寺院・お仏壇掃除・クリーニング日記

お仏壇の掃除・クリーニング・修理修復のハロークリーン

花語らず

2012-04-28 13:40:16 | 日記
南禅寺管長を勤められた(故)柴山全慶老師の
『花語らず』です。

  花は黙って咲き、黙って散って行く
  そうして再び、枝に帰らない
  けれども、その一時一処に、この世の全てを托している
  一輪の花の声であり、一枝の花の真である
  永遠にほろびぬ生命の喜びが、悔なくそこに輝いている

花は「人によく見せよう」とか「綺麗に思われたい」
と、思って咲いているのではなく、
花だから咲くだけのことです。

ただ、自らに与えられた生命を、一生懸命に生きています。

その一途な姿が、自然と周りの人の気持ちを惹きつけ
感動を与えていくのでしょう。


その反面、自分の環境に不平不満を言うのは、人間だけです。
仏教では、そういう見方をせずに、全てを受け止めます。
辛いことでも、何でも「ありがたい」と・・・
自分に与えられた人生を、きちんと頂きます。


幕末の志士 “雲井龍雄”は、斬首を前に
『散る桜、残る桜も、散る桜』という辞世の句を詠みました。

これは、首をはねられる自分は、今死ぬが
「はねる側の貴様も、やがて死ぬ運命ではないか」と
いう強烈な心の叫びで、心を打ちます。

今、生きている我々も、桜も、やがては散る運命です。
私たちは、一刻一刻、死に向かって生きているのです。


散った花はもとの枝に戻りませんが、
今、ここで、精一杯、花の生涯を生ききっています。
 
どんなに短い生涯であろうとも、
充実した人生を送れたら、何も悔いは残らない、
輝いた人生だということです。

ですので、人を計るモノサシなんてありません。
世間体、標準などという、あやふやな言葉に
迷ってはいけないと思います。


人の値打ちは、亡くなってから決まるのかもしれません。

葬式や法事の後には、必ず、
「あの人はこうだった」「こんないい人だった」と
皆さんが、故人を偲んで仰います。

一輪の花の生き方を見習って、頑張ろうと思います。

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あるお寺のお話

2012-04-24 21:36:48 | 日記
『子ども叱るな、来た道じゃ
 年寄り笑うな、行く道じゃ』

家族間の争いは相変わらず、多発しています。
どこかで歯止めをかけないと、争い、虐待は継承され、
繰り返されていきます。


昔、貧しい農家では、姥捨て(うばすて)が
たまにありました。

ある日、男は年老いた母を竹かごに入れ、
息子と2人でかごを担いで、山に向かいました。

頂上に辿り着くと、母がいるまま、かごを置いて
山を下りました。

しばらくすると、息子が立ち止まり、

> 息子「俺、忘れ物したから戻るよ」
> 男 「何を忘れたんだ?」
> 息子「婆ちゃんを運んだ“かご”だよ」
> 男 「バカ、もう入らないじゃないか」
> 息子「いや、俺にはいるんだ」
> 男 「どうしてだ?」

> 息子「だって、いずれ父ちゃんを
山に、捨てにいかなきゃいけないじゃないか」

男は、思いもよらない息子の言葉を聞いて呆然としました。
そして我に還り、お婆ちゃんを連れて、家に帰りました。


この話は、息子に「親不孝をせよ」と
教えているようなものです。

男は、自分の母を山に捨てる・・・今度は、
自分が息子に捨てられ、息子はまた孫に・・・・

この繰り返しを、仏教では「因果応報」(いんがおうほう)といいます。

悪いことをすれば、悪い報いがあり「悪因悪果」
良いことをすれば、善い報いがある「善因善果」

善因善果・・・これを先祖代々、受け継いで、
立派な家、家庭が築かれていくわけです。

これは、畑に良い種を蒔けば、
良い作物がとれるという、化学的真理と同じです。

例えば、ご先祖様のお墓を手入れをし、
お墓参りの供養を、きちんとされている方が多いですが、
これも、良い家庭作りの種まきで、
子どもや孫、子孫の為に、とても良いことです。

「子は、親のいうことを聞かないが、
  親のすることは、よく真似する」と言われます。
子どもは、親の背中(生きる姿勢)を見ているのでしょう。

自分の「言っていること」と「やっていること」は、一致しているでしょうか?
良い種を蒔くよう、心がけたいです。

理想は、親子や家庭の「和」を出発点として、
学校、職場、社会へと「和」の輪を押し広げ、
和やかな社会に、つながっていくことだと思います。
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人生の最後をどうやって締めくくるか!

