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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~敦賀市 誓法山 金前寺~

2017-04-04 18:50:50 | 御朱印蒐集
 金前寺は、敦賀市金ケ崎にある高野山真言宗の寺院で、織田信長と朝倉義景が戦った金ケ崎の戦いの舞台となった金ケ崎城址や現在は金ケ崎宮が社を構えているる金ケ崎山の麓にありました。
寺院の歴史は古く、736年に聖武天皇の勅願により“泰澄”が開山したとされています。その泰澄は奈良時代の修験道の僧で白山修験場を開山したと伝わり、白山信仰の基を作った僧といわれます。

泰澄は金前寺に本尊として十一面観音を祀り、現在の金ケ崎宮の位置に建立したとされています。
平安時代の811年には弘法大師 空海のご留錫(行脚中の滞在)があったとされ、往時には敦賀気比神社の奥之院として扱われていたこともあって、一帯に伽藍十二坊を有する大寺院だったと伝わります。



しかし、残念なことに織田信長の越前攻めにより、朝倉氏の金ケ崎城落城と共に兵火によって堂宇は焼失したとされます。
御本尊の十一面観音だけは焼失をまぬがれて、1662年に現在地に観音堂を再建して祀られたそうです。



戦火には再び襲われることになるのですが、太平洋戦争末期の1945年の敦賀空襲では堂宇・寺宝の一切を焼失・灰塵と化してしまいます。
その後、平成元年の1989年に金前寺を再々建、鐘楼堂建立(1999年)、五重塔建立(2005年)、本尊復元(2015年)と近年になって着々と復興してきています。



金前寺は「北陸三十三ヶ所観音霊場巡り」の特番札所として、「若狭観音霊場」の第二番札所・「北陸白寿観音霊場」の第三番札所とされています。
御朱印は2種ありましたが、「北陸三十三ヶ所の特番札所」の方を書いていただきました。

鐘楼には「南無大師遍照金剛」と「生かせいのち」の銘が寄進者の名と共に刻まれています。
「南無大師遍照金剛」には空海に帰依するという意味があるとされ、巡礼遍路の「同行二人」にもつながる名号といえると思います。



本堂は「誓法山」と書かれた扁額があり、中の土間のような拝所からお参り出来るようになっています。
そこでお参りしてから、堂内へ声をかけてみるとお寺の方が来て下さり、中でお参りしたい旨をお伝えしてみました。





応対していただいた方はゆうに90歳を超えている老僧の方で、ご住職ですか?と聞いてみると“私は先々代の住職です”とおしゃっておられました。
かなりのご高齢ではありますが、非常に明晰な話をされる方です。

内陣に入れていただき、須弥壇に並ぶ仏像にまずは線香をあげてお参りします。
仏像は本尊の「十一面観音坐像」を中心として左に「毘沙門天」、右に「不動明王」。
毘沙門天の左には2童子を従えたもう1躰の「不動明王」が並びます。

壁には空海と空海の師であり中国唐代の密教僧である恵果の絵が掛けられていました。
遣唐使で唐へ旅した空海が恵果阿闍梨によって真言密教を伝授された場面を描いているのでしょうか。



ご本尊の十一面観音坐像は2015年に復元されたもので真新しい感はありますが、太平洋戦争で焼失する前の姿を忠実に復元したとのことです。
焼失してしまったご本尊を撮した小さな写真が見つかったため、それを引き伸ばして京都の仏師に復元を依頼したそうです。
最初にまず模型を作ってもらいお姿を確認をしてから、あらためて仏像にしてもらったとおっしゃられていました。

写真が残っていたのは幸いでしたが、元々は秘仏として厨子に収められていたため、先々代のご住職は徴兵されて戦地へ行くまでに“本尊は一度しか見たことはない”と言われます。
太平洋戦争に徴兵されて、終戦後に戻ってきた時には寺院も仏像も自宅も全て焼けてしまっていたというのは悲しくも寂しい話です。



金前寺の境内には松尾芭蕉が「奥の細道」の旅で訪れた時に残した句が句碑として残されていました。
1761年に建立された「鐘塚」がありますが、風化が激しいのは“太平洋戦争での敦賀空襲で焼けて縮み、割れたため”ということです。



刻まれた句は、南北朝時代の金ヶ崎の戦いの故事(足利尊氏率いる北朝方に敗れた南朝方の新田義顕の無念の陣鐘)を聞いて、芭蕉が詠んだ「月いづこ 鐘は沈るうみのそこ」という句です。
碑に刻まれた字に墨を入れるのを「墨直し」と呼ぶのですが、敦賀俳句作家協会によって1983年から毎年、勤労感謝の日に墨直しを挙行されていますので、句碑にはくっきりとした黒い文字が見えます。



戦後70年、戦時を知る人は高齢化してしまい、当方も含めて“戦後生まれの人間”(この表現すら死語ですが...)にとっては戦争は歴史上の出来事になりつつあります。
金前寺は、戦後40数年を経てから復興が始まった寺院(本尊は戦後70年後に復元)。言い換えると戦災で焼かれてしまった寺院を復興するにはそれだけの時間が必要だったということになります。
先々代ご住職には、いろいろな話を聞かせて頂き、日常なら感じることのないような感謝の気持ちが湧いてくる思いがします。


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