B.T.T.B -Back To The Basic- 退職後,日常生活における知的生活とは?

50歳代,退職後の日常生活をいかに知的に過ごすか

ジェイムソン著『21世紀に,資本論をいかによむべきか?』(2)

2017-07-14 | 読書ノート


資本論に人間を読み込もうとすることの危険性について話をしてきました。もちろん究極の目標は人間です。それに抜きに語ることは本来できないのです。しかし,物象化や物化という事態がもたらしているのは,この資本主義から人間が消えているという事態です。それが何故なのかを解く鍵を与えてくれているのが資本論です。よって,資本論ではいかに人間が消失しているか,そしてそのような事態は何故生じているのか,ではどうしたらいいのかを考えなくてはなりません。よって資本論に埋没している人間をあたかも主体であるかのように描くのは危険きわまりない。それこそ資本の思うつぼなのです。

この人間主体という視点から資本論の誤読は長らく生じてきました。一番大きな誤解はマルクスの言う抽象的人間労働の把握です。ルカーチ——宇野弘蔵ラインでは,この抽象的人間労働は,機械化によって人間の労働が単純化し,個々人の労働に差異が少なくなってきたことを踏まえ,単純労働が抽象的人間労働なのだという見解が生まれました。マルクスは抽象的人間労働は価値の実体であると言っているので,単純労働が価値の実体であるという把握になります。

ジェイムソンはどうなのでしょうか?

「肉体的労働が公式に抽象的労働,単純労働(マルクスが教えてくれるところでは「イギリスの経済学者たちは,これを『不熟練労働』[unskilled labour]と呼んでいる」C31n,批判218頁),すなわち時間的持続によって計測できる労働によって置き換えられた箇所においてさえ,否,そのような箇所はとりわけ,そのような[質の]持続によって満たされている。さらに『資本論』では,この抽象化の道具としての単純労働の概念が,比喩形象的なかたちで大きく展開される。つまり抽象的労働こそが,二つの等価な商品が何らかのかたちで共有している「第三のもの」(127,50頁)となるのである。」(p.39)
対応英文:This absent persistence of the body, of the existential quality of physical work and activity, will inform the text throughout, even where —— especially where —— it has been officially replaced by abstract labor, simple labor (which, Marx remands us, “English economists call unskilled labour,”[31n], labor which can be measured by way of its time or duration. In Capital, this concept of simple labor as the instrument of abstraction is then further developed in a figurative manner: abstract labor becomes some “third thing” (127) which the two equivalent commodities somehow share.

確かにabstract laborとsimple laborが同格になっています。よってジェイムソンも抽象的労働=単純労働と把握していることが分かります。そしてこれが「第三のもの」としています。

確かにマルクスも第三のものは抽象的人間労働としています。では,抽象的人間労働は単純労働なのでしょうか?違います。マルクスが価値形態で分析している手順をよく読むと以下のようになっていることが整理できます(榎原均著『資本論の復権』p.107参照)

一商品の諸交換価値が表現する「一つの同等なもの」
=「同じ大いさをもつ或る共通者」
=「第三者」
=同等な人間的労働
=抽象的・人間労働
=価値の実体

ここでは一商品の諸交換価値が表現している「一つの同等なもの」が最終的に抽象的・人間労働であるということが分かります。単純労働は労働生産物を生産するに当たって人間がおこなうものです。すなわちこれは「生きた労働」です。生きた労働は価値を形成しますが,価値の実体ではありません。もし生きた労働が価値の実体なら,長時間に渡って労働を行った方がその生産物の価値は多くなり,高く売れるはずです。ところがそうはなりませんよね。商品交換において平均化作用が働き,一商品の価値は自ずと決まってくるのです。よって,価値は商品によって表示される抽象的人間労働を実体としていないとおかしな事になるわけです。

ジェイムソンの場合は「肉体的労働が公式に抽象的労働,単純労働…,すなわち時間的持続によって計測できる労働によって置き換えられた箇所」と言っているわけですから,時間的持続によって計測できる労働,すなわち生きた労働です(価値の実体である抽象的人間労働を後に計測することは無理です)。このようにジェイムソンもルカーチ——宇野式の理解をしていることが理解できます。

