ピットブルのハヤコ

ハヤコとかあさん

横着病

2015-04-30 | かあさん

ここ、2か月ほど前から、自分で気が付いていることがある。

私を根本的に作っている「横着」が、私を形成する頃合いを過ぎて、病として発病している。

 

理由は全く分からない、とにかく、できるだけハヤコと散歩にいかず、ハヤコと家にいる。

なんなんだろうか、これは。

 

とうさんが家にいる時は、当たり前のようにとうさんに散歩をお願いし、とうさんがいない時、私は、ハヤコと家にいる。

 

なんなんだろうか、いったい、この私の不可思議な病は、いつ終息するのだろうか。

 

今日も、シゴトから帰ってハヤコに言う、「今日どうする?お家にいようよ、かあさんおうちにいたい、今日さ、雨こんこんだったねぇ、雨こんこんだったからおうちにいようよ、ね。」

天気予報になかった雨が、今日は朝急に降り出した、昼過ぎまで空気はしっとり。でも、夕方には雨はすっかりあがっている、それなのに、雨を理由に散歩にいくのはよそうと、ハヤコに言う。

そんな横着病に侵されている私に、ハヤコは、どうしてか、散歩に行きたいと駄々をこねない。

だけど、ひとつだけ、どうしても、私に駄々をこねることがある、これは、ハヤコ、毎日毎日ちっとも飽きない、「おいかけっこ」という遊び。

私は、家の中で、ハヤコと追いかけっこして遊ぶ。

 

ハヤコとの追いかけっこは、本当に疲れる、真剣勝負しないと、ハヤコは満足にならない、いんやいんやー、真剣勝負しないと私の勝率がかなりゼロに近くなる。

とてもとても、ワンパターンな追いかけっこなのだが、これがそうそうハヤコに勝てぬ。

 

ハヤコ、私の横着病をも寄せ付けない、追いかけっこ病を、私に押し付ける。

 

私は、ハヤコに、やっぱり勝てぬ。


デイキャンプ

2015-04-27 | かあさん

昨日、デイキャンプっていうのを、初めてした。

 

そもそも、私は、キャンプなんて、わざわざしたいタイプでない。

道具は用意しないといけないし、もちろん片づけもしないといけないし、それに、だいたい、何が楽しくて外で手間暇かけて簡易食事を摂るのか、いちいちに面倒で効率も悪く、キャンプなんて、この何十年もしたいと思ったことがなかった。

 

だけど、昨日、デイキャンプ、暇だからって、ウキウキ道具用意して、ハヤコととうさんとわざわざキャンプしたんだよ。

道具って言ったって、ホームセンターで売ってる安いキャンプ用品少しと、あとは家にあるものを寄せ集めて、レッツゴー。

オートキャンプってのをしたんだ、オートキャンプって、車が横づけできるのと、なにより、区画が分かれているからハヤコ連れてても気がラクだと思って。

フリーサイトだと必要最小限のスペースを各自で陣取るのだと思うので、ハヤコのスペースまではそう理解してもらえないし、「すみません、すみません」って言葉、オンパレードしないといけないかもしれないって思って。

 

だけれども、昨日は、まだシーズン始まったばかりのせいか??あんまり、いや、かなり人がいなくて、あはは、楽ちん楽ちんだったよ、フリーサイトでもよかったのではないかと思うくらい。

アウトドアをろくに知らない私ととうさん、ハヤコがいるからこそ、キャンプなんてしてみて、結構、楽しんだよ。

だけれども、なんでかハヤコも私もとうさんも、結構、疲れて帰ったんだ。

慣れないことすると、疲れるよ。

でもでも、キャンプも、たのしいものだったよ。

これも、ハヤコがくれた世界。


許容

2015-04-23 | かあさん

ちょくちょく、自分の性分を書くが、私はとても横着者だ。

だいたいが、面倒くさいことが大嫌いなのだ。

その、面倒くさいというのは、あくまで私が面倒くさいと思うことに対してなので、他の人からすると、大して面倒なことではないかもしれない。

 

