ポプラ社版『乱歩』『ルパン』そして『ホームズ』

 先日、作品社より山中峯太郎訳著による『名探偵ホームズ全集』第1巻が発売された。





 これは、かつてポプラ社から発売されていた、いわゆる『山中版ホームズ』を平山雄一氏の註付きで復刻したもので、第1巻には原本の7冊分が収録されている。そう、あの昔懐かしいホームズなのだ…と言いたいところだが、個人的には子供の頃に『山中版ホームズ』を読んだことはなかったので、特に懐かしくはない。
 しかし、ポプラ社から出た子供向けのミステリとなると、『少年探偵 江戸川乱歩全集』と『怪盗ルパン全集』の二つのシリーズは非常に愛読した。これらと並び称される『山中版ホームズ』のことは、前々から気になっていたので、今回の復刻版を買うことにしたのだ。


 そもそも、私が初めて読んだミステリは、忘れもしない小学生の時。学校図書館に置いてあった『少年探偵 江戸川乱歩全集』の「透明怪人」だった。懐中電灯の光に浮かび上がる怪しい顔が描かれた表紙絵と、「透明怪人」という不思議なタイトルに惹かれて読んだのを、今でもよく覚えている。
 最初は、ミステリではなくSFと思っていた気もする。つまり、透明怪人は本物の透明人間だと思って読み始めたのだ。しかし、実際に読んでみると透明怪人の正体は怪人二十面相であり、透明にもトリックがあるというもの。子供向けとは言え、この作品できっちりと論理に基づいて謎が解かれる面白さを味わったのだった。

 それから、このシリーズが気に入って、図書館に並んでいた『少年探偵 江戸川乱歩全集』を次々と読んでいった。
 すると、読み進むにつれて不思議に思うことがあった。シリーズ前半の巻は「ですます」調の文で書かれており少年探偵団の活躍が描かれているが、後半の巻になると「~だ。~である」調になって、殺人など残酷な犯罪が描かれるようになっていたのだ。
 後になって、このシリーズの第27巻「黄金仮面」以降は、乱歩の大人向け作品を別の作家が子供向けにリライトしたものだと知って納得したわけだが、小学生当時はそんなことは知らないから、一体なぜ巻によってこんなに作風が違うのかと、首をひねったものだった。
 ただ、個人的な好みとしては、シリーズ前半より後半の大人向け作品リライト版の方が特に好きだった。何というか、大人の世界を垣間見たような気分を味わっていたのだ。子供向けに直されているとは言え、基本的な筋は同じなので、「三角館の恐怖」で本格推理の面白さを、「影男」で地下の秘密の国の妖しさを、そして「恐怖の魔人王」ではめちゃくちゃに破綻した作品故の歪んだ面白さを味わったのだった。
 とは言え、本来は明智小五郎の出ない作品にまで明智を登場させたために、話に無理の生じた「大暗室」や「赤い妖虫」などの珍作もあったが。

 現在でもポプラ社から『少年探偵 江戸川乱歩全集』は刊行されているが、全26巻となり、第27巻以降の作品は省かれてしまっている。
 おそらく、あまりに残酷な殺人が描かれているのと、現在では差別的と言われる言葉が頻出するためなのだろうが、実に残念だ。仕方がないので、私は古本屋で旧版の第27巻以降を見つけたら、保護するようにしている。今はまだ9冊しか手に入れていないが、いずれは全21冊を揃えたい。さらには、前半の巻も可能な限り手に入れたいものだ。





 私が小学生の時に読んだのは、『少年探偵 江戸川乱歩全集』だけではない。南洋一郎・文による『怪盗ルパン全集』も、同様に愛読した。『少年探偵 江戸川乱歩全集』とはひと味もふた味も違う、怪盗と言いつつ正義の味方なルパンの冒険に熱中したものだ。
 こちらも、現在でもポプラ社から刊行されているが、やはり私が愛読した全30巻のシリーズではなく、10冊も減って全20巻となってしまっている。ルブランの短編を元に南洋一郎が書き下ろしたらしい「ピラミッドの秘密」や、ボワロー=ナルスジャックがアルセーヌ・ルパン名義で出した第26巻~第30巻の作品などは、今では容易に読むことが出来ないのだ。実にもったいないと言わざるを得ない。

