墓場鬼太郎 #11「アホな男」(最終話)感想

・墓場鬼太郎 第11話「アホな男」
(脚本/成田良美、演出/地岡公俊、作画監督/山室直儀)


 かなり遅くなってしまったが、「墓場鬼太郎」最終話感想&シリーズまとめを書いておく。

 最終話は「アホな男」。これほど最終話らしくないサブタイトルも珍しい。原作タイトルは「-怪奇オリンピック- アホな男」だが、「怪奇オリンピック」を取ってしまったせいで、余計に間の抜けた感じがする。


 本話では、例によって原作を省略したりアレンジした部分は色々とあったが、1話完結としてよくまとめられていた。第1話と同様に「売血」描写はテレビアニメではNGだったようだが、ねずみ男の作る毛はえ薬の成分としてヒゲを入れる事で血の代わりにしたのは上手いアレンジだった。
 映像面では、怪奇オリンピックの部分は本作独特の色遣いによって、幻想的かつ毒々しさもある絶妙な絵となっていたし、OPでも登場していた「千年に一度歩く鳥」も、いい味を出していた。この怪奇オリンピック部分だけでも、アニメ化した意味はあったと思う。

 気になったのは、頻繁に使われた、辞典をイメージした感じのカットの挿入だ。
 「永世丸」など作品に関わるキーワードの説明としては、とぼけた感じで面白い効果を上げていたと思うが、特に説明の必要が無さそうな食べ物にまで使ったのは、少々くどく感じた。
 あと、「単霊生物」「複霊生物」の解説がなかったのは残念だった。あの胡散臭くももっともらしい説明が、水木作品の味の一つだと思うのだが、アニメでの長ゼリフは避けられる傾向にあるので、もったいなく思う。


 さて、ここからはシリーズ全体としての感想。
 最終的に全11話を観終わってから振り返ると、一つのテレビアニメシリーズとして、よく練られた構成になっていたと思う。
 原作の貸本は何度も出版社を変えて描き続けられただけに、作品ごとに鬼太郎や目玉親父、ねずみ男などの性格に結構ブレがあるが、アニメ版では鬼太郎は寝子さんだけは特別扱いで、人間はどうでもいい「見ていて面白い」だけの存在と考えている事がはっきりしていたし(その最たるものは、第6話で水木を見捨てる場面だろう)、ねずみ男も初登場の第2話から既に、夜叉とドラキュラ四世の対決を見物する場面などが描かれることで、怪奇研究家としてしっかり位置づけられていた。
 また、鬼太郎とねずみ男の付かず離れずの関係も適度に描かれており、それは最終話のラストシーンに象徴されていると言えるだろう。

 シリーズ構成に言及するならば、最終話に「アホな男」を持ってきた点に、特に注目したい。
 本作はシリーズ全話を通して非常に多くの死人が出ていたが、最後の最後に、現実の人間世界よりも実は死後の世界の方が暮らしやすくて楽しい所だったと言うオチの話で締めた事で、それまでのエピソードで死んだ人達も、案外楽しい死人生活を送っているのではないかと想像する余地が出来て、ある意味最高のハッピーエンドになったと言えよう。だからこそ、本来最終エピソードではないこの話を最終話にしたのだろう。なかなか面白い趣向だ。
 もっとも、寝子さんが暮らしていた世界と、怪奇オリンピックが開かれていた世界が同じ所なのかどうかは、正直言ってよくわからないのだが。


 ともかく、スタッフが原作をきちんと理解した上でアニメならではの映像・アレンジも上手く盛り込んでいる事が伝わってくる出来で、「アニメ化されてよかった」と言える作品だった。
 個人的には、第2話の超ダイジェスト展開だけは今でも納得できないのだが、本作は全11話で、1クール深夜アニメの中でも話数の少ない方だったので、これに関しては諦めるしかないか。せめて、DVD版ではもう少しエピソードが追加されていればいいのだが。
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