そういうのと、似たように、いや、逆さにしたように、もしかして、私がちっとも面倒だとか困ったとか疲れるとか思っていないハヤコとの生活って、他の人からすると、面倒で仕方ない人もいるだろうなと、ちょっと思う。

それと、ちょっと似てるのだけど、私は、ピットのハヤコにあまり困らない、ピットという冠を除いても、あまり困らない、だけれども、私でない人間が飼い主になったら、困っているかもしれない。

 

許容というのか、私はハヤコといて、可愛くてしかたなくて、ハヤコの強情さえも「まあいいか」と、ハヤコに従うことはよくある。

散歩だって、ハヤコがこっち行きたいと主張するから、「ハイよ」と、ついて行ったりする。

おやつだって、ハヤコがまだ欲しいとせがむから、「これで最後だよ」と、2回も3回も繰り返してみたりする。

シャンプーなんて、ハヤコはキライだから、なっかなかお風呂場に来ないし。

 

私は、「まったくもう~」と口を尖らせながら、頬は笑い、ハヤコと日々暮らす。

 

だけれども、「型」にハマり過ぎて犬を形にしか見えない人には、もしかすると、ハヤコは問題行動犬かも知れないなぁ。

ハヤコはとても強情だもの。

「犬」を操ると言う概念が、私は、どこか飼主にはあると思うんだ、私もそれは多少はあるし、全くなければ犬に操られて奮闘していること、然り。

それでも、「型」だけでなく、そのコと暮らせば、十色な笑いがあって、楽しいぞ。

横着者の私には、ハヤコと暮らすことが、ちっとも面倒なことではないのだ。

それは、ただただ、ハヤコが可愛くて仕方がないからなんだ。


ショット

2015-04-22 | かあさん

とうさんが撮ったショット。

ハヤコは、いつもの、ファンヒーターの前。

春だというのに、ハヤコは、ヒーターの前で、くつろぐ。

とうさんが撮ったハヤコは、どこか品がなくて痛々しさがあるような。そう、感じるのは、なぜか。


2015-04-20 | かあさん

昨日、誘ってい頂いた譲渡会で、私は写真を撮っていた。

せめてもの、私ができるお手伝いと思えば、嬉しくもなる、写真撮影。

しかし、私が撮るだけだ、なかなか、うまい具合に撮れないし、同じ人間である私が撮っているのだから、アングルや好む距離感もほとんど一緒で、一言でいえば「変り映えのない」ものばかり撮れる。

 

そんな中、とうさんにカメラを預けてた時、とうさんが私とハヤコを数枚撮っていた。

昨日の記事にも載せた写真を併せて、その数枚を載せる。

私は、今日、この数枚を、何度か繰り返し見た。

それは、あんまりに、ハヤコが、私の顔ばかり、甘えた目で見ているからだ。

私は、その時、ハヤコの視線を、写真越しでなく、まんま、目の前で見ているというのに。

 

ハヤコはどうしてこんなに甘えてくれているのだろうかと、とてもとても客観的に考える端っこに、とても自分が幸せな飼主だということにも、考えが及んでくる。

 

ハヤコが見ている先の私の顔は、とても不細工だというのに、ハヤコは、私を見たくて私ばかり見ている。

 

とうさんが撮る写真には、よく、驚かされる。

自分の目では、自分の目の前のハヤコしか見えないのだから、その時の自分たちの姿など、見えるはずもない、自分が見ている視界とは全然違うのだ。

 

かあさん、自分で言うのもおかしいんだが、そして悲しいのかもしれないけれど、私は、ハヤコに、自分というものを一番遠慮なく見せているから、ハヤコには心が開いているから、でも、人間だからちょっと格好つけちゃったりしてて、かあさんだし、でもね、ハヤコのこんな姿をとうさんの撮る目線から知る、そして、どこか他人のことのように、思う。

 