 ただ、今でもポプラ社から刊行されている点で、『乱歩』『ルパン』は、まだ恵まれている。
 これらに対して、『山中版ホームズ』は、昭和50年代を最後に絶版になったままだったのだ。少なくとも、私が小学生時代を過ごした昭和60年前後の学校図書館には、すでに置いていなかった。あれば、『乱歩』『ルパン』と一緒に愛読していたはずだ。
 そんなわけで、今まで『山中版ホームズ』は未読だった。興味はあったが、古書価も高騰しており、おいそれと集められるものではなかった。だから、今回の復刻版刊行は非常にありがたい。挿絵がないなどの問題はあるが、それでも独特の味のある文章を読めて非常にうれしい。まだ少ししか読んでいないが、ホームズの「フッフッフー」には独特のリズム感があるし、「~ですよ」としゃべるレストレード警部は何となく可愛らしくていい。原典のホームズとはひと味もふた味も違う面白さがあると言えるだろう。今後、読み進めるのが楽しみだ。

 それにしても、全3巻が毎月刊行ではなくて助かった。毎月7000円はちょっときつい。まあ、せっかく第1巻を買ったのだから、2巻・3巻も買いますよ。
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新春特別企画・我が家の本棚公開 【1/10更新】

 新年、あけましておめでとうございます。
 本年も、当ブログをよろしくお願いします。


 さて、新年一発目のネタを何にしようかと色々考えて、結局これになりました。
 自宅の漫画が入っている本棚を、新年と言うことで特別に公開してみようと思います。と言っても全部ではなく見せられる範囲で、ですが。






 まずは、この本棚。藤子・F・不二雄先生の作品メイン。とは言え、下の方には藤子不二雄A先生の作品もありますが。
 写真ではわかりにくいが、本を二重にして並べており、中の方にも色々と入っています。上から一段目の奥には『ドラえもん』以外のてんコミ藤子作品、二段目の奥には藤子不二雄ランド版『ドラえもん』『映画原作 大長編ドラえもん』、三段目には藤子不二雄ランド版『海の王子』『新編集 オバケのQ太郎』と言った感じ。
 基本的に、あまり珍しい本はなく、最上段のてんコミ『ドラえもん』も、一桁の巻は初版ではありません。まだ全巻揃っていない作品もあるし、色々とさらに揃える余地のある本棚と言えます。






 二つ目は、藤子不二雄A先生の作品メインの本棚。半分近くを藤子不二雄ランドが占めています。
 さらに言えば、藤子・F・不二雄大全集の第4期もこの棚。第1期~第3期は別の棚にまとめてありますが、一つの棚に一面F全集ばかりが並んでいて、面白味に欠けるので今回は省略。
 なお、少年サンデーコミックス版『プロゴルファー猿』が少ないですが、これは実は今集めている最中で、まだ半分の9冊しか手に入れていないというわけ。案外、初版を見かけないので、さすがは人気作品で、よく増刷されたと言うことなのでしょう。
 『猿』に限らず、私はまず藤子不二雄ランド版から集めていたので、それ以外の単行本は、恥ずかしながらまだ持っていないものも多いです。だから、こちらもまだまだ集める余地はあります。とりあえずは未読の作品を読みたいので、ダブっていないもの優先と言うことになるでしょうけど。はたして「藤子不二雄A大全集」が刊行される日は、来るのだろうか。






 調子に乗って、手塚治虫作品の棚も公開。と言っても、ほとんどが「手塚治虫漫画全集」なので、いまいち面白味に欠ける。
 この棚も、奥行きがあるので本を二重に並べています。上から一段目の奥には少年チャンピオンコミックス(『ブラック・ジャック』『ザ・クレーター』ほか)とサンデー・コミックスが入っております。最下段には、小学館ゴールデンコミックス版の「手塚治虫全集」が5冊だけ(『鉄腕アトム』4冊+『勇者ダン』)ありますが、これもぼちぼち集めているところ。まあ、全40巻なのでそんなに焦ることはないかと。ちなみに、『勇者ダン』は講談社版全集以降では改変されているアイヌ人差別のセリフがそのまま残っているので、一見の価値あり。


