ピットブルのハヤコ

ハヤコとかあさん

「こうでないと」

2016-09-20 | かあさん

少し遠くを台風が通っていく。

それに合わせて、私の大好きなザワザワした風が吹く、空を見上げれば、低い低い位置で、薄暗い雲が一面流れている。

 

季節が、変わるはず。あつい、つらい夏は、もう帰ってこないはず。

 

ハヤコを連れて、真夏に行っていた近くの山の上の公園、もしかしたら、しばらくいかないかもしれないと思いながら、ハヤコを車に乗せ走り登る。

山の上の公園への坂道の色が、違う。

時間帯は、私がシゴトから帰ってからの、ほぼ一緒だ、だけど、季節が行くから、坂道の色まで違う、この間まで、ギラギラしてた路面が、暗いぜ。

 

そして、ハヤコも違う。

この間まで、重い体を動かす力がないのかと、もう歳をとってしまったからなのかと、心配してしまうほど、体力の衰えを考えざるを得ないほど、足取りは重く遅く、ハヤコの寿命を妙に身近に感じてしまいそうだった。

しかし、昨日から気温が、確実に下がった、そして今日のハヤコは、家を出た時から、跳ねた、重い体を、階段と畑の法とを軽やかに行き来させながら下る、そして、山の上の公園につくと、鹿か馬かのごとく、地面に足をロクに着けずに跳ね歩く。

そしてそして、ハヤコは、誰もいない草の生えた広場で、お得意のドカ走りを始めた。

 

その姿は、それまでの鹿か馬とは全く違って、重い鉄球が低く跳ねるように、もしくは重戦車が高速で走るかのように、重厚感しかない走りだ。

とにかく、重いんだ。

 

その姿、眺めた私は、心の深いどこかで、喜んだ。

ハヤコは、「こうでないと」、と。

寒い季節に向かう、ハヤコの季節がやってくる。

コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加

魂レベルの洗脳

2016-09-15 | かあさん

広島カープがセントラルリーグ優勝した。

優勝を決めたのは数日前のトーキョードームで。そこはなんともうれしいながら地元マツダスタジアムでなかったことの悔しさも大きく混じった感覚で、テレビを見ていた。

 

そして今日、凱旋、マツダスタジアムでゲーム。

地元広島のテレビでは、「25年ぶりの優勝セレモニー」と題打って、ゲーム終了後の優勝報告を放送してくれている。

 

私は、激熱、熱烈、コアなカープファンではないが、そこそこのカープファンである。

野球の詳しいことは、そんなに語れない。

そう、自分はそこそこのカープファンと思っていながら、テレビではカープが流れている。

いつも試合中継、とうさんみたいにガッツリ一球一球を見入ったりはしないが、BGMのように流れる。

 

だがね、野球に詳しいとか詳しくないとかどーでもいい感覚で、カープの優勝、カープの選手が楽しそうにしている姿は、なぜか自然と、一緒になって誇らしい気持ちになるのだ。

ちょっと目に涙が溜まっちゃうよ。

私は広島生まれで、小さい頃からフツーにカープがカープだった。

負けても負けても、カープだったし、それがカープだったし、負けても負けても、カープ以外を応援することはない。

 

不思議だ。

もうこれは、魂レベルの洗脳だと、自分で思っている。物心つかぬうちから、カープがあたりまえなのだ。もう、洗脳でしかない。

だから、カープが優勝するのは、あははー、とっても楽しい気持ちになるね。

コメント (12)
この記事をはてなブックマークに追加

ピットブルという犬種について 何回かの21

2016-09-05 | ピットブルという犬種について

このタイトル、しばらくしばらく、書く気になることがなかった。かといって、今どうしても書きたい、特筆することがあるのではない。

しかし、長い間書いてないので、わざわざ書いてみようと、ちょとそういう気になった。

 

