理想に秘めた文化への道!

身の回りで起こったことについていろいろお話していきます。

欧米のゲレンデでは暖かいについて

2014-07-22 09:30:21 | 日記
こんにちは、お元気ですか?欧米のゲレンデでは暖かい日などスキーウェアではなくラフなスタイルで滑っていたりする。全く周りを全く気にせず涼しげにしている様子がいかにもである。体温も高いのだろう。雅な街、石川県金沢市。空いた時間にぶらりと出来るイチオシスポット。長年の文化を想像させる、加賀友禅などの土産物は、人よりも自分に購入を決意。下町情緒溢れる街は、歩いているだけで背筋がピンとします。アメリカのレジ打ちの人はほぼ例外なく椅子を使っている。そして首をかしげてみたり手でクイクイとしてその次のお客さんを呼ぶ。どちらかというと、素でやっている感じだ。

誰にも言ったことはないが、大地の広さは食事時のお皿の大きさと比例するように思う。米国のお店で出てくる一人前は、すごい。広々とした地平線を肌で感じていると感覚が増えていくのだろう。タイのお店では、かなり前はかなり非衛生的だったようだ。それから法律が制定され、今では毎日のように撤収する必要があるのでお店の周囲が非常にきれいになっている。ドイツはウィンナーやハムが無茶苦茶プリプリでジューシーだ。ハム・ソーセージのみを扱う店も何軒もあり、量り売りも多いので自分の好物が買える。生肉はそれほどでもないのに、なぜ加工肉だけ美味しいかは奥が深い。

ドイツの人はみんなきれい好きだ。家の外であっても家中どこもかしこも塵一つない。そうして無駄なものを置いていない。ゲームにしても素材が信頼できるものを大切に使わせる印象だ。欧州は陸続きなのでちょっとそこまでという感じで国境を越えていたりする。EU域内では国境を超える手続きがされなくなったので、国境を越えて通勤している人も結構いる。海を舞台に建てられた厳島神社。自分と向き合いたい時に行ってしまう、エネルギーのチャージングポイント。一方、ここ最近の尋常でない台風はどうしようもなく、メンテナンスに尽力する人達には心底敬意を払います。それでは、また明日!

香港でも田舎では小さい子の情報

2014-07-13 21:20:08 | 日記
こんにちわ。香港でも田舎では小さい子は紙おむつを使わずにガバッとお尻が見えるズボンを履いていることがよく見る光景だ。その状況で脱がす手間を省いて失敗がないように工夫されている。中華料理であれば外れない・・と思っていたが、そうとばかりも言えないとドイツで悟った。べちゃべちゃの野菜炒め、初めからぬるい麺。ところがずいぶん人気があるようだった。美しい夜景で有名な六甲山。寛ぎを与えてくれます。見事なだけではなく、空も街もしっくりとするまたたきは、何と表現していいやら。浸み渡る澄んだ空気の向こうで、上空の星たちも気力を振り絞って光を放っているの。

独はソーセージやハムが種類もあり素晴らしい味だ。専門店も何軒もあり、グラム単位で豊富な種類から買える。普通の豚や牛肉はパッとしないのになぜ加工肉だけ美味しいかは不思議である。バリでは価格が観光客と地元ではっきりと分けられており、何のためらいもなく全く違う金額のお店などもある。現地人に見える私の弟はかなりの確率で現地人価格で購入できるため、ラッキーである。川のほとりに二人連れが、微妙なスペースを取りながら腰掛ける、古都京都の鴨川で目撃した可笑しな景色。憲一と腰掛けてみることに。意外にも共感できた。川の水流を視野に入れると、話をしなくても気持ちが休まるんだ。

本場のミュージカルを格安で見たいなら、その日はずっとチケット売り場で待っていると図らずも前から数列目を超お得な値段で入手できる時もある。その日を棒に振る覚悟があればお薦めの話だ。優美な金沢は、少ない休暇でも満足できるイチオシスポット。長年の文化を想像させる、美しい銘菓などは、人よりも自分に買って帰りたくなります。大人の雰囲気が漂う金沢は、あてなく歩いていても、凛としますね。私達、映画オタクの仲間には言葉にならないほど幸せなユニバーサルスタジオ。知らない時代に時間旅行しているみたいで、情感たっぷりな空気感がたまりません。臨場感も完璧です。大人のアミューズメントだね。それでは、今日はこの辺で。また明日!

どうあってもなんでも美味について

2014-07-03 22:19:05 | 日記
みなさん、こんにちは。どうあってもなんでも美味しそうにペロッと食べてくれる人は見ていても晴れ晴れする。嫌いなメニューや食わず嫌いがなくてその上自分でも料理が出来たりするとすごくめっけものだ。浅い付き合いではふらふらしているように思えて実はとても真摯な仕事に対するスタンスがあり、だからこそ摩擦が生じていたと理解できて、安心した。今では大事な仲間だ。語りが面白い人も嫌いではないが、あまり語らず、静かな人に惹かれる。こんな人がごくまれに何か面白い事を言ったりすると、他の人がそうするよりもかなり輝いて見える。

多少は自己中心的でも母性本能を刺激する遊びの部分があるとなんとなく認めている。ほんのちょっとした顔の変化だったり気付かないような表情だったり色々ある。どこかでそれなりにこだわりがある人は何か芯を貫いているかのごとく映る。周りの人は何やかやと面倒なのであるがそんな中でも常にこだわり続けることは大事だ。聞こえるかどうかのような囀るような声で怖がるように教壇に立っていた先生がいきなり生徒の行き過ぎた悪ふざけに激怒したことがある。私達に真剣に向き合ってくれているんだとジンジン伝わり子どもたちが話を聞くようになった。

顔を見れば憎まれ口をたたき、存在が許せなかった兄だったが、年末の最中に車両間の事故をやってしまったら取るものもとりあえず駆けつけて手伝ってくれた時には照れくさいやらどうしようもなかった。建設的にしかもわかりやすく話してくれる人は貴重な存在だ。そんな風に話しながら、決して見下さずせかせかしていないのは画期的である。あまり話し合った記憶はないのに「あなたは本当はこんな所があるから、もっとその特徴を活かした方がいい、と理解しやすい助言をもらったりするとたしかにドキドキする。次回は、今日の話を更に掘り下げていきます。