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中田製 戦闘用試製帽(甲号)

2017-02-23 17:32:55 | 日本陸軍 軍帽/略帽
無事に修論発表を終えました。
プレゼンが終わったとき、感極まって涙が出ました。

さて、今回は中田製 戦闘用試製帽(甲号)です。
奇抜なデザインから一部のマニアに人気があります。
昭和7年に試作され、実用に向けたテストが行われました。
結果は不採用になってしまいますが、略帽開発のための貴重なデータをもたらしました。





昭和7年6月21日標題「戦闘用試製帽追送の件」より図を引用します。
甲号と乙号の二種類が試作され、テストが行われました。
結果、乙号が採用され、さらに改良が進められていきます。



甲号の着用例です。
中田本の写真はあまりにも有名なので、違う写真を紹介します。



さらに、昭和8年4月発行の雑誌から乙号と思われる略帽の着用例を紹介します。




ここで、昭和18年頃までの構造の変遷を簡単に紹介します。
興味のある方は紹介した資料にも目を通してみてください。
生地質や裁縫、試験結果も参考になると思います。
実物は他のブログやホームページでも見ることができます。

(1)昭和8年~昭和9年
昭和8年には帽垂布の実用化に向けた試験も行われていたようです。
昭和8年標題「試製被服追送の件」(項目三.)





昭和9年には昭和7年に試作された乙号を改良した新たな試作品がテストされました。
図を昭和9年標題「生糸製軍用被服第2次実地試験の件」より引用します。
名称も「試製戦帽」に変更されています。図には頤紐と通気孔が二つ描かれています。
ちなみに、サイズを調整する紐を通す背面の穴は二段です。



昭和15年の映画「征戦愛馬譜 暁に祈る」にもそれらしきものが写っています。



ちなみに、下の写真は乙号に顎紐を追加したものと考えています。
昭和9年型と混同しそうですが、上の写真と比較しても通気孔が小さいことがわかります。



補足説明ですが、乙号にはすでに帽側面の通気孔が設けられていました。
甲号との比較結果を昭和7年3月16日標題「戦闘用試製帽追送の件」より引用します。
赤枠内の記述から、乙号の改正意見が反映された結果が昭和9年型であると納得できます。



(2)昭和11年~昭和13年
昭和11年3月3日、日本陸軍の被服品として正式に制定されます。
昭和11年標題「試製戦帽仕様書」より図を引用します。
通気孔が3つになり、この時点ですでに完成形に到達しています。



昭和12年7月頃に撮影された写真には通気孔が3つのものが確認できました。



昭和13年7月3日撮影。



昭和12年以降の改正は詳しい資料を発見していないのでわかりません。
記録されている帽そのものの改正年月日は昭和12年8月13日です。
その他、頤紐の材料に綿が加えられたことは確認できました。



その他には、昭和14年頃から木皮製の頤紐も登場します。
写真は複製品です。



頤紐の金具の寸法形状は以下の通りです。



さらに、現存する実物などをみると、垂布留(帽垂布を取り付ける糸かがり)の追加も考えられます。
昭和12年8月28日付の下記の陣中日誌にも「一般二戦闘帽二垂布ヲ附スヘシ」と書かれています。(項目二の2.)
昭和12年標題「陣中日誌第1号自昭和12年8月14日至昭和12年8月31日歩兵第68連隊第3大隊本部(2)」
この段階で、略帽にも帽垂布を取り付ける構造が追加されていたのではないかと推察できます。
あくまでも個人の想像なので、気になる方は調べてみてください。



昭和13年5月31日勅令第三百九十二号を以て、「略帽」として服制に組み込まれます。
「両側二通気孔各三箇ヲ附ス」と明記されていますが、垂布留については書かれていないのが不思議です。
図を1938年06月01日官報より引用します。(寸法は諸事情により消してあります)



同年、帽垂布の制式が定められます。(項目九.)
標題「陸軍服制第5條に依る服制並装具の制式中改正の件」より。





(4)昭和18年
最後に、昭和18年4月8日の改正以降の仕様書の一部分を示します。
通気孔の糸絓を省略してよいとあります。
この省略は昭和15年頃には登場していたようです。






