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門161211

2016-12-11 00:04:56 | 日記

夏目漱石「門」を読んでいます。1910年の小説だから、106年前の小説である。105年前は、泥棒は勝手から入っていたようだ。2016年7月21日のブログより。約5か月前の記事である。都内の公立の小中学校1,389校で、通知表が配られたそうだ。クローバー。colover. 広辞苑によると、(植物)シロツメクサの別称。四つ葉のクローバーは、幸福のしるしとされる。冗談は、他人に通じないと、ただのウソだよ。服装について。女性のことは知らないが、男の場合、生き延びるだけなら、クールビズみたいな格好をして、毎日似たような服装をしていればよい。中腰(ちゅうごし)は、農作業やゴルフの姿勢でもある通り、足の力がつくので、歩くのが得意になる。106年前には、夏になると、コスモスを楽しんでいたそうだ。秋から冬にかけては、花が枯れてしまうそうだ。お米が、「相変わらず、お天気がしぐれたものだから」。私の退職日は、平成25年(2013年)10月18日である。私が退職してから、約3年経つ。「二人は、かわりがわり、火鉢、ひばちに手をかざした」。日経新聞、2016年12月10日付けを参照した。北海道は2016年10日、発達した低気圧の影響で道央地方を中心に断続的に雪が降った。札幌管区気象台によると、札幌市では午後3時、15:00に積雪が65センチを記録し、12月上旬では1987年、29年前、私が大学2年生のときの68センチ以来、29年ぶりの大雪となった。大雪の中、札幌市の時計台前を歩く観光客ら。国土交通省新千歳空港事務所によると、滑走路の除雪などのため、同空港を発着する250便以上が欠航。札幌市営の路面電車は軌道内の除雪が追い付かず、始発から終日、全面運休となった。市交通局によると、路面電車の全面運休は異例。気象台によると、2016年12月9日午後8時、20:00から2016年12月10日午後3時、15:00までの降雪量は、札幌市で54センチ、小樽市で44センチ、余市町で35センチ。JR北海道によると、小樽駅、おたるえきで電車のパンタグラフが雪に埋もれたほか、手稲駅や新札幌駅では積雪で線路のポイントが切り替わらなくなり、新千歳空港、しんちとせ、と札幌を結ぶ快速エアポートなど列車190本が運休し、約3万5千人に影響した。新千歳空港では2016年12月10日午後、乗客らが出発のカウンターに長蛇の列を作った。東京都杉並区の無職武蔵章子さん(63)は、羽田行きの便が欠航となり、2016年12月10日の便に変更。空港内で1泊するといい、「手続きの列で4時間半も待ち、疲れました」と話していたそうだ。〔共同〕。2013年9月9日のブログに、あと、ラーメン屋がすごく混んでいた、と書いてある。約3年前である。「門」、お米、「世間の広い方ねえ」、「ひまだからさ」。鳥インフルエンザ。鳥インフルエンザに感染した疑いのあるコクチョウ1羽が見つかった東山動植物園、名古屋市千種区は2016年12月10日、新たに雌のシジュウカラガン1羽が死んだと発表した。この鳥は簡易検査では陰性だったが、同園は「防疫体制強化のため」として2016年12月11日から当面の間、動物園エリアを休園する。死んだシジュウカラガンは、2016年12月10日午後4時10分ごろ、16:10頃に死んでいるのが見つかった。獣医師が同日午前に健康状態を確認した時には異常はなかったという。感染の疑いがあるコクチョウが飼育されていた池とは別の池で飼育されていた。同園は今後、休園する動物園エリアの消毒作業を進める。私が、ブログにペスト、黒死病、と書いたのは、2016年11月10日である。あれから、ちょうど1週間である。この日のブログを加筆修正する。世界史に数次の全地球規模の流行が記録されており、特に14世紀の大流行は、世界人口を4億5,000万人から3億5,000万人にまで減少させた。WHOの報告によれば、1991年、25年前以降ヒトペストは増加し 1996年の患者3,017人(うち死亡205人)、1997年、19年前には患者5,419人、うち死亡274人)、であった。1347年、669年前、東ローマ帝国、ビザンツ帝国の首都コンスタンティノープルから地中海各地に広がったペストの流行は、マルセイユ、ヴェネツィアに上陸、1348年、1年後にはアヴィニヨン、1347年4月にはフィレンツェ、1347年11月にロンドン、翌年には北欧からポーランドに、1351年、4年後にはロシアに達した。