
紅樹院の住職足立順道師が明治5年に京都の宇治からお茶のタネを持ち帰りこの寺の境内北東隣の畑に播種し、茶畑の開拓や技術導入が行われ、明治17年頃には茶園が広がり西尾茶の礎ができたとのことです。
地元の古老のお話では、実相院の開山聖一国師(しょういちこく)が文永8年(1271)宋から持ち帰り境内の畑に蒔いたのが西尾茶の始まりといわれています。茶業となるまでは各家庭の庭先で自家用として西尾茶は作られていたとのことです。
江戸期は藍の生産が盛んで藍屋の問屋もあったそうです。その後明治に入ると国の勧める殖産産業で生糸の輸出が盛んとなりこの地方はカイコを飼う農家が多く桑畑となっていました。生糸の輸出に陰りが見えて今日の茶業が本格化し盛んになったとのお話でした。
写真は西尾茶の原樹です。紅樹院の本堂脇に植えられています。
地元の古老のお話では、実相院の開山聖一国師(しょういちこく)が文永8年(1271)宋から持ち帰り境内の畑に蒔いたのが西尾茶の始まりといわれています。茶業となるまでは各家庭の庭先で自家用として西尾茶は作られていたとのことです。
江戸期は藍の生産が盛んで藍屋の問屋もあったそうです。その後明治に入ると国の勧める殖産産業で生糸の輸出が盛んとなりこの地方はカイコを飼う農家が多く桑畑となっていました。生糸の輸出に陰りが見えて今日の茶業が本格化し盛んになったとのお話でした。
写真は西尾茶の原樹です。紅樹院の本堂脇に植えられています。









