ニュートンリング模型日和

見習士官どれみちゃんです。
ランニングサークル、目指すは東京マラソンです。

脂肪落として筋力伸ばせ

2017-05-20 15:33:12 | 日記
5月ももう折り返しです。月日が経つのが本当に早いです。
今月は主に現場実習がメインなので、工場で作業しています。
高所作業や重量物、電動工具等を扱うので安全には気を使っています。

ピンクのサウスポー


しかし、それ以上に体力の消耗が激しいです。4月に76キロあった体重は71キロまで落ちました。
先週末に同期に誘われて、寮の近くを毎晩10キロ走っています。
同期の何人かは陸上部経験者で、とてもじゃないですが初日はついていけませんでした。
そこで、自主的に走り始めて、3日目くらいからノンストップで走れるようになりました。
来週の目標はもう少しペースアップすることです。
さて、タイトルの通りですがが今週からジムにも通い始めました。
インストラクターに指導してもらいながら効率的に体を絞っていきます。
自分は筋肉が付きやすく、痩せやすい体質であることも分かりました。

学生時代もジムには少し通っていましたが、研究室が忙しくて足が遠のいていました。
言い訳と言われればそれまでですが、高校生から大学3年までは毎晩ランニングを欠かしませんでした。
急に太ったのはそのランニング習慣をやめてからです。
院の二年間はなんとかキープしましたが、減量には至りませんでした。
今は体重を落とすよりも、筋肉の量を増やすことが最優先課題です。
体力が無ければ心も弱くなります。筋肉こそストレスから解放されるための唯一の手段と信じています。
今後どれだけの成果が出るかわかりませんが、軍装のシルエットが美しくなるように努力したいと思います。
戒めに今の己の姿をここに刻みます。写真は同期が撮影してくれました。あごが"二重飯盒"でヤバい・・・。



以前、とあるモデルさんが言っていた言葉が印象に残っています。
「モデルにとって"細い"とは、服のシルエットが一番美しく見えることだ」と。(意訳含む)
この言葉には強い衝撃を受けました。軍装も全く同じだと思います。
この趣味をやっていて、「肉体をつくる」というテーマはあまり触れられていないと思います。
食生活や生活習慣も違うので、当時の軍人さんと同じとはいきませんが、せめて健康的なカラダでいたいです。
銅部隊内でも肥満が指摘される会員もいるので、肉体改造が現在の課題だと思います。
いずれ、褌一つに略帽でも文句を言われない肉体美で統制したいですね・・・??


ではでは。
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実物 日本陸軍新式水筒/口栓考察/複製 水筒紐(昭五式)伊号・呂号 

2017-05-19 19:20:05 | 日本陸軍 新式水筒
*2015年2月1日に投稿した記事を2017年2月21日修正
*H29 5/19 水筒本体の塗装色に関する考察を追加

◆はじめに
九四式水筒という名称は間違いですので気をつけてください。
そもそも、水筒本体、水筒紐(ハーネス)、水筒口栓(キャップ)はそれぞれ制定年が異なります。
ゆえに、本体・ハーネス・キャップをセットで「〇〇式水筒」と表記することはできません。
伊号水筒・呂号水筒・波号水筒、甲号・乙号などもまったくの間違いです。
今回は本体の形状、刻印、塗装色、口栓、水筒紐の構造を簡潔にまとめました。
水筒は定番アイテムでありながら考察が不十分で、不明な点が多いです。
また、この記事は現存する資料から推察できることをまとめています。
あくまでも考察の目安としてお読み下さい。

(1)水筒本体
本体は水筒筒(スイトウヅツ)や単に水筒と表記されます。
明治31年制定の水筒にかわり、昭和5年11月12日に容量を増加させた新式水筒が制定されます。
これを便宜上「昭五式」と表記することにします。
丸みを帯びた外見からマニアの間では「アンパン型」や「だるま型」と呼ばれます。
これは昭和14年5月31日に改正され、「九九式」となります。
左が昭和13年製造品の「昭五式」、右が昭和15年製造品の「九九式」です。



また、昭和14年7月5日に規格低下品として「ロ号」が制定されます。
本体形状は生産された時期やメーカーによって微妙な差異があり、直接的な比較は難しそうです。
左が「昭五式」、右が昭和18年製造品の「ロ号」です。



(A)昭五式
まず、昭和9年製造品である「九四」の刻印があるものを示します。
「九四式水筒」などという根拠不明の俗説の根源こそ、この「九四」の刻印であると考えられます。
(これはこれで珍しいので、俺的軍装重要文化財に認定しました)
制定当初の刻印は未確認ですが、昭和5年制定の二重飯盒と同じなら、メーカーの刻印だけと考えられます。
日本アルミの納入印であるツルマークの上には、社名が右書きで「ミルア本日」と刻印されています。
一説には、昭和14年以降から文字はなくなり、ツルマークだけになるようです。



こちらは検査印がよく残るものです。(KNEI君所持品)
底面には大阪アルミの納入印と、製造年が「九八」と皇紀で刻印されています。
その右隣には「昭13」と検査印が捺印されています。
不鮮明ですが、「昭13」の右隣には縦書きで「大支」と読むことができます。



「昭五式」の塗装は剥離しやすいようで、本体にはレンガ色の下地がみえます。
塗装がよく残る実物と比較すると、写真上側の茶色い部分がオリジナルの塗装であると考えらえれます。
「昭五式は旧式水筒と同じ茶褐色塗装」という説は、現時点では確からしいとは言えなくなりました。
ただし、塗装に関する資料を発見していないため、完全否定することはできません。



