから眺める」だけにしました(笑)。でも、風情があってなかなかいいです。そういえば、新撰組による池田屋事件って、この宵山でにぎわっているこの日の京都で起こった出来事なんですよね(当時の暦では6月5日でしたが、太陽暦では7月16日)。そのときに近藤勇局長に追い詰められ自刃した肥後脱藩、宮部鼎蔵の墓は熊本市の小峰墓地にあります。
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7月に入りました

2010年07月13日 | 今日の出来事
参議院議員選挙あり、サッカーのW杯あり、またまた大相撲の親方や大関が解雇され、大量に謹慎処分が下された件あり、世の中何かと騒がしいですが、7月は当寺やわたくしにとって一年で最も厳しい修行の期間です。
大勢の有縁無縁の魂に飲食を施す「施餓鬼会」、当寺での法要も終わり、いまはお檀家さんそれぞれにお参りする「棚経」のシーズンへと突入しました。
梅雨がまだまだ明けませんが、心は少しでも晴れ晴れしく修行に務めたいと思います。
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佐田の海新十両祝賀会

2010年06月26日 | 相撲のこと

熊本市出身の佐田の海(23歳、本名・松村要)が、こんどの(開催されるかどうかわからないですが)大相撲名古屋場所での新十両を決めました。
その祝賀会が熊本市内のホテルで行われ、わたしもアマチュア相撲関係者から案内をいただき、出席しました。
いま大相撲界は賭博問題でゆれています。おまけに佐田の海の所属する境川部屋からも、関取二人が賭博に関与したとして疑われています。そんななかで本当に開催されるのだろうか、今日まで「祝賀会は中止になりました」という連絡が来てないからたぶん予定通りやるんだろうなと、開場のホテルへ。
およそ200人ほどの関係者が出席しましたが、空席も目立ちました。冒頭の発起人の方のあいさつのなかで、「このような情勢で開催していいのか、延期したほうがいいんではという意見も出たが、本人がこの問題に一切関与していないと確証が得られたし、本人のためにやりましょう」ということになった、という経緯が紹介されました。しかし、過去に私も出席した、県出身の芳東(玉ノ井部屋)や千代白鵬(九重部屋)の新十両や新入幕のパーティーのときとは違って、師匠が会場に姿を見せない、出席した相撲協会関係者は本人だけという異例中の異例のパーティーとなりました。
佐田の海もタイミングが悪いといえば悪いですが、これは仕方ないです。次に開催される場所ではぜひ十両で勝ち越しを決めて出世してほしいです。関取も「見ていて気持ちがいいと思われるような相撲をとりたい。応援よろしくお願いします」と力強くあいさつしてくれました。
お父さんも元小結・佐田の海。速攻相撲で人気ありました。お父さんは数年前まで熊本市内の繁華街でちゃんこ料理屋をされていて、わたしも食べに行ったことがあります。そのとき中学生だった息子さんが店を手伝っていたような記憶があります。今日はそのとき以来の再会でもありました。二世関取は栃東父子以来です。ぜひお父さんの地位を超えて、県出身の大関・横綱になってほしい。ま、その前に相撲協会にはびこる諸問題が解決されなきゃいけないですけどね。

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力士の野球賭博

2010年06月24日 | 相撲のこと
大相撲の世界で野球賭博が蔓延し、それに暴力団が関与したとかしないとか、連日報道されています。それに対する相撲協会の対応の甘さもよくないです。わたしはギャンブルはしないのでよくわかりませんが、バクチは一度はまりだすと、借金を返すためにまたバクチをし、その繰り返しで泥沼にはまるのでしょうね。
大関・琴光喜を脅していたという古市某が逮捕されましたが、大阪府で相撲道場を開いておられるお父さんもさぞ嘆いているでしょう。

賭博関与の力士のファンや関係者、そして全国の相撲ファンの夢を壊した責任はきちんと取ってほしいですね。今回賭博に関与しているとうわさされている力士の多くは学生相撲、高校相撲出身者です。アマチュア相撲のイメージまで悪くなるのではと心配です。とくに玉名市出身の普天王。ちかごろ負け越し続きで不調だと思ったら、バクチで稽古に身が入っていなかったんですね。いったい何のために大相撲に入ったのだと問いたい。いちど熊本市内のちゃんこ屋で行われた激励会に参加したとき、少しお話しもさせてもらいましたが、言葉遣いでも丁寧ではきはきしていて、礼儀正しいし、好青年と思っていただけに残念極まりないです。