実は宇野さんの理解とジェイムソンの理解は非常に似ています。それは商品交換において商品所有者の欲望を前提にしないと交換関係は生まれないというところにも共通性が存在します。どうしてこうなったのでしょうか?私には背景がよく分かりませんが,誰かを媒介にして宇野理論を知る機会がジェイムソンにあったのかもしれません。そして,抽象人間という言葉まで使用してしまった廣松渉氏に近づいてしまいます。

抽象的人間労働を単純労働としてしまうことの難点は,もちろん価値形態論の誤読になるということが第一ですが,生きた人間労働は資本主義の時代以前でも,またそれ以降においても当然存在していましたし,存在し続けます。ならばこの資本主義とは一体なんなのか,それが理解できなくなってしまうということが一番大きなものでしょう。なぜ私たちは商品を生産するのか,なぜ私たちは商品という形態で労働生産物を交換しなくてはならないのかということの理解も全くできない,超歴史的理解に到らざるを得ません(そして言うまでもなく商品形態の廃棄も不可能になります)。

抽象的人間労働の把握においてもジェイムソンは,身体を備えた労働者を念頭に置いて解読することになりました。志は私なりに理解できるのですが,このような志は結局,経哲草稿時のマルクス,疎外論のマルクスへと資本論のマルクスを連れ戻し,人と人との抗争であるとした共産主義宣言のマルクスへと舞い戻らせてしまうことになっています。階級の消滅ということが言われている現在,この消滅自身も説明がつかないまま,途方に暮れることになります(階級の消滅は結局資本による支配が完了した証拠であるというテーゼを榎原均さんが提出されておられます。『「資本論」の核心』をお読みください)。

とりあえず,結論としてジェイムソンは価値形態論をほとんど扱っていないところからして,やはり理解出来なかったのではないかと言えます。彼には『弁証法的批評の冒険 マルクス主義と形式』という著作があり,形式に関しては慎重に扱っているだろうと思って読んでみたのですが,ちょっと意外な結果に終わりました。

しかし,資本主義の冷徹さなどに関してはこの著作から学ぶことも十分あります。特に貨幣の役割に関しては「貨幣は矛盾が機能するようにする。」(p.72)などのようにきらりと光る文章が飛び込んできます。ただ,資本論を読んだ上で,21世紀に資本論をさらに有効に読むためには,先ず,資本論自体の正確な理解がなければならないわけです。そのためには資本論をまずは正確に読みましょう。そして資本論初版も読みましょう。その脇には必ず榎原均さんの著作を横に置いておきましょう。

一言,翻訳について触れておきたいと思います。一つはこの書物内の資本論からの引用が大月書店版の資本論であることです。これは榎原さんが指摘している通り,物象化と物化の訳し分けがなされていません。ジェイムソンは両者の区別をしていますので,この点を踏まえて,長谷部文雄氏の訳本を使用して頂きたかったということ。そして資本論からの引用に関しては,ペンギンクラシックの頁だけではなく,資本論の原典対応ページ番号をぜひとも添えて頂きたかった。日本ではマルクスの研究は長年続いていますが,ペンギンクラシックを引用する事は少ないからです。また,“phantom-like objectivity”を「亡霊のような客観性」と訳出している部分がありますが(p.41)これは,p.154で「まぼろしのような対象性」としているのが正しい訳です。前者は文章の一部からだけ引用している為,資本論からの引用であることがおわかりにならなかったのではないかと思います(ですが,ジェイムソン自身はきちんと引用符を使用しています)。後者は大月版資本論からの引用になっているので正しく訳出されています。ただ,全体としては難解なジェイムソンの文章をうまく訳出されており,感心しました。大変なご苦労であったと推察します。

もちろんジェイムソンの意義がこれで失われたわけではありません。私も引き続きジェイムソンの他の著作に取り組むつもりです。マルクス主義者の中で芸術を正面から扱っている数少ない論者であるからです。また読書ノートとしてここに書きます。

ということで,一旦また通常の勉強に戻ります。
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