(B)九九式
「昭五式」を昭和14年5月31日に改正したものです。
一般的にいわれている大きな改正点はアルマイト加工です。アルマイト加工とは、金属表面の防腐処理です。
昭和14年に理研での特許が切れたアルマイト加工技術を軍が導入したといわれています。
いつ頃から全ての水筒の表面処理が改められたかは現在調査中です。
以下に仕様書を示します。ただし、これは制定当初のものを示しているわけではありません。
資料は更新されるた度に古い情報が廃棄されていくからです。
口栓に関して記載がありますが、もう少し具体的な形状を知ることはできないのでしょうか。



納入印や製造年、検査印に関しても細かく指定されています。
製造年の刻印は「昭十五」「二六〇〇」「二六〇一」などもあります。



こちらの水筒には昭和15年製造品を示す「二六〇一」の刻印があります。検査印は消えています。



下地塗装と塗料については現在調査中です。



(C)ロ号
いわゆる規格低下品に該当します。昭和14年7月5日に制定されます。
以下に仕様書を示します。これらも制定当初のものを示しているわけではありません。
「九九式」の仕様書と比較してみてください。
口栓は後述する「ロ号(木栓)」と指定されています。



「ロ号」を示す刻印を施すように指定されています。
その他は「九九式」と同じようです。



こちらは「ロ号」の底部です。仕様書と比較してみてください。
納入印(大阪アルミ)の右隣には消えかかっていますがロ号の刻印(〇の中にロ)があります。
その下には製造年を示す「昭一八」の刻印があります。
検査印の捺印(エナメル塗料)は消えています。




★本体の塗装色について(資料提供:KNEI君)
新式水筒の塗装色は不明な点が多いです。
制定当初は旧式水筒と同じ茶褐漆塗装であったとする説は裏付ける根拠がありません。
以下に昭和13年から17年の間に製造された昭五式、九九式、ロ号を示します。
写真を見る限り、塗装色の大きな変化は一貫して無いようにみえます。
左端の昭五式と、右端の九九式にはレンガ色の下地塗装が確認できました。
レプリカを再塗装する場合、タミヤカラXF-62オリーブドラブとXF-9ブラウンを1:1で混ぜるとよいでしょう。
自分はチョコボールのような半光沢仕上げにしています。
塗料の成分と制定当初の色に関しては現在調査中です。



他に確認できる塗装のバリエーションには下記のようなものがあります。
(1)光沢の有るなめらかな明るい黄土色系の塗装
(2)光沢の無いなめらかなこげ茶色の塗装
(3)光沢の無いザラザラしたこげ茶色塗装
(4)半光沢のよくみられる茶色塗装

(2)代用材料について
アルミニウムに代わって、昭和15年には鉄が代用素材として用いられるようになります。
昭和15年標題「陸軍服制第5条に依る服制並装具の制式中改正の件」(陸達第75号)






(3)口栓について
水筒口栓はバリエーションがあり、呼称や制定年が異なります。
資料が少なく昭和5年~昭和14年まで不明な点が多いですが、軍装の設定を組む上で非常に重要です。

(A)ドーム状の口栓覆金と円形の釻を持つもの
まず、旧式水筒に用いられているものを示します。
ドーム状の口栓覆金と、円形の釻(かん/リング)が特徴的です。



こちらは大正6年「被服手入保存法」より引用した図です。
口栓の形状は実物をよく模写しています。



これに類似した形状の口栓が「昭五式」と組み合わされている例を示します。
「類似した」と表現したのは旧式水筒と完全に同型とは断言できないからです。
一枚目は昭和初期の満州事変期に撮影されたものです。
旧式水筒の口栓に似ていますが、口栓覆金はやや平らにみえます。(特に一番下の水筒)



こちらは口締革(口締紐革)の拡大写真です。
口締革は口栓を固定する革紐のことです。口締紐革も同じものを指します。
一説には初期の口締革の幅は狭かったといわれています。
写真では、現存する大戦後期の実物や複製品よりも細くみえます。
いつごろから幅が変わっていったのかは不明です。



次の写真は、記録から昭和12年10月以降に撮影されたと推定できるものです。
ドーム状の口栓覆金と円形の釻がわかります。
塗料は剥離してアルミ地肌がむき出しになっているようです。
口締革は幅の狭いタイプのものが依然として用いられているようです。





HIKI製の複製水筒と旧式水筒の口栓を組み合わせるとこのようになります。
遊びで使うには十分だと思います。気になる方は水筒本体を再塗装してもいいと思います。







「昭五式」の口栓は、現存する資料からは形状を決定できないようです。
飲口の内径は個体差の影響を考慮して省略します。
さらに、以下の補給物資の資料から何かしらの新旧の区別がされていたことが推察できます。

1.昭和7年1月 標題「被服品第21次追送の件」(C04011115500)
「水筒紐口栓共(新式品)」の記載あり

2.昭和8年5月 標題「被服品第114次追送の件」(C01002875400)
「新式水筒筒」「新式水筒紐口栓付」の記載あり

3.昭和11年1月 標題「被服品追送の件」(C04012268600)
「新式水筒口栓」「新式水筒口栓口締紐革」の記載あり

そして、昭和14年以降も上記のような新旧の区別がされた資料を確認できました。
何を以って新旧を区別しているかは今後の課題とします。

4.昭和14年7月6日 標題「戦用被服補填に関する件」(C01007731500)
「水筒紐」「水筒紐口栓付」「同旧式」の記載あり

5.昭和14年9月25日 標題「被服補修材料交付に関する件」(C04121406300)
「水筒口栓(新)」「水筒口栓」の記載あり 

6.昭和14年11月2日 標題「被服交付に関する件」(C04121566800)
「新式水筒(口栓 紐 口締革)」「旧式水筒口栓」の記載あり

7.昭和14年12月19日 標題「被服、補修材料交付に関する件」(C04121742400)
「新式水筒口栓」「旧式水筒口栓」の記載あり 

(B)平らな口栓覆金と楕円型の釻を持つもの
具体的な制定年月日や改正は不明で諸説あるようです。
自分は制定の旨を記した資料や、仕様書の発見には至っていません。
口栓眞金は「カシメ」留、釻は口栓眞金に溶接されています。
塗装色は半光沢の茶色です。



