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実物 四五式外套

2017-06-22 13:53:10 | 日本陸軍 外套
有給を取るように命じられたので今日は休みですが、強烈な罪悪感に悩まされています。
平日に休むというのはあまり気持ちのいいことではないです。
社会から切り離された感じというか、不気味な虚無感や焦燥感を感じます。
とりあえず、始業時間と同時刻から部屋の大掃除をしてみました。
部屋がきれいになると運勢がよくなる気がします。

さて、久々の軍装品関連の更新です。実物 四五式外套(大正3年製造品)です。
このブログでは今まで三八式、四二式、改四五式(大正9・14)、昭五式を紹介してきました。
なお、今回もカメラ故障につきスマホのカメラで撮影しているため画質は悪いです。



制式を明治45年件名「陸軍服制ヲ改正ス」より引用します。



また、大正6年「被服手入保存法」より細部の名称を紹介します。
このブログでも何度も引用していますが、被服手入保存法はデジタル化されておりフリーで閲覧できます。
印刷して手元に置いておくと便利だと思います。



★明治38年~昭和5年までの変遷
明治38年「陸軍戦時服服制」以降の変遷は、基本的に軍衣袴と同じ資料から推察できます。
下記の記事に参考資料をまとめましたので、興味のある方は標題から検索してみてください。
なお、生地質の変遷に関しては他のブログで詳しく解説されていますのでそちらをご覧ください。

中田製 改四五式軍衣袴【明治38年~昭五式までの変遷】

ただし、注意していただきたいのは大正7年「衣袴及外套仕様改正の件」中の外套の捺印に関してです。
(四五式)の捺印に関しても他のブログで詳しく解説されていますのでそちらをご覧ください。



前置きが長くなりましたが、下記に詳細を示します。
(1)覆面留釦
覆面留釦と後裂留釦、内釦などはで三八式・四二式にみられる白色から褐色になるようです。
写真はありませんがホックは一段になり、裏側の当て布も扇形の小ぶりなものになっています。



(2)肩章支紐
明治45年に釦留で着脱できる階級章の制定にあわせて用いられるようになります。
使用方法及び装着手順は今更書く必要もないと思います。





ここで、肩の裏側に「当て布」がないことに気が付きました。
既知の通り、よくみる大正中期以降の改四五式外套や昭五式外套には肩の裏側に長方形の当て布があります。
これは外套を着用したとき、軍衣の肩章と外套の内側が接触し、双方が摩耗することを防止するものと考えています。

1.改四五式外套の当布


2.昭五式外套の表:肩章の輪郭をなぞるような縫目が表面に確認できる。(支紐は複製品)


これらは三八式外套や四二式外套にはありません。(過去記事参照)
てっきり四五式から用いられるものと思っていましたが違ったようです。
いつ頃から外套の部品として用いられるようになったかは不明で現在調査中です。
自分の知る限り、大正4年製造品のものには存在を確認できました。
何か資料をお持ちの方がいらっしゃいましたらご教授願います。

(3)釦
釦は旧来の饅頭釦から後発の軍衣でもよく見られる釦になります。
赫銅色から兵科下士官兵に支給されたものであることがわかります。



(4)袖章(蛇腹組緋毛糸)
大正11年の改正によって袖章は除かれています。個人的には無い方が好きです。





(5)剣留釻
金属製剣留と表記される場合もあります。
内側から見ると、どのように縫い付けてあるのかわかるのが面白いです。





(6)標記
よくみる捺印式ではなく、縫着式の古いタイプです。



大正3年「内務ニ関スル心得」の中に同様のものがあります。
ここでは装用標記についても書かれています。





ちなみに、以前見た明治42年製造品の外套は下のイラストのような標記がありました。
白い布に情報が書かれ、内物入部分に縫着されていました。字体、サイズ、文字の間隔はテキトーです。
古いものや過渡期のいわゆる四二式に関しては詳しく調べる必要があります。



さて、捺印式の標記は大正3年標題「被服品標記法中改正の件」により制定されます。
ただし、毛布は依然として縫着式のままです。
標記はこの後も時局の影響を受け、昭和まで少しづつ変化していくようです。
これより前の物に関しては資料不十分につき別の機会に記載する予定です。







