口笛吹いても独り

~チンパンジーの地平線~

阻止松は言わない

2016年11月11日 | サッカー
いずれ来る事とは分かっていても、ニュースを聞いてから書き始めるまで3日かかった
余りにも思い出は多く、そしてでも何を書くか心はまとまらない
取りあえず時系列で始めて見ようか

昔、2ちゃんねるに「高松大樹」スレッドがあった
通常の選手スレは動向や情報交換だったり試合でのプレーについての話をするのだが、彼のスレだけは「俺の高松」と誰かが書き込むと「いやいや俺の高松だ」「ダメだ阻止する、俺の高松だ」「残念、そこは俺のモサ松だ」という行為をただただ繰り返し、スレが進むにつれてソレは短縮されていき最終的には「俺松」「阻止松」「モサ松」という単語だけが飛び交い高松を奪い合うだけというシュールなスレと化していた
まあ何とも彼らしいホノボノとしたスレだった
アレは情報板としては全く機能してなくても愉快なゲームだったが、いつの間にか終わってしまった

彼の大分での時間と自分がトリニータを本格的に応援し始めた期間はほぼ一致する
確かまだウィルという王様がいて、今では信じられないが佐伯でやってた試合を見に行ってた頃だ
その年はとにかく元日本代表GKの前川が加入する事がまだ少ない大分サポ達を大騒ぎにする
そこで仕事場の先輩のジャジーさんが「お前は昔サッカーやってたんだろう?トリニータの試合を見たいから一緒に行ってみようぜ」と言い出してから、何となく他人事のように見ていたJリーグに足を突っ込む事となり今のようなホームは殆ど行くし近場のアウェーは行くジャンキー目前のヘビーサポーターになるのだが、この頃はまだ知らない
そんな中でデカい高卒FWがひっそり入団する、一年目のイメージや記憶は殆どない
多々良の長身FWが2人いて、良い方が広島に行ったが残った方も悪くないので広島から紹介されて獲得したと当時は噂で聞いた
今でもその噂が本当かは定かではないが、当時の瀬戸内地域のJリーグ新規設立チームの多くは広島に少なからずというか頭が上がらなかったり足を向けて寝れない程お世話になっていたので、この話もまんざら嘘でもなさそうだとも思っている
そもそも前述の前川も広島な訳だし

で、2年目辺りからチョコチョコと活躍し始める
高身長の割に頭はそこまで上手くない、簡単なシーンでふかす、だがゴール前でグラウンダーのクロスにスライディングで滑り込んできたり右からのアホみたいなボレーシュートを合わせてみたり
効果的に扱えない高身長と簡単なシーンほどフカすが難しいシーンは決めてくる決定力、そして破天荒なプレー
当時はCL出場の当落線上をウロウロするしみったれたバルセロナが好きだった私は高松を、そのプレースタイルから「大分のクライファート」と呼んでいた
だがドームのこけら落しの試合で得点してみたりと、その頃からココ一番での「持ってる感」は見せていた

そして大分は昇格失敗を繰り返す
大分の歴史を振り返ると発足して県リーグから駆け上がってJFLまでの94~98年の5年が「創世期」になる
「最初の5人」だとか「みどり牛乳ユニ」の「伝説と神話の時代」である
そしてJ2加盟して石崎体制から小林体制でJ1に昇格し1年目の残留まで99年~03年がチームが本当に苦しんで昇格して残留してのJリーグのチームになっていく「成長期」になる
それでもまだ練習は犬飼のスポパークに見に行ってた、昼食はカレーかうどんの2択、神野の川流れ、コバちゃんが練習後にサポと長々と戦術談義と、まだまだ神話や伝説は残っている
「石さんとコバちゃんの時代」と言っても良い
ここで彼は少しずつ成長してスタメンに定着し始める
五輪代表にも選ばれ代表から帰ってくるごとに逞しくなって相手マーカーを引きずってドリブルする姿に頼もしさを覚えた

そこから04~08年はチームは「黄金期」になる
忘れもしないベルガーの横浜戦ナイターの「ハイラインサッカー」とイケメン吉田のFK、そして育成に定評があり大分の元勲でもあったファンボでの失敗、そこからシャムスカでの黄金期は監督で言えばまさに「魔術師の時代」
高松は奇術師ファンボによってドドとマグノと併用する為の苦し紛れにウイング起用をされたりもしていた
ただ個人的にはこの黄金期こそ「高松とエジの時代」と言いたい
2度目の降格阻止とそこからのリーグでの躍進を支えたエジと、この期間に大きくチームの戦術の柱としても成長していった高松
この2人に押されるようにチームは成長していき、高松に続いて本当に多くユース、高校、大学の若手選手の育成を成功させた
九州のJのチームとして初のタイトルも取り、この2人の全盛期がチームの黄金期に重なっている
高松自身はオリンピックでイタリアからゴールを奪い、上記のようにチームの戦術的な柱としても成長した
生え抜きの「ミスタートリニータ」の誕生だった
ポストプレーでキープし中央に降りて受けてのサイドチェンジは名人芸だった、得点はどうしてもチームに殉ずるプレースタイルで伸びなかったが当時セレッソの西澤と共にリーグを代表するポストプレーヤーと言われていた
もし西澤にとってのモリシのように「高松に得点を取らせる」プレーヤーが傍にいれば彼の生涯記録はまた変わっていただろうが、残念ながら彼はマグノやウェズレイといった外国人エースを活かす仕事が多く、最後まで「相棒」に恵まれなかった選手でもある

