ニュートンリング模型日和

どれみ「テレビ絵本版はとりあえず各シリーズ第1巻のみ揃えました・・・。」

実物 三式戦闘機「飛燕」

2017-03-26 18:23:34 | 日記
今日は各務ヶ原航空宇宙博物館まで復元中の三式戦闘機「飛燕」を見学しに行ってきました。
本館は現在改装工事中ですが、リニューアル後には十二試艦戦の実物大モデルも展示されるそうです。



プラモデルはファインモールドの1/72とハセガワとアリイ(旧LS)の1/48を作った記憶があります。
個人的には244戦隊の機体が好きで、迷彩を描き、尾翼は赤く塗るのが定番でした。
ファインのキットには迷彩デカールが付属しましたが、当時中学生の自分には扱えない代物でした。
アリイの1/48は粗削りとはいえエンヂンもパーツ化されており、意欲的な一品だったと思います。
タミヤも新作として1/48飛燕を発表しましたが、ちゃんとエンヂンとパイロットが付属しているのがヨシ!
ハセガワの1/32は雑誌の懸賞で頂きましたが、手を付ける間もなく売却してしまいました。
当時、1/32の飛燕は古いレベルのキットしかなく、名古屋駅前のレオナルドを漁っていた思い出があります。
それが今では改造キットも含めてとはいえ、一式~五式まで1/32でほぼ揃ういい時代になりました。



この前日に、KNEI君に誘ってもらい、でくの房セカンド木村さんと、取材に来ていた木口君に会うことができました。
また、木村さんのご友人のコレクターの方からもお話を伺うことができました。
トーク内容はあまりにも濃すぎるため、割愛させていただきます(笑)
三人寄れば文殊の知恵とはいいますが、五人よれば・・・・。



今朝はそのコレクターの方のご自宅に招いていただき、四人で色々と漁らせていただきました。
個人宅につき写真はありませんが、イメージ画像を掲載しておきますので想像にお任せします。



戦利品は教練用銃剣、旧式水筒口栓、補修用の饅頭釦(外套用?)、中田製旧式水筒紐です。
「岡山組」に比べると、名古屋勢は比較的おとなしめでした。
左は博物館で買った飛燕の資料集です。



そんな感じで軍装だけではなく、模型趣味も思い出せたいい二日間でした。
みなさんありがとうございました。またよろしくお願いします。


ではでは。
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篠原工房製 昭和七年改正雑嚢

2017-03-24 23:08:01 | 日本陸軍 雑嚢
■2016年10月21日に投稿した記事を再改定

一日千秋の思いで待っていました。
ようやく待望の一品を手にすることができました。
篠原工房製 昭和七年改正雑嚢です。いわゆる昭和七年型雑嚢です。
大正三年型雑嚢を昭和7年に改正したものと言われていますが、正確な改正年月日は不明です。






■概要と疑問点
あまり知られていませんが、昭和5年にも雑嚢が制定されています。
これは昭和5年陸達第八号により定められたもののようですが、全く資料がありません。
昭和5年標題「被服装具制式規定の件」より図を引用します。
この資料中には昭五式背嚢など、主に昭和5年に制定された被服・装具がまとめられています。



図には大正三年型と同じく、嚢(フクロ)側面にホックが描かれています。
基本的な型紙は大正三年型と同じようです。
紐の先端は角ばっており、何か金具が取り付けられているのでしょうか。
紐の縫い付けは大正三年型雑嚢と同じく砂時計型です。
材料の表を見る限り、蓋締紐・中締紐は革ではないようです。
材料は以下のように書かれています。(表の左端)
革は用いられていないようです。



こちらは大正三年型の図です。比較してみてください。



そして、1932年03月31日官報中で、昭和5年に制定された雑嚢の図を改めるとあります。
これが昭和7年(1932年)改正の根拠だと思われますが、それ以外の資料を発見できません。
以下に同官報より引用した図を示します。



材料については特に書かれておらず、昭和五年型と同じだと思われます。
まず、嚢に書かれた半円状のものが「差込尾錠」だと思われます。蓋締紐・中締紐の先端は丸くなっています。
嚢は裁断が改められたと思えるような描かれ方をしており、嚢側面のホックは描かれていません。
大正三年型雑嚢とは明らかに違う形状にみえます。
この構造の実物は見たことがありません。図が正しく模写されていない可能性もあります。