NHKは名古屋場所の中継の可否を検討中だそうですが、いちど中継をやめてみてもいいかもしれません。でも、わたしは場所は開催してほしい。たとえ観客なし、非公開でもいいから。賭博関与の力士は休ませ、無傷の力士だけで取組を行えばいいと思います。
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東京出張から帰る

2010年06月19日 | 曹洞宗
月曜から梅花流の講習で東京の曹洞宗本部に行ってきました。当初の予定では日曜に空路東京入りし一泊してから臨む予定だったんですが、日曜に急用が入ったので、便をキャンセルし、寝台特急に乗って月曜の朝に着きました。その寝台特急は四国と出雲から出ている「サンライズ瀬戸・出雲」というのですが(わたしは岡山から乗車)、寝台ではなく指定席でも寝心地は最高によかったです。横になれるし、電車からの眺めもいいですし、次からは東京にでかける際はこれにしようかな。
5日連続の講習。もう4回目なのですっかり慣れてしまいました。あとは毎日のように練習を繰り返すのが大事です。いい先生に教えていただいて幸せ者です。
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運動会が終わりました

2010年06月06日 | 今日の出来事
今日は長女の入学した小学校の運動会でした。うちの娘は開会式で1年生代表で開会の挨拶をするという大役があったのですが、よくセリフを記憶して、よどみなく言うことができました。ひとまず安心。

雨が心配されていましたが、まったく雨の「あ」の字も感じられない好天でした。日焼けオイルを塗ってくるのを忘れてしまいました(汗)。
うちの学校は6年あわせても200人強。教職員も20人ぐらいです。小ぢんまりした規模ですので、アットホームで保護者同士の絆も強いです。PTAの保健体育担当と広報担当の方はこの日も大忙しでした。

子供たちの走る姿、踊る姿、応援合戦をする姿、どれも絵になりました。おつかれさま、ありがとう。
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鳩山総理辞任

2010年06月02日 | 社会問題
 鳩山総理大臣が辞任を表明しました。就任して1年も経たないうちの辞意。こんなケースが安倍さん、福田さん、麻生さん、そして鳩山さんと、このところ連続しています。総理大臣の椅子って、そんなに重みのないものなんでしょうか。海外の首脳も日本のトップの度重なる「首のすげかえ」をどう思っているんでしょうかね。
 しかも辞任会見で、自分はやめるけれども小沢幹事長も辞表を出せと言いました。辞任は当然としても、誰かを道連れにして辞めてもらおうとする態度は、まるで責任は自分以外にもあるんだと暗に訴えているみたいで、卑怯な感じもします。でも、これぞまさに「小鳩体制」を象徴する出来事のようにも感じます。
 総理のポストって、なんだかまるで罰ゲームみたいですね。今にも破裂しそうな風船を「お前が持て」「いや、お前が持て」とたらい廻しにしているかのようです。政治家になった以上は日本のトップとして国を動かしたいという野望は多くの政治家が持っているでしょうが、実際は激務で、国民やマスコミからは常に批判の目にさらされてしまいます。このところ安定して首相を任せるにふさわしい人物がなかなか現れませんが、かといって空席にしておくわけにもいきません。さて、次は誰が火中の栗を拾うのでしょうか。
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県高校総体

2010年05月29日 | 相撲のこと
 今日は午前中から県高校総体の相撲競技が県民運動公園で行われました。8月に沖縄で開催されるインターハイの予選も兼ねた大切な大会でした。例によってわたしも審判(副審)としてお手伝いしました。
 いつものことですが、参加校が2校しかなく、団体戦は即決勝戦。寂しい現状はありますが、その両校はどちらも全国レベルにある学校で、ハイレベルな決勝戦となりました。文徳のほうは野球部員が太鼓とメガホンで応援。そのかいあってか、4−1で文徳が熊本農業を破り、インターハイ団体戦のきっぷを手にしました。個人戦では熊農の3年生が優勝と3位に入り、団体個人とも文徳にもっていかれる事態は避けられましたが、部員も前よりも少なく、競技人口が伸び悩んでいます。

 大相撲では、郷土出身の木瀬親方(元・肥後ノ海)が暴力団幹部にチケットを手配したとして師匠剥奪、部屋は閉鎖という重い処分を受けました。たしかに本人の責任は重いですが、弟子たちには罪はないです。新入幕が確実な臥牙丸をはじめ、木瀬親方を慕って入ってきたお弟子さんたちが、新しい部屋で再出発して、出世してくれることを望みます。
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忘己利他

