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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~彦根市 大雄山 西圓寺~

2017-04-08 21:05:05 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 寺院巡りをしていると“一期一会”の機会を感じることがあります。
米原市にある西園寺を訪れた時のこと。標高100㍍少々の山裾にある集落で寺院への道が分からず、村人に道を聞いてみる。
“住職は不在ですよ”と教えてもらい寺院へたどり着きました。

西園寺は“普段から誰も常駐されておられず、設置してある販売機にコインを入れて入場すると寺の紹介が放送される寺院”と聞いていましたので、最初から境内を散策するだけのつもりでした。
ところが境内へ入ってみると、住職の奥さんがおられ“今日は本堂が開いていますから上がって参拝ください。”と寺運の良さを感じることになります。



西園寺は縁起によると、1388年に仁風実導和尚を開山に迎え、比叡山延暦寺の寺院として建立。6坊がこの一帯に点在してた天台宗の有力寺院であったと伝わります。
しかし、織田信長の比叡山焼き討ちに際して西園寺の全ての伽藍も焼き尽くされたとされます。

この焼失におって、天台寺院としての西園寺は無住の廃寺となってしまいましたが、江戸初期に彦根藩の援助により京都宇治の黄檗山万福寺の末寺として復興されたとされます。
西園寺は「びわ湖108霊場の第52番札所」とされ、「湖北27名刹の第52番札所」になっています。
108霊場は「湖西・湖北・湖東・湖南」に各27の霊場があり、その合計が108寺になるのですが、108霊場の1番札所は「石山寺」・結願の第108番が「比叡山延暦寺横川中堂」で札所が琵琶湖をぐるりと取り囲むように構成されています。



まず最初に目を引くのは「双龍閣(そうりゅうかく)」と呼ばれる中国風の窟門(竜宮門)で、何となく竜宮城の入り口のような趣がありますね。
左右の屋根が低いこのような門を牌楼(ぱいろう)式と言うようですが、この双龍門は住職の発案で建築業者を入れず、約5年の歳月をかけて西園寺の護持会と檀信徒によって建立されたようです。



西園寺は“観音様と龍の寺”と呼ばれ、額には八部衆の「天徳大龍王」の文字。
左右には、その龍王のしもべ八大龍王の、難陀龍王(なんだりゅうおう)と跋難陀龍王(ばつなんだりゅうおう)の彫刻が阿吽の仁王像のように本尊の観音様を守護しています。





龍目井(りゅうもくせい)と呼ばれる井戸の水で手を清めて、本堂へ参拝します。
本堂の外から参拝して終わりだなと思って行ったのが、ここで住職の奥さんに声を掛けてもらい本堂の中へ入れていただくことが出来たのです。



本堂の中には須弥壇に祀られた秘仏の「聖観音菩薩立像」と「脇侍2躰」、別室には「釈迦坐像」と「不動明王像」、復興開山の「桂崖禅師の坐像」が祀られ、奥の部屋からは玉泉庭という枯山水の庭が望めます。
本尊である「聖観音菩薩像」は33年に一度の御開帳される秘仏で、来年の秋頃に御開帳されるとありました。



「聖観音菩薩像」はリーフレットに載っていた写真では、かなり特徴的なお姿でずんぐりとした体型をした仏像です。
この仏像は、鎌倉後期に造像されたとされており、米原市の重要文化財に指定されているようです。


リーフレットより

本堂の中の部屋の各所には色彩鮮やかでファンタジックな仏画が展示されているのですが、展示されている絵は全てご住職が描かれたそうで、堂内が寺院ギャラリーとなっています。
天井画の極彩色の「大龍の図」もご住職が描かれた絵で、他の寺院の天井絵とは全く違った感覚の絵になっていました。

うまい具合にご住職が来られたのでいろいろお話を聞くことが出来たのですが、“最近まで台湾で絵の個展を開いていて寺の手入れが出来てなかったので、今日は寺の修理の職人ですよ。”と笑っておっしゃってます。
実はこのご住職は経歴を見ると、北京での日本人初の個展・ミュンヘンでの個展・高島屋や大丸での個展を開かれている画家であり、今は“中国の四川省成都の空林堂から頼まれた絵を書いているところです。”とのことでしたから世界で活躍されている画家さんのようです。
「びわ湖108霊場」の参拝者に配布するシールのデザインも作成中であり、本山である京都宇治の黄檗山万福寺では月に一回「檗画院」という画塾を開催して指導されているという超多忙な画家さんのようです。



また、ご住職は西陣織の着物に水墨画を描いたり、仏師として仏像の制作、焼き物での仏像制作、彫刻家としても活躍されています。
製作された聖観音菩薩の木彫りの像を見せていただきましたが、須弥壇に並んでいてもけっして見劣りしない出来栄えの仏像でした。

“美術は、元々は西洋のキリスト画から入ったんだけど、観音に魅せられて仏画を描くようになりました。”とおっしゃってましたが、驚くのは絵や造形だけでなく小説まで出版されていること。
“多才な方ですね。”と聞いてみたら“多才というより器用貧乏やな。”と笑っておられましたが、これだけいろいろな才能に恵まれている人を見ているとホント羨ましくなってしまいますね。



上の仏画は、境内にある近江稲荷堂の御本尊である「茶枳尼天(だきにてん)」を描いた仏画で、九尾の白狐の上に乗る天女の頭の上には宇賀神が祀られています。
この仏は空海の密教にいわれが残り、平安時代の神仏習合のおりに稲荷信仰の対象になったとされていますが、宇賀神がのっているのは地方独特の信仰によるものでしょうか。


看板より


「近江稲荷堂」は、山の傾斜を利用した斜面に祀られていて、茶枳尼天は閉じられた厨子の中に祀られています。
御神体の茶枳尼天には強力な神通力があるとされ、“人の死期を察知して、その人の心臓を食らって石の心臓と入れ替えて成仏させる。”
“信仰するものには大変慈悲深いが、刃向かうものには取り憑いたり、罰(たたり)を与えたりする”とされ、当地には狐付民話や口伝が多く残っているようです。



ご住職の書かれた小説は、「観音伝説」というチベット興林国の第三王女・妙善姫の話で、妙善姫と従者の永蓮・保赤が氷雪堂に咲く白蓮を目指して苦行の旅をする「西遊記の玄奘三蔵の旅」を連想させる物語です。
妙善姫は観自在菩薩の化身とされていますが、抹香臭い話ではなく、むしろ偉人伝のような仕上がりと思います。
また話の途中には考証や補足が追記されているので、物語がより分かりやすくなっているので読みやすい。



さて、このご住職の造形作品には寺院にまで行かなくても見ることの出来る彫刻があります。
それはJR坂田駅の駅前にある「山内一豊・千代の像」という平成17年に建立されたご住職の作品です。(裏側に作者名が掘られています。)
NHKの大河ドラマ「功名が辻」に合わせての建立だったのかと思いますが、当方も「功名が辻」が放送されていた時に見に行った記憶があります。



多忙で不在の時が多いご住職に出会えて話が聞けたのは、まさしく一期一会。
お寺へ行って絵画や彫刻・小説の話になるとは想像もしていませんでしたけど、いろいろと興味深い話が聞けたのは良かった。
多才な才能に恵まれたご住職が“作品には嘘がつけない。そのため勉強していかざるを得ないんです。”とおしゃっていたのは非常に印象的な言葉です。



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