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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集~京都大原 三千院・来迎院・音無の滝~

2017-07-13 18:39:55 | 野鳥
 三千院の金剛不動堂では「秘仏・金色不動明王」が祀られていて特定の日以外は秘仏のようですが、この日は不動大祭の法要にあわせて御開扉されていました。
真偽はともかくとして、この金色不動尊像は平安時代の僧である智証大師・円珍の作と伝えられているそうです。

智証大師・円珍は天台宗寺門派の宗祖とされる僧で、後に比叡山から三井寺へ移動した円珍派の開祖になり、その三井寺に祀られている不動明王も「金色不動明王」または「黄不動尊」ですので、円珍を通じての延暦寺・三井寺・三千院のつながりが伺われます。
三井寺の「黄不動尊」は日本三不動の一つに数えられて国宝に指定されていますが、秘仏(仏画)のため見ることは出来ません。しかし三千院の「金色不動明王立像」はしっかり拝ませて頂くことが出来ました。

 



三千院には大原女の衣装を着て参拝されている方が何人か見られ、金剛不動堂の前では記念撮影されている姿まであって、周囲にいた人の気持ちを和ませてくれます。
不動堂自体は平成元年に建立された新しい建物ですが、法要期間中ということもあって五色幕が掛けられており、如何にも密教寺院らしい雰囲気となっていました。





さて、不動堂に祀られている金色不動尊像は像高97cmで平安時代の作とされていて、円珍作であったなら平安初期の仏ということになります。
不動明王は憤怒の表情をした如来ですが、大日如来の化身ともされ煩悩を打ち砕き精進する者に対して救済の手を差し伸べる慈愛に満ちた存在だとされます。


ポストカード

実はこの不動堂で御朱印をもらおうとして御朱印帳を開いたところ、間違えて既に使い切った御朱印帳を持ってきてしまったことに気付きました。
うっかりミスをしてしまった事が悔しいやら情けないやらで悔やんだ後に紙の御朱印を頂いたのですが、悔やんでいた様子を見ていた僧侶の方から次の言葉で諭して下さいました。

『これは不動様からの何かの暗示だと思います。落ち着いて慌てず心を落ち着ける事から始めてください。』
タイムリーなありがたい言葉に「このところいろいろと焦り気味で少し傲慢なっていたかな。」と反省して、観音堂へお参りする。



さて、三千院の境内には“京の七福神めぐり”の一つとして弁財天が祀られています。
しかも「宇賀神」と一緒に祀られていましたので、滋賀県の竹生島信仰の宇賀弁財天がここにも?と思ったのですが、ここの弁財天と宇賀神は少し違うようです。
蛇と亀の木造が安置された祠の後方に弁財天が祀られていましたので、竹生島系の宇賀弁財天とは全く別のもののようですね。





三千院の立地は律川と呂川に挟まれた場所にありますが、売炭翁石仏のある津川とは反対側にある呂川の上流へさかのぼっていくと、朱塗りが鮮やかな朱雀門があります。
「梶井門跡」が移ってきて三千院になる以前の往生極楽院を本堂としていた頃の正門にあたるそうですが、この門は寺院の中から見るより、外から見たほうが趣がありますね。



この呂川沿いの昇り道を行くと、「音無の滝」が姿が見えてきます。
聖応大師・良忍上人は、大原に来迎院を建立して天台声明を完成させた高僧で、良忍上人が滝に向かって声明の修行をしていると“滝の音と声明の声が和して、滝の音が聞こえなくなった”という故事にちなんで「音無の滝」の名が付いたとされます。



滝へ至るまでの道は、最初は川沿いの舗装された上り坂を歩けたのですが、途中から山道になり軽い登山のようなことになってしまいました。
高さ18㍍、幅は広いところで3~4㍍の堂々とした滝で、息を切らせながらも登ってきた価値は充分にあります。
滝に上半分は滝幅が広く、一枚岩に拡がりながら落ちてくる姿はまさしく修行の場といえそうです。



滝は写真にしてしまうとサイズ感が分からなくなってしまいますが、ちょうどチャレンジングな女性が流れる水に触れようと滝に近づいてくれましたので、撮らせていただきました。
滝のサイズ感が分り、この方も無事帰還されて良かったのですが、なかなか怖いもの知らずな方ですね。



音無の滝と三千院の中間地点には「来迎院」という聖応大師・良忍上人ゆかりの寺院があります。
魚山と号する天台宗の寺院で、仁寿年間(851~854年)に慈覚大師・円仁が創建した寺院といいます。

円仁は比叡山延暦寺の第3代天台座主で、死後に円仁を祖とした山門派として、円珍の寺門派(三井寺)との対立があった僧ですが、存命中にはそんな未来のことは知る由もなかったことでしょう。
しかし大原の地に円珍・円仁由来の寺院や仏像が祀られているのは興味深いものがあります。



その後の平安時代末期になると良忍上人が再興して、円仁に始まる声明を大成したとされます。
この声明は「魚山流」と呼ばれて、来迎院は天台声明の根本道場として栄えたそうです。

石段を登っていく先に見えるのは鐘楼。撞いてみると静かな山に美しい音色が響きます。
梵鐘は京都市の重要文化財に指定されており、1453年藤原国次作の刻銘があるそうです。





本堂は寺伝によると、室町中期に焼災にあい、室町時代後期の1533年に再建された建物で、山の中でひっそりと、しかし堂々とした本堂でした。
静寂に包まれた山中に声明が響く様子を想像すると、なんとも厳かな気持ちになります。



本堂の内陣には三尊像が祀られ、中尊に薬師如来・左右に釈迦如来と弥陀如来。
脇侍には左に不動明王・右に毘沙門天と素晴らしい内陣です。
三尊は全て藤原時代の作で国の重要文化財に指定されており、脇侍の2躰も藤原時代の後期の作とされています。



京都大原には、今回参拝した「三千院・来迎院」の他にも「寂光院・勝林院・実光院・宝泉院・阿弥陀寺」などがあり、一度の参拝ではとてもじゃないけど、全ての寺院へ参拝することは出来ません。
しかしこうしてゆっくりと大原を散策していると、やはり大原の地は特殊な聖地であると思わざるを得ません。再び訪れる時にはまた違った感慨を得ることが出来る聖地だと思います。


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