脊髄腫瘍闘病記・ま~ちゃんのつぶやきエトセトラ

夫が脊髄腫瘍星細胞腫G4で、T2で脊髄を離断。残念ながら丸2年後に、亡くなりました。闘病中→その後を書き綴ります。

夫クロちゃんの時系列症状その2

2008-06-30 15:22:52 | Weblog
昨日の続き、

2008年1月中旬
神経内科の予約日がやっときて最初から今までの経緯を話たら初めてじっくり症状に合わせた診察をしてもらえた。結果、"腫瘍の疑い有り"と言うことでMRIの再検査の予約をいれた。

2008年1月下旬
MRI再検査(首から腰まで)

2008年2月初~中旬
神経内科の診察。
「脊髄に腫瘍が出来ているから整形外科に戻って説明を聞いて下さい。」と言われた。この日のうちに整形外科にすぐにカルテを回してくれず後日自分で外来に来いと言われ本人帰宅。この時点で妻は大激怒、沸点は近かった(`ε´)

2008年2月中~下旬
やっと最初にかかった整形外科で病状の説明を受ける。夫婦2人で中待合いに座っていると3~4名のDrがバタバタと走り回り大騒ぎしているのが聞こえた。あっちこっちに電話も入れている様子だった。
この日最初に対応した医師は「背中の脊髄の中に"デキモノ"が出来ていてね」とニコニコと話してくれたが、ここでは(この総合病院では)診れないので大学病院、しかも大学病院でも選ばないと対応不可能だから…と少々待たされた。それから10分程Dr達の必死のドタバタが曇りガラス越しに見えた。私達夫婦はある程度資料を揃え持参していたので「脊髄腫瘍の事を"デキモノ"だってさぁ…」と医師の方々の動揺ぶりを静観していた。次に対応してくれたTJ医大のN医師が「胸椎の脊髄髄内腫瘍なのでK大学病院のN医師に紹介状を書きますがいかがですか?」と言って下さり、全くその通りの病院・医師に紹介状をもらうつもりで資料を揃え持参していたので「お願いします」という感じで話は早かったです。このN医師、翌日K大学病院のN医師に連絡して手術がいつ頃受けられるかと問い合わせをして下さり、我が家まで電話を下さった。一勤務医であっても自分に出来る事を探して最大限にやって下さった事に深く感謝いたしました。ちなみに前年に全くの初診で診てくれた女医さんからは病状の説明、病院の紹介ましてや電話の一本もありませんで
した。

2008年3月中旬
紹介状とMRI画像を持って、いよいよK大学病院にてN医師の初診診察を受けました。



今日の所はここまで。

実は夫が明け方から40度の高熱を出し、朝7時過ぎから病院に来ているのです。お小水が汚れている様子で点滴と抗生物質を入れて様子を見ています。熱は下がったのですが体力の消耗が激しく眠ってはまどろむを繰り返しています。麻痺した足は気付かないうちに指と指の間がベロンと皮が剥け化膿したら大変って感じです。

ホントに3歩進んで2歩下がるってこのことかぁ~と実感しています。私達夫婦はせっかちなウサギ夫婦だったのでなかなかペースがつかめず四苦八苦してます。これからは亀のかつ子(我が家の一員のみどり亀)のようにゆっくり生きたいと思います。




昨日ブログを更新した後ボーっと何気に考えたんだけど、N医師はきっとベッカムや早稲田の祐ちゃんご用達の"酸素カプセル"に入り野球やサッカー選手が打つニンニク注射を打ってるんだろうなぁ~とひとりで想像し妙に納得したら良く眠れました(*v_v*)zzZ
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夫クロちゃんの時系列症状その1.