一般的に、昭和七年型雑嚢は大正三年型雑嚢と基本的な型紙が同じと言われています。
当時撮影された写真も、両者は大差が無いようにみえます。
下の写真は左が大正三年型、右が昭和七年型です。



この写真も昭和七年型雑嚢の写真ですが、大正三年型に近いように思えます。



官報中の図は、どちらかといえば、いわゆる昭和十二年型に近いように感じます。
左が昭和七年型、右が昭和十二年型です。両者は嚢の裁断が異なります。
昭和十二年型は正面からみて輪郭をなぞるように縫い目がみえます。
なお、容量が増加するのは昭和十二年型からです。約1.5倍になります。
蓋締紐の縫い付けは、どちらも長方形の中にバッテンです。



さらに、こちらは1941年に宮本三郎により描かれた「南苑攻撃図」中の雑嚢の絵です。
右下に差込尾錠と思われる金具があり、嚢の底部には輪郭をなぞるように縫目がみえます。
昭和十二年型のようにもみえますが、中央部にも差込尾錠が描かれているようにみえます。
昭和七年型と昭和十二年型を混同して描いてしまったのか、それとも・・・・。




■まとめ
昭和七年型雑嚢は、昭和12年夏季の装備には欠かせないアイテムです。
昭和十二年型雑嚢は昭和12年11月15日改正なので、昭和12年の設定で使うには七年型の方がいいと思います。
昭和7年改正の根拠は今後も調べ続けようと思います。




ではでは。
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さらば、天満橋陸軍予備士官学校

2017-03-18 22:41:17 | イベント
今日はいつもお世話になっている大阪は天満橋の軍装パーティに参加してきました。
4月から勤務地が関東になるため、関西とのしばしの別れを惜しむ旅になりました。
新幹線の車窓を過ぎていく景色に、学生生活を名残惜しく思うのでした。
主催のみやっちさんをはじめ、見送ってくれたペニヤンJr.と皆様に感謝いたします。
(記事中の写真で問題があればご連絡ください)



今回はペニヤンJr.と共に神戸は元町高架下にある中川美術にも行ってきました。
閉店が噂されていましたが、まだしばらくは土日に絞って営業は続けるようです。
お店の方にお茶菓子を頂きながら、色々とお話を伺いました。
偶然居合わせたコレクターの方に、実物の戦闘用試製帽(眼庇無タイプ)を見せていただきました。
まさか実物が現存しているとは思いませんでした。


■パーティの様子
いつも通り、にぎやかな雰囲気です。料理もおいしいので箸が止まりません。
社会人の先輩方とお話させていただくいい機会になりました。





■さらば、天満橋陸軍予備士官学校
今回も先週の九州合宿に続き見習士官をやりました。
毎度のことながら服は綿製冬衣袴です。特別徽章はいわゆる「座金」です。
見習士官=革脚絆と思われがちですが、基本的には徒歩兵なら巻脚絆、乗馬兵は長靴(革脚絆)だと思います。
記念写真などは見栄えを考慮して革脚絆を用いていることが多いように感じられます。



また、軍帽と略帽は昭和18年10月12日勅令第七百七十四号に従うなら、頤紐及び頤紐釦は将校に同じです。
一部の従軍体験記を読むと、将校略帽の使用を咎められた話もあり、下士官兵用でも問題ないと考えています。
ペニヤンJr.に将校略帽を借りてみました。さすが篠原製、いいシルエットです。



最後に、見習士官で集合写真を撮りました。
左から野戦装備のみやっちさん、ペニヤンJr.、自分です。
今日のペニヤンJr.は九州合宿に引き続き将校服を着た見習士官です。
これは昭和19年4月17日陸普第一五三六号により定められる服制に基づいています。
具体的には、見習士官及び少尉候補者は任官前に将校准士官の制服と長靴を用いてよいとなります。
ただし、袖の星章を除き、刀帯は衣の上から着用します。
写真からわかるように、剣留がないため、刀帯がずり下がってしまいます。
昭和20年6月10日陸普第一二九〇号により、刀帯は衣の下に著用するように改められます。
なお、鉤鎖(釣鎖/グルメット)は昭和15年勅令第五八五号により、騎兵科将校以外も使用が公に許可されます。




