平方録

身辺をつれずれに

忘年会週間、無事終わる

2016-12-10 06:32:18 | 随筆
今週3つ目の忘年会はとても上品に終了した。

月曜日の1回目はそんなつもりはなかったのに、どうしたはずみか深酒になってしまい、翌日も酒が残って往生し、翌火曜日の高校時代の仲間5人で飲んだ時は深夜まで3軒もはしごしてくたびれたし、県央の寂れた街の歓楽街の店はどこもうら寂しく、ちょうど冷え込んだ夜だったのだが、その寒さが一層身に染みたのである。

昨晩はホームグラウンド中のホームグラウンドである、40数年間汗を流した横浜・関内のちょっと落ち着いた店だったこともあるが、酒も料理もおいしく、気持ちよく酔えたのである。
78歳の元気印そのものの女性を含めて句会仲間の5人で集まったのだが、そのうちの1人の紹介の店なものだから、出される料理が適量で、しかもおいしかったから話も弾んだのだ。

話の中身もアインシュタインやらエジソンやら、映画監督のスピルバーグやら、世の中の偉人のなかでも随分と光り輝いている人々が、発達障害やら記憶障害やらの障害を抱えていたのだという話になり、人というものは決して差別されるべきではなく、ましてや外見や表面的な部分をとらえて忌避するようなことほど、おぞましいことはない、など含蓄にあふれた会話が続いたのだ。

誰も口にしなかったが、集まったメンバーだって大なり小なり発達障害的な部分を持っているはずである。
少なくともボクには「未発達」と自覚できる部分があって、それは日常生活の中で、特に妻には被害を及ぼしているのではないかと思っている。そういう意味からすれば、ひょんなことから差別されてもおかしくない側に立つことだってあるかもしれないのだ。
未発達の部分が際立っていない代わりに、光り輝く才能部分も目立たないだけの、ごくありふれた種類に振り分けられる、その他大勢の存在というだけのことなのである。差別というものはそういう数だけはそろっているが、くだらない連中の間から生じてくるものなのである。

さて、わが句会は、いつも飲んでるばかりじゃ能がないから、集まって飲む際はせめて箸袋の裏に17文字でも刻もうではないか、というところからスタートしている。もう20年近くも前の話である。
最初のころこそ、殊勝に指導役の宗匠を探してきて、教えを乞うたのだが、いろいろのことがあって2度も首にしてしまい、以来、仲間内で批評しあうだけで面倒な宗匠は不在のままである。縛られるのが嫌な連中ばかりなのだ。
もう少し活発な議論があってもよいと思うときが、ままあって、やや上品に過ぎるきらいがあり、そのあたりが克服されたら言うことなしの会だろうと思う。

そういう、いわば、なまくらな会ではあるが、年内にも処女句集が出来上がることになっている。
メンバーの一人である貧乏旅行作家が奔走してくれて、安く仕上げてくれる印刷屋を探し出してくれたのである。
貧乏旅行作家というのは本人が貧乏なのではなく、貧乏旅行の勧めを書く作家のことで、アジアを中心に飛び回っているのだ。
今回の忘年会もあいにくチベット取材とかち合ってしまった。

処女句集の完成は20日ころの予定だそうで、楽しみである。ムフフ…





わが家の露地栽培の「師走トマト」も寒さにめげず、だいぶ色づいてきた






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