2008-06-29 20:50:26 | Weblog
夫本人の証言に基づき、時系列にて症状がどのように変化していったのか、書き記すことにする。

2007年7月頃
右足全体が以上に熱く感じた、けれど、夏だったためと普段から腰痛があったのであまり気に留めなかった。この前後からひどいぎっくり腰が続き整骨院に通うようになりました。マッサージをしてもらうと、ふくらはぎが異常に張って痛かった。

2007年秋頃
この頃から足の裏の何とも言えない様な痺れというか、じれったいような、くすぐったいような感じが始まり、無意識のうちに貧乏ゆすりをしていて妻に注意されていた。腰の精密検査を受けなければいけないなぁ~と思ったが、仕事が忙しくなかなか病院には行かなかった。

2007年12月
冬になり寒いはずなのに右足の暑さはひどくなり痺れも感じ始める。和式トイレの時、立ち上がるのに踏ん張れず、ひざがくだける。便意を感じトイレに行くが間に合わず少し出ていたりする事があった。その時は理由がわからず自分を情けなく思った。それでも長年の腰痛が痺れの原因だと思って疑っていなかった。

2007年12月28日
近隣の総合病院の整形外科にかかり、足の症状を訴えたが膝からばい菌が入ったための炎症ではないかと皮膚科にかかるようにいわれた。(年明けに念のため腰のMRI検査予約を入れた)暮れだったため、総合病院には皮膚科医がいなく、他の皮膚科にかかり塗り薬と抗生剤をもらったが、足の症状は全く改善しなかった。

2008年1月7日
総合病院の整形外科で予約を入れてあった腰のMRI検査を受けた結果は「ヘルニアだけど問題ない」と言われて終わった。しかし、本人は「これだけの症状があってなんでもないわけがない!!」と思いその足で同じ総合病院の皮膚科に行った。その皮膚科医は「ばい菌で足がしびれたら大変ですよ~!!」「それより、かゆくない?」と聞かれ皮膚炎の薬を出してくれた。会計を待っている間、待ち時間が”90分”と表示が出たのでその時間に循環器に行った。糖尿でも足が痺れる事があるそうで、血液検査と尿検査をしてくれたが異常は見つからなかった。循環器の医師がビタミン剤を出してくれたが「しびれではあとは神経内科かなぁ~」と言うので神経内科の予約を入れ帰宅した。この日処方されたビタミン剤は全く効かなかった





神経内科にかかってからのことは、又今度、次回以降に書き込みます。


今日は土砂降りの中病院に息子を伴って向かった。
最近は毎日ベッド上に座る練習をしていて、血圧も極端に下がることなく30分以上座っていられる。毎日握力をつける筋トレも欠かさずがんばっているようだ。離断したのに足の痺れがひどいとずっと訴えていたのでペインクリニックの医師が来てくれてお薬を出してくれたらしく、そのお薬がとてもよく効くと喜んでいた。

斜向かいにいたTさんが私が到着するのと入れ違いで退院していてさびしかった。
東北A県から一人、この病院の脊髄チームを頼って検査にいらしていて、手術は3ヵ月後と言う事でひとまず帰郷されたのだ。
全国から患者さんが集まってくる慶應脊髄脊椎チーム、毎日が戦場のようです。
緊急手術が週に何度もあり、先生方の健康も心配してしまうほどですが、
な・ぜ・か・・・N医師はいつも爽やか!ナイスガイ!真っ白な歯が印象的なスマ~イル。私にとっての七不思議のひとつです^^。

それと、F医師、心根がやっさし~、本当にやさしい、細やかな気遣いがジ~ンとしてしまう先生、皆さんすばらしい先生方に恵まれて、幸せです^^。

じゃ、続きはまた今度♪
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アストロサイトーマ4号さんは何処へ・・・。

2008-06-28 21:38:06 | Weblog
夫の状況は、少しずつリハビリも進み、リハビリ病院の話が先生と出来るほどになった。村山医療センターというところは、脊髄損傷患者専門にリハビリする機関があり、脊髄専門医も多数居り(N医師の後輩も3~4人いらっしゃるそうで)「俺はここしかない!!」と夫は転院する折は村山と決めているようだ。
アストロ4号さんもこの村山病院に行かれているはずなんだけれど・・・・。
どこ行った?どこ行った?
こんなに探しても見つからない事をみると、自ら姿を消したがっている???のか?

