檄文!!サッカー

熱くなり、何より愛すべきサッカーについて書きます。
その過程で得られた市民意識を元に、世情についても論述中。

Lazio MFフィルマーニ

2008年02月26日 16時12分12秒 | イタリア セリエA・アッズーリ
1978年5月26日生まれ 178cm 

Lazioでの背番号は「4」推定年棒15万ユーロ 契約期間2008年6月迄

ミランのピルロやガットゥーゾと同じ世代の選手で2000年U-21ヨーロッパ選手権 アズーリ優勝メンバーでした。

ちなみに、その当時はRegginaに所属していました。

キャリアは、以下の様になっております。

1995-96 ロディジャーニ
1996-99 ビチェンツァ
1998-99 レッジーナ

上記キャリアの試合出場歴は不明>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>

1999-00 ビチェンツァ 試合出場無し
2000-01 ビチェンツァ 23(1)
2001 キエーボ・ヴェローナ 1(0) (1月に移籍か?)
2001-02 ボローニャ 5(0)
2002-03 ヴェネツィア 21(1)
2003-05 カターニア 39(0)
2005~ ラツィオ 18(1)

2000-01シーズン途中にはボローニャから、セリエAで戦うミラクルキエーボの補強選手として、バローネやペロッタやコッリーニと共に中盤を担う選手として所属していました。
ポジション争いに勝てず、キエーヴォでは1試合に出場したのみでボローニャへ移籍します。
しかし、わずか5試合の出場とセリエAの厚い壁に阻まれます。
翌2002-2003シーズンは、セリエB降格となったヴェネツィアへ移籍。かつて名波浩(現ジュビロ磐田)も所属した、水の都のクラブと言えば思い出される方もおられるだろう。
このシーズン初めてプロフットボーラーとして自信を付け、21試合1得点と準レギュラー級の活躍であった。
翌シーズンは再び1998ー1999シーズンに所属したレッジーナ以来となる、南部のクラブでプレーする事になる。
このカターニアでレギュラーとしてフルシーズンを戦い抜き、39試合得点無しという結果を残した。
この戦いぶりがロティートの目に留まり、ロマーノ(ローマ出身)という出自と共に評価される。
そこでロティートに示されたプロジェクトに理解し、セリエAにプレーの場を求めて移籍を快諾した。
ローマ出身の、ロマーノであり、Lazioではデ・シルヴェストリとたった二人という事からチームを引っ張っていく気概を持っています。
実際にチーム内でもリーダーシップを取り、最近は得点感覚まで呼び覚ました様です。
DJサンドリ氏の警官の誤発砲による不慮の事故死に対し、ロマーノであるデ・シルヴェストリと共にゴールを彼に捧げようと話し合ったと言います。
実際にその試合でゴールを挙げ(アウェー側)、サンドリ氏の写真の旗を掲げるゴール裏(ホーム側)のティフォージに向かって反対側のゴールから駆け寄って選手達とこのゴールへの喜びを分かち合ったと言います。この試合に気負いすぎた為か、デ・シルヴェストリは怪我を負ってしまいましたが彼もフィルマーニのゴールに救われたのです。
今、彼に足りてい無いのは、怪我の治療(残り1週間で復帰との情報あり)☆ムディンガイは軽傷 の項とロッシ監督の信頼だけです。
1月にはギリシャのクラブからオファーがあったそうですが、それを断って残留した様です。


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