挫折した旅(4)― 長谷川 圭一
十一時四十九分に列車はいわきに到着した。駅から海岸まではかなりな距離である。そこから常磐線は海沿いに仙台まで延びているのであるが、津波と原発の影響で、五駅先の広野(ひろの)までしか行けない。
18切符は広野にも使える。十二時二十分の広野行きの電車に乗った。昨年の同じ三月に健太郎は広野の二つ手前、久ノ浜(ひさのはま)まで来ている。そこが放射能の警戒区域南限のぎりぎりだったのか否かは分からないが、その時にはそこが終点であった。
だが、今度は広野まで行ける。行ける所まで行って、そこに何があるか目で確かめたかった。
広野に着いたのは十二時四十五分で、駅の改札を出ると、バスもタクシーも案内板も無かった。海に出る道を目探ししたが、それも見当たらず、健太郎はすぐさま、まだ構内に停車している自分が乗ってきた折り返しの電車に飛び乗った。
いわきの駅に戻って、すぐさま、そこから東北本線と合流する郡山(こおりやま)の駅に行こうと思ったからだ。電車は直ぐに発車した。窓外から来るときには目にしなかった、放射能除染ゴミの入った大きな黒い袋が所々に見えた。捨て場の無い不気味なゴミである。
十三時十四分にいわきに着いたが、郡山行きの電車は十五時四十一分である。健太郎は迷った挙句(あげく)、駅の列車案内表示で、十三時二十分の久ノ浜行きの電車があることを知った。そして久ノ浜からいわきにもどる電車が久ノ浜を十四時四十二分に出て、いわきに十五時一分に着く事も知った。往復した線路をまた久ノ浜まで戻る事にした。
久ノ浜の駅で電車を降りた。駅舎とその前の地域は辛うじて津波を免れたのであるが、その先の海岸端の住宅地は全て跡形も無く流されてしまっている。
昨年の同じ三月に健太郎が訪れた時は、夕暮れ時で暗い海から吹き上げる風がびょうびょうとした家々の跡だけ残った空間を吹き荒れ、まさに津波にさらわれた人々の悲痛な叫びを耳にするようであった。
だが、今度は日もまだ高く、家跡のコンクリだけが残った広大な空間を見渡す事が出来た。健太郎は陸側のコンクリの堤防の下で、風を避けながら、駅近くのコンビニで買ってきたビールと酒とおにぎりを取り出して、コンクリの上に腰掛けて昼食をとった。
家跡に石を積み重ね、亡くなった人を弔う卒塔婆(そとば)が立てられている。そしてその一つでは五人程の人が座って、亡くなった人と話しをしていた。
時間通りに久ノ浜を後にしていわきにもどると、郡山行きの電車まで三十分ほどの時間があったので、駅外に出てぶらぶらと、山側へと足を向けた。坂を上って行くと銅像があり、そのあたりから市街地が見渡せた。
ふと健太郎は駅近くに健太郎が良く利用するチェーンホテルの看板を目にして、健太郎はそこで郡山、福島、仙台のホテルの案内を貰おうと思い、再び坂を下りて、そのホテルへと入った。
そこでそのホテルの全国の系列ホテルの案内をもらい、駅へと向かった。どこに宿を取るかは電車の中で決めることにした。
(次回、5回目を以ってこの短編は終了します)
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ハセケイ コンポジション(8)・hasekei composition(8)