うきは拾遺集

・ 福岡・うきはの里の筑後川ほとり。野鳥の声に目覚め流水を眺め暮らす。都鄙の風聞、日々の想念、楽興の時 ・

「・・・かな」のまん延にうんざり~溶解する日本語

2016年11月26日 10時19分13秒 | 随想
 万葉集の研究家として知られ、日本語に関する著作も多い、元京都市立芸術大学長の中西進氏の『美しい日本語の風景』という一般向けの本があります。その中で中西氏は、ことばは変化するものであり、日本語も歴史の変遷とともに変化していることを指摘したうえで、次のように述べておられます。

 「下品な流行語は使わず、大昔のものに固執せず、一歩遅れたところでことばを使うと、これはみごとなばかりに美しいことばの使い手となる。実は人間の品というものはすべて『一歩遅れ』にあるのだから。一歩遅れはすべての言語に言える」

 閑話休題。ことばの語尾に「・・・かな」のように意味もなくつけ加える語法がまん延して久しい。過日のテレビ報道で耳にした「・・・かな」のこんな〝誤用〟が気になって書かずにいられなくなりました。震災の避難訓練を実施した自治体職員の言葉です。訓練避難の際、多くの住民が車を利用したために起きた渋滞を反省した、「障害者や高齢者は車でしか避難できないことをみんなで考えてほしいかなと思いました」という言葉です。「緊急の時の避難は体の不自由な人のために車の使用は可能な限り避けてほしい」という要請、強いメッセージのはずですが、しかし、わざわざ「かな」を誤用したことによってそのメッセージの力が限りなく減衰して強い要請として伝わってこない。

 当事者としてのこの「かな」は丁寧語のつもりだったのでしょう。摩擦やトラブルを避けたいという現代社会の象徴のような「させていただきます」を多用する異常さがそうですが、慇懃無礼やいやらしさを超えて、肝心の意思を正確に伝えるという言葉の目的さえ用を為しません。


 全く違う事例です。プロ野球・巨人軍の足のスペシャリスト、鈴木尚広氏の東京ドームでの引退セレモニー、お別れの言葉は、一芸に秀でた人にふさわしい素晴らしいスピーチでしたが、翌日のスポーツ新聞で読んだ寄稿文にはスピーチが素晴らしかっただけに失望しました。1400字ほどの記事の中に5か所もの「かな」が登場していたからです。この種の寄稿は担当記者が話を聞いて代筆することがほとんどですから鈴木氏の文章も代筆と想像します。鈴木氏の言葉そのものか、謙虚な鈴木氏を忖度した若い記者の筆遣いなのかわかりませんが、気になりました。


 そもそも「・・・かな」は「か」と「な」という二つの終助詞の連語で用法は
   ①疑問(「うまく書けるかな」など)
   ②確認(「あれはどこにしまったのかな」)
   ③願望(「代わりに行ってくれないかな」)
   ④納得できない(「どうしてあんな口のきき方をするのかな」)
 などとされています(大辞林)。


 上記した事例を含め、「・・・かな」の流行はその定義を逸脱して感覚の赴くままに使われていることの証と言えるでしょう。ことば遣いは人格そのものであり、ひとりの人間としての装いと同じだと認識します。自問して美しくありたいと思います。
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