2012-03-11 22:06:19 | 日記
「4人妻を持った男」と言う解り易く深い教えを・・・。
お経の中に「四人の妻を持った男」という話があります。

その男は、第一夫人に対して
片時も離さず、暑いといえば、服を脱がせてやり
寒いと言えば、着せてやり・・・可愛がり。

第二夫人に対して
そばに寄ってくれば、ニコニコしますが
そばを離れると、怒りっぽくなる。

第三夫人に対して
近くに来ると、手を固く握りしめ、
別れる時には見えなくなるまで、手を振り合う間柄。

第四夫人に対して
常にそばにいるけれども、優しい言葉を
かけてあげることは、全くありませんでした。


さてある時、この男は、旅に出ることになり
夫人たちに、声を掛けて誘いました。

第一夫人、第二夫人は、
「あなたとの旅は、ご遠慮申し上げます」と断り、

第三夫人は、
「旅立ちの日に、見送りをさせて頂きますが、
 一緒の旅は、ゴメンです。

第四夫人は、
「私で宜しければ、どうぞ、その旅に
 連れて行って下さい。」と快諾しました。

結局、その男は第四夫人と連れ立って、
「旅」に出たのです。


===このお話は何を象徴しているか?===

なんと、この旅とは「黄泉(よみ)の旅路」「死出の旅路」のことです。

「死ぬからついて来い」と言われて断った“第一夫人”は、
私たちの肉体、身体を指しています。

そばにいる時だけ、ニコニコしている“第二夫人”は、
金銭、財産のこと

「あなたのお葬式の時には、見送りさせて頂きます。
と言った“第三夫人”は親子、兄弟親戚、友人のことです。

第四夫人は、一緒に旅立つことになったのは、
普段、声もかけていない「私たちの心」であり「行い」です。


『本来無一物(ほんらいむいちもつ)』
人は裸で生まれ、裸で死ぬ・・・
あの世には、魂以外、何も持っていけません。

私たちはいつも「物」「お金」「愛する人」などに執着した
煩悩の世界に生きています。これを『此岸(しがん)』といいます​。

その逆は、執着から離れた理想郷の『彼岸』あの世です あと、二週間しましたら、お彼岸になりますね。

 最後まで残るのは「心」と「行い」です。
普段、なかなか見ようとしない自分の「心」と「行い」を、大切に!!
 
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東京都中小企業経営革新企業研修に参加

2012-02-06 16:19:27 | 日記
東京都から承認を受けた企業が集まり、これからの中小企業について、また各企業3分間の檀上でスピーチの時間をくれた。そんな仕事もあるんだと思いながら聞いてました。
 
いよいよ自分の順番、寺院・仏壇の修理修復・クリーニングに使う「溶剤」を折り込んだ内容が条件でした。当然聞き手は面白くないので簡単にすまし、どうして仏壇を綺麗にしなといけないか、また最近流行りの永代供養について話しすると、企業人ではなく一個人として聞いてるような空気を感じた。

当然皆さん誰か亡くなられた経験はありお墓の問題、特に永代供養に興味が有ったのか会議が終ると私のところに人だかりが出来「やっぱり」と思った。その「やっぱり」は、葬式が終わった後どうして良いか解らない方や、解っててもコストの問題です。超少子高齢化・貧困・社会のひずみの現れかなーとも感じた。

都内でも永代供養は4万〜出来ますよー 此れには皆さんビックリしてました。
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新築のお家に修理・クリーニングを終えたお仏壇の搬入

2012-02-04 19:28:16 | 日記
ご家族と半年ぶりのご対面です。皆様には大変喜ばれ「うわーキレイ」 この一言が一番うれしいです♪

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