 さて、ここまではツイッターにも上げたものなので、今回はおまけにこれら以外の棚も見せようと思い、悩んだあげくSF文庫の棚をお見せすることにしました。こんな感じ(↓)です。





 上から星新一・小松左京・筒井康隆の順に並べてあります。このお三方の著書は、ほとんど文庫で集めました。
 下の方は、かんべむさし・横田順彌・梶尾真治・草上仁など。書名などはこの写真では読みにくいですが、あえてこのサイズだけにしておきます。

 と、言ったところで今回はおしまいです。
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2016年の終わりに

 もう少しで、2016年も終わり。今年も、色々なことがあった。
 例年通り、このブログでも今年一年を振り返ってみる。


 昨年末のエントリでは、今年は「個人的に、一大転換期が訪れるかもしれない」と書いたが、だいたいその通りになった。
 一番大きかったのは、長年住んだ名古屋を離れて、出身地である関西に戻ったことだ。もう合計で35年くらいは名古屋に住んでいたので、これは本当に一大転機と言えるだろう。こちらに越してきて半年あまりが経ったが、まだ完全になじんだとは言いがたい。とりあえず、東京に行くのに新幹線でこれまでより1時間近く余分の時間がかかるようになったのは痛いところだが、まあそんなにたびたび行くわけでもないので、これは我慢するしかない。
 他に、今までと大きく変わったのは、たびたび実家に帰るようになったことだ。近くに家族がいれば、案外色々と用事があるものだ。これに関しては、非常に便利になったと言える。

 あと、個人的なことだが、昨年に続いて2月に二度目の手術を受けたのも、大きな出来事だ。
 しつこいようだが、別に病気ではなく、不要不急だがいつかは受けなければならなかった手術で、それがこの時期と言うことになったのだ。昨年の一度目の手術での入院で色々と反省点があったので、今回はそれを踏まえて、手術後の時間つぶしのために本やDVD(病室にプレイヤー完備だった)など、色々なものを持ち込んだ。その中でも一番活躍していたのはレトロフリークだったかもしれない。本体が小さくて何百ものソフトをインストール済みだから、これだけ時間つぶしになるものは他にない。ニンテンドー3DSも持ち込んだが、実はその時に始めた『ドラゴンクエストVIII』を、中断したまままだクリアしていないというのは、ここだけの話だ。
 ともかく、二度目の手術は無事に完了した。これが、今後の人生にどんな意味があるかはまだわからないが、活かしていけたらいいとは思う。

 実は、まだ他にも色々とあったのだが、それはここには書けない個人的なことだ。ここまでにしておこう。


 藤子ファン的には、今年は何があったかなと振り返ってみると、肝付兼太さんの訃報があった。また、喪黒福造役・大平透さんも亡くなられた。
 なんだか、明るい話題があまりないような感じだが、むしろ『中年スーパーマン左江内氏』のドラマ化や『笑ゥせぇるすまん』の新作アニメ化が予定されている来年の方が盛り上がりそうな気もする。両方とも、一ファンとして、素直に楽しみだ。


 アニメファンとしては、ここ数年視聴テレビアニメの本数が減っていたのが久しぶりに増加に転じた年だった。
 理由は色々とあるのだが、一言で言えば「観られるうちに観ておこう」と言ったところか。また、今までアニメ録画ファイルをTS保存していたのを、夏頃からエンコードしてmp4ファイルの形に圧縮して保存するようになり、HDDの容量に非常に余裕が生まれたので、今までなら残しておかなかったようなタイトルまで、とりあえず残しておくようになり、それが結果的に視聴本数の増加にもつながったような気がする。
 また、新作だけでなく、旧作アニメも暇を見つけては観るようにした。旧作『パーマン』を一通り(DVD未収録の2話を除いて)観られたのは、特に今年の収穫と言っていいだろう。ちなみに現在はDVD-BOXで『ジャングル黒べえ』を視聴中。次回予告も含めて完全な形でこの作品を観るのは、おそらく初めてだと思う。再放送は、私が観た限りでは15分枠ばっかりだったので、予告どころかエンディングもまともに流れたことは少なかったのだ。
 他に、『宇宙戦艦ヤマト』や『無敵超人ザンボット3』なども、今年観た作品だ。「まだ観ていなかったのか」と言われそうな、いまさらなタイトルだが、観ていなかったのだから仕方がない。まだまだ、未見の名作はたくさんあるので、来年以降も機会を作っては観ていきたい。
 映画は、『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』『映画 聲の形』『シン・ゴジラ』『君の名は。』『この世界の片隅に』を観た。あと、昨年の作品だが『ガールズ&パンツァー 劇場版』も、引き続き劇場で観た。映画の鑑賞ペースは、だいたい昨年並みか。それぞれに、心に残る作品だった。