今日は頚椎の腫瘍を手術されてばかりで星状細胞腫グレード3だったという方のコメントが入り、夫婦で大興奮してしまった。
この病気、特に悪性星状細胞腫の患者やその家族にとって、悩みや不安を誰かと共有できないという言いがたい孤独と戦っている。

そんな患者同士で、慶應だけの患者会を立ち上げたいと密かに(しかし知っている者は意外と多い)動き出している。先生達や看護士さん達も巻き込んでである。
ひとまずN医師は大賛成してくれている。これは、非常に心強い。

今後、様々な症状によって専門医の居る所までたどり着くまでの不安や悩み、また、術前術後の心配事や不安、家族としての対応等、患者会の中で語り合っていければ少しは救われる方がいるのではないか・・・、また、症状を放置したがために機能をなくし、手術の時期を間違える事が無いよう、相談窓口にでもなれたらいいなぁ・・・と、思っている。

そんなことを企みつつ、またあした、夫の待つ病棟へ。
今日も一日、お疲れ様でした。
たびたび言いますが、アストロサイトーマ4号さん、連絡おくれよ~^^。





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父娘

2008-06-25 09:59:09 | Weblog
父親と娘の関係は言葉でどう説明したらいいのか…父親にとっての娘は"永遠の恋人"だろうか…娘にとっての父親は"大好きだけど嫌いな人"と言った所だろうか。
かくゆう私は亡くなった父が大好きだった。尊敬もしていたし、困った時には必ず助けてくれる言わばスーパーマンのような存在だった。私が二十歳を過ぎてからは母がやきもちを通り越して呆れるほど仲良しで父娘で旅行に行ったりした。

昨日は疲れもいよいよたまり、息子の体調もあまり良くなかったので3時頃病院を出て帰宅した。 当然まだ私が居るものとばかり思って娘が夫の病室に立ち寄ったらしい。ビミョーな空気が流れたらしいが夫が嬉しそうにしているとお向かいのOさんがメールをくれた。後に娘と2人っきりで話しが出来て嬉しかったよと夫からもメールがあった。

古女房のどんな看護よりも娘の笑顔、言葉…励まし…娘の解き放つ空気とオーラが何よりの妙薬なんだなぁと感心した。
たまには、1人こっそりそんな2人の様子をカーテンの端から覗き見したい気がする。うふふ…♪(*'-^)-☆
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帰還(^^ゞ

2008-06-23 16:17:32 | Weblog
離断手術後、発熱したり血圧低下が頻繁だったりで安定感に乏しかった夫が、今朝から点滴をすべて外してもらい、やっと術前に居たお部屋に帰って来た。ストレッチャーで入って来た夫に「おかえりー!」の声が掛かり「ちょっと軽井沢の別荘に行ってました!」と軽いオヤジギャグも出て、なかなか快調なご帰還となった。

これから少しずつ痛みが和らぎ、リハビリが始まると今までとは違う現実が迫ってくる。
その時、私に何が出来るのだろう……
その時を想像するとどうしたらいいのかわからない、じっとしていられないような焦りと不安が私を襲う。
あまり先の事ばかり思い悩んでも仕方がない訳で…今夜たっぷり寝て、覚えていたら又、考える事にしよう(*v_v*)zzZ
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お泊まり(=^▽^=)

2008-06-21 20:07:53 | Weblog
夫が入院して三週間が過ぎた。最初の手術からピッタリ三週間後に再手術を受けた訳だ。その間に毎日自宅から信濃町まで通い続けたのだけれど、今日は昼間息子を連れて来て、娘が学校帰りに寄ってくれたので息子を連れて帰ってもらい、私は夫のベットの横の長椅子に泊まる事にした。泊まったからと言って何が出来る訳ではないのだけれど、側で寝息を聞いているだけで心地よく安心する。出来るなら夫の横に添い寝したいくらいだけれど、傷にさわったら大変だから長椅子でガマンするとしよう。

