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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~京都東山 南叡山 妙法院門跡~

2017-05-12 06:46:00 | 御朱印蒐集
 蓮華王院・三十三間堂を拝観した後、東山界隈をウロウロしていると妙法院門跡という格式の高そうな門跡寺院が見えてきました。
予備知識はなかったのですが、この妙法院は近世から三十三間堂を管領していた寺院で、現在も三十三間堂を所管している寺院だといいます。
従って蓮華王院・三十三間堂の本坊になるのがこの妙法院ということになります。

“そういう縁でここへ来たのか”と妙に納得しながら入っていきましたが、残念ながらこの寺院は特別公開時以外は堂内は非公開になっています。
しかし境内の散策は自由でしたので、春の陽気もあって境内を散策してみました。



妙法院は天台宗の寺院で平安時代初期に最澄によって開基されたと伝わります。
天台宗では青蓮院(京都東山)・三千院(京都大原)と並んで「天台宗三門跡」に数えられる格式の高い寺院とされています。

開基された頃の妙法院は比叡山上にあったそうですが、後白河上皇の時代に京都の地へ移転したようです。
後白河上皇は法住寺殿の造営を進め、三十三間堂を造営することになるのですが、その管掌権の継承のため妙法院の寺基を確立したとされます。
尚、妙法院の門主は初代門主が最澄で15代門主が後白河上皇といいますから、後白河上皇とは非常に縁の深い寺院ということになります。



また妙法院は豊臣秀吉が建立した大仏殿・方広寺の本坊でもあったことから、秀吉とも縁のある寺院になるようです。
「庫裡」は1595年の建立とされ、秀吉の時代には千人の僧の食事を準備したといわれる建築物で国宝に指定されています。



屋根にある閣のようなものは「煙出し」と呼ばれる調理の際の煙を排出するためのものだったようですが、何とも立派な換気口です。
内部は吹き抜けで梁が巡らされているようですので特別公開の時に見てみたくなる趣のある庫裡です。




パンフレットより

庫裡の隣には江戸時代の建築物の「大玄関」があり、この建物は後水尾天皇中宮の東福門院(徳川秀忠と浅井三姉妹の江の娘)の御殿を1619年に御所より移築されたものだそうです。
内部には三室二十面の狩野派の襖絵があるようで、建築物と共に重要文化財に指定されています。



大玄関の正面には「唐門」があり、この四脚門は江戸中期の桜町天皇下賜と伝わります。
勅使門として使われていたようですが、五本筋塀が門跡寺院の格式を表していますね。



宸殿には阿弥陀如来像と室町時代の後花園天皇(102代天皇)からの歴代天皇と皇后の御位牌が奉安されており、善3代の各御祥月(命日)には法要が行われているようです。
今上天皇は第125代天皇ですから102代天皇以降の22代分の天皇が奉安されているということになります。



大きな堂宇が並ぶ中にあって本堂(普賢堂)は一番奥にひっそりと建てられています。
江戸時代の宝形造りの建物で禅宗様式の感がある堂ですが、堂内には重要文化財の「普賢延命菩薩像」が祀られていて、毎月14日の縁日に開帳されているようです。



寺院に入ってすぐの場所には植樹された蘇鉄があります。
養生されていたので何かよく分からなかったのですが、形が面白いので興味深く見てしまいました。
蘇鉄は温暖な気候の場所の樹木ですから冬越しの養生が必要なのでしょうね。

この蘇鉄は、明治期の廃仏毀釈で衰退した仏教界の鼓舞振興策としてタイ国より仏舎利の分骨運動を行い、分骨してもらった仏舎利を妙法院で4ヶ月奉祀した時の記念樹ということです。
超宗派で行った運動であったことから宗教振興の象徴とされたとありました。



境内散策だけの寺院めぐりはあまり経験がないのですが、行ってみると寺院にはいろいろな縁起があるのが面白いですね。
偶然とはいえ、三十三間堂を拝観した後に三十三間堂の本坊である妙法院へ行ったのには何がしかの縁があったのかもしれません。
といった風にすぐに縁付たくなるのも寺院めぐりの楽しいところです。



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