ニュートンリング模型日和

うちは飲サークルじゃない

長期戦

2017-11-11 10:43:09 | 日記
11月もまもなく折り返し、今年もラストスパートです。
タイトルの通りですが、仕事で長期戦に突入します。
重労働なので健康と精神状態には気を付けます。


ではでは。
コメント
この記事をはてなブックマークに追加

実物 下士以下飯盒(明治31年制定型)

2017-11-04 16:53:20 | 日本陸軍 飯盒
■2016年10月8日に投稿した記事を改訂
海外の軍装解説サイトに日本軍の飯盒の参考としてリンクが貼られていました。
当初の記事では民間型のみを掲載していましたが、軍用と混同される恐れがあり軍用を追記しました。
このブログ内での軍用とは「軍での使用を第一に想定して製造されたもの」という意味です。

■新式飯盒との比較
明治31年に制定された飯盒(いわゆる旧式)は、昭和5年以降に登場する新式飯盒に比べて小さいです。
精米炊爨が前提であり、膨張率の高い麦飯などの炊爨は考慮していないためこのサイズになったようです。
日露戦役頃から脚気が問題になると、麦などを混ぜて栄養管理がなされました。
よって、後の新式飯盒では膨張率の高い麦飯に対応できるように容量を増加させたと言われています。
新式飯盒制定後も支那事変~終戦まで用いられており、当時のフィルムにその姿を確認できます。



下の図は左が新式(ロ号)、右が旧式です。





(1)構成
體(タイ)、釣手、掛子、蓋で構成されており、現代の飯盒とほとんど変わりません。
色は日露戦役中に茶褐色に改正されますがススで黒くなってしまっています。
明治31年の制定及び塗装色改正の根拠資料は旧式水筒の記事をご覧ください。
細部の名称は被服手入保存法に記載があります。



蓋の内側には大阪砲兵工廠の大砲をクロスさせたマークがありました。
刻印の位置は革通(カワトオシ)の下などバリエーションがあるようです。





釣手の基部、「耳」の形状は最も特徴的な部分です。



▼「耳」の形状の変遷
「耳」の形状は制定初期のころから少しづつ変化しているようです。
制定初期の耳は ではなく P 型で、その穴に釣手を連結していました。
明治34年 標題「飯盒釣金具改正の件」より参考になる図を引用します。
この資料は釣手を背嚢へ固定するために形状を改めたことを示すものですが、古い耳の形状がよくわかります。
いつ頃から変化していったのかは不明ですが、日露戦後~大正初期には既に型になっていたと言われています。
(甲) 改正前


(乙) 改正後



(2)民間用
当時は日常生活にも軍用品に類似したデザインのものがあふれていました。
ここでは民間規格のものを「民間用」と定義します。軍用と比較しても特徴的な部分をよく捉えています。
昭和16年10月2日から10日間にかけて行われた防空演習で撮影された写真の中に同様のものがありました。















■まとめ
飯盒の制定や改正、手入れに関しては水筒と一緒に併記されていることが多いです。
過去に書いた旧式水筒関連の資料にも参考になるものがあると思います。
簡潔ですがこれで終わります。


ではでは。



コメント
この記事をはてなブックマークに追加