■まとめ
新幹線の時間が迫っていたので、残念ながら途中退席となってしまいました。
本当に軍装という趣味をやっててよかったと思える一日でした。
この道何十年という方々のお話を聞かせてもらうと、この趣味の奥深さに改めて気づきます。
「軍装道は10年やっても初心者」と言われる理由がわかった気がします。
新しい発見や、人との出会いがこの趣味を続ける一番のエネルギーになるのかなと思います。


ではでは。
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銅部隊九州合宿を実施しました

2017-03-14 18:46:21 | 銅部隊
先週3月11日から13日まで、卒業旅行を兼ねて九州は福岡にて合宿を行いました。
仲間たちと、旅先で出会った方々に感謝の気持ちでいっぱいです。
参加者は下の写真前列左よりペニヤンJr.、自分、後列左より中島君、しかく君、KNEI君です。
「元寇」を聴きながらご覧ください(笑)



■1日目
博多駅に集合、レンタカーを調達して市内散策をしました。
長勇墓地、箱崎天満宮、市内に残る歴史的建造物を見学しました。



かの「元寇」に歌われた箱崎天満宮です。





市内には趣のある建物があり、内部を見学することができました。





▲「アンカー」戒厳令下の夜!
今宵の軍装パーティの会場は中洲にある軍歌バー「アンカー」です。
軍艦の船内を思わせる重厚な扉を開けると、軍歌のメロディーが高らかに流れてきます。
気さくなマスター(艦長)の掛け声と共にいざ、抜錨!





店内の雰囲気はこのような感じです。
軍歌も歌い放題で、普通のカラオケにはないような曲もリクエストできます。
一曲目はもちろん「元寇」でした。





おつまみはカンパンを「旗艦」に激ウマの辛子明太子!
小腹が空いたら出前をとっていいということで早速オーダー。





今回は見習士官をやっていました。たまには帯刀するのもいいもんです。



貸衣装も充実しています。実物も混じっています。
展示品の背嚢を組みなおす珍客・・・。







あれよあれよと日付が変わって、宿へ退散しました。
艦長殿、お見送りとお土産のカンパンありがとうございました。



■2日目
二日目は電車を乗り継いで太刀洗方面を散策しました。





周辺には当時の関連施設の名残があります。
飛行機雲がどこか虚しさを感じさせる小春日和の一日でした。





その後、さらに電車を乗り継いで中島邸に移動しました。
軍極秘につき所在地は明かせませんが、隣県の骨董屋にアタックしました。
各々大戦果があったようで何よりです。
その後、中島家の方々と一緒にバーベキューパーティをしました。
カメラのバッテリーが切れてしまったので、写真は少なめです。
あと、飲めない酒を飲んで轟沈して申し訳ありませんでした(汗)





第一種作業衣と第二種作業衣で記念撮影。
防塵眼鏡は煙の防御に大活躍だったようです。



その後はあまりにも酔いがひどく、立っていられなくなったので先に就寝させてもらいました。
とことんご家族のご好意に甘えさせていただきました。本当にありがとうございました。


■3日目
朝から研究室の指導教員のメールで目が覚めました。
ペニヤンJr.は仕事のため先に帰郷したので、3日目は4人で行動しました。
1日目に温泉に行きたいと話しが出ていたので、市内を散策して温泉に行きました。






◇まとめ
あまりプライベートなことは書いても仕方がないので、これぐらいにしておきます。
「遊び方の一つ」として読んでくだされば結構です。
改めて、仲間たちと会場を提供してくださっ方々に感謝いたします。
とても心の温まるいい旅になりました。


ではでは。


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中田製 昭和17年改正夏襦袢袴下/日本陸軍防暑衣袴の変遷

2017-03-01 20:44:54 | 日本陸軍 軍衣(冬衣)/夏衣/袴/襦袢/作業衣
この記事は2012年3月10日に投稿した記事を修正したものです。
*書きかけの記事です。