 さて、来年はどんな年になるだろう。
 おそらく、今年に引き続いて、いやもしかしたら今年以上に、一大転換期となる年になるのかもしれない。それだけ、色々なことが起こりそうな予感がある。いや、起こさねばならないといった方が正しいか。
 はたして、趣味にはどれだけ時間が割けるのかも怪しいところだ。だが、できる限りこのブログも更新していきたい。

 と、言うわけで今年一年、ありがとうございました。よいお年を。
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アニメ『モジャ公』を振り返る【補遺編】

 前回、「アニメ『モジャ公』を振り返る」というエントリを書いたが、そのときに書き切れなかった事が結構あるので、今回はそれらの書き残したネタについて、触れておきたい。


 まずは、テレビ愛知における放映形態について。
 『モジャ公』は、テレビ東京系のネットで放映されたが、そのうち同時ネットだったのはテレビ愛知を除く5局であり、テレビ愛知のみ平日18時30分の時間帯にアニメ再放送枠「まんがのくに」を設置していた関係で、遅れネットとなっていた。
 その、遅れネットの時間帯は土曜19時。ゴールデンタイムであり、テレビ朝日系の『美少女戦士セーラームーンSuperS』の裏だ。テレビ愛知は、視聴者層が被らないと判断したのだろうか。とにかく、遅れネットの割にはいい枠での放送だったのだ。ただし、他局から18日遅れだったが。

 これだけなら、ただ単にテレビ愛知だけが違う時間帯で放映していたに過ぎないのだが、実際にはそれだけではない。
 テレビ愛知の土曜19時枠というのは、たびたび特番でつぶれる時間帯だったのだ。つぶれた場合はどうなったか。昔『桃太郎伝説』や『機甲警察メタルジャック』を放映していた頃は、春休みなどの平日午前中の時間帯に休止分をまとめてやっていたのだが、なにしろ『モジャ公』は、最初から18日遅れなのだ。これ以上、さらに遅れを広げる訳にはいかないと判断されたのか、休止時は同日6時30分の枠に振り替え放映という事になったのだ。
 念のため言っておくと、18時30分ではない。朝の6時30分だ。おそらく、同じ土曜日に他に適当な枠がなかったのだろうが、これはなかなかにひどい。「今日『モジャ公』はないのかな」と昼間に気がついた時には、もう手遅れなのだ。一応、前週の本編最後に「時間を変更してお送りします」とテロップは出るが、それだけなので観逃す可能性は高かっただろう。今数えてみたら、6時30分の枠で放映されたのは、6回もあった。
 さらに、冬休みには朝7時30分からの特別枠で2話連続放送も行われており、最初の2クール25話のうち、土曜19時で放映されたのは17回と言う事になる。

 3クール目に入ったところでテレビ愛知は「まんがのくに」枠を廃止したため、第26話からはテレビ愛知も同時ネットされる事になったが、その半年後にはまたもや月曜19時に移動になるのだから、テレビ愛知で『モジャ公』を観ていた人にとっては、「よく時間帯の変わるアニメ」という印象がある事だろう。われながら、これでよく全話録画できたものだと感心せざるを得ない。