明日点滴が取れ微熱が引けば前のお部屋に戻れそうだ。前の部屋のお隣さんIさんはとっても穏やかで優しい方で、夫が一度目の手術の後、腫瘍が悪性グレード4で離断術を受ける決心を迫られているとき共に悩み共に悲しみ夫の苦悩を受け止めて下さった方だ。今日も昨日も夫の部屋まで車椅子で来て下さり世間話を含め最終的にはさりげなく夫と私を励まして下さる。いつも本当にありがとうございます。お互いに退院してからも迷惑でなかったらお付き合い宜しくお願いします。

お向かいのベットだったOさんは今日は三回来て下さり初物のおみかんを頂戴したり単行本を持って来て下さったりでいつも夫を気遣って下さっている。ブログにOさんの事をOさんに断りなく記していたのでずっと気になっていて、「私ブログ持っていて…」とURLを差し出そうとしたら、以前からお気に入りに登録済みだと伺いただただ恐縮しました。

私の文章力で、どこまで色々伝えられるか甚だ疑問だけれど、今、私に出来る事のリストに"このブログを続ける事"が入っているので出来る所まで頑張りたいと思っています。

皆さん、コメントの返信が滞る事が多いと思いますが、コメント心よりお待ちしています。毎日皆さんのコメントを楽しみにして励みにしています(*^_^*)
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大成功!v(^-^)v

2008-06-19 21:49:45 | Weblog
夫の再手術が終わった。
結果は大成功!
迅速生検の結果、腫瘍の浸潤(頸椎方向への)進行が全く無く、出来る範囲での機能を残し離断術を完遂する事が出来たそうだ。予定より1時間早く手術室を出て来て、前回よりも意識もはっきりしていた。

主治医のチームはすぐその後緊急手術に戻り、しばらく先生方が戻るのを待っていたが遅くなりそうだったので、帰ろうとエレベーターに向かって歩いていたら向こう側から主治医の先生が歩いてみえた。「どうです様子は?」と聞かれ「先生に会いたがっています。本当にお疲れ様です。先生は病気出来ませんね…」と言ったら「ホントだねぇ~」と笑顔で応えて下さった。
夫の所に行って先生が結果がよかった事を伝えると、夫は先生の手を点滴の管だらけの手で握り締めどうしても伝えたい事があると言って手を放さない。
「僕は先生に出会えた事に感謝します。そして先生が率いる脊髄脊椎チームの皆さんに出会えた事に感謝します。ここにいる看護師さん達に感謝します。命を助けていただきました。この命を大切にします。先生から皆さんに必ず伝えて下さい。本当にありがとうございました。」
夫が泣いていた。私も手で顔を覆って泣いた。先生の目も真っ赤だった。
明日からまた違う戦いが始まる。
生きていくって大変だ…でも、めげないで、ね!
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最後の晩餐???

2008-06-18 22:43:37 | Weblog
脊髄離断術を明日に控え、今夜は病院の11階にあるレストランで娘と3人で食事をした。夕暮れが夜空を暗くしてきたとき、東京タワーに電飾が灯り、だんだん夜景がきれいになっていった。レストランはパレスホテル直営で、接客もお料理に関してもとても満足のいくすばらしいものだった。
末の息子だけが家でお留守番状態だったが、今朝は朝から娘の学校の保護者会も重なり、息子を連れてくることは無理があり、3人でのディナーになった。
夫も、静かに明日を迎えられ幸せだと言った。
娘は、とにかく他の事は考えずに明日の手術だけを乗り越えるように頑張れと励ましていた。私は、明日の朝になって「やっぱり今日の手術受けるの辞めますとだけは言わないでね。」とか「術後訳がわからんちんになったら、麻酔科か精神科の先生に一発打ってもらって寝てもらいます」などと言って笑い飛ばしていた。