中田製の昭和17年改正夏襦袢袴下です。
「兵用防暑衣七部袖」とは中田商店の商品名であり正しい呼称ではありません。
「防暑襦袢」と表記されることが多いですが、元々は「防暑襦袢」と「折襟の夏襦袢」は別々の物でした。
これらは当初、特に台湾軍での使用を想定していたようですが、やがて全軍で用いられるようになります。
これらの変遷はやや複雑なので、今回は昭和5年以降の簡単な変遷と着用規定に絞ってまとめます。
今回紹介する商品は昭和17年に折襟の夏襦袢袴下と防暑襦袢袴下が統合されたものになります。
下の写真には襟章が付いていませんが、基本は軍衣に同じく正規の位置に襟章を取り付けます。



▲補足説明
昭和18年標題「昭和18年自1月至6月被服品仕様書並材料調書制定改正事項」
(1)月日:一月三十一日 命令番号:被仕一 品目:仕様書材料調書 廃止



(2)月日:一月三十二日 命令番号:被仕二 品目:襦袢袴下仕様書同材料調書 改正
画像二枚目の項目「二.」に興味深い記載があります。






★「防暑襦袢」の変遷
(1)昭和4年(昭和5年)
昭和4年6月20日陸達第二十三号により整備されます。
昭和4年標題「特殊地方用被服制式に関する件」
仕様を1929年6月20日官報より引用します。図は無いようです。
補足すると、物入無し・袖は六分・脇下の開口は開けっ放し・瀬戸釦・折襟といわれています。
自分は現物をみたのは一度だけなので、詳しい構造はわかりません。
これは後に、昭和5年陸達第八号に基づく制式品として改正されていくので、昭和5年制式として扱います。
昭和5年標題「被服、装具の制式規定の件」中の仕様は昭和4年のものと同じです。



下の写真の右側の人物が昭和5年制式の防暑襦袢と思われるものを着用しています。
左の人物は後の制式品と思わるものを着用しています。構造の違いを比較してみてください。
撮影年月日は1945年10月20日です。(AUSTRALIAN WAR MEMORIAL No.122321)



(2)昭和13年
昭和13年に改正がありますが、材料と制式に関する記載に大きな変化はありません。
現物を見たことがないので、詳しい構造は知りません。
重要なのは「備考」の方で、後述する将校准士官の防暑衣の襟章の附着位置の注意書きがあります。
昭和13年標題「昭和13年9月10日標題 大臣 特種地方用被服熱地被服の部防暑襦袢袴下の項改正」



また、防暑襦袢袴下を着用のときは、防暑衣を脱ぐことを許可されていたようです。
昭和13年標題「第2章 装備上ノ注意熱地作戦に於ける給養勤務の参考 昭和13.8」



■昭和14年 試製夏襦袢の試験
昭和14年に「試製夏襦袢」の記載がある資料を確認できました。
昭和14年標題「試製防暑被服等の追送に関する件」
表の左端に仕様が書かれています。折襟式(半袖・長袖の二種類)・襟章(織出品)
襟章は過去にも書いた通り、試製織出襟章とみて間違いないと思います。
なお、防暑衣袴は昭和12年・13年標題「試製防暑被服実地試験に関する件」で先に改良試験が始まっています。



(3)昭和17年 防暑襦袢袴下と夏襦袢袴下を統合
昭和17年標題「3.陸達第18号 昭和5年陸達第8号中左の通改正す 昭和17年4月1日」を紹介します。
資料では防暑襦袢袴下は夏襦袢袴下と材料制式が同じ、つまり統合したと分かります。
色は上下茶褐色です。冬袴下のみ白とあります。



こちらがその図面です。中田の複製品はよく特徴を捉えていることがわかります。
なお、これらの被服には剣留(けんとめ)はありません。



また、昭和16年12月標題「熱地被服の参考」には試製防暑襦袢について記載があります。
「第二章 熱地被服ノ種類 性能及仕様法」
試製夏襦袢と同じく、単独着用することを想定していたようです。
地質:夏襦袢に準じ綾木綿製もしくは麻製
形状:襟は開襟式、襟章を附す、脇下に通気孔、袖は長袖・七部袖の二種