◆まとめ
簡潔ですが紹介を終わります。
毎度のことながら、制定や改正の年月日を調べるのがくたびれます。
他の記事で熱地被服や陸軍雑嚢について書き直していますが、年月日の整合性が取れずに混乱しています。
マニアの間では〇〇年型と言われていても、全く根拠になる資料が発見できないものもあります。
やはり撮影年月日のわかる写真を複数観察して、時代設定にあわせて平均を取るのが一番だと思います。


ではでは。


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複製 下士以下革脚絆(着用方法に関する考察)

2017-02-11 20:12:13 | 日本陸軍 靴/巻脚絆/革脚絆
*この記事は2014年4月13日に投稿した記事を改訂したものです。
*2017年5月3日 一部文言を変更

トム閣下に改造してもらった海外製の下士以下(下士官兵用)革脚絆を受け取りました。
下士以下革脚絆は昭和5年陸達第八号により装備品に加えられ、昭和13年に廃止になります。
廃止後もしばらくは使われていたようで、大戦後期の写真にも着用例が確認できます。
記事の最後で、着用方法に関する論説についてまとめました。







革脚絆=下士官の装備品と思われがちですが、これも「下士官刀」や「下士官長靴」と同じ誤解なので気をつけてください。
乗馬兵(騎兵、輜重兵など)は二等兵でも帯刀するのと同じく、長靴や革脚絆も下士官・兵には等しく支給されます。
徒歩兵であれば、将校も基本的に巻脚絆を着用します。
参考に昭和7年「騎兵教程」より引用した革脚絆と長靴の図を示します。
なぜかこの図中の革脚絆には不踏紐革が描かれていません。



◆着用例
装着する向きに気を付けてください。











基本的に、将校の革脚絆は二本締ですが、戦地では下士官兵用を装着している例もあります。



そして、昭和13年に下士官兵用の革脚絆は廃止になり、長靴が復活します。
なお、将校准士官用の二本締の革脚絆はその後も使用されています。



将校准士官用の革脚絆です。側面の革バンドが二本のみです。
一部の憲兵や軍楽隊でも使用例が確認できます。
将校は黒もしくは茶褐色を用います。
また、営外居住下士官兵もこれと同様のものを使います。ただし、色は茶褐色です。




■着用方法に関する論説 H28 12/21 追記
昨今、ネット上で「革脚絆は巻脚絆の上に装着するものである」という論説が流れています。
数年前から個人的に調べていますが、特別明記された資料や写真を確認できず苦戦していました。
ここで、友人が従軍経験者に独自に取材した際の回答を記載いたします。
回答者:昭和18年招集/砲兵/(満州で終戦、乙種幹部候補生)
(以下回答)
下士官以下全員長靴着用、演習時には編上靴に革脚絆の場合もあった。
革脚絆は巻脚絆の上から着用した。
(革脚絆を着用したのは、演習時の数回だけとのこと)
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砲兵は砲を牽引するため、軍馬に乗る場合があります。
このために長靴もしくは革脚絆を装着したと考えています。
つまり、特殊な例ではあるものの、このような着用例が無いわけではないことがわかりました。
部隊内での命令に従っただけのため、そのような着用例がとられた理由は不明でした。
また、この砲兵の方がどのタイプの革脚絆を着用していたかはもう覚えていないとのことでした。
どの程度の割合でこの着用法が実施されたのか、今後も調べていきたいと思います。

その他の従軍体験者の話でも、行軍時に巻脚絆の上に革脚絆を装着したという報告があります。
推測ですが、乗馬と徒歩を随時切り替える必要がある者は、双方に迅速に対応できるようにしたのではないでしょうか。
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1931年02月14日官報中に興味深い記載がありました。
昭和6年陸達第三号により、軍隊経理規定が改正されます。
その中の営内居住下士以下被服所持定数表の備考に以下のような記載があります。
1:1で支給されない場合があるということは、同時着用を想定していないのではないかとも考えられます。
当然ながら、磨耗率によって数が増えたり減ることもあるので、一概には言えません。



