高木晴光の 『田舎と都市との ・ 日々こうかい記』

「新田舎づくり」を個人ミッションとし、田舎と都市とを行き来する人生・仕事のこうかい(公開・後悔・航海)日記

父の葬儀の挨拶状

2016-12-24 22:43:01 | 日記

父、邦光が逝った。享年92歳。風呂場で転んで意識を無くしたのは12月上旬、私は12月12日に見舞うことができた。手を握り、耳元で「晴光だぞ」と大声を出すと、うめき声をあげて、予想外に強く握り返して来たので、私を認識したかもしれなかった。食事も水も口から取れない状態であったが、 本人の生前の意向と子供である私と弟で相談して、病院への入院はさせず、施設の通いの医者ができる医療行為程度で最期を看取ることにした。 お袋(彼の連れ合い)は、くも膜下出血で40年近く前になくなっている。半年ほど、流動食チューブや人工呼吸器をつけられた状態でいた。付き添いは私と父と交代でしていた。あの時の状態は、まだ若かったオフクロが骨と皮にまで痩せて衰弱していったのをオヤジと目のあたりにして観た。年老いてまでもそうして生きることを望まなかった・・・・・。 長くはもたないだろうけれど、この人のことだから年は越すかもなあと漠然と思っていたが、やはり高齢だった。あっけなく12月15日に死を迎えた。私の誕生日であった。

私にとっては厳しい父親だった。いっぽうではとても優しい面もあり、この両極端な子どもへの対応によって、アタシのコミュニケーション力が偏向的に育まれてしまった気もしている。幼い頃に母を亡くし、森澤姓から親戚の高木家に養子に行ったという波乱な人生だったと聞いている。連れ合いも早くに亡くした・・・・。 晩年は幸せだったのだろうか・・・、と思うと、ちょっとせつない・・・。

そして、葬儀場や斎場の関係から 通夜は平成28年12月20日、葬儀は12月21日にもようされました。

当然なことながら親族が集まった。元々親戚が少ないのだが、何十年ぶりかに合う、私の叔父や叔母、初めて会う子ども達(従兄弟の子ども達)がいた。 我が息子や娘が私の従兄弟達の子ども、つまりはとこどうしの初対面もあった。

葬式とはそういう出合いと別れの催事なのだなあと、強く感じた。 通夜の席で息子の北斗は、私の従弟とギーターとハーモニカのセッションをした。 通夜の夜、妊婦であった甥っ子の嫁さんの陣痛が始まり、なんと、葬式の朝に3人目のひ孫の新しい命が誕生した。 亡くなったのは私の誕生日でもあり、なんだか、命のつながりを感じた師走だ。

葬式では、孫の北斗が、ギターで葬送曲を弾いたあとに、孫の誕生を知らせるためになんと、

Happy Birthdayも熱唱。 名前がまだ決まっていなかったので、「♫ハッピバースディ、じいちゃんのひまごぉ~♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚¨゚゚・*:..。♦」と歌った。

返礼の挨拶状は自分で用意していたので、印刷してご参列を頂いた方々にお配りしました。

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謹啓

私議、この度、急に旅立ち致すこととなりましたので、略儀ながら書面をもってご挨拶申し上げます。 行き先は極楽か地獄か未だ定まっておりませんが、突如のお召しなので皆様にはご挨拶もせず慌ただしい旅立ちとなりました。

現世では九十有四年に渡り何かとご厚○(言べんに宣言の宣と書く)を戴き、お陰様にて無事現世を卒業し旅立ち出来たのも先輩諸兄のご高導はもとより後輩諸氏のご支援の賜と深謝し厚く御礼申し上げます。

これよりは先だった妻に一日でも早く追いつき、久しぶりに手を携えて極楽浄土の蓮の台を目指して永い旅を楽しく致したいと念願して居ります。業深い私達のこととて果たして極楽へ到達できるかどうかは疑問ですが、現世の皆様方の応援を信じて頑張りたいと思って居りますので、一層のご支援ご鞭撻をお願い申し上げます。

皆様型のご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げ旅立ちのご挨拶と致します。有難う御座いました。

                         合掌 高木邦光

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