私も、ハヤコに負けないくらい、幸せな飼い主だよ。


二度目の譲渡会

2015-04-19 | かあさん

ありがたいことに、LolaPeetさんからお誘いいただきまして、私としては二度目の譲渡会に参加させていただいた。

譲渡会、本来、悲しい側面のある犬たちが主役の譲渡会、それにありがたいというと違和感があるかもしれないが、でも、私は、そういう自分では知ることのない世界を、端っこでも知るきっかけをいただいている、それは、私にとって、そしてハヤコにとってとてもありがたいことなのだ。

今日、譲渡会に参加していたワンコたち、驚くのは多くにいいコばかり。

ハヤコみたいな知らないワンコがきても、ひどく怯え吠えるわけでもなく、威嚇するでもなく、驚くほど、距離感を持っている、すごいコたちばかり。

だのに、譲渡会とは・・・・、私は深い事情は知らないから、ただの想像だけれども。

おいたちはきっと悲しいかもしれないが、だからこそ運がある、保護された先で、愛情もって、保護されている、暮らしている、でないと、こんな目にならないよと。心が少し動く。

さあて、そういう事情を知ってか知らずか、ハヤコは、とても、楽しそうにしていた。

ハヤコは、みんなの気の良さに、調子乗って、ウキウキウキウキ。

結構、場違いなくらい、能天気炸裂するハヤコ、かあさんはハヤコが間違えて持って帰られないか心配したよ。

ハヤコが声かけたのか、それとも声かけられたのか、ハヤコはたくさんの人に撫でていただいていて、少し離れていた私が聞こえ感じたたこと。

数人、ハヤコも譲渡会でエントリーしてるコなのかと思われたようで、「こんな人懐っこいコが?」と言わんばかりの驚きを発していた、だから、私は思ったんだ、やっぱり、愛想、愛嬌というのは、ビジュアル、スタイルよりもに勝る、持てそうで簡単に持てない、羨むべき能力だと。

 

譲渡会にエントリーされる子は、悲しい側面がある、そんな能天気なコはそうそういないと思う、だって、能天気になれるほど、身の保証がないんだ。

そんなことは、犬自身が、とっくに感じ取っている。

 

誰もが、願うだろう、いい縁がありますように。

私も、それを願うだけでしかない力。

せめてもの、犬たちの幸せを願わせてもらいたい、それだけしかできないことに、謝罪。


真実はハヤコの頭の中

2015-04-16 | かあさん

ここ数日、ハヤコは散歩に行くことができなかった。雨だったり、私が早くに帰ることができなかったり。

今日も私は早くに家に帰れなかった、しかし、今日は数日ぶりにとうさんが帰ってきていて、ハヤコは数日ぶりの散歩ができた。

少し遅くに帰った私に、とうさんが、散歩の話をしてくれる。

とうさんの話は、「ほんまかいな?」と、つい、疑いたくなるが、「でも、ハヤコだしな」と、納得してしまうところもある。

 

とうさんが言うには、「ハヤコは最近エブリーを見分けられるようになっちょる」らしい。

 

我が家のハヤ号である車、黒色のエブリーワゴン、ハヤコは自分の車であること、そして、私やとうさんが乗っている車だと認識している。

とうさんがハヤコと散歩をしていて困ることは、ハヤ号であるエブリーワゴンに似た、黒い軽ワゴンが近くを通るとその車にかあさんが乗ってるのではないかと追いかけそうになることだそうだ。

 

その追いかける軽ワゴン、とうさんが言うにはだが、以前は黒い軽ワゴンだったら追いかけようとしていたが、最近はエブリーワゴンの時だけに追いかけようとするとのこと。

だから、「エブリーを見分けられるようになっちょる」らしい。

 

ほんまかいな。

真実は、そう、ハヤコの頭の中に、なり。


自堕落と自堕落

2015-04-13 | かあさん

我が家の自堕落さを恥ずかしながら。

昨日のお休み、私はハヤコのハウスで薄い布団を被ってテレビを見ながら寝ていた、ハヤコと一緒に。

本日そのままの、ハヤコのハウス。

ハヤコは、自堕落を嫌わない。

ハヤコは、自堕落を当たり前と思っている。

 