この頃だったと思う、今でも覚えているのが相手陣内の深い場所でインターセプトでのカウンターを受けた時に足は速くない彼が追えなかった仲間の代わりに自陣のゴール前まで全力で戻って防いだシーンだ
この日記でもこの事は何度か書いた、当時はFWは殆ど守備をしなかっただけに、そして試合も佳境の足が残ってない中で懸命に戻る彼のプレーは心を打つものがあった
その時に「よし、大分にいる間はコイツの選手としての成長を見届けてやろう」と心に思った
私の高松贔屓はそこからずっと、ずっと、ずうううっと続いている

そこからチームは財政難からJ2に転落、そこで多くの選手は去りながらもまだJ2としては潤沢な戦力を持ちながらファンボの迷走で昇格を逃した
この2年は正に「暗黒期」、ちなみにこのJ2ファンボの年は仕事が休日に出勤が原則な関係で全く見れていない

ここから再びJ1に上がるまでの5年間は「再興の時代」になる、時代で名付ければ「田坂の時代」
どうこう言う人間もまだ多いが、あのチームを立て直し現実的な形に組みなおして昇格させた手腕は間違いなく評価されるべき
この5年間を一人の監督で続けた事も能力を語っている
「他に監督が居なかった」というなら同じコストで同じような結果を残せる監督がどれだけいたかと言いたい
財政難から多くの選手が去る中で高松は恐らく東京の好意も含めた形で「期限付き移籍」で済み大分に無事に戻ってくる
ここらへんも彼の「持ってる」部分である、ちなみに東京では怪我ばかりで実働は少なくレンタル終了時期に東京サポが「高松選手のメンテナンスが無事終わりましたのでソチラにお返しします」と大分の掲示板に書き込みに来るほどだった
それからは大分の精神的な支柱としてガラリと入れ替わって若がえったチームを支え、田坂監督に「ベンチに彼がいるとチームは落ち着く」と言わしめた
ただ、その割にキャプテンはしなかった
多くの人が「コイツにキャプテンをさせると窮屈になって可哀そうだし折角のキャラクターが死んでしまう」と考えたのだろう
結局はずうっと最後まで、何か浮浪雲の主人公みたいなポジションにいた
この頃の自分は田坂最初の年の途中に仕事を辞めてそれから半年は彼のサッカーを見続けた
そこから比較的試合を見れる仕事に着いて、見れない試合はまだまだ多かったが数年前みたいに「全く身に行けない」という状態は無くなった

で、今年は遂にJ3と落ちるところまで落ちて、チームは三度若返って片野坂監督の下で6期目の新しいサイクルに入っている
あのJ2陥落からもう7年、歓喜と奇跡のJ1昇格からは14年も経つ
そりゃ自分も高松も年を取る訳だ
先週の練習を見た時はランニングする姿で下半身がまだ余ってるなぁと感じた
今週の練習試合を見ている際に後ろを通って行った時は二の腕が絞れてないなぁと思った
怪我が多くコンディション調整が難しいのだろうが少なくとも今シーズンの残りでコンディションを戻すのは難しいだろうと個人的には感じていた
それから数日後の一昨日にじゃじゃさんと酒を飲みに行った時に彼の引退を聞かされた
今発表すればチームの発奮材料になるというのは、中々彼らしい理由だった

恐らく自分が最初に愛した、そして最初に最後まで大分で成長を見届けて最後を見届ける大分の選手
大分を愛し身を尽くして、それ故に大分から愛された
それが俺たちの高松
いや、俺の高松、モサ松、そして俺松である

だが彼はピッチを去る
彼らしく律儀に関係者やサポに別れを告げて感謝の言葉を残し、みんなの高松から家族と自分の為だけの高松に戻っていく
今まで我々サポータと勝った負けたと同じ事で泣いたり笑ったりしてずっと過ごしてきた
同じ時間と感情を共にしてきた、それは素晴らしい財産だ
だが彼自信がそんな「みんなの高松」から俺自身の高松に戻るよと言われたら
ここまで懸命にチームに尽してケガだらけで闘い切った彼自信が「俺松」と言った以上
我々はそれに「阻止松」とは、もう言えない
そして長く高松と続けた、はしゃぎながらの遊びはこれで終わるのだ
いいよ、高松
お疲れ様
ここまでの人生サッカー漬けだったのだから
これから暫くは存分に俺松するがいいさ

ただこう書いてて喪失感と共に上記のようにケガで難しい状況がここ数年続いただけに安心感もある
本人もチームのタイミングが合えば、もう少し早く辞めてたかもなとも思う
これからどうするのかは知らないが、ここまで大分好きが高じたのだからこのままフロントでチームに貢献して欲しいものだ
本人はゆっくりしたいかもしれないが、クラブのフロントの空きなんかタイミングがズレる難しい事もあるだろうし

まあここまで楽しませてくれた事を本当に感謝したい、大分に入って来て大分でサッカーをして大分で最後を迎えてくれて本当にありがとうと
そして、これからの新しい人生が成功と幸福に満ちたものである事を祈る

以上
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