こちらが改四五式外套の標記です。
比較してみてください。



■現在確認中の甲乙標記に関する資料
・明治32年 陸達第七十九号
・明治43年 陸達第五十一号軍隊経理規定第五十九條
・明治44年5月 陸普第一八五〇号

(7)著装法
何度も紹介していますが、大正3年「大正の内務班長」より著装法を引用します。
ホックをかけ、第一釦から留めるのは軍衣と全く同じです。
著装法が不適切だと、サイズがあわない・見栄えが悪いといった問題を引き起こします。
この資料は被服装備品の詳しい著装法が文章化されており、非常に参考になります。
しかし、以前も書きましたが民間発行の書籍はおかしな表記を含むので注意が必要です。
項目二.の「頭巾締紐」とは「覆面」のことだと思います。



適正なサイズであれば以下の図のようになります。
「内務ニ関スル心得」より図を引用します。



余談ですが、項目三.の「外套を肩に掛くる」場合の図を「内務ニ関スル心得」より引用します。
やり方についてはまた別の機会に紹介します。よくみかける外套の保持方法です。



★まとめ
放置してあった記事を書き終えることができてよかったです。
この後も訂正するかもしれませんが特に告知はしません。
今後は夏合宿に向けて何か書けたらいいかなと思います。
しかし、今はあまり軍装品に触れたい気分ではないです。


ではでは。
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実物 三八式外套

2016-08-13 14:29:57 | 日本陸軍 外套
「若さを失う」などと言っておきながら、結局やめない、やめられない。
最近は目標を見失いつつあり、惰性的にダラダラやっている感じが否めません・・。

今回は明治38年に制定されたといわれる陸軍外套です。
下士卒(下士官兵)に支給されるモデルです。
ダブルボタンと大きなフードが特徴的で、生地はやや目の粗いカーキ色の生地です。
製造年やサイズは不明です。大正期の改正に従って手が加えられています。
明治後期・大正期の外套は終戦までしぶとく使われ続けました。




*三八式か三九式か
呼称をどうするか困りました。資料によっても呼称が混在しています。
北村恒信著「陸海軍服装総集図典―軍人・軍属制服、天皇御服の変遷」では明治38年7月11日臨時、明治39年4月12日制定とあります。
自分は明治38年「陸軍戦時服服制」を参考に三八式外套としました。
○○式××という表記を用いるべきではないという意見もありますが、今回は便宜的に用いることにします。
明治の軍装品は明治○年制と表記される場合が多い気がします。
また、濃紺絨を用いたもの三九式とする根拠は明治39年「勅令第七十二号・陸軍軍服服制中濃紺絨ヲ以テ茶褐絨ニ代用スルノ件」があります。
これは明治45年に廃止になります。(wikiにも書いてあります)
図は明治38年7月12日官報第6609号より引用
(内釦の位置がなぜその位置に描かれているのかは不明)




■頭巾(ずきん)/覆面(ふくめん)/ホック
頭巾は縫着式、取り外されたり折襟に改造されることなく健在でした。
憲兵に支給されるもののみ着脱式となります。
ホックは二段になっており、以前紹介した四二式外套と同じです。
襟側面の穴は防寒襟を取り付けるための「紐穴」です。
なお、階級章(兵長)は昭和15年以降に使用されたと思わる私物品です。








■肩章の支紐
明治45に制定される取り外し式の階級章(過去記事参照)を取り付けるための支紐が付け加えられています。
明治38年から明治45年までは階級章を直接肩に縫い付けていました。




■饅頭釦
兵科下士卒に支給されたことを示す赫銅が美しい明治の饅頭釦です。
各部下士卒に支給されるものには白銅釦が用いられます。





三八式の特徴的な部分の一つに、釦裏側の補強があります。
細長い生地が縫い付けられています。これは表からもはっきりとわかります。
左右とも同じ補強が施されており、左側は内釦まで補強が連続しています。
四二式でも同様の補強が施されているものがあるようです。
自分の所持品は四五式と同じように釦の一つ一つに丸い生地が当てられていました。(過去記事参照)









