1gの勇気

奥手な人の思考と試行

アウトプットしたがるのがひと

2017-07-30 20:13:53 | 1gの思いつき
こんばんは
水神です。
本日はアウトプット。

ひまー。
はどこから来るか。
色々考えた。

やることがない。
したいことがない。
金がない。

ならば、それがあれば、ひまは解決されるのか。
それだけが、原因なのか。
そもそも暇は悪いことなのか。

まあ、暇は楽しくはないな。
が。心を止める機械ではある。
無理している人たちの。

で。
アウトプット。
人はアウトプットしたい生き物なのではないか。

と、思った次第。
本を読む。
テレビを見る。

それはインプット。
人の話を聞く。
それもインプット。

人に話をする。
それはアウトプット。
なので、人は無駄話を「したがる」

人は無駄話を「聞きたがる」わけではない。
「したがる」のだ。
つまり、アウトプットしたいのだ。

そこに何か価値が必要か?
欲求が満たせれば、それでいい。
アウトプットしたいという欲求。

結果、何か結論がいるのかというと。
話をしたら、スッキリ!
アウトプットが済んだ証拠。

なので。
テレビばっか見ているのであれば。
何かアウトプットしよう。

なんでもいい。
散歩。もアウトプットの一つ。
何かが生まれるわけではない。

しかし、自分を動かすアウトプット。
結果として、何かができたら、それは達成感を伴うアウトプット。
でも、別に達成感は付録みたいなもんだ。

アウトプットできた。
こちらの方が満足感は大きい。
もし、無駄なものをアウトプットするより、達成感を求めているとしたら。

それは自己承認の話。
また別な次元の話だ。
ここでは一種の生理的欲求としてのアウトプット。

結果として金になるとか、名誉になるとか、自己満足を得られるとか。
そんなのは、二の次。文字通り。
色々削ぎ落とすと、アウトプットに行き着く。

仕事も、成果という名のアウトプットが全て。
インプット(勉強とか調査とか)はその手段であって、目的ではない。
掛けた時間に価値はない。結果が全て。

世の中の人は概ね感づいてはいると思うんだが。
なぜこの単純な事実が受け入れられないのか。
不思議でならない。

が。
残念ながら、成果に金は出さないんですな。会社は。
めんどくさいから。

時間なら簡単で。
測定可能。
成果は測定が難しい。

営業職のように、成果=売上なら、それも良い。
わかりやすいし、測定可能だ。
が、いわゆるホワイトカラーは?

成果即ちアウトプットが全て。
言い切っていい。
が。それを給料という報酬に変換するのは、難しい。

ふむ。横道に逸れた。
あの連合の体たらくぶりにちと怒りをアウトプットせずにいられなかった。
そう。この文章もアウトプット。

別に世の役に立つわけでもない。
むしろ、この文章を読む人がいれば、生産性低下を招いているかもしらん。
が。そこは議論の対象ではない。今回はアウトプット。

で、僕は。何を。アウトプットしたいのか。
というか、アウトプットがめんどくさい。
というのが、僕の本質なんだと思う。

色々あるのですが。思うところは。
今日のところは、こんなところですかな。
また、何かアウトプットしたくなるその日まで。

で、一旦終えて。
英語の勉強中。もう、二十年も断続的にやっているが、さっぱり頭に入らん。
やっぱりアウトプットだの。勉強したことをアウトプットしていきたいと思う。ここで。

意識を向ける先

2017-07-17 15:01:25 | 1gの思いつき
こんにちは。
水神です。
今日はまだ酒も飲んでいない三連休3日目の昼。

つまり休暇も5/6が終了したということだな。
それは良い。
いつものことだ。数値化しても意味はない。

あるとすれば、感傷のみ。
そう。今日は感傷を書こうと思う。
その背景から。

二年ほど一緒に暮らしていた連れが、自身の夢を抱いて、海外へ渡った。
ふむ。
一人になった。

再び。
生活に苦労はない。
一人暮らしは慣れたものだ。

金もなんとかなる。
すでに計算済み。
やはり一人は非効率だけれど。

人生狂うほどではない。
渡った連れも悩んでいるようだ。
が、あちらの悩みは僕にはなんともしてあげられない。

自分で選んだ道だ。
自分でなんとかしてこい。
そして、いつでも帰ってこい。

一種親のような気分か。
親になったことはないので、想像でしかないし、多分違うのだろう。きっと。
まあ良い。背景は以上。

ずいぶん変わった。
土日はなんとなく二人でいた。
どっか出かけることもあるし、週に一度の買い物してぼけっとしていたり。

まあ、なんとなく、一緒にいた。
そして、今ここにこれを書いている。
一つだけ。この話に特にゴールはない。この話がどこへ行くのかは書いてみてのお楽しみ。

あと10行で終わるかも知らんし、終わらんかも知らん。
連れが去ってから一週間。
時折Skypeで話をしたり。LINEをしたり。

生きているのは確かなようだ。
しかし、ようやるの。
と、こちらは思う。

一つ引っかかった言葉。
一人で充実しているみたいだね。
と嫌味っぽく言われた。

その場は軽く流したが。
ふと寝る前に。
出てったのはそっちだろ。こっちは引き止めたし、出て行くと決めてからは一ヶ月かけて心の準備をしてたのだ。

という思いが募った。
さて。なぜだろう。
なんかLINEが来た。現地食がうまいリポートだった。

で。
多分向こうも大変だろう。
初めての地で、仕事関係以外知り合いもいない。

言葉も通じない。
それでもようやく部屋を借りてひと段落。
いつ会える?いつ来てくれる?