2010年05月24日 | 仏教
「忘己利他」と書いて「もうこりた」と読みます。「もう懲りた」ではありません。己を忘れて他を利するという意味です。

昨日、とある会合で、わたしの高校の大先輩にあたるお坊さんのご講演を聴く機会に恵まれました。「伝教大師」最澄上人が開かれた比叡山延暦寺を本山とする「天台宗」のお寺のご住職で、天台宗の宗務総長も務められたこともある方です。
「忘己利他」という言葉はわたしも以前から知っていましたし、その意味もよく理解しているつもりでしたが、もともとは最澄上人の「山家学生式」に出てくる言葉というのは知りませんでした。

『悪事を己に向え、好事を他に与え、己を忘れて他を利するは慈悲の極なり』。他人のためになることをしようと思えば、まずは自分自身を忘れないといけない。これは道元禅師の「仏道をならうというは自己をならうなり、自己をならうというは自己を忘れることなり」にも通じるばかりか、宗旨宗派や時代を超えて通用する、宗教の基本的な考え方だと思います。

言うは簡単、でも行うのは難しいのが「忘己利他」。上人が開宗された平安時代の初期もそうですが、いつの時代も有用な人材の育成は必要です。社会の中で、己のプライドやエゴを忘れ去り、それぞれの持ち場に応じてしっかり役割を務めること、すなわち「一隅を照らす」ことのできる道心ある人物こそが「国の宝」であると上人は述べられています。

いま天台宗では、世界の平和と明るい世の中づくりのために例年比叡山で世界宗教サミットを開催したり、また「一隅を照らす運動」と称して、いのちへの感謝、社会奉仕、地球環境保護のために各自実践していきましょうという活動もされているそうです。
比叡山は、道元禅師も、そして浄土真宗の開祖・親鸞聖人も修行されたことのある、日本における仏教の総合大学です。その天台宗の宗務上のトップにおられた方のお話をうかがうことができて、たいへんありがたく、勉強になりました。
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御授戒会

2010年05月14日 | 曹洞宗
 御授戒というのは、お釈迦様から伝わった仏法と戒めを、戒師から戒弟に授けるとともに、五日間の修行を行うことによって、自らの仏性に目覚め、身も心もほとけさまになっていただくという、宗門で最も重要な法要のひとつです。
 9日より大寧寺(山口県長門市)で始まった、報恩大授戒会では、大本山總持寺を代表して前貫首・板橋興宗禅師にお越しいただき、約170名の戒弟さんが五日間の修行を行いました。拙寺からもお二人が参加されました。
 わたしは直壇(じきだん)寮といって、戒弟さんの受付からお世話から、道場の加行が滞りなく終わるように進めていく、最も重要なポストで随喜させていただきました。授戒会の経験に乏しかったわたしですが、こんな重要な役をいきなりいただいて当初は戸惑ったりもしました。ほとんどずっと法堂に出ずっぱりで、ミーティングも毎晩ありましたので、朝早くから夜遅くまで、じゅうぶんに休む暇もなかったのですが、それはそれで良い修行をさせていただきました。1週間同じ寮で過ごしたみなさんの中には本山(總持寺)の授戒会で直壇を何年もされているベテランの方もいらっしゃって、いろいろ教えていただきましたし、戒会が終わるころには寂しさまで覚えたほどです。
 典座(てんぞ)寮のお坊さん方の精進料理も工夫がこなされていましたし、地元・湯本温泉で毎晩いただいた温もりのお湯。寺院方も戒弟のみなさんもたいへん満足されたことと思います。戒弟のみなさんにとっては、五日間朝から晩まで行持が続き、体調管理もたいへんだったと思いますが、よくついてこられたと思います。おめでとうございます。
 最終日の「完戒上堂」では、戒師禅師さまが須弥壇に上られ、禅問答が繰り広げられました。わたしも、禅師さまと直に禅問答ができる機会もめったにないだろうと思って、問者のひとりとして参加いたしました。
 二日目、三日目には雨も降りましたが、禅師さまをお見送りするころにはすっかり五月晴れ。後片付けまでお手伝いして、一泊してから8日ぶりに帰熊しました。
 また近くのお寺、ご縁あるお寺でお授戒が行われることがあれば、今回の経験を糧に、ぜひまた修行いたしたいと思います。