ここで、昭和13年に確認された実用例を示します。
まず、下の図は張鼓峰事件において撮影された写真です。(撮影日:昭和13年8月11日)
矢印の先端部分に楕円型の釻が確認できます。円形の釻が潰れたものではなさそうです。
口締革の幅は、釻の幅にあわせて広くなっているように感じます。
むしろ、口締革の幅を広くしたため、釻の形状が改められたとも考えられます。
当然ながら水筒本体は「昭五式」です。



さらに、昭和13年9月末に大陸戦線で撮影された写真を示します。
写真が不鮮明であるため、根拠にはやや乏しくなります。
平らな口栓覆金が写っており、矢印先端の釻は横に広いようにみえます。
コルクが痩せてしまったのか、口栓は深く挿入されているようにみえます。



(C)針金で構成された輪を持つもの(詳細不明)
時々、針金で構成された輪を持つ口栓がネットオークション等で確認できます。
中田商店の本にもそれと思わしきものがあったので写真を引用します。
この口栓に関しても不明確な要素が多く、実用例も含めて調査が進められているようです。



形状の類似した物の参考として、将校水筒の口栓を示します。
普段は水呑(コップ)の下にあって見えませんが、これもバリエーションがあるようです。



(D)ロ号(昭和15年制定)
木栓です。これ以降、規格低下品に該当するものが制定されていくようです。
中田の複製品をサンプルに示します。よく形状を再現していると思います。





(E)ハ号(昭和17年制定)
コルク栓です。口栓覆金と釻が一体になっています。



(F)ゴム栓(仁号)(昭和18年制定)
ゴム栓です。現存する多くが経年劣化で崩壊しています。




(4)水筒紐について
水筒形状の変化に伴い、新しいハーネスも制定されます。
それが「水筒紐(昭五式)」です。(制定当初は「新式水筒紐」と呼ばれていたようです)
後に、昭和5年制定(昭和6年改正)「伊号」、昭和16年改正「呂号」、昭和17年改正「波号」と区分されます。
昭和18年の改正は詳しく調べていないのでわかりません。



(A)水筒紐(昭五式)伊号
以下の図は陸軍被服品仕様聚(追録第2回)より引用しました。
口締紐革と共に口栓が側面から描かれています。
釻の形状は不明ですが、口栓覆金は平らです。



制定当初、口締紐革(口締革)を固定する尾錠は片方にしかありませんでした。
図は昭和5年標題「被服、装具の制式規定の件」より引用しました。



これは昭和6年に改正され、尾錠が左右になります。
官報1931年09月30日より引用した図は全体の形状を把握しやすいと思います。
商品と比べてみてください。



改正理由は以下の通りです。
昭和6年標題「陸軍服制第5条に依る服制並装具の制式中改正の件」より引用しました。





ちなみに、昭和15年の資料では口締紐革は14 mmと、昭和17~20年の図面に比べて1mmほど幅が狭かったようです。
「標題:被服補修材料交付に関する件」

*確証が持てないため消去

ここで、さらに他のバリエーションも紹介します。
(B)水筒紐(昭五式)呂号
昭和16年に登場します。サンプルとして中田製の複製品を示します。
中田製は形状をよく捉え、丁寧に裁縫されています。







昭和16年 陸達第八十二号中「兵務課 昭和5年陸達第8号中改正の件」に改正の旨を示す記載がありました。
水筒口栓を口締革ではなく、綿製平打紐で固定します。
この時点では、まだ釣紐の長さを調節する金具は残っています。



(C)水筒紐(昭五式)波号
一切金具を使っていません。徹底的に金属資源を節約しています。




(5)出動時の装着方法について
昭和15年~昭和18年頃の資料よりイラストを引用しました。
(「下士官以下出動時軍装装着一覧表」より)
あくまでも一例なので、例外はあります。部隊によっても指導方法は異なります。
図を見ると、釣紐は正面側では帯革の上を通し、背面側では帯革の下に通しています。
雑嚢、水筒、防毒面携帯袋(被甲嚢)の順に身に着けるとよいと思います。



■拳銃を装備する場合
拳銃嚢を装備する場合は、一般的に拳銃嚢の反対側に水筒を装備するといわれています。
戦車兵などは雑嚢と拳銃嚢は左肩から右腰、水筒は右肩から左腰に装備しています。
順番は雑嚢、水筒、拳銃嚢がよいと思います。拳銃嚢の負革と、雑嚢の釣紐は重ねない方が美しいです。
当然ながら戦地では例外もあり、同じ方向に装備している例も多々あります。



水筒と拳銃嚢の位置関係の理由は不明ですが、旧来の乗馬兵の著装法に由来しているのではないかと思います。
昭和11年「野砲兵第七聯隊学術科教程」中のイラストも水筒は左腰、拳銃嚢は右腰にあります。
水筒、銃剣、眼鏡(双眼鏡?)、拳銃の順に身に着けるように指示があります。
(イラスト中の水筒は旧式水筒、水筒紐革は乗馬兵用と思われる)




(6)まとめ
旧式水筒に続いて、新式水筒の変遷をまとめました。
まだまだ考察不十分な点もあるかもしれませんが、気づき次第訂正していきます。
この記事を書くにあたり、協力してくださった方々に感謝いたします。