 もう一つは、作品内容に関わる重要な事だ。シリーズ構成・寺田憲史氏の加入に伴って作品の路線変更が行われた件について、その証拠と言えるものがあるので、取り上げておきたい。
 それはすなわち、モナシスさんの扱いだ。原作読者には説明の要はないと思うが、モナ=モナシスさんと言えば、原作(加筆版)ラストで空夫たちを導く役目のある、重要なキャラクター。アニメ版の初代オープニングでも、大きな扱い(モジャ公を抱きしめてキスする)で登場しており、原作同様に重要キャラになると思われた。

 そのモナシスさんのアニメでの最初の出番は、第21話「ちょっとポッドでお買いもの」。これは、原作「さよなら411ボル」のアニメ化であり、モナさんの出番も原作に準じるものとなっている。つまり、この時点では、そんなに大した役どころではない。なお、声は林原めぐみが務めている。林原さんの藤子ヒロインと言えば、『チンプイ』の春日エリ以来であり、スタッフの力の入れようがうかがえる。モジャ公の弟、モジャルと二役ではあったが。
 さらには、前回も触れたキャラクターソング・アルバムに、モナシスさんのテーマ「セントエルモの火」も収録されているのだ。モナさん以外のキャラソンは、レギュラー・キャラクターのものばかりであり、この点でも重要なキャラクターであった事をうかがわせる。
 ちなみに、他のキャラソンはキャラの声優本人が歌っているのだが、モナさんのテーマだけはコロムビアの歌手である石田よう子(当時)さんの歌唱。林原さんはキングレコードに所属しているから、コロムビアのアルバムで歌う事はできなかったのだろう。

 そんなモナさんに、再度の登場が期待されたが、結論から言うと第21話がアニメ版では最初で最後の出番であり、その後アニメ版にモナさんが登場する事はなかった。3・4クールの2代目オープニングにもモナさんは出ていたが、他の宇宙人と一緒にその他大勢という感じに格下げされており、露骨に路線変更が行われた事がわかるものだった。

 もし、開始当初のように監督のえんどうてつや氏が3クール目以降もシリーズ構成を務めていれば、宇宙での冒険が続いてモナさんの出番ももっとあったのではないだろうか。「月刊アニメージュ」1996年12月号の藤子・F・不二雄先生追悼特集に掲載されたえんどう監督のコメントでも、原作の話を1本しかやれなかった事を残念がっていたので、大いにあり得る事だと思う。
 徹底的に子ども向けに設定が変更されたアニメ版『モジャ公』では、スタッフにその気があってもどれだけ原作の話をやれたか怪しいものだが、それでも『21エモン』ですでにやってしまっている「アステロイド・ラリー」「ナイナイ星のかたきうち」を別にしても、「うまそうな三人」「天国よいとこ」「不死身のダンボコ」あたりは、何とかなりそうな気もする。「さよなら411ボル」は結末が改悪されていたので、他に原作ものがあったとしても同様になった可能性も高いが。
 それでも、路線変更は残念な事であった。


 と言った具合に、二題ほどアニメ版『モジャ公』について、前回書き残した事を書いた。
 今になって振り返ってみれば、頻繁な放映時間帯の移動で、観るのに苦労はさせられたが、それだけに忘れられない作品になっているのは確かだ。作品の出来は、別にして。
 よくも悪くも、アニメ版『モジャ公』には、振り回されたと言える。
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アニメ『モジャ公』を振り返る

 先日、テレビアニメ版『モジャ公』を、全話観終わった。

 そもそも、『モジャ公』は1995~1997年に放映されていた作品で、私は当初本放送で観ていたのだが、放映2年目に時間帯が月曜19時に移った。そうなると、同じ時間帯の『ガンバリスト!駿』と重なる事になり、当時録画用のビデオが一台しかなかったので、『モジャ公』は録画して、放送では『ガンバリスト!駿』を観るようにしたのだ。
 それから、あっという間に20年が経ってしまった。その間、「いつか観よう」と思いつつ、『モジャ公』の録画は放置したままだった。いつしか、録画メディアはVHSビデオからDVD、さらにはBDに変わってしまった。現在、『モジャ公』の録画は、VHSからHDDレコーダーを介してPCに移したものを、BD-Rに焼いて保存してある。BD-R3枚に全74話が入ってしまうのだから、VHSカセットと比べるとコンパクトになったものだ。