二・二六事件で撮影された写真にも饅頭釦が取り付けられた外套が写っています。






■蛇腹組緋毛糸
単に袖章ともいいます。取り外されています。
個人的には袖章はない方が好きです。




■剣留カン
腰部の剣留カンは左右とも健在でした。






■まとめ
古いものなので大切に保管するつもりです。
外套を集めるのはこれくらいでストップしておこうと思います。
出番のない私物改造品の改四五式外套も今年はお披露目したいと考えています。


ではでは。
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実物 四二式外套(推定)

2015-02-25 18:54:37 | 日本陸軍 外套
今回ご紹介しますのは実物 四二式外套です。
明治42年から45年の間に試作されたタイプといわれていますが詳細不明です。
また、古いものにつき、経年劣化や人の手が加えられている可能性もあるため、それらをふまえてご覧ください。
この個体は三八式外套や四五式外套のような特徴が混在しており、正直よくわかりません。



★はじめにお読みください
四二式外套の先発のモデルである明治38年制定(臨時制定?)の下士以下外套です。
実物 三八式外套

(1)頭巾・覆面
軍帽をかぶった状態でも使えるように大きな頭巾(フード)が付いています。
フード側面の覆面留釦は白色牛脚骨釦です。裏側には補強があります。







襟元に特徴的な二段構造のホックがあります。
れは四二式以前の三八式外套でのみみられる構造です。



(2)肩章支紐
明治45年以前は肩章(階級章)を肩に直接縫い付けていたので、肩章支紐は軍衣にも外套にもありません。
この個体では”着脱式肩章”が制定された明治45年の以降に支紐を取り付ける改造が施されたと推定します。
また、大正4年以降製造の四五式~昭五式外套では肩章が位置する部分の裏に長方形の当布がありますがこれにはありません。





(3)饅頭釦
明治の特徴的な釦です。サビもなくキラキラとしています。
兵科下士官兵に支給されるものであることを示す赫銅色です。



(4)袖口
袖口には緋色の線「蛇腹組緋毛糸」を取り外した痕跡があります。
これは明治-大正期特有の装飾があった証拠です。
これが大正11年の改正によって取り外されてしまいます。





(5)剣留カン(けんとめかん)
ベルトフックです。剣留カンは健在でした。
背面も大きな破損や欠落はありませんでした。殆ど改四五式外套と同じ構造です。



(6)内側の構造
ボタンの裏側ひとつひとつに補強が施されています。
明治38年制式外套のように、細長い生地が第一釦から第五釦まで一直線に縫い留められたものの方が多いようです。



縫着式の標記がありますが、片方は外れてしまったようです。



過去にみた四二式外套(?)の標記は下のイラストのように右側に氏名、左側が詳細でした。
自体やサイズ、文字の間隔はあくまでもイメージです。
白い布に情報が書かれており、その布片が内物入上部に縫着られています。
いくつかバリエーションがあるのかもしれませんがよくわかりません。



そして、こちらが四五式外套の標記です。
製造年は大正3年となっていますが、この年に捺印式の標記に改正されます。



改正後の標記です。情報の配置を比べてみてください。
参考に改四五式外套のものを示します。





(7)改四五式外套との比較
左が四二式外套、右が改四五式外套です。
四二式外套が改四五式外套よりも目の詰まったキメ細かい生地です。
金色(こんじき)という表現がふさわしいでしょうか?