ではでは。



H27 9/11
水筒口栓に関する資料を小宮 寧様より提供していただきました。
この場を借りて、御礼申し上げます。

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オニヅカ堂製 昭五式夏衣袴 【"昭五式道"入門】

2017-05-17 22:55:35 | 日本陸軍 軍衣(冬衣)/夏衣/袴/襦袢/作業衣
H27 1/3 2013年3月13日に投稿したものを追記・改訂
H29 5/17 中田製九八式夏衣袴の記事が好評につきこちらも再編集

下士官兵に支給される昭五式夏衣袴です。袴は徒歩兵に支給される長袴です。
昭和13年以降の着用例に関してはHIKI製の昭五式夏衣の部分で書いたので省略します。
勧誘用のビラ程度に読んでいただいて結構です。



一部のネット記事や書籍では「夏軍衣袴」と表現されていますが大きな誤りです。
夏服なので正しくは夏衣、袴は夏袴です。
「軍衣」は羅紗(ウール)の冬用の上衣のこと、「軍袴」は冬用の袴のことです。
後発の九八式、三式では夏衣/冬衣・夏袴/冬袴と名称が変更されます。
なお、従軍経験者の方は軍服を軍衣と呼ぶ場合があります。
一部の部隊では終戦まで詰襟の被服を着用しており、従軍経験のあるお爺さんは「詰襟の軍服」などとよく表現します。
中には折襟の軍服を見たことがない、という方もいらっしゃいます。

(1)襟章
歩兵科の緋(ひ)色です。血の色を表しています。
これもオニヅカ堂様の製作品です。隊号章は中田商店製です。



取り付ける位置は兵科章は襟の縁(ホックの位置)から約3 mm離します。
隊号章は兵科章の縁から約18 mmの位置に穴をあけて取り付けます。
二桁の場合はまた異なります。資料を掲載いたしますのでご参照ください。
左右数か所をしっかりと縫い付けるだけで十分です。



襟についている白い布は「襟布(えりふ)」といいます。
これは襟の汚損を防ぐ為のものです。必須です。
夏衣だけでなく、軍衣(冬服)にも取り付けます。
巾は約1寸三、四分とあり、襟からはみ出させる幅は1分(3mm程度)です。
上衣を着用したとき、襟布の右端を下にします。
なお、著装手順は襟布を処理してからホックをかけ、第一釦から下へ釦を留めます。



全体は図の通りです。昭和5年の資料より引用しました。標題「被服、装具の制式規定の件」
生地は大正10年改正の白キャラコから白綿布に改正されます。
そして既知の通り、昭和13年の改正により襟布は「茶褐綿布」になります。






(3)肩章支紐について
肩章支紐(かたしょうささえひも)は肩章(階級章)を取り付けるためのループです。
今まで、この支紐の取り付け位置に満足できる複製品がなく、正確な取り付け位置を調べていた時期がありました。
着る人の体格によっても差異が出るものですが、この商品は着用時の見栄えがとてもいいと思います。



ボタン留めで取り外し式の階級章は明治45年に採用されます。
明治45年「標題:着脱式肩章の製式に関する件」



取り付け位置に関して、明確に記載された資料は現時点で(自分個人は)みたことがありません。
「被服手入保存法」には肩から5分(約15 mm)の位置と指示があります。
前後間の間隔については特に記載がありません。



さらに、文章化された資料を示します。
肩の一番高いところから階級章の3/4が前、1/4が後ろになるように、とあります。
補足説明として「胸側の支紐が第一ボタンの上側のラインと同じになる」とあります。
実物にも取り付け位置は差異があり、よくわかりません。



海外製のレプリカも資料に基づいて手直しすることをお勧めします。
着用時の見栄えが格段に向上するはずです。
あまり気にしない人が多いのか、話題にしても全く相手にされませんでした(笑)

(3)袴
袴は主に徒歩兵に支給される長袴です。乗馬兵には短袴が支給されます。
平時の外出時などの略装では、脚絆は巻きません。








(4)「昭五式道」ノススメ
昭五式はその見栄えのよさから人気があります。
しかし、細かい装備の組み合わせが複雑で、入念に資料を観察する必要があります。
それこそ水筒のキャップ一個、略帽や巻脚絆の生地色(カーキ限定)にまで気を配る必要があります。
編上靴は規格低下品ではない「昭五式」かつ「裏革」が望ましいです。
各種複製品や代用品を探してみて下さい。

市場に出回っている戦前の軍装品は複製品もラインナップが中途半端かつ流通量が少ないです。
タイミングを逃すと手に入りづらくなるものも多いのでフットワークの軽さは重要だと思います。
特に関心をもって意欲的に望まなければ、この時代の被服装備品を揃えるのは難しいと感じます。
以下に「昭五式道」に進む前に収集しておいた方がいい装備品を紹介します。
イメージとしては昭和12年夏以降を想定しています。

1.防毒面携帯袋(被甲嚢)
ガスマスクケースです。後回しにされがちですが必須の装備品です。
写真はオニヅカ堂製の複製品です。「九五式」にしておくのが無難です。



2.雑嚢
左から大正三年型、昭和七年型、昭和十二年型(昭和12年11月15日改正)です。
昭和12年頃の大陸戦線の設定であるなら、昭和七年型を強くお勧めします。(個人の感想)



こちらが昭和七年型雑嚢です。
篠原工房製の複製品です。オニヅカ堂でも購入可能です。



3.水筒
明治31年制定の水筒(旧式水筒)でもいいですが、新式水筒でも問題ありません。
写真はHIKI-SHOP製水筒の木製キャップを、旧式水筒のキャップと交換しました。
実際には微妙に違うのかもしれませんが、雰囲気は十分だと思います。






水筒本体は「昭五式」が望ましいですが入手困難です。
画像左より昭五式、九九式、ロ号です。()内は製造年です。(資料提供:KNEI君)
塗装色が気になる方は、下記の写真を参考に塗り直してみてもよいと思います。
水筒の詳しい解説は水筒カテゴリーの記事をご覧ください。



