「わさドラ」を長生きさせるために

 「わさドラ」こと、アニメ「ドラえもん」リニューアル版がスタートしてから、そろそろ2回目の大晦日を迎えようとしている。
 現在のわさドラは、アニメ本編を1話ごとに評価すれば、漫画「ドラえもん」のアニメ化として、十分に合格点を与えられる出来だと思う。原作をそっくりそのまま映像化しているわけではないが、効果的な原作のアレンジも多く、原作を読んでいても楽しめる出来だ。

 しかし、アニメ本編がしっかり作られていても、最近はそれ以外の部分が足を引っ張っている気がする。今年に入ってからは様々な企画・特番が行われており、その内容について、既に色々な意見が出ている。私自身、芸能人のゲスト出演による番組のバラエティ化は、いい傾向とは思っていない。

 ただ、バラエティ路線も問題だと思うが、個人的に今の「わさドラ」には、もっと気になっている点がある。
 それは、番組製作者に、長期的な視点が欠如しているのではないかと思われる事だ。


 そもそも、アニメ「ドラえもん」が、声優及びメインスタッフほぼ総入れ替えと言う、非常に思い切った形でリニューアルを行ったのは、「ドラえもん」という番組を若返らせて、今後もずっと続けていく事が目的だったはずだ。
 その裏付けとして、テレビ朝日サイトの「番組からのお知らせ」に掲載されていた文章に、はっきりとその旨が書かれている。リンク先から、該当部分を引用してみよう。


(前略)
 「ドラえもん」を今後も2世代から3世代さらにそれ以上の世代に伝えていくため、今年の春、TV&映画25周年という節目をむかえたことを機に、番組を大きくリニューアルすることを決定しました。
 これまで長い間番組を支えてくださったメイン制作スタッフ、声優の方々が次の世代の方たちに交代します。しかし「ドラえもん」という大切なキャラクターそのものが変わるわけではありません。番組は今後も変わらずに継続していきます。
(後略)


 この文章を読む限り、2004年11月30日の時点では、アニメドラをリニューアルすることで、大山ドラと同様に、末永く視聴される番組にしようとしていた事が読みとれる。


 しかし、それから約2年経った現在、わさドラを視聴していると、どうも「長く続けていこう」と言う意志が感じられない。それどころか、後のことは考えず、毎回の放送で瞬間だけ話題になれば、それでいいと思っているのではないかとさえ感じてしまう。

 別に、芸能人が頻繁に出ているからそう思うのではない。私がそのように考える原因は、もっと根本的なところにある。それは、原作のどの話をどんな時期に、どの順番で放送するかと言う、いわゆる「構成」が、滅茶苦茶になっていると言う事だ。
 以前にも指摘した、今年1~3月の恐竜話連発、そして5~6月の「キャラクター大分析シリーズ」、さらには9月1日の特番に端を発するドラミ登場話の連発と、原作での時系列やバランスを、全く考慮していないとしか思えない。
 ドラミの登場頻度は、恐竜ネタに比べればまだ抑えられているが、それでも12月8日の放送までに早くも原作7話分がアニメ化されており、また原作でチョイ役として登場していた「未来の町にただ一人」や「人間ブックカバー」では、わさドラでのドラミ登場前だったため、出番自体がなくなっている。
 てんコミ収録分(「プラス」含む)の原作で、ドラミがある程度以上重要な役で登場する話は、全部で15話。原作では、20年に渡って描かれたこれら15話のうち半分が、たった3ヶ月の間に立て続けにアニメ化されているのだ。今年の恐竜の件があるので、映画が公開される来年の3月までに、残りの8話もアニメ化されてしまったとしても不思議はない。もしそうなると、今後わさドラが続いたとしても、原作からアニメ化している限りドラミは登場できないのだ。
 まあ、そこまで極端な事はないだろうが、この3ヶ月のドラミの売り出し方は、ドラミを視聴者に定着させてようとしているとは、とても思えない。

 とりあえず、一番気になったドラミの扱いについて重点的に触れたが、このようなキャラクターの使い捨てとも取れるような無理な構成が続くようでは、とてもわさドラが番組として長続きするとは思えない。
 わさドラでは、スタッフとして「シリーズ構成」も「文芸」もクレジットされておらず、一体誰が放映するエピソードの構成を決めているのか表には出てこないが、ドラミの登場までに一ヶ月半もかけて実写コーナーの「ドラミ復活プロジェクト」を放映している事から考えて、監督などアニメ本編制作スタッフだけでなく、もっと強い力を持った人間の意向が反映されているのだろう。今のわさドラは、バラエティ路線と、放映話の構成とが、互いに悪影響を及ぼし合っているようにしか思えない。

 思えば、大山時代最後期、21世紀に入ってからの番組は、今のわさドラとは正反対だった。
 番組の構成は、気になるところはあったものの、現状と比べれば可愛いと思える程度だった。渡辺美里が本編に登場した時は、さすがにどうかと思ったが、わさドラと違ってドラマとのタイアップではない。それに対して、オリジナルエピソード中心だった本編は、観ていて悲しくなるくらいに面白くなかった。たまに原作物のリメイクもあったが、話のテンポが他のオリジナルと同じで原作の面白さを殺してしまっていた。初アニメ化となった「45年後…」はよかったが、これは例外中の例外だ。

 もっとも、大山時代は、帯番組で原作のストックをほとんど使った後は、発表される新作を、ほぼ順に追っかけてアニメ化していたので、少なくとも原作の連載が止まってしまう1991年までは、わざわざシリーズ構成を組む必要はなかったのだろう。たまに、かなり古い原作を掘り起こしてアニメ化することもあったが、設定等に矛盾がないように配慮されていた。
 対して、わさドラは放映開始時に既に原作者が故人であり、原作のエピソードを使う以上、原作に一通り目を通した上で、同傾向の話が偏ったり、特定のキャラクターばかりが目立ったりしないように、ある程度の構成を立てることは不可欠だろう。さすがに5年や10年後までは計画できないだろうが、最低限1年単位での構成は必要だと思う。
 少なくとも放映1年目は、ジャイ子の扱いなどを見ると、ある程度の設定と構成は練られていたと思う。しかし、今年に入ってからは、前述のように見る影もない。


 繰り返し書くが、このまま「わさドラ」が、原作の「おいしいとこどり」で話題性のある話ばかりを使っていたら、地味な話(だからつまらないとわけではないが)ばかりが残って、「話題性」で盛り上げることが出来なくなるだろう。そうなれば、今のような手法は使えなくなるが、その後に番組をまともな構成にしようとしても、手遅れかもしれないのだ。
 放映2年目の今なら、まだ間に合うだろう。バラエティ路線で煽っても視聴率が伸びるわけではないと、そろそろ担当者も気が付いているのではないだろうか。手遅れにならないうちに、「わさドラ」を、本編の面白さで勝負する、まともなテレビアニメ番組に戻して欲しい。
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