 ちなみに、この五日間の戒会中、写真は一枚も撮っていません。カメラは携えていったのですが、撮る暇もなかったというのが実情です。あしからずご了承ください。
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山口県・大寧寺600年記念法要に随喜しました

2010年05月13日 | その他法要
 この前の6日の夜から約1週間、本寺である大寧寺(山口県長門市)に行っておりまして、ずーっと留守にしておりました。
御開山・石屋真梁禅師が開創されて以来600年を記念して、記念法要ならびに報恩大授戒会が修行されたのでした。
 6日、そして7日と、山口県内や県外の末寺・有縁寺院の方丈様がたが集まり、それらの法要の準備に奔走されました。そもそも大寧寺は、室町時代、大内家支族・鷲頭弘忠公が薩摩出身の石屋禅師を招いたのが始まりです。戦国期には大内家の最後の当主・大内義隆公主従の自刃の地になりました。江戸時代には毛利氏の香華院となりり、幕末にはいわゆる「八月十八日の政変」で朝敵の汚名を被った長州派の三条実美らの公家が逃げ延びたとき(「七卿落ち」)に三条らを一時かくまったこともありました。多くの方々に支えられて600年を迎えたそのご恩に報いる意味で、大本山總持寺より板橋興宗・前貫首禅師を戒師にお迎えし、大授戒会の戒壇が設けられたわけです。

 8日の記念法要に先立つ「諸堂落慶・祝祷諷経」では、浄道場(水とお香とお花をもって道場をお清めする)のあと、末寺代表の祝語。僭越ながら方丈様のご指名により、わたしが読ませていただくことになりました。そして般若心経を読み、お寺のますますの発展、檀信徒のみなさまのご清福をお祈りしました。「壱岐歎佛」(太鼓やみょうはち、鐘などの鳴らし物をふんだんに使いながら、節をつけて仏様の名をおとなえし、礼拝を繰り返す法要)で開基・檀信徒への回向をしたあと、記念式典では、両大本山の貫首禅師のおことばを「専使」の御老師がお読みになり、そしてご多忙の中かけつけた、山口県出身の安倍晋三元首相や、長門市長、その他多くの来賓の祝辞がありました。
 夕方には首座法戦式(修行僧の“第一座”、つまりリーダーが大衆と禅問答を行う儀式)があり、ここ大寧寺のお弟子さんが立派に大役を務めました。

 それが済むと、戒弟さんを迎える日を明日に控えて、また準備と打ち合わせです。当分はこのお寺で寝泊りする日程が続きます。

長門・大寧寺 開創600年 稚児行列や大法要(山口新聞)

 お授戒会のことについては、稿を改めてまた書きます。

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第20回全国大学社会人大会相撲九州大会

2010年05月05日 | 相撲のこと
今日が「第20回全国大学社会人対抗相撲九州大会」です。会場は益城町総合体育館。朝7時半少し前に到着。9時開始までに役員総出で開会までの準備をしました。その間に選手が次々に到着。全国から大学・社会人合計20チームが集まり、雌雄を決するこの大会。わたしは今回は「副審」として協力させていただきました。全国大会で審判を務めるのは今回が初めてです。

9時に開会式。きれいに整った土俵で団体予選、個人戦、団体決勝トーナメントの順で競技が行われました。

アマチュアの強豪選手がそろうこのハイレベルな大会のお手伝いができたことと、また副審として土俵の近くで間近に彼らの相撲を見ることができた(ただ、審判の役割上、勝負判定が優先ですから、ゆっくり相撲の醍醐味を堪能するってわけにもいかないけれど)のもいい経験です。
地元選手もたくさん出場していました。熊本県選抜チームだけではなくて、熊本を離れて東京や関西の大学に進んだ選手も凱旋出場し、そして好成績を収めていました。地元・九州電力が団体戦で2位に入る活躍をしましたが、惜しくも決勝で日大に敗れてしまいました。個人優勝の山口選手(日大3年)はこれでこの大会3連覇です。強いです!



