あしおとがきこえる?

おどり場は劇場から路上まで
おどるなつこの散文誌

意思を確認するのが難しい?〜やまゆり園〜

2017-02-22 | あしおとがつぶやく
先週は6年間有償ボランティアとして無欠で続けてきた施設タップセッションのひとつに穴をあけてしまった。職員である仲間が有意義な発表時間に切り替えてくれたのですが…私としての責任は同じなので大変凹みました。替えが効かない仕事であり、ギャラが10万円でも5千円でも、行くと約束した場所に必ずいる職業です。本気で穴に埋まりたかった。

週末は岐阜での市民参加芝居の稽古、こちらは3/4.5本番に向けて佳境、59名それぞれの輝きが増していてとても楽しみな作品が出来てきています!こちらの文化センターはすごい理念による公共施設なのです。詳細は改めて!

さて、週明け風の強い月曜には鎌倉市内での施設セッションが2件。施設のメンバーからマイペースな優しさをもらいつつ、新年度に向けて新たな挑戦をこころみる。
そう、施設のタップセッションは、もう、普通のタップクラスとあまり変わりない内容になってきています。耳が聞こえなかったり、対人の緊張が強かったり、言葉を用いない方や、動きのコントロールが難しい方、各人の身体状況は様々だけれども、皆そこに参加する意思を持って集っていて、それぞれの踊りが現れるのを楽しみに、一緒におどっている。

おどるって、強制できないことだ。

一緒におどっている時、私には何が障害かさっぱりわからなくなる。こんなに細やかに理解し助け合いながら喜びを表現する人たちが障害者で、駅で平気で人にぶつかりながら毒を吐く勤め人は健常者。高度成長期以来、稼げる人が偉いという社会だったのだろうが、その価値観ももうだいぶ行き詰まってきているであろうに。

神奈川県で殺傷事件があったやまゆり園の再建に向けて、園を視察した黒岩知事が「本人の意思を確認するのは難しいから家族の意向で決めるしかない」といったことに対して異議が相次ぎ、それを知事が”非常に心外”と発言したそうだ。カナコロ記事
なぜ異議が相次いだかというと、障害のある人の意思決定に関して細やかなセンサーを育ててきてはいないだろう知事が、一瞥してこりゃあ無理でしょと判断したように感じられるからじゃないのかな。

重度障害の方たちには様々なケアが常に必要で一概に言えないとは思うけれど、障害者という枠にいれて、何かに出会うチャンスを他者が奪うことは、ひどいことではないのかしら?私が当事者だったら、意思が通じないことに諦めて家族の言うことに従うだろうか。それとも嫌だと暴れて拘束されるだろうか。

コミュニケーション能力とは相互の理解能力だと思う。理解能力も育ち合うものだ。間に立ついろいろな人の力を借りてでも、細やかにわかりあおうとしあい、誰もが、小さなことから自分で選択して育つことができるようだといいな。

* * *

神奈川の動きに関して、少し前に記事投稿したものも貼っておきます。⬇︎


神奈川県がやまゆり園殺傷事件を受け、来秋「共生フェスタ」を開催、一口50万の企業協賛を呼びかける新聞広告を先日だしたそう。県議会では批判もでているようだ。
必要なのは、障害をおった本人の意思決定が尊重されることではないか。
共生という言葉が、「障害がある(普通にできない)人と共に生きよう」という前提ではなく、「障害があっても人生を普通に選択できる仕組みづくりにもっと協力し合おうよ!」だといいな。
一過性のフェスタに意味がないとは思わないけれど、“人生を選択できない人”にならざるをえない、社会の障害をとりはらうことに、お金も力も注がれるといい。
***
共生フェスタは若者をターゲットに、神奈川ゆかりのミュージシャンやパラリンピック選手らに共生社会に関するメッセージを発信してもらい、参加者にはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)などでの拡散を求めるもの。開催費用は総額8000万円程度で、県費のほか市町村の負担金や、企業の協賛金を充てることを想定している。

事件後の取組↓
「ともに生きる社会かながわ憲章」 - 神奈川県ホームページ
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