平方録

身辺をつれずれに

〝ごみ溜め〟経由「ボケ老人」行

2017-05-15 06:25:50 | 随筆
自分では自分のことをある種の「片づけ魔」だと思ってきたのだが、最近どうもこの性癖に変化が表れてきたようである。
早い話が生活全般に渡ってだらしなくなってきたんである。

例えば読みかけの本や送られてくる雑誌・小冊子の類が読みかけのまま片づけられることなく、居間のテーブルやパソコンを置いてある机の上、あるいは書斎のあちこちに放置されたままになっていて、しかも古いものが片づけられた形跡はなく、次々と積み重なっていくのである。

いわば〝ごみ溜め〟のようなもので、数を勘定してみたら家の中の4か所がこうした〝ごみ溜め〟になっているのだ。
しかも、さして広くもない居間にある2つのテーブルのそれぞれに〝ごみ溜め〟が出来てしまっているんである。
2つの〝ごみ溜め〟を一つにすれば済むって話ではないけれど、時々〝正気に〟返って眺めてみると、つくづくだらしないなぁと思うんである。

極たまに、これらごみ溜めのような山を整理しようとすると、十数センチの積み重なりの中から、はがきや封書などで届いた大切なお知らせや手紙が出てきたりして、「ありゃ、こんなところにあったのか、どおりで探しても見つからなかったわけだ」と、だらしなさを実感するありさまなのだ。

考えようによっては大切なものが見つからなくても、こうした〝ごみ溜め〟をあさりさえすれば、この中から見つかるはずなので気が楽と言えば気が楽だが、最初からきちんとよけてしまっておけば済む話だから、こんなのは言い訳にもならない。

印刷物の類ばかりではない。
ようやく季節が安定しかけてきたので解消されつつあるが、春先からこの間、天候不順が続いたせいか、一昨日は春の装い、昨日は夏姿、今日は冬支度という具合に目まぐるしく着るものを変えざるを得なかった時には、衣服を出しっぱなしにして、これもベッドの脇の衣装籠に放り込んだまま山になったり、椅子の背に引っ掛けっぱなしにしていたんである。

美的感覚というものに一家言持っていると自負しているボクにとって、これらはどうにも申し開きの付かないことなんである。
こういうだらしなさは、いずれ性格にもしみ込んでいくんじゃないだろうかと思うと末恐ろしい。
当然、年も重なっていくわけだから〝ごみ溜め〟のうず高さとの競争というか、正比例してだらしなさが増すとしたら、自分自身もさることながら他人様にも迷惑な話であるに違いない。
今のところ妻はがみがみ言わないで無視状態なのはかえって不気味である。

「古希」というものに近づいているそうである。
古来稀な年齢だということのようだが、現在の長寿社会においては70歳なんぞ、まだ洟垂れ小僧だろう。
周囲がしきりとそういう話をするものだから、その気になりかけてしまっているが、〝ごみ溜め〟を解消してある種の几帳面さを取り戻してきちんとした日常生活を送らないと、本物のボケ老人になりかねない。
クワバラクワバラなのだ。それにしても馬齢を重ねてきたものである。









坐禅を終えた後、円覚寺境内の仏日庵の外壁の下で見つけた花。けっこうたくさん咲いていたが、足元にあって小さくて目立たないせいか、気づいて足を止める観光客は皆無だった。名前も知らないが、初めて見る花でずいぶんとオシャレ。乙女チック?と言えば乙女チック、歌舞伎役者と言えば歌舞伎役者、派手な意匠の花である


仏殿裏で咲くナンジャモンジャの花


居士林裏のフジは先週より花の色合いが濃くなったようである

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