「熱地被服の参考」には着用例を示した附表があります。
この時点で昭和17年の制式品とほぼ同じ外観をしています。



後述する「防暑衣」を着用する場合は、衣の襟を襦袢の襟で覆うように着用しています。
襟章は正規の位置に取り付けられています。



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■防暑略衣袴
昭和17年に防暑略衣袴が制定されます。
昭和17年標題「3.陸達第18号 昭和5年陸達第8号中左の通改正す 昭和17年4月1日」
半袖シャツです。袴は半袴(半ズボン)です。
襟章(階級章)だけでなく、特別徽章や胸章も取り付けることがわかります。
防暑襦袢とは着用規定が異なります。





中田製の防暑略衣袴(左)と、今回紹介している夏襦袢(袴はHIKI製の夏袴)です。
混同されることが多いですが、構造が全く違うことがお分かりいただけると思います。



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★防暑衣袴について
(1)昭和5年
先述の防暑襦袢と同じく、昭和5年陸達第八号により防暑衣袴も制定されます。
肩章、立体的な胸ポケット、フタの無い腰ポケット、ヒップでサイズ調節する袴が特徴的です。
なお、袴は昭和6年に腰紐式になります。





1932年03月31日官報には、将校同相當官准士官が用いる場合の注記があります。
剣留を外して、腰ポケットに蓋を付けるように書かれています。



こちらは昭和16年4月29日に台湾で撮影された台湾軍兵士の写真です。
台湾軍では防暑衣の襟を開いて着用しているのが特徴的です。
下に着ているシャツは丸首で襟はなく、衣の襟には白い「飾襟」が取り付けられています。
飾襟の役割は襟布と同じと考えてよいと思います。



(2)昭和13年
次に、昭和13年の改正で腰ポケットに蓋が付き、肩章支紐がなくなります。
昭和13年標題「陸軍服制第5條に依る服制並装具の制式中改正の件」
図の左端に注記があり、将校准士官も基本構造はこれに同じようです。



こちらは実物です。図と比較してみてください。



ちなみに、台湾軍では将校准士官は、開襟シャツの襟で防暑衣の襟を覆うように着用していました。
図では第一釦を外して襟を開き、下に着ているシャツの襟で防暑衣の襟を覆っています。
しかし、この着用方法は襟章が隠れてしまうので、襟章の位置を変更してよいとなります。
昭和13年標題「准士官以上防署衣の襟章襟部徽章附着位置に関する件」





(3)昭和17年
昭和17年標題「3.陸達第18号 昭和5年陸達第8号中左の通改正す 昭和17年4月1日」より。
「試製」のスタンプが押された同型のものが昭和16年の製造品に確認されています。
夏衣に近い構造になり、対になる防暑袴は半袴(半ズボン)になります。
ただし、防暑略袴とは半袴でも構造と生地質が異なります。
基本的には、このズボンの下に防暑袴下(夏袴下)を着用し巻脚絆を巻きます。
将校准士官の防暑衣の基本構造もこれに同じようです。





こちらは実物です。襟にはホックが無いのが特徴です。夏衣に近い構造になっています。
(注!写真では襟の構造を明瞭にするために通常の襦袢を着ています)



(4)試製特殊部隊用防暑衣袴(昭和17年3月31日制定)
文字通り特殊部隊用の防暑衣袴です。



中田商店の本にもそれらしき被服の写真があります。
図面と比較してみてください。




■昭和16年時点での現制品と試製品
以下は「熱地被服の参考」に書かれている防暑衣袴、防暑襦袢袴下、試製夏襦袢の項目です。
熱地用試製被服はバリエーション多々ありますが、おそらく昭和14年頃の試製品を指していると考えています。
読みやすいように分離した図を一つにしました。



使用法は以下の通りです。



防暑襦袢を防暑衣と併用する場合は、襦袢の襟で防暑衣の襟を覆うように着用せよと指示があります。
襟章を附すように指示があります。迷ったら正規の位置に襟章を付けておくのが無難だと思います。



■その他改良試験に関する資料
・大正10年標題「夏帽及網襦袢袴下交付の件」
・大正11年標題「防暑被服試験実施の件」
・昭和2年標題「熱地用被服及戦車被服実地試験に関する件」
・昭和16年2月13日標題「熱地被服に関する意見の件」
・昭和16年4月18日標題「試製熱地用被服実地試験に関する件」