自分が見えている、見ている日常は、狭い世界で、不思議と、明るいのだ。


おむかえ

2015-04-11 | ハヤコ

あのね、かあさんね、アタシととうさんをおいてね、くるまでどっかいっちゃったの。

アタシね、こまるの、かあさん、なんでおいてくのかね、こまるの、いやなの。

そういうことね、たまにね、あるんだよ。アタシね、どうしたらいいだろ。

 

とうさんはね、かあさんのくるまがみえなくなるまでさ、アタシのからだずっともっててさ、もうかあさんおいかけないよ、だって、とうさんがいるんでしょ。

 

アタシはね、とうさんとさんぽしたんだ、しらないとこ。

とうさんね、アタシがこっちにいきたいってひっぱたらね、ついてきてくれたよ、アタシね、うれしかったんだ。

 

アタシね、とうさんとあるいたんだ。

しばらくしたらね、かあさんのこえがきこえてね、うふふ、かあさんにあったんだよ。

 

かあさんはね、「はちゃんむかえにきてくれたかー、あつかったやろ?みみのんだか?とうさんみみのませてくれたか??はちゃんきてくれたねー」って、わらってたよ、かあさんね、きょうしゅうじょにね、いってたんだって、アタシね、なんどかいっしょにいったよ、きょうしゅうじょ。

かあさんね、きょうしゅうじょキライみたいだよ。だってね、きょうしゅうじょってところではね、いつもこまってるんだよ、かあさん。

なんでかあさんこまってるんだろうね?

アタシはね、かあさんがどうしてこまってるかわからないんだけどね、かあさんについていってね、まってるんだ。それにね、とうさんがいっしょだったらむかえにだっていけるよ。

 


ピットブルという犬種について 何回かの19

2015-04-10 | ピットブルという犬種について

このタイトルで、何かを書くことが、しばらくなかった。

それは、わざわざ書くほど、何かがなかったわけでなくて、何かに、私がそんなに驚かなくなったのかもしれない。

 

ハヤコというピットブルに、慣れてしまっている、だから、あまり、驚くことが少なくなっている。

 

それでも、たまにはこのタイトルで書きたくなって、書く。

少し前、ばあちゃんと墓参りに行ったときのこと、そこそこに広さのある墓所で、他の家族の墓参り姿が見えた、おじさんとおばさん。

どうやらおじさんとおばさんは犬好きのようだった、ハヤコに笑顔を向ける。

そして、ハヤコの犬種を私に聞く、「ラブラドールレトリバーか?」と疑いながら。

私は、ハヤコを、「ピットブル」だと答える。

 

おじさんは、少し目を剥く、「犬じゃない犬じゃ」と。

ピットブルが危険だと知識を持っている顔だ。

 

だが、おじさんは、ハヤコのあまりの強烈な熱視線にすぐに負け、「かわいいのぅ」と、笑っている。

 

ハヤコは、自分が好奇の目で見られたことなど、どうでもいい、相手にしてくれるなら、どうにかしてお近づきになりたい、笑顔をおじさんとおばさんに向ける。

 

ハヤコは、おじさんの警戒を笑顔で撃破する、私はハヤコがそういう力を持っていることは知っている。

いつでもハヤコは、笑顔と好意の押し付けで、警戒する相手のちょっとした隙を突く。

 

私は、よくピットブルであるハヤコのことを「不憫な犬だ」と思うことはあるが、それと同じくらい、ハヤコの姿勢は、見習うべきだとも思う。

ハヤコは、誰もかれも疑わず、人に近寄る、人を許す、人を好む、それは、相手との和をつなぐきっかけになっている。

 

頭が悪いようで、ちっとも頭が悪いのでない、頭がいいからこそ、ハヤコは、笑顔で人間に接する。