さらに、昭和18年10月2日標題「略帽及長袴の使用並軍属記章の使用に関する件」を紹介します。
ここでは将校准士官の長袴を着用する場合における注意書きがあります。
本来、将校准士官の略装は長靴に短靴ですが、成るべく長袴に巻脚絆又は革脚絆を用いるように、とあります。
この資料からも「同時に着用するものではない」と考えることもできます。



ちなみに、寒冷地で用いる防寒脚絆の運用についても少し書いておきます。
防寒脚絆は通常巻脚絆の上に装着すると注記がある資料がありました。
(標題「附表」レファンスコードC13010231900)
自分の知る限り、巻脚絆の上から装着するように指示が出ているのは「補助脚絆」と「防寒脚絆」しか確認していません。
何か資料をお持ちの方がいらっしゃいましたら、是非ともご教授願います。


ではでは。

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実物拵(模造刀身) 昭和13年改正 将校准士官刀

2017-02-04 18:59:15 | 日本陸軍 昭和13年改正 将校准士官刀
先日、修士論文を無事に提出しました。
まだやることがあるので明日も研究室に行きます。

本年初となる軍装品関係の更新です。実物拵 昭和13年改正 将校准士官刀です。
3月の九州合宿に向けて、例の「伝説の骨董屋」にて購入しました。
今年の1月からチマチマ集めていた「見習士官たる甲種幹部候補生」も、ようやく様になってきました。
イメージとしては昭和18年初夏といった感じでしょうか。刀緒(尉官)は別で用意する予定です。
刀帯(尉官)は実物ですが、釣革のみ中田製から移植しました。藍色がアクセントになっていい感じです。
中田製の鉤釦(フック)はボテっとしてダサかったので実物に交換しました。
帽は将校略帽の着用例が多いようですが、服制に従い官給品にしておきます。
(昭和18年10月12日 勅令第七百七十四号に従うなら、軍帽と略帽の頤紐及び頤紐釦は将校に同じ)



「座金」はペニヤンJr.に譲ってもらった実物です。星のエッジが以前紹介しました複製品とはシャープさが違います。
曹長襟章及び士官勤務者用臂章は中島君に作ってもらいました。




前置きが長くなりましたが、ここから細部を紹介いたします。

(1)全体
鉄鞘です。残念ながら先端部分に一部凹みがあり、責金が失われています。



(2)刀緒(尉官)、鍔、駐爪
尉官刀緒は実物です。実物の刀緒はすぐに崩壊してしまうので、いずれ複製品に交換します。
鍔にはややグラつきがあるので、今後少しづつ調整していくつもりです。
駐爪の有無は個体差があるようです。個人的にはある方が好きです。







(3)佩鐶
堅牢な仕上がりです。このような細かい部分にも細かな装飾が施されています。
独特の色合と繊細な彫刻は、いわゆる旧式軍刀の煌きとは異なる趣が素晴らしいです。
旧式軍刀が秀吉の目指した「雅(みやび)」であるなら、昭和9年及び13年の新式軍刀は利休の愛した「佗(わび)」でしょうか。



(4)石突
見えない部分も抜かりなく装飾が施されています。







簡潔ですが以上で紹介を終わります。大切に使っていきたいと思います。
なお、昭和19年には見習士官の刀は九五式軍刀(刀帯含む)を用いてよいとなります。
この場合、刀緒は尉官に同じです。
(昭和19年8月26日 標題「陸軍軍人軍属の服制並に服装に関する特例左の通り定む」)


■H29 3月31日追記
ジャストサイズの責金が手に入ったので再生しました。
以下は野戦装備の見習士官の一例です。いずれ鞘覆を調達する予定です。
左側:図嚢、水筒、拳銃一式(二十六年式)、胴締
右側:双眼鏡(九三式)、防毒面携帯袋、手袋




ではでは。


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