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中国に関する醜聞 162 面子を重視する

2016年11月20日 05時50分55秒 | アジア

本人が否定しようが、肯定しようが、誰にも醜聞があります。ここでは最近の「中国の醜聞」を集めてみました。


人に罵言を浴びせる時の中国人の奇妙な特徴は、相手の実際の過失に触れることは「立派なやり方」ではないと考え、むしろ彼の卑しい出自を問題にして彼の先祖を侮蔑するところにある。・・・・・・

また、もし侮辱したことを謝罪するとすれば、侮辱した人が、自らの品位を落として恥ずべき行為をしてしまったと詫びるのではなく、その時にその相手にそのような言葉を用いたことが間違っていた、と詫びるのが適切だとされている。:P.248 アーサー・H・スミス「中国人的性格」石井宗晧・岩﨑菜子訳 中公叢書2015年8月25日初版発行


これは異様なことで・・・・・・当時の中国では

相手の過失に直接触れることは大変な侮辱になるようで、むしろ、相手の祖先の賤しさを非難するほうを選ぶとのこと。

120年後の中国では今、どうなっているのでしょう。少しは残っていますか、または、そっくりそのままですか。いやいやそんな過去はとっくに終わっている、ですか(笑)。

重要なのは

相手の面子(めんつ) ≫ 相手の祖先の名誉

ですから面子を重要視するため

ケンカをする場合、相手の出自を侮辱する(先祖を侮辱する)ほうを選ぶ、ということらしい。

今おこっているケンカの原因についてですが

  • 相手の行動を直接非難すると、相手が面子をうしなう
  • それよりも、相手の先祖をおとしめるほうがまだマシ

というのでは、お先真っ暗と言うところ。これは儒教そのものなんでしょう。

なるほど、これが中国特有の「現状を改善させない仕組み」なのかと思いました。 

これは「先祖を崇拝する」儒教の教えに反すると思うのですが、それより現実の「面子」のほうが大切なんでしょうか。


面子」について賢者の言葉に耳を傾けてみましょう。再びスミスも出てくるでしょう。  


中国には、この制度には賛成だ、法律の前ではすべての人が平等でなくてはならない、と言いながら、自分は例外だという人物がいつもいる。

自分は、他の人間よりはるかに賢明で才能があるから、みんなと同じように束縛されたら、面子が立たない、と思っているのだ。:P.133 柏楊(ポーヤン)著「醜い中国人」光文社 


これは中国人が語る

面子(めんつ)」についての説明で、実際にその通りなんでしょうが、法よりも面子を重視する思考方法らしく、私にはまったく見当がつきません。

「うぬぼれ」を「自分の面子」のために使っているだけなのでしょうか。

今でも中国では言えるのかも知れませんが

法は「外国人を罰する」・「無知な人間を支配するため」に存在するのであり、「賢明な中国人は法さえうまく騙せる」のでしょう!

中国でいう法律は

  • 政府の暴走を抑えるもの
  • 万人に適用されるもの

「ではない」と言えます。 


中国人は面子にも復讐にもこだわるが、それ以上に実利にこだわる。実利があるならば、面子などはどうとでも説明をつけてごまかしてしまえばよいのだから。:P.201 黄文雄「儒禍 中国2000年の呪縛」2014年9月20日初版第1刷発行 光文社 


不可解な中国人の「面子」ですが

あくまでも「実利」が優先されるというならば、「面子」などなんとでも屁理屈をつけられるので、納得できそうです。

なにしろ革命や改善を禁止された代償として、偽装ペテン賄賂を黙認する「実利」というおいしそうなニンジンをぶら下げられたら、たまりませんね(笑)。 


 例えば、過失を非難されることは〈面子を失う〉ことになる。だから面子を保つためには、証拠がどうあれ、彼らは事実を否定せねばならない。

テニスボールがなくなり、そしそのボールはある苦力〔クーリー:下級労働者〕が拾ったことに疑問の余地がないとしよう。しかし彼は憤懣(ふんまん)やる方ないといった体で、それを否定する。それでいて、すぐにボールのなくなった場所へ向かい、そこで彼はボールを発見する。そして、彼の袖から取り出されたボールを手に、「ご覧下さい、ここにあなたの〈お失くしになった〉ボールがございますよ」と言うのである。 

給仕の女が主人の家で客のペンナイフを失敬した場合も、後で彼女はテーブルクロスの下にそれを発見し、これ見よがしにそれを取り出す。いずれの場合も、こうしてそれぞれの〈面子〉は保たれるのだ。

:P.17-20 アーサー・H・スミス「中国人的性格」石井宗晧・岩﨑菜子訳 中公叢書2015年8月25日初版発行 


中国では

面子が重視され、他人の面子も保とうとする。このため、いくら犯罪が起っても法的には犯罪が成立しないようですね。

何かが紛失したとして、それがもしも大きな事件に発展しそうだと判断したら、犯人は「偶然発見した」ように装い、元に戻すらしく、また見つかったのだから誰も追究しないようです。

これと同じで、他の事件でも犯人は必ず犯行を否定しそれが黙認されるため、同じ事件が何回も繰り返されます。

改善が許されないためか、犯罪はこうして繰り返され、年間暴動10万件以上とされています。儒教の悪しき伝統ですね。

中国では、いかに面子が大切かが分るというものですが、面子を重視するとみせかけて法が機能しない制度が、腐敗の元ではないかと、私には思われるのです。 


さてさて、皆様はどう思われますか。

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