| さよなら絶望先生 1~最新巻(少年マガジンコミックス) [マーケットプレイス コミックセット]久米田 康治講談社このアイテムの詳細を見る |
以下Wikipediaより〜
『さよなら絶望先生』は、久米田康治による日本のギャグ漫画。『週刊少年マガジン』(講談社)にて、2005年22・23合併号から連載中。通称「絶望先生」。単行本は2010年7月時点、第二一集(21巻)まで発刊中。
2007年(平成19年)度(第31回)講談社漫画賞少年部門受賞。2007年にアニメ化され、平成20年度(第12回)文化庁メディア芸術祭アニメーション部門審査委員会推薦作品となっている。
始まりの季節、春。希望に胸を膨らませた「何事もポジティブにしかとれない少女」風浦可符香は、桜の木で首をくくる「何事もネガティブにしかとれない男」糸色望と出会う。出会ってはいけない2人だったが、望は可符香の高校の新しい担任の先生だった。
望が受け持つ2のへ組は、望や可符香に負けず劣らず癖の強い問題な生徒ばかり。レトロ調の世界の中、些細なことで「絶望した!」と嘆く望と、へ組の生徒達が、日々騒動を巻き起こす。
ほぼ一話完結式。特定のキーワードや事柄に焦点を当て、時事ネタ・あるあるネタ・自虐ネタ・メタギャグなどを展開する。伏字や羅列も多用し、分かる人には分かる小ネタやパロディを盛り込む。純粋なギャグ漫画というよりは、ストーリーギャグ・ブラックコメディ・学園コメディの形式を取ったツッコミ系コラムといえよう。
風刺や自虐を中心とする作風は前作『かってに改蔵』から続くもので、主人公の口癖「絶望した!」も元は前作のメイン・ヒロイン名取羽美の台詞である。「ズガンボン」「どよんど」「にょんたか」「ぶんばぶんば」「めるめる」など独特の音喩の多用、ページ4段ブチ抜き画法(大胆にコマをぶち抜いてキャラを描く手法)、キャラクター特性なども前作から続くものである。しかし、前作に比べると強烈な毒気のあるネタ(特に漫画家いじりや下ネタ)は抑え気味であるほか、個性の強い女子生徒キャラが増えて萌え漫画の要素が強まっている。
本作独自の特徴は、現代社会と近代文学風のレトロ調とが混在する作品世界である。「昭和」の年号が続く現代日本という設定で、背景描写や文化描写はもちろん、主人公の設定に太宰治の影響が見られたり、サブタイトルが概ね近現代文学作品の題名や一節のパロディだったり、タイトルなどで昭和モダン体が多用されたりするほか、主な舞台も「東京府小石川区」となっている(講談社所在地が旧小石川区に当たる)。
『朝日新聞』や『週刊文春』、『SPA!』、『読売新聞』などで作風が紹介されたことがある。また菊池聡の著書『「自分だまし」の心理学』で本作が取り上げられている。
『マガジンドラゴン』創刊号に本作の番外編『夜間きよ飛行』(後日記では『きよ彦の夜』とされる)が掲載された。また第2号では表紙を飾り、番外編『楽天大賞』が掲載された。
日本国外への展開としては、現在台湾・韓国・アメリカ・フランスで講談社の許諾のもと翻訳出版されている。台湾では東立出版社が繁体字中国語版を『絕望先生』のタイトルで14巻まで刊行(2008年9月現在)。また『新少年快報』誌上で2008年1号(2007年12月7日発刊)から連載中である(百一話からスタート)。韓国では鶴山文化社が韓国語版を『안녕, 절망선생』のタイトルで13巻まで刊行(2008年5月現在)。アメリカではデル・レイ・ブックスが英語版を『Sayonara, Zetsubou-Sensei』のタイトルで1巻まで刊行(2009年4月現在)。フランスではピカ・エディションがフランス語版を『Sayonara Monsieur Désespoir』のタイトルで1巻まで刊行。日本版とは、カバーが和紙風でなかったり、本のサイズが変わっていたりするほか、日本独特の事物やネタについての注釈がつく。非公式ではあるが、タイでもVibulkij社によってタイ語版が出版されている模様である。
主人公の糸色望は『マガジン』での『さよなら絶望先生』の連載前に、久米田の代弁者として安彦良和の『王道の狗』の白泉社版(2005年2月28日刊行)の帯に「絶望した」というフレーズとともに登場している。
著者について〜
久米田 康治(くめた こうじ、1967年9月5日- )は、日本の漫画家。神奈川県出身。和光大学人文学部芸術学科卒業。代表作は、『行け!!南国アイスホッケー部』、『かってに改蔵』、『さよなら絶望先生』など。
