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地域文化の伝承

2015-04-19 | 日記
ご存知の方もいらっしゃいますが、
我が家の周辺では新道建設が進んでおり、
その一つである、県道松島本渡線の建設現場の中に、静火神社の跡地があります。

(県道建設前の静火神社の跡地に立つ石碑です。現在の社は、後方の山の中にあります。)

静火神社は平安時代の国史にも登場する社で、、
伊達神社(和歌山市園部)、志磨神社(和歌山市中之島)とともに「紀三所社(きのさんしょしゃ)」と称されたとされています。
1723年に和歌山藩によって薬師山(前山・天霧山;現社地)に社殿が再建され、
その後は竈山神社が管理しています。

地域の礎を忘れないようにと、竈山神社の総代が中心になって、旧地石碑が再建され、今日、その除幕が行われました。






同じ自治会でも、静火神社の存在を知らない人も多く、まして、現在の社とちがうところで建立していたなどと、
知るはずもありません。
我が家にも「歴史の語り部」がいるにも関わらず(←彼はそれしかできない)
同居して15年近くになる彼も良く知りませんでした。(←こっちの彼は歴史に興味なし)

「そもそもその神社ってどこにあるの?」式典会場の周りではそんな声も聞かれました。


地域文化を伝承するのは難しいことだと、以前から総代(我が家で同居)が話していたのが心に刺さります。


私たちが地域で伝承されてきた文化は、
わざわざ芸術の創造を意図して維持・継承されてきたものでなく、
“生活の歴史そのもの”として伝承してきたものが多くあります。
その伝承に長年たずさわってきた方々は、普段の生活に身近すぎて、価値あるものとして意識していないのかもしれません。

中には、次世代に行動のしきたりだけを伝え、
それが今日まで伝えられてきた“いわれ”や“ゆえん”“変化の経緯”等は説明されてこなかった場合もあります。


しかし、私たちの地域文化は残していかなくてはいけません。
伝統文化や伝統行事は、地域の求心力となりうるからです。

なにより、伝統文化や伝統行事が機能していれば、それにむけて、地域住民が結束しやすい状況になります。
新しく他地区から転入された方たちも、
これらの活動を通し急速に地域に根付き、地域共同体の新しい一員となりやすくなるといった利点もあります。

地域社会の中で、立場上決められた役割を遂行するのではなく、
活動内容や機能により、有志のメンバーが個人の意志で活動内容を選択し、
主体的に参画できる状況が生まれます。


そんななか、従来の伝承のしきたりに反する方法だったり、
維持・保全・継承される伝統文化が本来の形とは多少異なった結果になってしまう、こともあります。
しかしこの問題は、地域社会全体で検討しながら一連の活動を行い、
活力ある地域社会の再形成につなげられます。
まずは動くこと、動く場所があることが大事なのです。


ここ数十年、高度経済成長期の社会情勢の変化で、貴重な伝統文化や伝統行事が簡素化されてしまったり、
場合によっては失われてしまったところも多くあります。
しかし、大人達が地域の文化や地域の誇りを再認識し、より前向きに伝承しようとすることが、
地域を活性化させます。

私たち地域住民も、家庭と職場だけにあるのではなく、地域住民としてもその役割や責任があると思います。
家庭、職場、地域の3つがそれぞれうまく機能し、
役割を分担しながらも相互に補い合うことが本来の社会のあり方ではないでしょうか。



石碑建立を記念して、式典の後、餅撒き大会が行われました。
投げ手は我が家の父を含む総代10人、平均年齢80歳!!

昨日、餅つきで張り切っていた父をみて、我が家では「ああ、雨か」と、ため息。
朝も雨の音で目を覚まし、あきらめていましたが、
神様の御加護か、9時前に雨が上がり、無事に実施できました。
この10年で一挙に人口流入した地域で、新しく立ち上がった自治会からも多くの出席をいただき、
老いも若きも知る人も知らない人も、必死で餅を拾う姿に、地域発展の予感を感じる一日になりました。


ちなみに、この写真は、我が家の成果(?)。

じいちゃんは高所恐怖症なので、目の前にいる私たちを見ると足がすくんでしまったので全然投げてくれず、
遠くばかりに投げていましたが、
個人個人の努力(?)により、小学生1人を含む4人で、頂戴してきました。
ジャンル:
文化
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