「江戸時代」というと遠い昔のような気がしますが・・・・
- 1703年 赤穂浪士討ち入り
- 1707年 富士山最新の噴火〔宝永噴火〕
がおこった同時代を、いったい誰が生きていたか。
こんな興味をもつ人は、あまりいないと思います。
これに限らずある特定の年代を生きた人たちに関心を寄せるのは、歴史のまた別の見方。
そしてその特定の年代の選定そのものが、その人を特色づけます。
念のために補足すれば、昔の暦には今との違いがあり、しかもユリウス暦とグレゴリオ暦の違いもあるので、目安として下さいますようお願いします。
もちろん1703年前後という時代を選んだことにも特色がありますが、こういうのを見ると、
- 歴史の重みを再度発見
- 日本史・世界史などという分類がいかにくだらないか
なども分ってきます。
上の例でいえば
- 同じ数学分野の偉人として、関孝和とニュートンが同じ年に生まれ、4年ほど遅れてライプニッツも同じ時代を生きたことに驚きます。
- 分野が異なるとはいえ、松尾芭蕉とそれより9年年下の近松門左衛門が同時代人だったことにも、驚きます。一方は自然を求めて放浪した詩人で、一方は大都会での人々の生き方を克明に描いた作家でした。惜しくも芭蕉の場合、今回の基準である赤穂浪士討ち入り・富士山噴火の前に没していますが、ほぼ同世代ということで入れさせていただきました。
- 御存知の通り新井白石は、富士山が噴火した日にも将軍に進講が予定されていて、江戸の町が火山灰の噴火で昼にもかかわらず暗くなったと、日記のような「折りたく柴の記」で記しております。
- 今年2014年現在、1707年の噴火以来300年以上、富士山は噴火しておりません。しかし、あくまでも休火山であり、いつ再び噴火するか分らないとして、同じ大災害をもたらすであろう東南海地震〔南海地震と東海地震〕とともに厳重な観測網が敷かれているようですね。
また折を見て、別の時代を基準として、「同時代を生きた人たち」をご紹介したいと思います。歴史の見方が変わってくると思いますよ。
自分または家族の年齢を中心にして、誰が何歳年上だとか年下だとか、それだけにしか興味がわかない人にとっては、こんな試みには何の意味もありませんか(笑)。
小学校あたりではやむを得ないと思いますが
中学校~高等学校あたりの歴史教育で、日本史と世界史とにわけているのには限界があり、近い将来、そんな分類が変わってくるはずだ、と思います。
日本史・東洋史・西洋史などという分類は、当事者には便利そうに見えますが、実際上まったく意味がない分類でしょう。義務教育のあたりから、視野を広めるような工夫がどうしても必要なのです。
小数と分数、微分と積分、歌舞伎と人形浄瑠璃、八橋検校とモーツアルトなどは、分けて知る必要がないどころか、別々に扱うとかえって歴史認識をあやまる危険があり、同時に知るほうがいいはずです。
このあたり、中国や韓国が自分勝手に主張していて誰も信用していない「歴史認識」とは大きく異なっていることに、ぜひともご注目を(大笑)。