平成太平記

日常の出来事を書く

つけの支払い

2011年09月08日 05時03分15秒 | Weblog
何故 倒産に追い込まれたのか 親族は朝から晩まで働き、旅行に行かず文字通り身を粉に働いていた。
バブルの崩壊時で金融機関が貸出先に困っていた時期に事業の拡大を考えた。金融機関から借り入れをして第二店舗を建設した。土地と店舗で借入額は1億円である。第二店舗の建設の必要はあったのか 確かに営業上、車の駐車場が手狭になっていた。問題は店舗を二つ持つ必要がなく、住まいを含め第二店舗に移り、第一店舗は売却して借入金を圧縮すべきである。返済計画が甘いのである。
借金をするときは一番大事なのは収入で返済出来るのか検討である。収入は過大に見積もらず返済ができるのが一番肝心である。
当時、金融機関は貸し出し先に困り必要のないゴルフ会員権やリゾートホテルの利用料も合わせて融資された。融資を受ける親族の借入金に対する態度も甘いのである。
従業員も過大に採用して。結局、営業は借金を返す程増えず、借入金は増えていく。低金利で貸出先が当面に返済をすれば幾らでも借り入れられて自転車営業が可能であった。結局、負債は3億円程度に膨れ上がり返済が困難になる。
借入ができなくなり自分の金を無断で利用するようになる。自分にも脇の甘さがあったと思う。然し親族であるのが一番の禍のもとになる。
一番の問題は親族が店舗の売却などして借入金を縮小する努力がなされず漫然と事業を継続したことである。借入が増えて行きつく先は倒産との認識を持ちながら借金を相手かまわず続けたことである。必死に働くだけが能ではない。



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