明日の午後、手術は決行される。
どうか、今度だけは、これ以上最悪の結果にならぬように・・・
どうか、希望を残した手術になるように・・・

散々今まで楽観的だった私だが、どうか、どうか、どうか・・・。

と、祈らずには居られない一夜だと思う。



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次に向かって

2008-06-17 11:41:12 | Weblog
週末を自宅で過ごした夫は昨日(月曜日)午前中に介護タクシーで病院に戻った。な・ぜ・か…自分のベットに横になったら「落ち着くなぁ~」と言ったので周りの方達と笑ってしまった。

ベットサイドのテーブルの上にプレゼントが乗っていて何だろ?と2人で見ていたらお向かいのベットにいるOさんが夫の為にマジックハンドをハンズまで買いに行って下さりプレゼントしてくださったものだった。その数時間後にご自身の手術を控えておられるのに、夫を気遣い心をくだいて接していただき感謝感激、また、どんな時にあろうともOさんの様に人に優しく在りたいと思った。Oさん本当にありがとうございます。

夜になってから木曜日に受ける離断術にまつわる色々なお話しを主治医の先生をはじめとする脊髄脊椎チームの先生方とじっくり時間をかけてさせて頂いた。朝からいくつものの手術を終えてお疲れの所、本当に申し訳なかったのだけれど私達夫婦が納得するまで丁寧に根気よく、又、真摯にお応えいただき、ただただ恐縮するばかりだった。先生、本当にありがとうございました。

人を救うのは人なんだな…と、しみじみと感じた1日でした(Θ_Θ)
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我が家はいいなぁ~。。。

2008-06-14 21:59:14 | Weblog
昨日から一時帰宅した夫はずっとご機嫌だ。
「家はいいな~家はいいな~」の連発で、そう言ってもらえると多少の疲れや無理した事も吹っ飛んでしまう。
介護タクシーでのストレッチャー移送も快適だったし、レンタルしたベットも新品で最新式だったし、役所で借りた車椅子もとてもきれいな品で何から何まで順調な滑り出しだった。
しかし、やはり普通の家の作りなのでドアノブが出っ張ってて全開に開いても車椅子にぶつかってしまい通れず、ドアを一枚外した。
今後いろいろ改装しないとな・・・と夫婦で話していた時、夫の弟2人が顔を出してくれた。様子を見に来てくれたんだけれども、家の改装の業者云々を夫と相談しに来てくれたのだ。この3兄弟、実は家や家具を作るのが仕事なのである。
18年前、夫の父が急逝し父の会社を3人で引き継いで今に至っている。
夫は3兄弟の一番上、長男である。普段特別仲がよくもなく、(悪いかもしれない)ろくに話もしない男3人が、時に笑いながら、あ~でもないこ~でもないと頭を並べて話している姿を見て、なんだかとても嬉しかった。
夫の母がこの光景を見たらどれだけ感激するだろう・・・と想像しただけで泣けてきた。

私の友人からも素敵なお花のアレンジがお花屋さんから届いた。
夫も「きれいだな~~」と何度も言うので、枕元に丸椅子を置きその上に飾っていつでも見えるようにした。

日々、心の何かが変化している。
この変化が、じんわりじんわりと本人や周りの人間も変えていくのだろうと思う。







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外泊

2008-06-13 11:59:07 | Weblog
今日の3時から来週月曜日の午前中まで外泊許可をいただき夫は自宅に帰る。私は今日は朝から市役所に車椅子を借りてきたり必要な物を買いに行ったりでやっと病院に向かう電車の中にいる。介護ベットは午後自宅に届けてもらうことになっていて、お留守番のばぁばが対応してくれる。病院から自宅までは介護タクシーでストレッチャー移送だから安心だ。
今頃そわそわいそいそと身支度に余念のない夫の顔が目に浮かぶ。

