カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

解放者・・・・その美しい響き!

2014年07月25日 12時25分04秒 | 社会


「圧政」の下で、もがき苦しんで いる/いた 人たち・・・・

 

混乱・波乱の日常生活を自分に対する残酷な「圧迫・圧政」だと考える人にとっては、わずかなひととき、思いっきり没頭できる世界〔映画・ドラマ・舞台演劇・アニメ・スポーツ〕が、まるで自分を解放してくれる唯一の娯楽なのです。これが解放者

 

歴史をふりかえってみても人は、「圧政者」を追放してくれた人や国を「解放者」として熱烈に歓迎します。そしてその人や国が新しい「圧政者」であることを知るのに、それほど時間を必要とはしません。

自分を解放してくれるはずの映画・ドラマ・舞台演劇・アニメ・スポーツの世界が、やがて自分を抑圧している、自分を欺している、自分を間違った方向へ導いているのではないか、と知るのにも、それほど時間はかからないのでしょう。

 

日本の歴史教育では、

    • 「やがて~が政権を奪い」
    • 「次に~が実権を握り」

などの表現ですませ、できるだけ歴史解釈を避けようとします。

しかし、義務教育では無理でしょうが、そのあとからは、自分の考えに反する意見を一方的にけなすことは慎みながらも、むしろ積極的に現実社会や歴史の解釈を試みる姿勢をもつほうが大切ではなかろうか、と思います。

さまざまな角度からものごとをとらえる訓練は、特に中国や韓国などを見ていると痛感します。狭い視野しかない人が言論を抑圧されている時に発する「愛国心」が、一番危険。

 

さて私の古代遺跡から「解放者」を発掘してまいりました。

こういう普通名詞に近い「言葉」の場合、辞書などを検索しても、文字通りの意味しか書かれておらず、一通りの意味が分った者にとって納得できません。

社会や歴史をどう解釈したかの「概念」を説明するための「言葉」は、やはり書物にしかみられません。辞書も含め、書物は、監修者や著者の解釈を表明したものであり、主張内容が正しい保証はどこにもありませんが、それでも読者に重要なヒントを与えるものです。

活字を無条件で信頼する姿勢を避けつつ、活発な議論を育てていきたいものです。

 

=+=+=+=+=+= 解放者 =+=+=+=+=+=

 

カルタゴ人の統治はきわめて苛酷であった。スペインの諸民族をひどく虐待したので、ローマ人がスペインに到着すると、解放者として迎えられた。:P.247 モンテスキュー「ローマ盛衰原因論」 世界の名著28 中央公論社 〔今ではこちらか。中央公論社→中央公論新社(読売グループ)


いきなり2000年以上前の話ですが、カルタゴとは北アフリカの地中海側にあった国。

下の地図〔Google Mapさん、ありがと〕をみれば分るとおり、今の国名で言えば、西から東へ順に

モロッコ アルジェリア チュニジア リビア エジプト

そのチュニジア国の場所にあったのがカルタゴという国で、行ったことはありませんがチュニス・カルタゴ国際空港としてその名前を残しています。

アルジェリアの南にマリという国がありますが、ここでアルジェリア航空機が墜落したというニュース〔CNN2014年7月25日〕が入ってきました。

 

 

歴史は支配と殺りくに満ちたものであり、きれい事だけでは済まされませんが、表面的にとらえるなら、3000年も前のフェニキア時代は古すぎて分らないものの、2200年前ごろカルタゴは、北アフリカの地中海側を広く占領し、地中海諸島も支配した上、遠くイベリア半島(現在のスペイン)南東部にカルタゴの植民都市〔カルタヘナをつくったようです。

また同じイベリア半島のスペイン東端にあるバルセロナ五輪でおなじみのカタルーニャもカルタゴやローマの植民地だったとか。カタルーニャの州都がバルセロナ。

カルタヘナとかカタルーニャとか、似ていますね(笑)。

 