4.略帽・巻脚絆
略帽は各メーカーから素晴らしい複製品が出ています。
巻脚絆はオニヅカ堂で購入可能です。略帽とセットでどうぞ。



以上が「昭五式道」スタートセットです。
その他にも例をあげると枚挙に暇がありませんが、特に1~3は優先順位「高」だと思います。
忘れられがちですが、鉄帽も忘れないでください。九〇式でよいと思います。

これらを組み合わせると下のような軍装になります。
(画像引用:鳥取市歴史博物館やまびこ館発行「歩兵第四十連隊の写真帳 レンズがとらえた鳥取の軍隊」)
背嚢に関しては別の記事をご覧ください。
着装法は部隊によって指導方法は異なるため、あくまでも一例です。
写真では襟に隊号章がついていますが、出征部隊であれば外します。
弾薬盒は三十年式、後盒は昭和9年に廃止になりますが、昭和12年5月に小改造を加えて復活します。
後盒の変遷は海外フォーラムや他のブログで詳しく解説されています。
肝心の前盒は、大戦後期のものや再現度の極めて低いレプリカを使わないように注意した方がいいです。
銃剣の剣身は白磨がよいようです。黒錆染は昭和13年末頃から登場するようです。
なお、写真中の兵士が身に着けている水筒は旧式水筒です。



内地と外地、撮影時期や部隊によっても装備の組み合わせは大きくかわります。
資料をよく見て、「これだ!」と思うものを目指してみてください。


ではでは。

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男軍装道はショカコーラの味がした

2017-05-13 02:19:32 | 日記
H29 5/12 インターネット環境が整ったので再編集

読者の皆様お久しぶりです。
更新が滞っていましたが、久々に近況を報告します。
社会人生活も好調なスタートを切ることができました。
実家を離れる時、家族から武装解除命令、すなわち軍装品放棄命令を受けました。
必死の抵抗も虚しく、新生活の費用も必要だったので、命令に従うことにしました。
一部は祖父母宅に移しました。
軍装はこれを機会に引退かと思いきや、自己紹介でこの趣味を話すと意外に好印象でした。
結局、これは己のアイデンティーとして大切にすべきなのでは、と思うようになりました。
前置きはこのくらいにして本題に移ります。

■4月29日
軍装道のあいこっちーもとい、満州顔のルンチーもとい、永遠の見習士官たるペニヤンJr.が九州より来京しました。
東京駅で合流し皇居遙拝の後、神保町軍装店に行きました。
「軍隊屋」の熱弁と、独特の雰囲気がいつ来てもワクワクします。
長らくブログに掲載したいと思っていた資料が手に入ってよかったです。
もう一つ目当ての物があったのですが、サイズがあわずに断念しました。






■4月30日
会社の同期と共にVショーに行きました。
29日の時点で欲しいものが手に入っていたので、特に買い物はせずに撤収しました。
ペニヤンJr.がショカコーラの配給をしていたので一つもらいました。(もっと食べてたか??)
下の写真は会場で撮影させてもらったものです。(問題があれば消去いたします)
左からKNEI君、ペニヤンJr.、葱花さんです。ありがとうございました。




■5月2日/4日
実家に帰省しました。
書籍はマンガをはじめ大部分を処分したので、部屋はスッカラカンでした。
今後仕事で使うであろう教科書等の書籍を寮へ発送しました。
「学生時代にすべきこと」系の書籍はボロボロになるまで読みつくしましたが、もう役目はありません。
その代わり「20代でやっておきたいこと」系の本を持っていくことにしました。
軍装品関係の本は数冊にしておきました。
一億人の昭和史をはじめ、戦前戦中の雑誌はしばらく実家で保管しておきます。
書籍に関しては寛容だったので、捨てられることはないと思います。
ただし、須川薫雄著「日本の軍用銃と装具」だけは寮に持ってきました。
内定が決まった次の日に記念で買った本なので、初心を忘れないように手元に置いておきたかったのです。
その他には大学時代の同期と回らない寿司屋で食事をしました。
彼とは大学1年から3年まで同じクラスだったのに、院1年になるまで一度も会話をしたことがありませんでした。
人の縁とは本当に不思議なものだと思います。


■5月5日
しなの大尉殿と共にGW浅草ブラックホールに参加しました。
大きい買い物は特にせず、記念写真を撮ってきました。
週番将校と週番下士官です。



レーションの湯気で肌に潤いを与えるドイツ空軍士官(笑)



その後、ルミネエスト新宿のヴィレバンコラボ企画「おジャ魔女どれみカフェ」を見に行きました。
待ち人数があまりにも多かったので外から覗いてみると、同年代の人が多かったです。
カフェは三部(も~っと!)をイメージしており、パティシエ服のMAHO堂メンバーのパネルがありました。
三部はメンバーに飛鳥ももこ(左端)が加わり、作画もスタイリッシュに変更されます。
シリーズ上最も人気が高いようで、当時のキャラクターショーも盛況だったようです。
最終章たる四部放映後に三部のサイドストーリーとして「ナイショ」も放映されています。
「ナイショ」は正直どれみらしくないです。好みは分かれると思います。
どれみの妹ぽっぷも三部以降はほとんど出番がなく、ナイショでも微妙な役が与えられています。



ちなみに、一部の作画はこのような感じです。
内容よりもOP曲「おジャ魔女カーニバル!!」の方が認知度は高いようです。
店内でもガンガン流れてました。



そして、こちらが四部の作画です。
三部から服が変わって、多少オシャレになります。
画像のごとくグッズをわしづかみにしてレジへ直行しました。
四部OP曲「DANCE!おジャ魔女」は時々爆音で聴きたくなります。