ペストの大流行の発生源は解っていないが、ペスト菌を媒介するノミがクマネズミから人間に移り、伝染させるのだが、クマネズミはもともとヨーロッパにいなかったものが、十字軍の船にまぎれ込んで西アジアからヨーロッパに移り住んできたのだという。発病すると最後は体中に黒い斑点が出来て死んでいくので「黒死病、black death」と言われた。このときのフィレンツェにおける流行の様子は、ボッカチォの「デカメロン」にくわしく描かれている。またこのころ、ヨーロッパ各地の教会や墓所には「死の舞踏」と言われる壁画が造られた。当時のヨーロッパは百年戦争の最中であり、英仏両国にも伝染し、戦局に大きな影響を与え、1358年、11年後のフランスのジャックリーの乱、1381年、34年後のイギリスのワットタイラーの乱という農民反乱の背景ともなった。しかし、黒死病の大流行による人口の激減は、生き残った農民の待遇を良くすることとなり、農奴解放がさらに進むこととなる。またそのような社会変動の中から、人間性の解放を求めてルネサンスといわれる文芸や美術での動きが活発となっていた。黒死病の死者数、大流行は1370年、23後ごろまで続いたが、ヨーロッパ全体での犠牲者は、総人口の3分の1とか4分の1と言われているが、正確な数字は不明である。ある説によると、当時のヨーロッパの総人口約1億として、死者は2500万程度と推定されている。このペストについては、当時の人々は流行の原因がわからず、一部ではユダヤ人が井戸に毒をまいたからだ、などという噂からユダヤ人に対する虐殺が起こったりした。   (引用) 「さて、神の子の降誕から歳月が千三百四十八年目に達したころ、イタリアのすべての都市の中ですぐれて最も美しい有名なフィレンツェの町に恐ろしい悪疫が流行しました。それは天体の影響に因るものか、或いは私どもの悪行のために神の正しい怒りが人間の上に罰として下されたものか、いずれにせよ、事の起こりは数年前東方諸国に始まって、無数の聖霊を滅ぼした後、休止することなく、次から次へと蔓延して、禍いなことには、西方の国へも伝染してきたものでございました。 それに対しては、あらゆる人間の知恵や見通しも役立たず、そのために指命された役人たちが町から多くの汚物を掃除したり、すべての病人の町に入るのを禁止したり、保健のため各種の予防法が講じられたりいたしましても、或いは、信心ぶかい人たちが恭々しく幾度も神に祈りを捧げても、行列を作ったり何かして、いろいろ手段が尽くされても、少しも役に立たず、上述の春も初めごろになりますと、この疫病は不思議な徴候で恐ろしく猖獗になってきました。」、ボッカチオ、「デカメロン」、「デカメロン」はボッカチォが1348ー53年、ペストの発生から1年後-6年後の間に書いた物語集で、「十日物語」とも言われる。ペストの流行から逃れてある邸宅にひきこもったフィレンツェの10人の男女が10日間にわたり、1夜にそれぞれが1話ずつ退屈しのぎの話をする形式をとっている。14世紀の中ごろ、イスラーム圏のエジプトを中心としたマムルーク朝にもペストが広がり、人口が減少し、その国力が衰えるきっかけとなった。また16世紀にはヨーロッパからラテンアメリ以下に持ち込まれ、インディオの減少の一因となった。14世紀の大流行の後には、17世紀にヨーロッパ全域で大流行している。特に1665年のロンドンで大流行し、「ロビンソン=クルーソー」で有名なイギリスの作家デフォーが「疫病流行記」という記録を残している。ペストの最後の大流行は19世紀末に起こった。このときは中国から始まり、アジアで急激に広がり日本にも伝わった。しかし、1894年、122年前、流行の中心地香港に派遣された北里柴三郎がペスト菌を発見し、ノミがネズミから病原菌を人間に伝染させることが判明した。この流行は1910年代、発生から16年後くらいに収束したが、このときの北アフリカ、アルジェリアにおける流行を題材としたのが、アルベールカミユの「ペスト」である。(感想)中世のペストは、世界の人口を77%減少させたそうだが、もしかしたら、今年の鳥インフルエンザも、世界の人口を現減少させるかもしれない。


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