Skypeの度に三度は聞かれる。
知らんがな。
こっちの生活もあるわ。

と返す。
いつものやりとりだ。
そう。僕には僕の生活があり、人生がある。

あなたのために生きているわけではない。
正確にいうと、
あなたのためだけに生きているわけではない。

二年間振り返り。
相手のために何かしてあげる。というのが、楽しい。ということがわかった。
打算のない、無償の愛とでもいうべきか。

やってることは些細なこと。
例えば、夕飯作ったり。今日は何にしようかな。何にしたら喜んでくれるかな。
とか。

連れも洗濯と食器洗いは全部やってくれた。
言ってみれば、give and give。
端から見ればいい関係なんだろう。

そんな相方がいなくなり。
一人でいる。
久々の本当の意味での一人の時間。

相手のために何かをするということがない。という意味で。
常に意識を向けることはない。という意味で。
なんとなく同じテレビを見て、生産的でない話をすることはない。という意味で。

平日は良い。
忙しい。
仕事の内容はともかく。

朝起きて、会社に行って仕事して、帰ってビール飲んで寝る。
たまにSkype。
ビールが飲みたいと駄々をこねる相手と。

いやいや、それはあなたが選んだ道だから。
冷静に果実酒(梅酒みたいなやつ)の作り方を教えたら、人ごとだと言われた。
そう言われてもな。理系男子としては、飲む酒に困ってる人に正しい方法を教えただけなのだが。

女はめんどくさい。
というのは、こういうところなんだろうな。
と、そんな時に思う。

give and give 聞こえはいいが、要するに自分の時間と意識を相手に与えているわけだ。
そうすると、どうしても自分が疎かになる。
そう。例えばこのブログのように。

思うところの表出が違う方に出ていただけ。
なのだろう。
不特定多数(少数?)の人ではなく、連れに対して。

まあ、それも悪くない。
楽しかったし。
で、今。改めて。一人で思うこと。

今まで土日は短かったのだが。
この三連休は長いの。
もう直ぐ終わりだが、長い。

連日の猛暑で体がだるいのもあるが。
実感として。
自分の向かう先がなくなって、暇という概念が生まれる。

それを嘆くために書いているわけではない。
それはそれ。自分の心の動きを見るのは楽しいわけで。
あー、暇なんだ。俺。

暑さにのぼせながらそんな風にも考える。
そして、向こうに行った連れはもっと大変だろう。
環境が変わった上に、意識を向けていた僕がいない。

何をどうしたら良いか?
多少パニクっても不思議ではない。
まあ、こんな時は運動だの。

お散歩で良い。
その程度で十分。
頭ではなく、体を動かす。ことを勧めた。今朝から始めたらしい。

僕もそうしたいのだが。
あまりに外が暑くての。
今三時。無理。

さて。
話は戻る。
自分の時間。

向けるべき相手がなく、必然的に自分に向かう。
意識の先が。
要は、自分が大きくなるわけだな。自分の世界の中で。

自分と向き合う時間は必要だが、その時間は人生の中で十分すぎるほど使った。
そして今ここにある。のが、私。
それでもなお、今思うのは。

時間の重さか。
誰かのために過ごす時間。
自分のために過ごす時間。

重さが違う。
過ぎてしまった時間でも。
相手が楽しいと感じてくれて、経験となり、わずかでも記憶に残るのなら。

何も惜しくない。
が。自分のための時間というのは、浪費。と感じやすい。
もしかしたら、これは、私の特性かもしれない。

世間一般の人が全員そうだとは言わない。
きっと一人の時間が充実している人もいるだろう。
それはそれでいいと思う。

ただ、僕は、少なくとも、今の僕には、そうは思えない。だけだ。
思えない。だけであって、真実だというつもりはない。
数ある思考パターンの一つ。

本当に楽しいことってなんだろう。
と思った時に。
連れと近所の公園にビール持って、たわいのない話をしながら、ビール美味しいね。

と言っていた時間。かな。と今思う。
何も生み出してはいない。
日常。いつでもできる。

そんなありふれた時間が幸せなんだ。
と、改めて感じる。
とはいえ。

無い物ねだりをしても仕方ない。
何をするか。
時間は、無限とも思えるだけある。

なんでもできそうだ。
今ひとつ気持ちは向かないが。
多分理系な方面が好きなので、そっち側に行ってみようかと思う。

あと、二十年挫折し続けてきた英語。
これも改めてチャレンジ。
多分できるだろう。

なんとなく、そう思う。
今の僕なら。
そうそう。今目の前にインコが寝ておる。

キーボードの前で。
あとは、連れのペットの「むー」という名の、ハリネズミもいる。
夕方になったら部屋に出すのだ。

僕は一人ではない。
気を使う先も、僕一人ではない。
命を預かっている。という責任と意識を向ける先があるという幸せ。