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私が受けた東大国語自由作文

2015-02-15 17:28:59 | 日記

(第2問)次の文章は、「いま、”前座”がおもしろい」という題で書かれたものである。これを読んで感じたこと、考えたことを、160字以上200字以内でしるせ。(句読点も一字として数える。)注意一、この文章の理解が前提となることはいうまでもないが、要約や説明を求めているのではない。二、採点に際しては、表記についても考慮する。”前座”が面白い。本来、この言葉は落語や講演などで真打ちの前に出演することをいうのだが、今はもっと幅広く用いられている。スポーツで前座というと、何をさすのだろうか。ぼくはスポーツのことを書くことが多いのでスタジアムにはしばしば足を運ぶ。ボクシングには、はっきりとした前座がある。その日のメーンイベントが始まる前に四回戦ボーイの試合がいくつも組まれるがふつうだ。プロ野球でいえばファームの試合が前座的だ。高校野球でいえば地区予選が、重賞レースが行われる日の競馬の前半、第5レースあたりまでは前座のにおいがある。相撲でいえば幕下の取組あたりまでが、いかにも前座らしい。その前座が面白い。みんなが何者かになろうとしていて、いまでに何者でもない。玉と石が混淆(こんこう)している。誰にも無限の可能性があるのだが、そこにいるほとんどの人間たちが、やがて何者にもなりえなかった自分を見つめつつ、いずこかへ去っていく。有限であると知りつつ、無限の可能性を夢見る。そこには妙にざらざらした存在感がある。無様(ぶざま)なパンチをくりだし、偶然あたったパンチでKO勝ち。しかしそのことにすっかり酔ってしまい、ヒーローのように振る舞う少年。彼はそれをきっかけに無謀にも、夢に向かって突進してしまうかもしれない。あるいは、自分はもうこれ以上モノになりそうにないなど諦めかけた男もいる。所詮(しょせん)、才能がなかったんだと。しかしこのルーキーに負けられないと、一瞬、目をぎらつかせる。観客のいない球場、がらんとしたスタジアム、熱気が充満する前のリングの上にも、日々ターニングポイントが用意されている。毎日、誰かが勝者になっている街、東京。路地を曲がったところでも、同じようなドラマが演じられているのかもしれない。人間のうごくところ、どこにでも前座のためのスタジアムがある。

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