口笛吹いても独り

~チンパンジーの地平線~

いつか夕焼けを見に行こうと決めた話

2017年06月11日 | 日記


前に書いたとおり今週は誕生日があった
でも子供の頃とは違って自分から言う事も無いし誰も知らない
誰からも祝われることも無く
いつも続く日常の中の一日と変わり無く仕事を勤めて
仕事の忙しさの中で自分の誕生日の事も当然だが頭の中から消える

でもそんな中で日付を書いたりちょっとしたことで「ああ、そういえば今日が俺は誕生日」と思い出す
喉に刺さった魚の骨みたいに
それがもどかしかったり、わずらわしかったりする

多分もう自分は人生の折り返し地点は過ぎてる
寿命的な時間のものでなく人生の時期的な意味で
もう人生という一往復のプールの恐らく片方の壁に自分は「はっきりと自分の手で」タッチを済ませて
行きより少しスピードを落としながらもう一度プールをゆっくりと横切っているのだ
泳ぐのに夢中で時々その事を忘れてしまうけれど
忘れてしまうけれども

休日に美術館を訪れ、作品を見終えて外に出ると丁度夕暮れ
小高い丘の上にある美術館の庭から見える市街地の夕暮れは美しく
長い鼻を高く上げて星を掲げた口元が笑って見える大きな象のオブジェは
その優し気な雰囲気と夕暮れの空気も相まって何処か寂しげに感じさせる

丁度今が半分くらいだとしたら残り約40年
これまでの長くて短い40年ほどを振り返って
これからと同じ長さの今まで40年が自分にとってどんな内容で
それと比較してこれからの40年がどのくらいの長さに感じる40年なんだろうなと目安にならないだろうか
でも今までの40年が長かったのか短かったのかさえ40過ぎて今に振り返ってみてもまだまとまってない
これでは比較にならない

長すぎるならせめて半分の20年くらいにしてみようか
還暦前後あたりの自分はどんなふうで、そこまでの20年はどんな20年
産まれてから成人するまでくらいの時間と同じくらいの時間
成人してから最近の中年になるまでくらいと同じ時間
そうやってみるとどちらもそれぞれ出会いや事件や出来事や色んな事があった
そうなるときっと、これからも色んな事や人が待っているのだろう
それぐらいしか分からない

木漏れ日の向こうから傾いた太陽の光を見ながら、自分はどんな気持ちでこの先の夕暮れを見る事になるのだろうと思いを馳せる
そもそも何処かで通りすがりに見る夕暮れでなく、自分自身はどんな夕暮れを見たいのだろうか
何処から見たいのか、どんな風景の夕日を見たいのか
誰と、それとも独りで迎えたいのか
わからない、それさえも
もう40も、とうに過ぎたのに
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