職場放棄後、再び、休職に入り、およそ、1ヵ月半後の5月2日に休職期限が切れる。自分の身の振り方をどうすべきかと思案してきたが、職場環境が改善されない中に復帰しても、早晩、就労不能に追い込まれるのが、目に見えているというのが、私とともに暮らしてきた両親の意見。反論する余地はほとんどなく、自分の人生ながら、他人の意見に押されるようにして、当座の立ち位置が決まった。
休職後、毎週のように通っている教会の礼拝メッセージでも、タイムリーなものがあり、「痛みや苦しみは、自分を守るためにある。」がまさにそれであり、こうして、うつをこじらせるところには、何らかの無理が生じているからに他ならない。そして、「自分がこれまで、大事にしてきたものを捨てるには、今まで以上に、もっとよい経験をすることでしか、捨てられない。」とも、15年の調理人としての経験を捨てるのは、身を切られるような思いである。でも、その生活がために、痛みや苦しみが生じているなら、調理人としての自分を捨てなければならない。大事にしてきた自負を捨てることが出来る経験(学び)が何であるかは、今の自分には、わからないが、でも、調理人としての自分にけじめをつけなければならないのは、どうも、間違っていないようなので、断腸の思いで、現職をやめることにしました。
新しい仕事が決まるまでの間は、その教会がしている作業所の仕事を通じて、リハビリに努めていくことにします。
休職後、毎週のように通っている教会の礼拝メッセージでも、タイムリーなものがあり、「痛みや苦しみは、自分を守るためにある。」がまさにそれであり、こうして、うつをこじらせるところには、何らかの無理が生じているからに他ならない。そして、「自分がこれまで、大事にしてきたものを捨てるには、今まで以上に、もっとよい経験をすることでしか、捨てられない。」とも、15年の調理人としての経験を捨てるのは、身を切られるような思いである。でも、その生活がために、痛みや苦しみが生じているなら、調理人としての自分を捨てなければならない。大事にしてきた自負を捨てることが出来る経験(学び)が何であるかは、今の自分には、わからないが、でも、調理人としての自分にけじめをつけなければならないのは、どうも、間違っていないようなので、断腸の思いで、現職をやめることにしました。
新しい仕事が決まるまでの間は、その教会がしている作業所の仕事を通じて、リハビリに努めていくことにします。
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