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日本文化史170304

2017-03-04 05:05:34 | 日記

石川の日本史文化史。2001年のCDだから、16年前だ。蘇我氏の独裁体制。四天王寺、伽藍、がらん、が建てられる。儒教は、律令として建てられる。「渡来人」。602。17条憲法、「熱く、敬え」。歴史書には書いていないが、「火」。2016年9月20日のブログを加筆修正した。火、ひ、ウィキペディアより。人類は火の使用により、照明、暖を取る、獣から身を守る、食物に火を通すなど多くの利益を得た「火」の使用により初めて人類は文明を持つ余裕を持てた。」と考える人もおり、火を文明の象徴と考える人もいる。これはギリシャ神話における「プロメーテウスの火」の話を思い起こさせる。その後も火は人間の生活の中で非常に大きな地位を占め、水の供給と共に火を起こすための燃料の確保は全ての時代において政治の基本となっている。とくに20世紀中盤以降はもっとも広く使用される燃料は石油であり、石油を産出する産油国はその生産によって莫大な利益を上げ、また石油価格の上下は世界経済に大きな影響を及ぼす。火の利用、用途、火の利用は、大きくは二つに分けられる。一つは光源であり、その炎から発する光を利用するものである。もう一つは熱源であり、燃焼による発熱を利用するものである。もっとも古い火の利用は、おそらく焚き火の形であり、これはその両方に利用された。現在でもキャンプにおける重要な事項の一つが焚き火の確保である。火の利用の始まり人類がいつごろから火を使い始めたのか、はっきりした事は解っていない。人類が突如、火起こしをはじめたとは考えにくいため、初期の火は落雷や山火事によって燃えている木の枝などを住居あるいは洞窟に持ち帰り、火種として保存していたと考える人も多い。現在、火を使用した痕跡として発見されている最古のものは、南アフリカ、スワルトクランス洞窟の160万年前、東アフリカのケニア、チェソワンジャ遺跡の140万年前、エチオピアのミドル、アワシュ、イスラエルのゲシャー、ベノット、ヤーコブ炉跡といったものがホモ、エレクトスと云われており、一説にはホモ、ハビリスまでさかのぼることができるという人もいる。また北京原人の発見地では、非常に厚い灰の層が発見されており、火を絶やさぬように燃やし続けたためではないかとの説もある。光源として、ごく初期には焚き火がそのまま光源として用いられたと思われる。その薪を持ち上げれば松明になる。その後明かりの燃料としては油が使われるようになり、ランプや行燈などは昭和初期までは現役であった。他に蝋燭も明かり用の火を作るもので、これは現在でも停電時に重宝する。現在では明かりの主力は電気であるが、蝋燭は宗教行事では多用するし、薪能のように松明の明かりの雰囲気を楽しむ例もある。生活用熱源として、火の生活用熱源としての利用には二つある。ひとつは暖房のためであり、もう一つは調理のためである。たき火は暖を取るためにも使えるが、炎が大きいとあまり近寄ることができない。むしろ炎が小さくても長くじっくり燃える小さな火が望ましい。燃えても炎が出ない炭はそのために有効だったと考えられる。さらに火を弱く長持ちさせるために灰に埋める方法がとられた。部屋全体を暖かくするような暖房には、より激しく燃える火が必要になる。しかし室内で炎が上がるのは危険なので、火を閉じこめた上で激しく燃やすためにストーブや暖炉が作られた。液体燃料や気体燃料は、それを十分安全に供給する仕組みが発達するまでは利用されなかった。現在ではむしろこちらが主力である。電気はこちらではそれほど燃料の代替をしていない。人類は、「火の発見」とその安全な使用により、「文明」を得たが、「火」を「安全に」使用できる、ごく少数の人類を除いては、すでに、「トリ」に退化しているか、滅亡している。

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