Google Earth です。バルセロナはカタルーニャの州都。

余談ですが(←あんたの話はいつも余談!)、バルセロナ五輪では名文句がでましたね。1992年ですから、もう22年前ですか。

    • 岩崎恭子(200m平金)今まで生きてきた中で、一番幸せです
    • 有森裕子(女マラソン銀)自分で自分をほめたい


しかしその植民都市支配は、現在、暴動が多発している中国の自治区統治同様に大変残酷で、200年くらい後にローマ帝国が勢力範囲をイベリア半島にまで広げるまで、カルタゴの圧政は続いたようです。

スペイン当地では、その後やってきたローマ軍のことを、カルタゴを打ち破った解放者のようだった、とモンテスキューは記していますが、それは、のちに現れるローマ帝国内の権力争い・不平等・軍事力低下などによる混乱と腐敗を知らないからこそ、解放者に見えただけなのでしょう。


ドイツがスターリンのソ連を攻め始めたとき、国境近くのバルト三国やウクライナでは、ソ連からの解放者と歓迎されたが、ゲシュタポが到来してから錯覚だと理解した。 :ヒトラーとスターリン NHKBS  1996/08/18

 

ここではソ連に支配され搾取されていたバルト三国やウクライナの人たちが、ドイツがソ連を攻撃したときにドイツ軍を解放者だととらえたことを指摘しています。しかし残念なことに、ドイツは新しい弾圧者でしかなかったのでした。

これは、いくら日本が「欧米列強による長い間の支配から脱するために日本がアジアを開放した」と叫んだとしも、アジアの多くの人たちが「日本は解放者であり、やがて新しい圧制者になった」と受け取るのに似ています。その後、アジアの国々が、たとえ日本のおかげで独立を果し得たとしても、です。

ただし日本が、海外進出しその結果として徹底的に破壊されたとしても、それがなければ、日本はもとよりアジア各国が欧米によるよりひどい植民地状態を続けていただろうとは、考える価値のあることでしょう。

中国の属国状態で腐敗し庶民のことなど一考もできなかった李氏朝鮮。もしも「日本の統治がなければもっともっと幸せに存続していた」と今の韓国人が歴史をでっち上げたとしても、いくら庶民が餓死しようとも李氏朝鮮の為政者たちにとっては幸せな時代だったことは確かなのです。

一部の韓国人たちは、李氏朝鮮が当時、腐敗のどん底にあったものの、為政者としての既得権を日本に奪われた、として末代までも恨み続けているわけです。

これはちょうど、腐敗した徳川家の末裔が薩長を今でも恨み続けているのに似ていますか。その後、薩長の田舎侍が創り上げた明治政府が日本を破壊させた、とも言えますね。つまり徳川も薩長も、日本を破滅に追い込んだのでした(笑)。

今の北朝鮮を見ていると相変わらず一部の貴族たちがいつ粛正・処刑されるか分らないギリギリの尾根(おね)で贅沢三昧を続けさせてもらっています。

今の韓国を見ていると相変わらず一部の現代自動車やサムスンなどの一握りの大企業が潤っているだけで庶民はFTAなど大混乱の中で生活しており、朝鮮半島は100年前と何も変わっていないようです。同じことが中国にも言えますね、庶民を虐待する点に於いて・・・・・・。

100年後の今、欧米も日本も大きく変わってきました。この落差が、現在の中国・朝鮮半島と日本との落差でもあるのでした。


こうしてアメリカは、キューバでもフィリピンでも、スペインに対する現地民衆の独立戦争を助けることによって、簡単に勝利をおさめることができた。 フィリピンの民衆は、アメリカ軍を「解放者」として歓迎した。しかし、アメリカがスペインにかわるあらたな支配者に過ぎないことを思い知らされるのははやかった。・・・・

米西(スペイン)戦争に勝ったアメリカは、スペインに2000万ドルを払って、フィリピン群島の領有を取り決める。フィリピン共和国が樹立されるとすぐに、アメリカ軍は革命軍に攻撃をかけた。革命軍は今度は、最新の装備を持つアメリカ軍を相手に、戦うことになる。:P.29 笠原十九司「世界と日本の歴史」9 現代1 戦争と平和 大月書店