オマケ
写真を撮影していたら、所々に数字がかかれています。
なんと書いてあるか分かりませんが、おそらく部品番号だと思います。
同じ部品番号を縫いつけるのですね。ちゃんと近代的工業製品になっております。




以上でご紹介を終わります。
ご参考になれば幸いです。



ではでは。
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実物 改四五式外套

2014-10-13 11:39:34 | 日本陸軍 外套
今回ご紹介するのは実物 改四五式外套です。
念願の一着だったので、手に入ったときはとてもうれしかったです。
ダブルボタンと、軍帽の上からかぶれる大きなフードが特徴的です。
美しいカーキ色の生地が日本陸軍らしくて好きです。
写真では生地の色がグレーに映ってしまい色彩が上手く伝えられず残念です。






ボタンは若干輝きを失っていますが脱落や変形、糸のほつれはありませんでした。
自分はこの赫銅釦が一番好きです。



背面には金属製の剣留(剣留カン)が左右二か所、腰のあたりにあります。
この金具はベルトフックの役割をします。
現存する一部の実物では失われている場合が多いです。




■私物品
次は官給品を改造した私物品です。
内側には将校外套のような内張りがあります。
大正9年製で生地はとても目の細かい美しいカーキ色です。
サイズは一号ですが、特別大きいようには感じませんでした。





左腰には脇裂があります。
帯刀者が用いていたのでしょうか。
剣留カンは左右ともに健在でした。





◆まとめ
今後も大切に保管していこうと思います。いいものが手に入りました。
当ブログでは三八式外套、四二式外套、昭五式外套も紹介しています。
戦前の軍装品に興味のある方はご覧ください。


*階級章について
「昭五式軍衣のような肩章(ここでは階級章のこと)を用いる軍衣の上に外套を着用する場合、階級章は軍衣から外套へ付け替えるのか」という質問をいただきました。
これに関しては明確に文書化された資料をまだ見ていませんが、自分なりの考察をまとめたいと思います。
自分は軍衣に肩章を付けた状態で外套(外套にも肩章がついている)を着用したと考えています。
既知の通り、明治45年にボタン留で着脱可能な肩章が登場するまでは、肩章を軍衣や外套の肩に直接縫い付けていました。
ゆえに、取り外して付け替えることは容易ではないため、そのまま着用していたと考えています。
また、改四五式外套や昭五式外套の肩章の位置の裏側には、肩章とほぼ同じ大きさの「長方形の布」が縫い付けてあります。
これは明治38年制定・42年制定の外套にはありません。(いつごろから用いられているかは不明)
つまり、軍衣に肩章を付けた状態で外套を羽織ると、軍衣の肩章と外套の内側が擦れて双方が摩耗してしまうため、後発の外套では補強(保護)をしたのではないかと考えています。
これらから、自分は軍衣に肩章を付けた状態で、外套を着用していたと考えています。
あくまでも推察の域を出ないため、今後も引き続き調べたいと思います。


ではでは。



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実物 昭五式外套

2014-08-30 20:13:19 | 日本陸軍 外套
昭和5年改正の下士以下外套、いわゆる昭五式外套です。
改四五式外套までのダブルボタンからシングルボタンになります。
また、フードもボタン留めで取り外し式*になりますが、この個体では失われています。
(*それ以前も憲兵科に支給される外套のフードは釦留により着脱可)
生地は明るい戦前のカーキ色がかっこいいです。明治時代の毛布を改造して作られたものもあるようです。







肩章支紐は脱落していたので、オニヅカ堂製の複製品で再生しました。



図を1930年04月11日官報より引用します。
フードは着脱式、背面には剣留釻(ベルトフック)があります。
ちなみに、防雨外套(レインコート)も基本構造は同じですが、剣留釻のかわりに剣留があります。
なお、「昭五式雨外套」や「昭五式外被」という表現は不適切なので気を付けてください。
外被という呼称自体が俗称であり、雨外套という呼称は昭和13年(九八式)以降で用いられます。



★まとめ
なぜか混同されることの多い昭五式外套と改四五式外套を比較してみました。
左が昭五式外套、右が改四五式外套です。言う必要もありませんが、どちらも下士官兵用です。
将校外套とは釦の数、生地色、構造が全く違うので気をつけてください。



こちらが昭和5年改正の将校同相當官准士官外套です。
「将校用昭五式外套」などという表記はふさわしくないと思います。



背面の構造も下士官兵用外套とは全く異なります。
左腰には「脇裂」があります。



見習士官外套もこれに類する形状ですが裏地はありません。
図は見習士官外套(昭五式)です。





ではでは。
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