■5月6日/7日
各種研修で体力がいるので、ジムの申し込みに行きました。
生活に必要なので自転車を買いましたが、今のところ一度も乗ってないです。
後は同期とボーリングへ行ったり、温泉に行ったりしていました。
温泉めぐりが新しい趣味になりそうです。


■まとめ・雑記
近況報告はこれくらいにしておきます。
過去記事の訂正作業は今後も続けていく予定です。
新たな目標も定まったので、軍装はまだしばらく続けられるように努力します。
ブログには着用例や、実物との比較、複製品の手直しなどを盛り込んでいきたいと思っています。
そのためには観察力と行動力を高めるのが最優先事項です。

銅部隊に関しては新規会員が2名加わりました。
ミエケン氏が主導でイベント参加を企画してくれたため、無事に顔合わせができました。
部隊も正式な結成から今年で2年を迎え、来年には節目となる3年目を迎えます。
物事は3日・3週間・3ヶ月・3年で変化するといわれており、正にその節目が迫っています。
その3年目にどのような姿であるのが望ましいのか、日々想いをめぐらせています。
長々と書きましたが、やはり楽しいことが第一です。
人が集まればそれだけ大きなエネルギーが産まれ、一人ではできないことも達成できます。
銅部隊では現在も会員を募集しています。
主体性があり、グループワークを理解できる方を歓迎します。
今、自分が目指している軍装は「1/1スケール」の軍装です。
実物大でジオラマを作りたい、と言った方がイメージが沸くと思います。
そして、もう一求めているのは「Sizzle(シズル感)」です。
これは肉がジュージューと焼ける音に由来しています。
転じて、今にも動き出しそうなリアリティや人を引き込む魅力を軍装にも加えたいと思っています。
当然迫力だけではなくてー・・・言いたいことわかりますよね?


ではでは。


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【増補版】中田製 九八式夏衣袴/襟章・隊号章規定位置/胸章/憲兵特別徽章/襟布寸法

2017-05-07 00:30:33 | 日本陸軍 軍衣(冬衣)/夏衣/袴/襦袢/作業衣
■2017年5月3日 新式隊号章写真追加
*2014年12月28日に投稿したものに資料を追加しました。

中田商店製の九八式夏衣袴(夏服)です。
ネット上や一部雑誌でみかける「夏軍衣」という表記方法は大間違いです。
夏服は「夏衣」、夏用の袴は「夏袴」、上下合わせて夏衣袴(なついこ)と表記します。
冬服は「冬衣」、冬用の袴は「冬袴」、上下合わせて冬衣袴(ふゆいこ)と表記します。
九八式軍衣という言い方は俗称なので気をつけてください。
(昭五式軍衣までは「軍衣」が冬用の上衣を、「軍袴」が冬用の袴を示していました。)
「98式軍服」や「九八式軍装」などという言い方も望ましくありません。
また、兵下士官用という表記も不適切で、「下士官兵用」とするのがよいと思います。
さらに、「98式」ではなく「九八式」と漢数字で書くことをオススメします。
より正式な書き方をするなら、上下あわせて「夏衣袴(九八式)」と書くべきでしょうか。
「初心者向け」などといわれることの多い一着ですが、決してそのようなことはないと思います。
昭和13年の制定から終戦まで、徽章類や着用規定が度々改められていきます。
それらを理解した上で、身に着けるべき装備品にも気を配っていく必要があります。
今回は昭和13年~昭和15年頃の内地の歩兵下士官兵を想定した服制に基づいて解説します。



参考に軍衣の各部分の名称を示します。(ここでの軍衣は軍服の意味)
図は昭和15年「陸軍各種兵科模範軍人教典 : 附録・陸軍各学校入学案内」より引用しました。
腰ポケットが描かれていないので気をつけてください。
肩には後述する「軍装せざる場合の儀式、外出などで用いる肩章」が描かれています。




(1)上衣
サイズはLサイズです。かなりゆったりしています。身長175程度で、ガッチリした体系の人向けです。
自分も体格は比較的いい方ですが、肩と胸に余裕があります。袖もわずかに長いので、何度か洗って縮めます。
服のサイズがあっていないのは最悪なので、ピッタリ目か少し小さめがいいかもしれません。
物によっては洗うと縮んでしまう場合もあるので注意が必要です。
生地は硬めで、表面はピカピカしています。いかにもレプリカといった感じです(汗。
色はやや緑が強い気がするので、今後洗濯して軽く脱色してみたいと思います。
写真は撮影していませんが、左腰の剣留(けんとめ)もしっかりした作りです。
剣留については記事の最後で解説します。



ボタンはキレイな真鍮ボタンです。
時期によりボタンも異なるので、徽章(きしょう)類や装備品との組み合わせには注意が必要です。



★ボタンの変遷*重要!*
時代によって釦にも仕様に差異があります。
何年ごろを再現するかにもよって釦の仕様や、取り付けるべき徽章類、身に着ける装備品も変わってきます。
中田製はロットによってボタンの仕様が異なるので必ず確認してください。

13年~  真鍮製(伊号
13年-17年~ 鋼製代用金メッキ
16年-17年~ 鋼製銅メッキ
14年-18年~ 鋼製茶褐塗装(呂号)
17年-18年~ 石炭酸樹脂製(波号)

★特徴的な構造
ワキの下に切れ込みがあります。通気性をよくするためです。
九八式夏衣(夏服)で新たに設計された特徴的な部分です。
腰のポケットも忘れてはいけません。
ここも旧来の軍服に変って増設された部分です。





★内側
安心の中田マークです。検定印には大号の表記があります。
九八式軍衣ではサイズ表記は一~六号(数字が小さいほどサイズが大きい)です。
昭和18年に制定された三式軍衣では大・中・小号と表記が変ります。
大号の表記は三式軍衣を模したものではなく、中田商店のサイズ表記だと思います。