フィリピンも複雑な歴史を経験してきました。20年ほど前には根強い反米感情から、ついに話し合いによって米軍を追出しましたが、その機会を待っていたかのようにして、中国が海へ進出し始め、スプラトリー諸島(南沙諸島)、パラセル諸島(西沙諸島)などを自国領土だ、などと勝手に主張し始めました。

中国人には、他人の所有物であっても、管理が手薄な所があったら抜け目なくそこを横取りしようとする嗅覚・臭覚(きゅうかく・しゅうかく)が発達しています。

自力で中国に対抗できないと悟ったフィリピンは、再び話し合いによって米軍を受け入れることにしました〔米軍、22年ぶりフィリピン駐留:2014/4/28日経新聞〕。 

 

またベトナムもアメリカに接近しつつあります。見えない争いがあったのか中国はこう述べています。

 

中国石油会社、掘削「第2段階」=対ベトナム摩擦長期化か―南シナ海 

 【北京時事】中国海洋石油総公司傘下の油田開発会社「中海油田服務」は27日、南シナ海の西沙(英語名パラセル)諸島海域で作業を進め、ベトナム側との衝突の原因となっている石油掘削作業について「第1段階が順調に終了し、27日から場所を変えて第2段階を開始した」と発表した。
 同社は、5月2日に始まった作業は予定通りに8月中旬まで続くと強調した。中国側が作業継続の方針を示したことで、掘削施設の撤去を要求しているベトナムとの緊張が長期化するのは必至の情勢だ。 時事通信 :2014年5月27日(火)


「場所を変えて」がどこに変えたのか分りませんが、しつこい中国共産党ですね。

あるベトナム元高官は、かつてのベトナム戦争の経緯があるにもかかわらず、こうも言っております。

 

ベトナム元政府高官が驚きのコメント「中国は敵であり、アメリカと同盟を結ぶべき」 

南シナ海では、中国が5月より進めていた石油の掘削作業を突如やめたことで、ベトナムとの緊張関係が一時的に緩和した。背景には、アメリカ上院本会議が中国への非難決議を出したこともあると思われるが、当事国のベトナムからも強いメッセージが発信されていた。 

中国が掘削作業から撤退する直前、ベトナム首相の顧問を務めたツオン・ライ氏が、ベトナムとアメリカの同盟結成を呼びかける記事を米紙「ニューヨーク・タイムズ」に寄稿した(13日付記事)。 

ツオン・ライ氏は、「我々の優先課題は、現在の敵である中国を打ち倒す歴史的な瞬間に、戦略的な同盟を緊急で必要としている」とした上で、「今日のベトナムにとって、重要な同盟国はアメリカだ」と指摘。そして、「我々の国は、中国と友好的になれるという神話を打ち破り、第二次世界大戦後、(ベトナムを建国した)ホー・チ・ミンがしきりにベトナム・アメリカの同盟を提唱したことに立ち戻らなければならない」と語り、民主主義国の仲間入りをすることが必要だと結論付けた。:2014.07.20


中国に生まれ、すでに日本国籍を取得している石平(せきへい)は、こうも述べています。

 

 外交的にも習主席は大変な苦境に立たされている。5月初旬にベトナムとの係争海域で中国側の強行掘削に端を発した中越衝突事件の発生以来、関係諸国の猛反発を受けて中国の孤立化が目立ってきているからだ。 

 ケリー米国務長官は12日、「中国の攻撃的な行動を深く懸念している」と中国を名指しで批判した。16日、カーニー大統領報道官は記者会見において、中国の一方的な行動は「挑発的だ」とあらためて批判し、領有権争いをめぐるベトナムとの対立激化は中国側に原因があるとの考えを示した。アメリカは、中国とベトナムとの対立において完全にベトナム側に立つことになった。
:msn産経ニュース 2014.5.29 12:20 [石平のChina Watch]


解放者、から少し離れてしまいましたが・・・・

経済発展の結果として自ら進めた中国の軍事大国化が、このようにフィリピンやベトナム、もちろん日本さえ中国包囲網に組み込んでしまいました。

貿易で得た富を公平に民に分配しして進みさえすれば、間違いなく世界の経済大国になったであろう中国。

しかし、ここまでくると、中国はもうだめですね。

あくどい中国共産党の姿が見えてきて、いくら貿易統計をごまかしてまで経済発展していると主張しても、間違いなく中国経済は破綻へとむかって一直線に進むことでしょう(笑)。