 少々、話がそれてしまったが、『モジャ公』が月曜19時に移ってから20年の今年、ふと「残していた『モジャ公』を全話観よう」と思い立った。
 理由は特にないが、強いて言えば、全話観てから作品を総括してみたくなったから、だろうか。つまり、今書いているこの文章の事だ。やはり、ある作品について語るのであれば、最低でも一回は全話通して観るべきだろう。
 と、言うわけで、めでたく全話を観終えたので、アニメ版『モジャ公』とは何だったのかをここでまとめてみようと思う。念のため言っておくが、私は原作漫画『モジャ公』の大ファンであり、その事は以前、『モジャ公』が藤子・F・不二雄大全集で出た時に、このブログでも書いている。
 そんなわけで、あくまでこの文章は、原作ファンが見たアニメ版『モジャ公』の感想から書かれたものであり、『モジャ公』をアニメでしか知らず、アニメ版が大好きという人がこれ以降の文章を読むと、気分を害されるかもしれない。その点、ご注意ください。


 まず、何から触れたものだろうか。
 とりあえず、アニメ版『モジャ公』とはどんな作品だったのか、大まかに3期に分けて説明しておこう。



(1)コスモストーン編(1~25話):モジャ公とドンモの二人が、宇宙からやってきて空夫と友だちになった。宇宙船のビーグル号を修理するためには「コスモストーン」が必要だという。三人は、ビーグル号のポッドで宇宙に出て、色々な星でコスモストーンを探すのだった。

(2)地球居候編(26~50話):無事に修理が完了したビーグル号が、空夫の家へと引っ越してきた。モジャ公とドンモは空夫の家に住みつき、地球で様々な騒動を起こす。そして、彼らの元に、色々な宇宙人もやってくるのだった。

(3)マハラダモジャ編(51~74話):モジャ公の故郷・モジャモジャ星から、ライバルのモモンジャがやってきた。モジャ公とモモンジャは、「マハラダモジャの宇宙一のお宝」を探して、地球や宇宙で対決を繰り広げるのだった。



 このような感じで、ナナシノゴンベ号で宇宙をさすらう原作とは全く違った内容のアニメ版が、全74話にわたって放映された。
 内容から、アニメ版は上記の全3期に分けられるが、なかでも第1期は毎回色々な宇宙の星に出かけている点で、比較的原作に近い雰囲気を持っており、実際この時期に1話だけ原作をベースにした話も制作されている(第21話「ちょっとポッドでお買いもの」/原作「さよなら411ボル」)。
 ただし、主題であるコスモストーン探しは、あからさまに『タイムボカンシリーズ』などの「もの探し要素」を連想させるものであり、二番煎じの感は否めなかった。

 作品に変化が起きるのは、第2期に入ってからだ。シリーズ構成が監督のえんどうてつや氏から寺田憲史氏に交代となり、モジャ公たちが空夫の家に居候するという、『ドラえもん』『オバケのQ太郎』などの藤子作品に代表される「定住型」の作品へと変わり、さらには毎回色々な宇宙人がやってくるという点では『チンプイ』や『21エモン』などの要素を取り入れており、ある意味非常に贅沢な作品になったと言えるだろう。放浪型の主人公が巻き起こす騒動が面白かった原作とは完全に別物であるが。
 第2期は、第1期のコスモストーン探しのような決まったテーマはなく、完全に1話完結で毎回色々なドタバタが繰り広げられたが、やはり作品を引っ張るものが欲しいとスタッフが思ったのか、第3期は「マハラダモジャの宇宙一の宝」を探すストーリーとなった。これに合わせて、モジャ公のライバル・モモンジャが登場して、基本的にはモモンジャが毎回お宝を求めて騒動を起こすという展開となったが、シリーズ中には、別にお宝がらみにしなくてもよさそうな題材まで、無理矢理毎回お宝と絡めて話が展開されたので、視聴者目線ではモモンジャが余計な要素に思えたものだった。

