に行ってきました。7種類のフルーツを使ったオリジナルティーがおいしかったです。それに、パイ皮つつみのビーフシチューもおすすめ
手作りの雑木林の中を散策した後でのティータイム。
都会の雑踏を忘れられる、スロータイムの充実した時間が過ごせます。
2004年度の新車の安全性をテストする「自動車アセスメント」が国土交通省から発表された。1500CC以下のクラス21車種中、運転席は得点率92%という好成績で5位に入賞。 ティーダの総合評価 特に側面衝突は100%の安全性だ。ただ、ブレーキ性能がいまいちで、濡れた路面では、54.2mと停止距離が長いです。全車種で6つ星をとれるよう、引き続き更なる開発を期待します。
明日、7月12日は1932年、第10回ロサンゼルスオリンピックで愛馬ウラヌス号に乗って馬術大障害で初出場ながら見事優勝し、後に硫黄島で玉砕、自決され、その際、胸のポケットには愛馬ウラヌスのたてがみがしのばせてあったという、西竹一氏の誕生日です。オリンピックの馬術大障害での日本人メダル獲得者は後にも、先にも彼一人という偉業を達成されたひとです。新聞社のインタビューで「We won 僕達は勝った」と答えたことは新聞の1面を飾ったそうです。後にロサンゼルス名誉市民証を授かったり、ハリウッド女優からデートの誘いを受けたりパッカード社から高級車を送られたりもしています。彼は、10歳で父、男爵西徳次郎をなくし、莫大な遺産を相続する。彼のエピソードは限りなくあり、結婚後も家に銀座?の芸子さんを連れ帰ったり、馬で外車を飛び越えた写真はイギリスの馬術雑誌にも掲載されて人気をはくしたり又、スピード狂で東京中の警察から手配を受けていたのを、管轄警察署の職員宿舎を寄付することで、許してもらったり。ロサンゼルスオリンピックの時も、馬術競技に出場する人、全員にタキシードをプレゼントしてパーティーに参加してみたりと、現代にはいない豪傑の人でした。硫黄島では、敵のアメリカ軍から「バロン西、出てきなさい。あなたを失うのは惜しい・・・」という投降勧告があったとか、なかったとか。何故か、終戦記念日が近づくと伝説の人バロン西を思い出す。ちなみに、バロン西の愛用した馬の鞍やブーツ、鞭はエルメスやったそうな。