もし持ちこたえる期間が長いとするならば、それは北朝鮮同様に、庶民にしわ寄せがあるだけのことです。

一党支配を即時中止し、言論統制をやめ、政権交代が可能な制度によって国家運営をする、そういう、まともな国へ変身するしかないのですね。それができないから、崩壊へ向っていると揶揄されるのでした。尤も中国共産党が結党されたあと、この党が中華人民共和国を建国したのですから、政権交代可能な、ということは、今の中国共産党が崩壊するという意味です。

この中国の危機を救う解放者は、一体、たれなのか。

「たれ」とは司馬遼太郎風ですが、私の見るところ、現代中国の解放者は、中国人でしかあり得ません。中国人が中国共産党の横暴を止めさせるしかないのです。 いくら人道的観点からとはいえ諸外国が介入する前に、中国人自身が中国のシステムを変えるしかないのです。

  

「リパブリカン」といい、名前はまぎらわしいが「合衆国共和派」です。ジェファーソンとかジャクソンとかがいた。彼らは平等主義、自由、民主主義とか理念はいいが、奴隷制の存在には目をつぶっていた。一方の「フェデラリスト」(連邦党)と呼ばれたのがハミルトンやマディソンらで、彼らが実際の統治の枠組みを作っていった。その後、連邦党の流れを継ぐ形で共和党が設立され、リンカーンが大統領になって南北戟争や奴隷解放宣言になっていくわけです。

黒人も最初は解放者である共和党を支持するんですが、その後、彼らが政治プロセスに参加する手立てを共和党はサボって作らなかった。そして民主党のフランクリン・ルーズベルト大統領が共和党の不備をつき、弱者に配慮する政策をやり、それが1960年代の公民権運動になっていく。そのあたりで政党に関する黒人の忠誠心が民主党に転換しました。

: 岡本行夫+佐藤優「知の超人対談 世界を斬る」高畑昭男編著 産経新聞出版 平成21年(2009年)3月25日即2刷

 

建前上、アメリカには人種差別はないとされ、住んだことがある一部の日本人もそう言うかも知れませんが、実際上まだまだ根強い差別意識があることは、誰もが認めるところ。場合によってはかなりひどい地域もあり、アメリカは典型的な階級社会に陥っているようです。

これを利用したつもりの韓国人が、アメリカで商売するときにも、あからさまな人種差別を繰り返しております。

1992年の大規模ロス暴動では

陪審員の白人寄り評決に端を発し、黒人たちによって多くの商店が略奪されましたが、略奪先の多くはなぜか韓国人が経営する商店だったようです。白人に対する黒人の暴動ではありましたが、日頃あからさまに差別する韓国人たちに恨みをもっていた黒人たちの反逆が韓国人経営の商店へ向わせたのでしょうか。

上記Wikipediaでは、この多くの韓国人商店主はベトナム戦争に参加した元韓国軍兵士で帰還後に米国移住権を得たものとされていますが、米国内での韓国人と黒人との断絶も指摘しています。韓国人特有の資質問題とも言えます。

これに限らず、在日韓国人たちが墓参りとして親などの母国である韓国へ帰国したときにも、同胞であるはずなのに、現地韓国人からあからさまに差別されショックをうけたという話も聞いております。

日頃から差別主義者が極めて多いのが韓国人なのに、自分の差別意識を棚に上げて、いつも差別されていると主張するど厚かましさがあることを、決してお忘れなく(笑)。


確かに解放とは、心地よい言葉かも知れません。それゆえ、余計に注意して受け取らねばならない言葉なのでしょう。 

今回は、次の言葉でお別れしましょう(笑)。

  

真理の探究-これが我々の行動の目標でなければならない。これをおいては行動に値する目的はない。---

私達が人類を物質的苦労からだんだんに解放していこうと望むのは、人類がかくして得られた自由を、真理の研究と観照とに用い得るようにするためなのに他ならない。:P.9 ポアンカレ「科学の価値」岩波文庫


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