 ちなみに、最後に明かされた「宇宙一の宝」の正体とは、「友情」だった。さすがは『キン肉マン』や『ザ・ドラえもんズ』シリーズの脚本を手がけた寺田氏と言うべきか。正直言って、お宝探しが始まった時点で、「もしや、さいごは『宝とは友情パワーの事でした』で締める気じゃないだろうな」と思っていたのだが、まったくそのまんまとは予想していなかったので、最終話を観て「ちょっとはひねってくれ」と思わずにはいられなかった。


 ここまで、アニメ版のストーリーについて述べてきたが、観ていて最も残念だったのは、各エピソードが面白くなかったことだ。はっきり言って、アニメ版『モジャ公』への不満は、これに尽きる。
 原作とアニメがどれだけ違っていようが、アニメはアニメで面白ければ、それはそれで楽しめるのだ。だが、『モジャ公』は、そうではなかった。
 アニメ版『モジャ公』第1話・第2話の脚本は、藤子・F・不二雄先生が自ら手がけている(えんどうてつや監督と共同)。それだけ、藤子先生も力を入れていた事がうかがえるし、コスモストーン探しやみきちゃんのヒロイン化、SFクラブの設定などは、先生ご自身が作られたものなのだろう。しかし、その第1話・第2話も、あまり面白くはない。

 さらに、アニメ版で最大の問題作と勝手に認定しているのが、第17話「空夫、家出します!」だ。このサブタイトルを聞いた時は、ようやく空夫が家出して、原作と同じような展開になるのかと期待してしまったのだが、なんとこれは「家出を否定する話」だったのだ。いわば、ある意味で原作そのものの否定とも言える。正直、ここで観るのをやめようかと思ってしまった。
 結局、視聴を中断せずに一年間観続けたのだが、なぜそうしたのかはよく覚えていない。一度は「あの『モジャ公』のアニメ化だ」と期待した作品の
行く末を見届けたい気持ちがあったのかもしれない。結局、時間帯が変わってからは録画するだけで20年間も寝かせてしまったのだが。

 このアニメ版『モジャ公』、ネットで探しても原作ファンの感想がほとんど見つからなかった(もしあったら、教えてください)。想像するに、原作ファンであって期待して観た人も、早々に視聴を中断してしまったのではなかろうか。だから、今回自分で書いたのだが、改めて振り返ると、残念な作品だったと言わざるを得ない。


 それでは、アニメ版『モジャ公』は、全くダメな作品だったのだろうか。いや、そうは思わない。
 第13話「クルクル回る禁断の星」は、自転速度4.8時間と言う極端に早く回る星を舞台にしたエピソードで、ちゃんとSFとしてきっちりとした設定のあるストーリー。個人的には、アニメ版のベストエピソードに選んでもいいと思っている。ちなみに、脚本は大倉らいた氏で、演出は現・テレビ版『ドラえもん』監督の善聡一郎氏。

 また、アニメ版『モジャ公』の残したものとして、キャラクターソングの数々を挙げておきたい。モジャ公や空夫、ドンモ、それにピテカンたちエスパーズなどの曲が、「モジャ公 キャラクター・ソング・コレクション モジャコンサート」として、CDが発売されている。これがなかなかの名曲揃いで、作曲家も本編音楽の若草恵氏をはじめとして、小林亜星氏、池毅氏、つのごうじ氏などの豪華メンバーが参加している。このキャラソンアルバムを生み出しただけでも、アニメ版『モジャ公』の存在意義はあると言っていい。


 最後になるが、個人的には原作に忠実な展開を描いたアニメ版も、観てみたかった。夕方の時間帯で子ども向けでは難しかったのかもしれないが、今なら深夜アニメという形で実現できるのではないか。全13話・1クールでちょうど原作がおさまりそうな気がする。一度目のアニメ化がダメで、リメイクした作品というのもいくつか例があるのだから、不可能ではないはずだ。ほんとうに、どこかの誰かが企画してくれないものだろうか。

 と、言うわけで、今回のエントリを終わる。
 アニメ版『モジャ公』を観た事のない人は、ぜひ自分の目で観て判断してください…と言いたいところなのだが、残念ながら『モジャ公』はまだ全話のDVD化が実現していない。どこかで再放送されない限り、観る機会がないのだ。まあ、機会があったら観てみてください。
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