外泊中に夫は子どもたち2人にそれぞれ、自分の病気の事、これからの事、また伝えたい思いなどをじっくり時間をかけて話すつもりらしい。

来週木曜日に離断術を受ける。腫瘍摘出手術を受けてちょうど3週間目だ。術後はどんどん機能が回復し足の曲げ伸ばしもスムーズだし昨日のリハビリでは初めて両足で立てた。立てるようになったのに……無情だ。


自宅にはひまわりやトルコ桔梗、ガーベラやかすみ草と、ありとあらゆる美しいお花が華やかに夫の帰りに色を添えて待ってくれている。"生"の持つパワーをからだ全体から解き放ってくれているお花達。ありがとう(^O^)

今日の日を迎える事が出来るようになるまで支えて下さった皆さん、本当にありがとうm(_ _)m
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元気の素。

2008-06-11 22:33:47 | Weblog
今日の夫は昨日と何かが全然違った。
吹っ切れていると言うか、もちろん明るいし、つるんと一皮剥けたとでも表現したらいいのか・・・
その原因は娘からのメールだった。
昨夜、娘から主人にメールがあったと言って私にそのメールを見せてくれた。
泣けた。
ただただ、泣けた。
夫はそのメールを50回以上も読み返し、泣いたそうだ。
担当の看護婦さんと主治医の先生にも見せていた。
看護婦さんは読みながら大粒の涙を流した。
先生は、こりゃ~頑張るしかないね!!と夫を激励してくださった。

以下、娘の渋々の了解を得て、そのメール載せさせていただく。


パパへ。
今日は全然居られなかったけど、面接週間になって早帰りが始まるからなるべく顔を出すようにするからね^^。

唐突だけど・・・

私は、もしもパパの足が動かなくなったとしても気にしない。

目が見えて物を認識することができて、
耳が聞こえて音を確認する事ができて、
鼻と口で呼吸ができて、
自分の口で発言し、会話する事ができて、
腕が動き、身振り手振りで感情を表現する事ができる。
それだけで充分だと思うから。

私がそう思うのは、
今こうしてバスの中で立ちながらバランスをとってパパにメールを
打っている、それができる体に不自由の無い健常者の一人だからだと思う。

私はパパの身体の痛みはわからない。
いまのパパの身体の状態になったことがないから。

だけど、心配で不安な気持ちは痛いほど良くわかる。
私はまだ16年しか生きてないけど何回も経験してきたから。

ママや○○や(弟)私に皆に迷惑がかかるから、って思ってると思う。
そんなの当たり前だよ。
誰かが病気になったら心配するのは当たり前。
ただその心配は迷惑ではない。

私が不登校になった時、パパは迷惑だった?
私に対しての感情は心配じゃなくて、迷惑な娘だと思ってた?
そうじゃないってパパは言ってくれた。

私は迷惑だなんて全く思ってない。
むしろ今回パパが病気になって慶應に入院して会話して
目を合わせる機会が増えてよかったと思ってる。
お医者さんや看護婦さんからはいろんな刺激を受けるし・・・