2007年6月21日に行われた講談社漫画賞少年部門受賞パーティーの2次会は、本人の生前葬という形で行われた。生前葬を行った理由の1つとして、「今まで縁のなかったアニメ化や賞受賞など幸運が続いたので、逆に不運が訪れそう」と厄払いの意味合いがあったと『絶望先生』第九集巻末やインタビューにて語っている。また授賞式の2次会を有名な漫画家と顔を合わさずに乗り切るという意味合いもあったらしい。
生前葬は「千の風になって」をBGMに、入棺、焼香、『週刊少年マガジン』編集長と『週刊少年サンデー』編集長による別れの辞、出棺等まであるかなり本格的な生前葬となり、賞金以上の出費となったと記している(同賞の2次会は賞金により行うのが慣例となっている)。戒名は「漫画院暗闇之助」。生前葬は終始笑いに包まれていたようで、その様子が参加した複数の漫画家のブログにて語られている。また西本英雄『もう、しませんから。』においてもレポートが書かれている。
『絶望先生』第十三集巻末によると、ウィキペディアの「生前葬」の「生前葬を行った主な有名人」の項目に自分の名前が載っていることから、漫画家であることがばれたり生前葬がらみの仕事の依頼が入ったりしたという。「Wikipedia、恐るべしでございます。」「漫画に興味はないのに、生前葬には興味のある人たちばかりなんですね。」などと記している。
『太陽の戦士ポカポカ』を境に『南国アイスホッケー部』と『かってに改蔵』以降とでは作風がやや異なっている。
『南国』は下ネタを重視したギャグマンガで、あらゆる話題を下ネタに結びつけ読者の笑いを誘うというものだった。ただし断片的にではあるが、この頃から「社会風刺」「作家いじり」といったネタも盛り込まれている。
その後、『ポカポカ』で「あるテーマを取り上げ、そこからネタを広げる」という形式が模索され、『改蔵』中盤で「毎回1つのテーマに沿って、皮肉や社会風刺などを交えながら考察を行う」という『さよなら絶望先生』に続く形式が確立した。インタビューでは「嫌なことから連想してネタを作っていく、嫌なことはいくらでもあるから」とも語っている。逆に『改蔵』中盤からは下ネタの頻度が減少し、『絶望先生』ではほとんど下ネタは見られなくなる(『絶望先生』で下ネタをする際には、その度ごとにキャラクターが「下品です!」などと言っている)。その代わりアニメ・漫画・映画などマニアックなネタの割合が増えた(ただし漫画家になる前は特にこの方面の知識は詳しくはなかったとも語っている。)。
デビュー以来長く続いた小学館との関係を解消して講談社に移籍し『さよなら絶望先生』の連載を開始したが、作中や単行本巻末の紙ブログで『少年サンデー』時代の冷遇や暴露、恨み節をネタにしている。声優オタクで恩知らずな元アシ(畑健二郎)ネタ、同じく講談社に移籍した雷句誠の『金色のガッシュ』原画紛失訴訟ネタ、『サンデー』と『マガジン』のタイアップによる江戸川コナンと金田一一競演時の暴露ネタなど、主に小学館に纏わる批判ネタが多い。
連載作品
行け!!南国アイスホッケー部(1991年-1996年 週刊少年サンデー、全23巻)
√P ルートパラダイス(1993年-1994年 ヤングサンデー、全2巻)
育ってダーリン!!(1995年-1996年 週刊少年サンデー超増刊/2001年(完結篇) 週刊少年サンデー、全1巻、新装版全2巻)
太陽の戦士ポカポカ(1996年-1997年 週刊少年サンデー、全5巻)
かってに改蔵(1998年-2004年 週刊少年サンデー、全26巻)
さよなら絶望先生(2005年- 週刊少年マガジン連載中)
じょしらく(2009年- 別冊少年マガジン連載中、原作担当、作画:ヤス)
読み切り
地上げにスマッシュ(サンデーまんがカレッジ努力賞-未発表)
アシという名のもとに(1992年9月増刊号 週刊少年サンデー増刊、原案:黒沢哲哉)
だんな様は小学生!!(1994年 週刊少年サンデー増刊号)
幽良物件仲介します(1996年 週刊ヤングサンデー)
いいがかり姉さん(2005年 ヤングガンガン)
特に負けても構わない戦いがそこにはある〜サレジオ落穂によろしく(仮題)〜(2005年 週刊ヤングサンデー)
きよ彦の夜(掲載時タイトル:夜間きよ飛行)(2007年 マガジンドラゴン創刊号、さよなら絶望先生 出張版)
ガラスの仮面 トリビュート・ショート 「トリビュート失格 〜呼ばれてすいません〜」(2008年 別冊花とゆめ12月号 )









