こだわりメモ帳

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・ お歩きハイキング

2007年02月22日 | ◆ お歩きさん
 毎月20日はハイキングの日。
今月は、京阪私市(きさいち)駅に9:30集合、くろんど園地-交野山-国見山-jr津田駅の約12Kmのコース。
お天気も上々で、日中は15℃にもなっていて汗ばむ一日であった。



きれいな冬木立ももうすぐおしまい




上から見れば山城、摂津、河内が一望








夫婦岩:国見山から北に下ってすぐ忽然と現れる









壮大な自然歩道:大阪平野をぐるりと取り巻くこのルートは歩けば何日掛かるか

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・ 雨

2007年02月17日 | ◆ 今日のうた




   ほんまやねー 水の小さな玉が
   つつーっと 水の上を走っていくことがあるね
   線香花火みたいに見えたんや
   面白いね
   また見つかるといいね


 
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・ 菜の花忌 2007

2007年02月14日 | ◆ メモ


 司馬さんが亡くなってもう11年になる。
菜の花忌は今年は大阪でおこなわれ参加した。
NHKホールのステージは菜の花で埋まり、会場は希望者多数で抽選となった参加者で埋まった。

シンポジウム「司馬作品に輝く女性たち」は、田辺聖子、出久根達郎、岸本葉子と
司会古屋和雄アナで行われ上々に面白かった。放送は、 3/3 11:00 12CH 土曜フォーラムでとのこと。
 (当日発表のあったこの日時はまだ未定とのこと。 追記 2/17)
 (放送日は5月6日(日)18:00~19:00 NHK教育TV「日曜フォーラム」となる。 追記 3/24)


 田辺聖子メモ
・神戸にいた作家川野彰子さんと芥川賞候補で並んでいた当時、仲良しになれると思っていたが早死された。
 お悔やみで見舞ったことが縁で、鰥夫(やもめ) の"かもかのおっちゃん"と出会うと話す。そやったんや。
・女から見て、=この人のためにやってやる "もうほんまに"=と思わせる男がいい男、司馬さんみたいに。
・司馬さんはやさしくて、お兄さんのようなひと
・座談の名手、話術がうまく、司馬さんはヒトたらし・・・何を聞きたがっているかがすぐ判るひと
・司馬作品の中で好きな女性は、韃靼疾風録のアビア。自意識、洞察力あり、目鼻立ちがはっきりしているから。
・締めくくりの一言・・・司馬さんは国を愛するひと、日本はいいとこのあるいい国なんだ、を言っていた。

 出久根達郎メモ
・「竜馬がゆく」の登場人物は1146人、おりょう登場前の女性44人に全員名前をつけていて女嫌いではない。
・「巧名が辻」は、千代のパッチワークの小袖を取材中に知り、これが書く切っ掛けになったのではないか。
・千葉道場の娘、千葉さなこは縁あり後半生を暮らした山梨の、墓石に坂本竜馬 室と彫られているとのこと。
・締めくくりの一言・・・司馬さんは、志をもって生きる、をバックボーンに書き続けた。

 岸本葉子メモ
・司馬作品の好きな女性は、竜馬がゆくの千葉さなこ、男勝りで自分から嫁にして下さいという気性が好き。
・締めくくりの一言・・・人の価値はいろいろだ、を教えてくれた。

浅田次郎の司馬賞受賞スピーチは、行事冒頭トップのせいでは無かろうに3,4分の簡単なもので肩すかし。
もうひとりの受賞は長谷川毅、「暗闘 スターリン、トルーマンと日本降伏」で日米対戦の見方だけでなくソ連を加えた
新しい切り方で、いかに終結されたかを東京、ワシントン、モスクワ3ケ所のできごとを追い戦争終結の全容を描いた。
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・ 「人はかつて樹だった」

2007年02月10日 | ◆ こんな本
 ラジオ深夜便、04時過ぎからの「心の時代」で先日聞いた。
聞いたとはいえ半覚醒で、とばしとばしだったが話は大変に気になっていた。
あとから確かめてご本人長田弘著「人はかつて樹だった」を読む。
本では余りわからない事を、放送の中でしゃべっていた。再放送されればいいのだが。


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・ 3分咲きの大阪城梅園

2007年02月08日 | ◆ 季節の写真
070208 大阪城梅園








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・ 続立春のあと

2007年02月06日 | ◆ 季節の写真

花博鶴見緑地公園・中国庭園他  070206
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・ 立春のあと

2007年02月05日 | ◆ 季節の写真
花博鶴見緑地公園 070205


アイルランドのイメージ


モロッコ風


モロッコの庭


ベルギー娘


モナコの遺跡


モナコ飾り


鶴見緑地馬事苑


颯爽娘
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・ はや立春

2007年02月03日 | ◆ メモ

かわいい梟



 今日は節分。
子供の頃の節分は楽しかった。家で炒った大豆を夕飯のあと部屋中にまいて回る。
あくる朝、板間の台所ではすぐ夕べの豆が見つかるが、(その頃フローリングとは言わなかった。)
板間は台所しかなく、残る畳の部屋では豆の色が似ていてここでは見つけにくいもの。
それだけに足で踏んでしまう事も多く、よく叱られたものだ。
今の節分豆は、昔のような火で焙ったこげ目もなく何故かさみしい気分である。
豆まきの起こりを紐解いたことはないが、
多分日本文化の奥の深い事柄が並ぶのだろう。
立春を迎え、寒い時にしかできないことを、寒い時こそできることを早くやっておきたい。
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