今までの道に引き返すんじゃなくて、
新しい道をゆっくり探して生活していく方が
難しいけど楽しいよ。
生きている感じがすると思うから。

これから頑張っていこう。パパ一人が頑張るんじゃなくて
パパに関わる全ての人が頑張ればいい。

冷たい言い方にしか聞こえないかもしれないけど
これが私の素直な気持ちだから、悩んで考えて時間をかけて
打ったメールだから理解して欲しい。  

がんばろう。


○○から↓
パパ、退院するまで待ってるよ♪

ps,
ママには優しくしてあげてね




親としてのわが身の在り方を改めて責任と共に問われたような気がしている。
そして、素直に娘の言葉が嬉しかった。








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再手術・・・。

2008-06-10 00:05:04 | Weblog
本日夕方、家族を含めた主治医による今後の治療説明が行われた。
病理検査結果はアストロサイト-マのグレード4。
予想に反し、最悪の結果となった。
手術後当初は、放射線治療と抗がん剤治療をして・・・というお話だったのだが、一気に情勢は変わり、今後ひと月以内に再手術により脊髄離断術(切断術)を受ける事になった。簡単に言うと、脊髄ごと腫瘍を取り除き腫瘍が脳に達するのを防ぐということだ。しかし、その施術後は脊髄を切った場所から下の機能(感覚も全て)を全て失うというリスクを伴う。
しかし、この手術を拒否すれば死しかない。いやもしかしたら生きられるかもしれないが、その前例は無い。
また、術後の再発も可能性としてはあるそうで、その時は首なので(腫瘍は上に浸潤するそうで下に降りてきても問題ないそうである)放射線と抗がん剤を使うほか無く、生命予後もいたって悪いそうだ。

夫は黙って主治医の話を聞き、静かに涙を流した。

私は、何か話したはずだが、何を言ったのか思い出せない。
娘の話をしたのは覚えている。術後の説明を聞いた娘が帰宅してから「手が動くなら、それでいいじゃん!生きてるって事が大事だよ」といった話をしたら、主治医が目を真っ赤にしていた。

先生達が席を外した後、夫の弟2人と私の4人で、色んな話をした。
皆が少しずつ気持ちも落ち着き、病室に戻った。

帰りの電車の中で携帯が鳴った。
夫からのメールだった。
結婚前にももらった事のないような、ラブレターだった。
私もいまだかつて書いたことの無いような愛の言葉を返信した。








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3歩進んで2歩下がる・・・。

2008-06-08 19:50:04 | Weblog
まさしく、水前寺清子の「3歩進んで2歩下がる~♪」の世界だ。

今朝は元気で、4日間便が出ていなかったため浣腸をしてスッキリしたと思ったら熱が出てしまったそうで、午後病室に息子と2人で着いたときにはぐったりしていた。熱の原因がわからないのだけれど、寒気がすると訴えたら看護婦さんが「これからもっと上がるかもね・・・」ともらしていた。明日は本人も含め家族も呼ばれ今後の治療説明を受ける予約が入っているのだけれど、大丈夫だろうか?
このまま、高熱が続くようならたぶん延期になるだろう。
リハビリもしばらくお預けか・・・。

もしもし亀よ亀さんよ♪
我が家には「かつ子」と名付けたみどり亀がいて(さくら祭りで息子が釣った)飼い始めた頃は寒かったのかあまり動かないし、餌も食べなかったのだが、ここ最近はスイスイ水槽の中を泳ぎ回り、お天気がいい日に外に出してみると、石の上で正真正銘の”甲羅干し”をしたりして、家族を楽しませてくれている。
そんなかつ子を見ていると、「ゆっくり生きなさいよ~・・・」と言われている気がする。昨夜はそんな一言を添えてかつ子の写メを夫に送った。
「かつ子大きくなったなぁ~」と返信が来た。
そうですよ。かつ子もあなたの帰りを待っています。
みんな、待っていますよ。
明日もなるべく早めに会いに行きますから、待っててね♪







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突風じゃ~。

2008-06-07 22:13:26 | Weblog
昨日は良い風が吹いてきたと思ったら、今日は突風が吹いた。
病理検査の結果が着々と主治医の所に報告されているらしく、来週だったはずの血管造影MRI検査を急遽本日の午前中撮ったそうで、そうこうしているうちに先生がベッド脇にいらして、今週末の内にチームで治療計画を立て来週月曜日夕方に家族を含め、説明します。と言いに来た。
これは、ただ事ではない・・・。という感触。

リハビリ・リハビリ!と気合充分だった我々夫婦が、もうリハビリ必要ないか・・・とかなり気弱になってしまった。
まぁ、強風程度なら耐えられるだろうが、突風だとちときつい。
突風に吹き飛ばされたら、杖でも突きながら二人で戻ってこようと思う。






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