終わってからは地元相撲連盟のメンバー数十人が居残りして土俵の片付けです。俵を取り外し、シャベルで土を掘り返し、板枠を解体し、ビニルシートを外し、最後にきれいに掃除する。公共の体育館を借りている以上、きれいにして返さなければなりません。でも、大勢の協力のもと、2時間あまりで片付きました。土俵を作るときに比べると、力仕事なのには変わりませんが、楽だったような気がします。

選手・役員のみなさん、おつかれさまでした。


団体優勝の日本大学

結果だけ書いておきます。
団体優勝  日本大学
団体準優勝 九州電力
団体3位  東京農業大学 日本体育大学
個人優勝  山口雅弘選手(日本大学)
個人準優勝 松永昭久選手(日本体育大学)
個人3位  遠藤聖大選手(日本大学) 明月院秀政選手(日本体育大学)
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土俵づくりをしました

2010年05月03日 | 相撲のこと
明後日5日の9時から、熊本県益城町の益城町総合体育館で「第20回全国大学社会人対抗相撲九州大会」が開催されます。

今日は会場の体育館で土俵づくりが行われ、地元の相撲連盟関係者が五、六十人ばかりが参加しました。わたしも仕事を早めに終えて体育館まで足を運びました。ちなみに体育館の近所に常設の土俵があります。いつも県内の大会ではそちらを使うことが多いですが、今回は全国大会。観客の数も多いですし、全国から来られる選手や関係者などお客さんに配慮して、立派な観客席を備え、空調も効いた体育館のアリーナを使うことになりました。
1999年の熊本国体、2001年の熊本総体(インターハイ)のときは宇土市の体育館に土俵を作ったそうです。そのときの土俵作りを経験しているメンバーも多いです。逆にわたしは初めてでしたので、どうやって土俵を作るのかをしっかり見て、勉強です。

アリーナ中央に敷いたブルーシートの上に、土台として既に組み立てられた板枠を敷き詰めていき、最後に釘打ち。まさに大工仕事。その外側に土俵への上がり口(これも既に組み立ててある)を置き、固定します。


次に、上に透明ビニルシートを張り、上がり口のところに「踏み俵」、土俵の四角形のいちばん外側にあたるところにも「角俵」と「上げ俵」と呼ばれる俵を置き、さあ後は土を盛っていくだけだ、こりゃ昼過ぎには終わりそうだ・・・
と思ったら、ここでアクシデント。用意していた土が湿っていて使えない! これをそのまま使ったら土俵で怪我をしやすい(指揮を執っていた土俵づくりの専門家さんの話によると)。幸いこの日は天気がよかったので、屋外でしばらく乾かすことに。

その間にお昼の休憩時間。弁当を食べてもまだ時間が余ります。先輩方と歓談しながら時間をつぶしました。

午後2時。ようやく土が乾いたようなので、土俵の四隅から順番に土を入れていきます。ダンプトラック2台分の土を外で乾かしていました。その土をシャベルで一輪車(搬送用一輪車、つまり手押し車のことです)に入れる係、その一輪車を体育館の倉庫(外より一段高いところにあります)に持ち上げる係、一輪車を運んで土俵まで持っていく係、持ってこられた土をならす係、一輪車をまた外に下ろしていく係。見事な連係プレーでどんどん土が埋まっていきます。


土を入れ終わったあとは、土俵をならします。何種類かの道具を使って、削ったり、たたいたり。特に面白かったのは、下に重しがあって、その上に2本ないし4本の棒がついている道具。名前はなんていうんだろう? これを使って1人ないし2人で上からたたきながらならす作業。やってみると、意外と重たく、力がいります。10人ばかりが1時間ほどかけてこの作業をし、土俵も固まってきました。



あとは五寸釘で円を描いて、土を削って俵を埋め、仕切り線を描けば完成です。でも、今日の作業は俵を埋める直前までで終わることに。続きは明日するそうです。この時点で夕方5時。朝9時から始まりましたので、ちょうどサラリーマンが朝お仕事に行って帰るまでの時間かかったわけです。大勢の協力があったからほぼ完成しましたが、少人数だったらこうはいきません。やはりスポーツ大会の準備や運営のためにはボランティア精神は欠かせません。みなさん大切な休日をこのために費やしているんですね。そして留守を守るご家族の理解もあってのことで、ほんとにありがたいと思います。

千数百年の歴史を誇る相撲で、その雌雄を決する場所、土俵を作るときに機械はいっさい使いません(まあ、使う機械といえば、土や道具を運んでくる車ぐらいでしょうか)。多少の道具を使って、すべて人間の力だけでやるところに大きな意味があると思います。

明日はわたしは参加できませんが、大会の朝には完成された土俵が見られるので、楽しみにとっておきます。参加されたみなさん、おつかれさまでした。

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