内側の下方にはポケットがあります。包帯包入です。




(2)襟章(階級章)の取りつけ
昭和18年10月12日に改正される「織出」の階級章が付属しています。
織出の階級章自体は試製織出襟章として昭和14年5月29日陸達第三十号で定められます。
昭和18年制との大きな差異は星の配置です。



以下の資料が、昭和14年時点での織出の襟章の制定と、それに関連するものを指しています。





ここで、襟章と隊号章の取りつけ位置を下の図に示します。
将校准士官下士官兵は全て同じ位置と書かれています。取り付け位置はあくまでも目安です。
また、隊号章は明治45年制定のものにかわり、昭和13年に新モデルが登場します。



【新式隊号章】
左は明治45年制定の隊号章(以下旧式)と、右は昭和13年改正の新モデル(以下新式)です。
旧式は中田製の複製品、新式は実物です。(カメラ故障につき画質悪く申し訳なし)



新式隊号章の特徴として、襟に縫い留めるために縫い糸をかける構造があることです。(☆印)
メーカーや数字によって、字体や縫い留める構造に差異があります。





ところが、この新式隊号章は入手困難かつ複製品も市場にはほとんど出回っていません。
ふきや商店で取り扱っているものが大きさだけなら新式に近いです。
構造が旧式隊号章と同じなので、脚を折って糸で縫い留めるとよいと思います。
(注)中田製とふきや商店製の隊号章は実物とは脚の位置が異なります。

【取り付け例】
取り付けの参考例を示します。
まず、襟章は昭和13年制定のものにしました。マニアの間で座布団と呼ばれるものです。
このタイプなら織出よりも対応できる時代の幅が広く終戦まで使えます。
階級章の四角を簡単に縫い留めておくだけで十分です。
縫い付けは完全に自己流で、対角線に糸を走らせるとバランスがよくなる気がします。
隊号章は中田の隊号章(旧式)です。
旧式品も在庫がある限り使われ続けていたようで、使用には問題ないようです。
取付方法は襟に穴を開ける等諸説ありますが、今回は脚を折って縫い付けました。






(3)襟布(えりふ)
襟の汚損を防ぎ、衛星維持のために大切なものです。
めんどうくさがらずに必ず取り付けてください。
当然ながら、冬衣にも取り付けます
なお、上衣を着用したとき、襟布の右側を下にします。



襟布にも様々な仕様があり、軍服の変遷と共に進化してきました。
今回は昭和13年に改正される「茶褐色」系の色のものを取り付けてみました。
当時物の三角巾か何かを裁断して作られた複製品です。
縫いつけはオードソックスな山型三連です。他にも縫い付け方があるそうです。
是非、お手元の軍衣に縫い付けてあげてください。本当にこれだけで見栄えが変ります。



■襟布のサイズ
襟布の大きさについてです。巾(はば)は約1寸3分程度にたたむとあります。
襟からはみ出させる幅は1分(約3mm程度)です。
テキトーな三角巾をカットして使ってもいいと思います。
(被服の制定より古いですが、昭和11年「被服手入保存法」より引用しました)



全体のサイズは以下の資料により定められています。
昭和13年 標題「陸軍服制第5條に依る服制並装具の制式中改正の件
生地は昭和13年に従来の「白綿布」から「茶褐綿布」に改められます。斜辺が約500mm 底辺が824mmです。





改正の後も白の襟布は私物や、在庫品を処分する形で用いられていたようです。
白の襟布の方が見栄えがいいため、好まれていたようです。
白と茶褐色のどちらが多かったかは、残念ながら現存する資料からは判別できません。
一般的な「内地が白、戦地が茶褐色(新制定のもの)」という考え方は正しくもあり、誤りでもあります。(確からしいと言えない)
また、茶褐色(緑系)の襟布は部隊で染色されたものもあるようです。


ここで、スルーされがちな昭和15年の改正について説明します。
結構重要なポイントなので、よく読んで理解してください。
その前に、「兵科」と「各部」について説明します。
この区分を理解していないと、服制を理解するときに混乱してしまいます。

☆兵科と各部について
日本陸軍では歩兵科・砲兵科・騎兵科・工兵科・輜重兵科・航空兵科・憲兵科を兵科(へいか)、
技術部・経理部・衛生部・獣医部・軍楽部・法務部を各部(かくぶ)と区分しています.
昭和15年の改正により、胸章を付けているのは上記の各部下士官兵のみとなります。

詳しくは大日本帝国陸軍 - Wikipediaへどうぞ。


(4)昭和15年「勅令第五八五号 陸軍服制中改正」
(A)兵長階級章について/昭和15年制定!
同勅令にて兵長の階級章は定められます。
外出時や、軍装をしない場合(武装しない場合のこと)の儀式に用いる肩章も描かれています。



(B)憲兵徽章について
憲兵の特別徽章、いわゆる憲兵徽章についてです。
図にもある通り、胸章は「各部のみ」になります。
つまり、憲兵徽章と胸章は同時に取り付けることはできません。
他のブログでは憲兵徽章、胸章(憲兵科)、兵長階級章という組み合わせをみますが、上記の通りオカシイことがわかります。
気をつけてください。





(C)胸章(むねしょう)昭和15年 兵科将校下士官兵は廃止
新型の兵科章は右胸に取り付けるので胸章(むねしょう)といいます。
縫いつける位置は胸ポケットのボタンホールと、第二ボタンのボタンホールを基準にしています。
下士官兵用は茶褐色の台座が付きます。将校用はサイズが大きく、基本的には台座はつきません。