▲着用規定に関して
最後に、各種着用規定に関してまとめます。
防暑衣や防暑略衣の着用に関しては、服装の乱れに注意を促すものが多い傾向にあります。
一部を抜粋して掲載します。(以下の引用分は旧漢字を改め、カタカナをひらがなに直しています)
---------------------------------------------------------------------
(1)昭和18年6月26日標題「軍人の服装に関する件」
(以下要約)
二 防暑衣(防暑略衣)、防暑袴(防暑略袴)の使用は(中略)昭和五年陸達第八号に依り定めされある以外のもの即ち釦二箇を脱したる大開きの開襟式のもの夏襦袢(防暑襦袢)式のもの又は襟章を制式以外の位置に附し或いは附せざるもの等を用いざること

昭和18年8月16日標題「軍人の服装に関する件中改正の件」
上記の資料中では襟章の位置に関して言及されていました。
(以下要約)*上記の文言が改められます
昭和五年陸達第八号に依り定められある制式以外のものを用いざること但し旧制式の防暑衣は之を用いるを妨けず
------------------------------------------------------------------------------------------------

ここでいう「釦二箇を脱したる大開きの開襟式」の被服が何を示しているかはよくわかりません。
時々みかける3つ釦で開襟の将校服のことでしょうか。



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(2)昭和18年6月28日「陸達第44号 南方作戦地及台湾以外に於ける夏期被服着用に関する特例左の通り定む」
読むのが面倒くさいかもしれませんが、一度読んでみてくでさい。




第一條 略装にありては夏期に限り廉ある場合の外左の如く著装することを得
(「廉(かど)」ある場合=特別に取り上げる事情がある場合)
一.将校以下夏衣に代え防暑衣又は防暑略衣を夏袴に代え防暑袴又は防暑略袴を用ふ
  但し防暑袴防暑略衣及防暑略袴の使用は営内に限り又下士官、兵に在りては支給又は貸興せられたる場合に限る
二.下士官、兵は営内に在りては夏衣の襟を開襟とす

第二條 夏期教練、演習、作業等実施中に於いても前條に準ずる著装を為すことを得

第三條 将校准士官防暑衣(防暑略衣)著用の場合開襟シャツ(白色又は茶褐色に限る)の襟を以て衣の襟を覆ふ如く著装することを得   
    此の際 襟章 開襟シャツの襟により覆わるるときは襟章の位置を下方襟部に移し階級を明瞭ならしむるものとす
    
    下士官兵は兵防暑衣(防暑略衣)を著用し又は夏衣の襟を開襟とする場合に於いては
    夏襦袢の襟を以て防暑衣(防暑略衣)又は夏衣の襟署を覆ふ如く著装することを得
    
    将校以下防暑衣(防暑略衣)著用の場合 飾襟は用いざるものとす
------------------------------------------------------------------------------------------------------------
以上が夏衣や防暑衣の襟を開襟にし、夏襦袢の襟を出す場合です。
「かっこいいから」という理由ではない(断言はできませんが)ことがおわかりいただけると思います。
下の着用例は昭和20年6月にタイで撮影されたものです。



また、第三條の最後の項目から、内地では防暑衣を着用する場合は、階級を問わず飾襟を使えないと推察できます。

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(3)昭和19年8月26日「陸軍軍人軍属の服制並に服装に関する特例左の通り定む」
第一條 (省略します)

第二條 当分の内 将校以下夏衣に代え防暑衣を用いることを得
    但し左記の場合に於いては防暑衣の襟を詰め且襦袢の襟を衣の下に納むる如く著装するものとす

1 正装に代え軍装を為す場合(陸軍服装令第二條)
2 禮装に代え軍装を為す場合(陸軍服装令第三條)
3 通常禮装に代え軍装を為す場合中陸軍服装令第四條第一号及至第五号の場合
4 其の他必要ある場合

第三條 教練、演習、作業等実施の際に限り将校以下防暑略衣袴を用ふることを得

第四條 (省略します)
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★まとめ
以上で簡潔ですが終わりです。
なかなか着こなしの難しい1着だと思います。
今後も資料を追加していきたいと思います。




ではでは。
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