このタイトル、私がブログを始めた5年ほど前、ハヤコが1歳の頃から3年ほどは、折り折りに書いていた。今もハヤコの犬種である「ピットブル」ってのを全て知っている訳でないけれど、5年ほど前は、もっと知らなかった。それ故に、感じることがあった。それを書いていた、ピットブルであることの不憫さを。

 

今、ハヤコが受けている不憫さを、私はあんまり不憫だと感じなくなっている。明らかに、私が慣れているからだ。驚くのが面倒くさい。

 

だが、そう言いながら、折々に、ハヤコの犬種であるピットブルが、前面に出てくることがあって、印象強く、その場面を思い出の一つにしてくれている。

 

少し前では、ド真夏に、島根県の日御碕へハヤコを連れ寄った時のこと、あの日は、ばあちゃんと私とハヤコだけ。

ばあちゃんのご要望により、日御碕へと寄り、ずっと車で待っていたハヤコを少しくらい歩かせようと思った、真夏の無謀。

 

冷房の効いた車から連れ出したはいいが、灼熱にロクに歩かぬハヤコを、車まで連れ帰るのが大変だった中、土産物屋で、かき氷をいただいて休息していた時のこと。

 

例によって声をかけられる。

「何犬ですか?」

 

この質問は、よくある。

見たことのない姿の犬に興味を持った場合、もしくは、ピットブルという犬種を知ってはいるがこれがピットブルではないかと確信をしたい場合。

 

この日は、後者、ハヤコをピットブルという犬種だと確信したかったようだ。

 

私はいつものように答える、「あー、ピットブルっていうんですよ」と。

そして、またいつものように、私が答えた犬種に納得のいった息を漏らし、またいつものように、びっくりして去る、「おとなしい」と。

 

私は、そこで思う。

たしかに、ハヤコは大人しい。

そして、やさしい。

 

ただ、その大人しさとやさしさの土台には、とんでもない大馬鹿力が潜んでいることを、どこまで伝える必要があるかと、ちょっと短い間に考えてしまう。

しかし、そこらへんは、行きずりの会話だ、声をかけてくださった方の想像力に任せる。

興味は、そんなところでないことは何となく感じるし、私が知っているピットブルの怪力とやさしさのアンバランスさを、そんな簡単に理解ができるわけがないとも少し感じるし、そこらへんが、ただただ不憫と感じていた5年ほど前とは、私が変わってきたところなのかもしれないと、思う、今。

 

コメント (12)
この記事をはてなブックマークに追加

季節とやる気

2016-09-04 | かあさん

私は、暑さにとても弱い。

その弱さが、日々の生活、一秒一秒を、自分の意思とは違うところで、結局私の生活を支配している。

暑いと、全くやる気が出ない、「暑い、暑い」と口にするばかりで、私の夏は、とても生産性の低い季節。

ハヤコの写真を撮ることさえも、その気にならないほどの、夏。

 

夏が過ぎる、はよ過ぎてくれ。

 

もう少ししたら、ハヤコを撮ろうと、やたらめったらレンズを向けるのか、この夏のやる気のなさがどうなるのか、自分で観察対象だ。

まだ、暑さはどこかしら残っている今日、冷房を効かせた部屋で、ちょっとだけハヤコを撮ってみようと思った。

暑いけれど、そんな気分になった私だ、暑いけれど、ちょっぴりの秋が、私を、ちょっぴり動かしているんだろうね。

 

コメント (2)
この記事をはてなブックマークに追加

引き合い

2016-09-01 | かあさん

数日前、とうさんのお友達が我が家へ遊びに来てくれた。

お客様が大好きなハヤコだ、ウキウキして自分も輪に加わる気満々。

 

お客様には、小さなかわいいおんなのコもいて、ハヤコは時に、ハヤコの存在のみでキャーキャーさわがれる。

ハヤコも、まんざらでない様子で、目をキラキラさせている。

 