■胸章についての注意(重要)
昭和13年5月31日 胸章制定
昭和15年9月13日 胸章は各部将校下士官兵のみになる(昭和15年「勅令第五八五号 陸軍服制中改正」)
昭和18年10月12日胸章廃止、各部将校下士官兵は階級章の下に識別章を取り付ける(「勅令第七百七十四号 陸軍服制中改正の件」)
以下の図が下士官、兵の識別章です。階級章の下に取り付けます。



★新旧規定の混在
基本的に、服制上は写真のように新旧規定が混在することは問題ありませんでした。
昭和13年に新しい制服が制定されたからといって、全てが更新されるわけではありません。
写真は将校の記念写真で、昭和14年に発効された当時の雑誌から引用しました。
これらの新旧規定の混在に関しては、当ブログでも別の記事で解説していますので探してみてください。
昭和13年 標題「陸軍服制附則第3項に依る制式の混用に関する件」等



★昭和15年以降の胸章の取りつけ例
まず、一枚目は1943年に撮影された衛生兵の写真です。
胸には胸章が取りつけられています。衛生「部」の兵士だからです。



繰り返しますが、胸章は昭和15年に兵科将校下士官兵は廃止になり、各部将校下士官兵のみが取りつけます。
昭和18年には各部も完全廃止となり、各部将校下士官兵は「識別章」という線を階級章の下に取り付けます。

★胸章の色について
黄色は砲兵ですが、昭和15年の改正により、技術部の色になります。
先ほども紹介しました昭和15年「勅令第五八五号 陸軍服制中改正」に基づいています。
その他各部の定絨色の改正は各自ご確認をよろしくお願いします。




(5)腰紐の処理
これは着装の初歩中の初歩なのですが、意外に見落としがちです。
なのでこの期にまとめておこうと思います。
*例外もあったかも知れないのでご注意を





1.背面でクロスさせた紐を手前の左右二箇所のループに通して引っ張ります。



2.引っ張ってきた紐を正面でクロスし、左右のループに通して引っ張ります。



3.袴がずり下がらないように注意します。余った部分は正面を通る紐に巻きつけて終わりです。
蝶々結びはしないそうです。(蝶々結びをしている例もあります)。しわがよってしまったらキレイに伸ばしてください。



時々、「軍衣袴の上下色違いがヘン」という人がいますが、上下色違いが当たり前です。
当時の写真をよく観察すれば色合いが違うことがお分かりいただけると思います。
それ以外にも以下のような資料により説明ができます。
昭和8年12月18日標題「下士官兵軍(夏)衣と軍(夏)袴の色相に関する件」
陸普第七七四六号 下士官兵軍(夏)衣ト軍(夏)袴ノ色相ニ関スル件
陸軍一般ヘ通牒 昭和8年12月18日 陸軍省副官 牛島滿
軍(夏)衣ト軍(夏)袴トハ其ノ保存期限ヲ異ニスル関係上本年6月陸普第四一二八号ニ依リ
各別ニ梱包補給スルコトトナリ之カ支給ニ際シテハ兩者ノ製作年次及程度ノ異ナルモノアル等ノ為
儀式等ノ場合ニ於テモ衣ト袴トノ色相ノ多少相違スルハ止ムヲ得サル儀ニ付承知相成度為念通牒ス



(6)襦袢と袴下
下着です。図は昭和13年のモデルを示しています。
この頃から襦袢は茶褐色に染色されるようになります。
襦袢はユニクロなどにある襟のないシャツが代用できます。
袴下は実物や複製品も限られるので、モモヒキなどが代用できると思います。
実物はネット上でもみれるので、探してみてください。




★まとめ
何度か洗濯してみましたが、思ったほど色落ちしてくれません。
生地も相変わらずピカピカしたままです。憧れの中田製だっただけに、ちょっと残念です。
このロットのものはお勧めできません。
とはいえ、夏衣袴(九八式)は軍装を続けるために必要な基礎知識を学ぶきっかけとしては一番いいと思います。
服制というものが理解できなければ、この趣味を楽しむことはできません。
理解できるまで何度も復習して、今後も応用していただければ幸いです。
日本陸軍には他にも魅力的な被服がありますが、これをまずはサラッと着こなしてください。


★オマケ2
昭和18年に登場する夏衣袴(三式)の仕様書の一部分です。
型紙を作って自作したい方はご自由にどうぞ。
画像中央のベロが剣留(けんとめ)です。
使い方については、銃剣の記事のところに書きましたのでご覧ください。
従軍経験者や古いマニアの中に剣吊(けんつり)という人がいますが、これは俗称です。
俗称を使うなとはいいませんが、できる限り正式名称で覚えた方がいいです。



なお、昭和19年8月26日を以って、夏衣に代わって防暑衣を用いてよいとなります。
(標題:陸軍軍人軍属の服制並に服装に関する特例左の通定む)




ではでは。


★参考記事
当ブログでは旧製品の方も紹介しております。
ご参考にどうぞ。

中田製 九八式夏衣袴(旧製品)





▲個人的な意見

夏衣袴(九八式)の複製品は、中田製かHIKI-SHOP製が定番だと思います。
個人的な意見ですが、自分はHIKI製をお勧めします。
HIKI製は釦が昭五式軍衣と同じ赫銅釦が取り付けられています。
このボタンは昭和13年の制定時から終戦まで使えます。
ゆえに、徽章類や装備品の組み合わせによって、戦前から戦中までフレキシブルに対応できると考えています。
中田製はサイズも大き目で、ロットによって生地質にもバラつきがあります。
HIKI製はサイズに幅があり、生地は薄目ですが不自然な光沢もあまり感じられません。(現時点では)
ですので、サバイバルゲーム等のイベントで用いる程度であればHIKI製の方がいいのではないかと思います。
資料として実物も入手しておくと、どこを手直しすればいいかもよくわかります。
あくまでも個人の意見ですが、参考になれば幸いです。
HIKI製の複製品はPKミリタリアで購入可能です。



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