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御朱印蒐集~京都 上京区 瑞応山 千本釈迦堂 大報恩寺~

2018-02-09 18:50:00 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 寺院巡りを始めて2年、この期間にいったい何躰の仏像を拝観したのだろうと思うことがあります。
「三十三間堂の千体千手観音立像」の約千躰を除いたとしても、おそらく数百躰の仏像に出会ったと思います。
ひとつの寺院でも数躰の仏像が安置されていますし、他にも博物館や仏像展でも観ていますから今となっては全ての仏像を思い出すことは不可能になっています。

京都上京区の「千本釈迦堂大報恩寺」には、定慶作の「六観音像」や快慶作の「十大弟子像」が安置されていますので、仏像拝観を兼ねて参拝に訪れました。
千本釈迦堂は「北野天満宮」の近くにある寺院で、街中の一角の奥まった場所にある寺院でした。



「千本釈迦堂大報恩寺」は鎌倉初期の1227年、義空上人によって開創された寺とされます。
義空上人は奥州藤原氏の三代・藤原秀衡の孫と伝わる僧で、比叡山で修行した後、当地に大報恩寺を建立されたそうです。
余談になりますが、奥州藤原氏・秀衡の遺骸は現在も平泉にミイラとして現存しているようですね。



民家が連なる街中に忽然と寺標が現れるのが京都らしいところで、燈籠の並ぶ参道の奥には街道からでも山門と本堂が見えます。
山門の壁が五本筋塀になっているのは寺院の寺格を表す五本線となりますが、室町時代には将軍家からの帰依があったとされるの寺院ですからそれも頷ける話です。



本堂の前にあるのは「阿亀桜(おかめざくら)」と呼ばれる枝垂桜で、桜の季節にはさぞや美しい花を咲かせることでしょう。
桜の時期には観光の方も来られるのでしょうけど、むしろ近隣の方の憩いの花見場所になっているのかもしれませんね。



大報恩寺の本堂は1227年に棟上げされ、その後何度かの修理を経てきたとされます。
多大な被害をもたらせた応仁・文明の乱の時にも奇跡的に兵火を免れて、京洛最古の建造物として国宝に指定されている建築物です。





御本尊は、鎌倉時代の仏師・快慶の弟子・行快の作の「木造釈迦如来坐像(重文・像高約90cm)」が高御座式の厨子に安置されていますが、秘仏のため厨子の扉は閉められたままでした。
この「高御座式厨子と天蓋」も国宝に指定されており、須弥壇の奥の壁には同じく国宝の「本堂来迎板壁仏画」が描かれているようですが、外陣からは暗くて見えません。



須弥壇には「おかめさんの像」が座っていますが、実は千本釈迦堂は「おかめの物語」としても有名な寺院です。

本堂の造営の際、棟梁である高次が代りのない柱の寸法を切り誤って心憂していたのを見た妻のおかめが“いっそ斗組をほどこせばとアドバイスし、その結果無事に竣工させることができた。
しかし、おかめは“女の助言により大任を果たし得たことが世間にもれ聞こえては...”と棟上式が行われる前に自害したとされます。

その逸話から“助け合う円満な夫婦でありたい”と願う方々が、おかめ信仰の寺院として参拝されるといわれます。
本堂の横では「おかめ人形展」が開催されており、“おかめ人形やおかめ面、おかめグッズ”などのおかめコレクションが展示されていました。



人形は愛嬌のあるおかめ人形やダルマ形のおかめさん、他にも生殖的に子孫繁栄を象徴するようなおかめ人形などがありましたが、能面のようなおかめ面の不気味な笑顔には妙な迫力を感じます。
境内にもおかめ像が祀られており、霊宝殿の鬼瓦もなんとおかめさんです。おかめさんと強いつながりの寺院だということが分かります。





さて、いよいよ本来の目的であった「霊宝殿」へと入ります。
まず室町時代作の一対の「太鼓縁」の巨大さに驚きます。片方には龍が彫られ、もう一方には鳳凰が彫られていますが、その高さは7mもある意表を突かれる工芸品でした。

どうしても見たかったのが定慶作の「六観音像(鎌倉期・重文)」で、如意輪・准胝・十一面・馬頭・千手・聖の六観音は見応え充分です。
像高も180cm近くあり(如意輪は坐像のため1m弱)、比較的近くから見られることもあって満足のいく拝観が叶いました。



また快慶作の「十大弟子像(鎌倉期・重文)」もリアリズムに徹した見事な出来栄えの仏像です。
他にも室町期の「傅大士と二童子像(重文)」、鎌倉期の「地蔵菩薩立像」、花まつりの「誕生釈迦仏」。
智拳印を結んだ室町期の「大日如来金銅坐像」、鎌倉期の「地蔵菩薩立像」、「毘沙門天(鎌倉期)」「阿弥陀如来坐像(鎌倉期)」、もう1躰の「大日如来坐像」と仏像の宝庫です。

興味深かったのは、定慶の「千手観音菩薩(鎌倉期)」と藤原期の「千手観音菩薩」の対比でしょうか。
鎌倉期の立体感のあるリアリズムの千手観音と、平安時代のふくよかさを感じる千手観音を見比べることが出来るのは大変ありがたいことでした。



境内には「北野経王堂願成就寺」と「不動明王堂」がありますが、「北野経王堂願成就寺」は北野天満宮の門前にあった寺院で、かつては三十三間堂の倍半という大きな大堂であったようです。(1401年)
その後、江戸時代に荒廃して1671年に千本釈迦堂の境内に縮小復元されたとされています。

北野天満宮は千本釈迦堂から近い場所にありますから、古くからのつながりがあったのかもしれません。
境内には弥勒菩薩の化身とされる「布袋尊」の石仏がありますが、これはおかめ像と並んで夫婦円満・子宝の神ということなのでしょう。



千本釈迦堂 大報恩寺は大きな寺院というよりも、街の中にある歴史のある寺院という印象を受けます。
しかし、霊宝殿に収納された仏像群は実に素晴らしいものでした。
仏像の凄さの魅力の反面で、「おかめ信仰」や「大根焚き」の行事での庶民的な一面を持つ寺院のようです。



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