勝手に春樹讃歌「騎士団長殺し・顕れるイデア編―10」
― 長谷川圭一
「10」の表題はー僕らは高く繁った緑の草をかき分けてーである。
「私が十五歳のときに妹が亡くなった」と、高一の時に中一だった妹の突然の死を心の痛みとして主人公は持っている。不整脈の絡む心臓弁の機能不全によるものであった。
絵画教室に通っていた主人公は「その時点の私が記憶している彼女の顔を忘れない」ためにスケッチブックに何度も何度も妹の絵を描いた。「描いては破り、描いては破りという繰り返しだった」。そして今でも残っているそのスケッチを見ると「そこに紛れもない本物の悲しみが溢れていることがわかる」と、妹に対する心のうちを覗かせる。
土曜の午後、不倫相手の人妻がやって来て、ベッドの中で彼女が言った。
「ジャングル通信のことを聞きたい?」
彼女が得た情報で、主人公は免色(めんしき)の今の邸宅は三年程前に買い取ったものである事を知る。
「つまり、彼があの家を建てたわけじゃないんだ」と私は言った。
という事は、主人公とは関係なく、免色にはそこに移り住んだ理由があったのだ。そしてたまたま免色邸と谷を隔てた雨田具彦画伯の家に住むことになった主人公が肖像画を描くという事が免色に待ち望んだ機会を与えることになった。
人妻が帰った後、主人公は自分が絵描きの道に進んだ経緯を語る。
「絵描きなんかになってまともに生活ができるわけがない」と、主人公の父は美術大学への進学を猛烈に反対した。
ここで私はふと、朝日新聞に載った草間彌生(やよい)氏の記事を思い出した。
2017年5月17日、18日の記事である。
「でも私をいい家に嫁がせたい母は絵を描くことに反対で、描いた絵をめちゃめちゃにしたり、絵の具皿をひっくり返したり・・」「自殺しようと考えて、中央線のところまで行って、線路に飛び込もうとしました。ひかれそうなところを兄が飛んできて助けてくれた」
絵描きの道に進むのは大変なのだ。
主人公は生活の為に肖像画を描くようになり、妻との断絶を機に旅に出て、また自分の絵を求める様になったが、法外な報酬で引き受ける事になった免色の肖像画のデッサンすらうまく描けない状況なのを知らされた。
最後にこう締め括っている。
「僕らは高く繁った草をかき分けて、言葉もなく彼女(主人公の亡くなった妹)に会いに行くべきなのだ。私は脈絡もなくそう思った」
最後のこの文は、まさに「ノルウェーの森」の出だしの部分を強烈に思い起こさせる。
「僕はあの草原の風景をはっきりと思いだすことができる」「井戸は草原が終わって雑木林が始まるそのちょうど境い目あたりにある。大地にぽっかりと開いた直径一メートルばかりの暗い穴を草が巧妙に覆い隠している。」
春樹の作品には、繁った草と、そこに穿たれた穴とが不可分の様に絡まっているものがある。