そして、気がつけば、あんまり可愛らしいコたちの姿に、カメラを急いで向けたよ。

ハヤコのぬいぐるみを、なんでか引き合っていたコたち。

引き合いは、どっちが勝ったというべきか、よくわからんね。

コメント (8)
この記事をはてなブックマークに追加

蜘蛛の巣柄

2016-08-28 | かあさん

さて、3週間ほど前の、川遊びに行った時の、些細な出来事を。

この日、夏真っ盛りで、川に到着するなり、我が家の黒い軽自動車、我が家通称「ハヤ号」にアブがやたら目ったら集まってきた。

ブンブンというのかビービーというのか、アブの飛ぶ音をどう表すのがいいのかわからないくらい、常に4~8匹ほど車に向かってくる。

 

私もとうさんもとりあえずその状況にうっとおしく警戒するが、ハヤコは私たち以上の反応で、アブを捕まえようとする。

普段でも蜂やハエになぜか敵意を向けるハヤコだ、アブに対しても一緒で、開いたドアや窓からハヤ号に入ったり出たりするアブを、ものすごい勢いで追いかける。

アブに躍らされて、車に出たり入ったり、車の中を前から後ろへと、重たくでかい鉄球みたいなのが高速で跳ねる、ハヤ号が揺れるほど。

でも、そんなハヤコを放置していた私ととうさん。

車の外と中を行き来してある意味暴れているハヤコが、車のフロントガラスの内側に留まったアブをやっつけようとした時だろう、たしかあのときは、後ろの荷台からビョーンと一気に運転席まで飛んでって、いつも蜂をやっつけるのと同じに歯で噛んでやろうとした時だろう。

私ととうさんが気がついたハヤ号のフロントガラスには、蜘蛛の巣の柄ができていた。

 

うーん、と頭をひねってしまった私ととうさん、とりあえずそれは忘れて川遊びをして、さあ家に帰るぞというとき、やっぱり、うーん、と、頭をひねってしまった。

どう考えても、このままでいい訳がない、フロントガラスを換えなければ。

一応、強度が弱ったフロントガラスで高速道路を走る勇気もなく、のんびり一般道を走り、フロントガラスの取り換え代はいくらかねーと会話しながら帰る。

 

不思議でたまらないのが、この出来事に対して、二人とも一気に「しょうがない」という境地になっていて、普段多くにあるイライラ感の中しょうがないと自身を言い聞かすのと違っていて、たぶんそれは、ハヤコが可愛いってのもあるけれど、「言ってもしょうがない」ってのもあるのではないかと思う。

ハヤコに、フロントガラスを割った意味を、理解させようなどと、思いもしない。

 

だが、そうはいえ、フロントガラスの取り換えにかかった費用は、8万3千円だったことに、私はとうさんに聞いた。

「ハヤコに8万3千円、どうやって稼いでもらおうか」

 

ハヤコが作った蜘蛛の巣の柄は、予定外のイタイ出費だったよ。

コメント (8)
この記事をはてなブックマークに追加

大進歩

2016-08-21 | かあさん

二週間ほど前に、泳げなかったハヤコが、ひょっこり泳いだ。あの日、私たちはびっくり楽しんだ。

 

夏はまだ暑い、お休みに川遊びに出かけた。泳ぎ始めたハヤコが、二週間経ってどう泳ぐか、楽しみに。

で、どこか期待どおりに溺れ気味に泳ぐ。

「どうしてこうなるのだろう?」と、苦笑しながら写真を撮ったり、ハヤコと一緒に水に浸かって遊んだり。

ハヤコは、仕方なく頑張っていた。

二週間前に初めて、自分で地から足を離し、水に浮くことを始めたハヤコ。

頑張る気持ちというのか、乗り気ないのに、泳ごうとするだけスゴイ進歩のハヤコ。

やっぱり溺れ気味に、泳ぐ。

だけど、だんだん、だんだん、スイーっと、泳げるようになっていったんだ。

何かの拍子に水面から足を上げて水しぶきを作ってしまわなければ、溺れ気味になることはとても少なくなった。

それに、ライフジャケットを脱がせても、泳いだんだよー。

大進歩だよ。

決して、楽しそうな顔はしていないけれど、一生懸命に頑張っているばかりだけれど、確実にハヤコは学習していて、できなかった長い月日がなんだったのかというほどに、自分の能力を上げた。

飼い主バカの私は、これまで6年もの間泳げなかったハヤコは評価の対象から外して、ここ数週間にハヤコが見せた能力に感心する。

そんな私の感心は、ハヤコはどうでもよくて、川遊び、一時間ほどしたら、「もうかえろう」と、自ら自分の車に向かう。

 

夏はまだ、もう少しある。もう一度くらいは、川遊びに行きたいな、ハヤコととうさんと一緒に。

コメント (4)
この記事をはてなブックマークに追加

あたりまえ

2016-08-20 | かあさん

朝方、とうさんがシゴトへ出かけたあと、自分が横たわる場所が「あいたあいた」と、あたりまえのように、のっそりベットに上がったのだろう。

夏の静かな朝、ハヤコは、とうさんの部屋を自分の部屋に変えている。

ハヤコってば。

コメント (5)
この記事をはてなブックマークに追加

不機嫌の裏側

2016-08-12 | かあさん

心がねじ曲がって、不機嫌になる。

そんな私を、ハヤコが困った顔して見ていた。

 

ハヤコの顔見て、少し、自分の心が暴発しそうな苛立ちが、一歩後退する。

 

ハヤコは静かに、私を観察している、知っている、かあさんが危ないと。

私の尖った神経は、ハヤコがだんまりを決め込む理由。

 

ハヤコに向けられている苛立ちではないのだが、私の心を察知するハヤコ。

私は、ハヤコに言う、「はちゃん、はちゃん、はちゃん」

気を使わせているハヤコに少しの申し訳なさと、閉じて緊張した心をハヤコを前にして解放する依存、ハヤコが味方なんだ、ハヤコが、私の味方なんだ、心が、狭くなると、その思いが、とても強くなる。

私は、ハヤコに、小さな声でお願いをする、「ハヤコ、かあさんをたすけてくれ」と。

コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加

泳いだ泳いだ

2016-08-09 | かあさん

泳いだ泳いだ、ハヤコが泳いだ。

初めて見た、6歳にして、初めて見た。

川遊びに行ったんだ。

泳げない、泳がないハヤコが、ひょっこり浮いたと思ったら、大きな水音を立てて泳いでるではないか。

とうさんも私もびっくり、そして、とても楽しい気持ちになって、大声で笑ってしまう。

ハヤコ、足がたわない水の深いところに向かって、意を決して自ら進む。ものすごい進歩だ。

泳ぐハヤコは、度に「どっぽんどっぽん」と派手に水音を立てて、とても効率悪く頑張る。

なんでか、度に前足を水面からあげて、ひとかきひとかき水しぶきを作りながら泳ぐ。

自分で作った水しぶきに苦戦しながら、まるで溺れているかのように、泳ぐ。

 

それでも、何度かはスイーーーっと、水面下で犬かきをして、静かに泳げていることもあった、約二割。

水面から足を出す激しい犬かきをしない方が楽に泳げることを、いつか自ら気がつけば、まだ進歩して、静かに泳ぐようになるかもしれない、でもそれはいつかね、いつかでいい。

 

全く「できない」コが、「できた」のだ、それは、とてもとても驚いた瞬間だったし、なぜか嬉しい気持ちになった。

冷淡に考えれば、ハヤコが泳げようが泳げまいが、私たちの間以外、世の中ではどうでもいいことだし、ハヤコが泳げたから何がどうだって、何か生産性のあるものでもなんでもない。

 

だけど、やっぱりハヤコは、何をしても、その時間その時間、私たちの心を豊かにしてくれる。

 

コメント (6)
この記事をはてなブックマークに追加