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京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

海軍記念日特集Ⅱ:日本海海戦,前世紀歴史の教訓と将来に昇華させる防衛安全保障の視点

2017-05-28 20:51:07 | 北大路機関特別企画
■平和国家としての将来の教訓
 海軍記念日特集を昨日の海軍記念日の前篇に続く後篇として、歴史の教訓を振り返ってみましょう。

 海軍記念日とは日本海海戦での勝利を背景に、日本が国力として全く及ばないロシアとの戦争へ辛勝に繋がる端緒を掴んだ転換点であることを意味します。ただ、勝利の美酒は扱いを間違えれば万病の源、主眼は大陸との後方連絡線というシーレーン維持の手段としての敵主力撃破でしたが、後の太平洋戦争では艦隊決戦を期し主力温存に拘る基点となった。

 しかし、情報優位への絶え間ない努力、同盟国との絶え間ない連携と協力基盤の維持、多国間外交、戦術研究と戦力集中原則の堅持、少数ながら有力な主力艦の整備、徹底した科学主義への資材の集中、学ぶべき視点を誤らなければ、太平洋戦争敗戦後に経済大国としての確たる地位を維持し続ける我が国の平和国家としての将来にも、得るべき教訓は多い。

 情報優位への絶え間ない努力、これは欧州での情報収集基盤の構築と同盟国との情報連携を密とする事でロシア海軍動向などの情報を徹底し精査、更に多数の仮装巡洋艦と当時先端設備であった無線通信を多用し、対馬海峡か津軽海峡か、一旦台湾を攻撃し根拠地を得るかとのロシア動向を対馬海峡通過へ見極め、情報優位が戦勝へ直結したに他なりません。

 これは今日的にも重要で、現代戦闘では情報優位そのものが戦域優位に直結するとさえ認識されています。学ぶべき視点としては、無人航空機や情報機関の強化等、情報優位の獲得へはあらゆる禁忌を破る覚悟が必要と云えるのかもしれません、何故ならば現代日本の最大の禁忌は憲法が示す戦争放棄、故に回避する為には全ての禁忌を呑むべきでしょう。

 同盟国との絶え間ない連携と協力基盤の維持、日本は1902年にイギリスとの日英同盟を締結、世界最大の海軍力を有するイギリスがロシアの太平洋進出を警戒する観点から同盟締結に漕ぎ着けたものですが、この結果、世界最大の戦艦三笠のイギリス建造や開戦後の情報提供、イギリス友邦港湾のロシア使用拒否、欺瞞情報、相互利益に与る事が叶いました。

 日本が日露戦争の辛勝から学ぶべき点は、同盟国を大事にすることです。日露戦争時の同盟国イギリスとの関係を、1925年に締結した上位レジームである四箇国条約締結の時点でも努力する国運を掛けた努力を継続していたならば、その後の第二次世界大戦における日本の位置づけと国家の命運を大きく左右した可能性がある教訓を、忘れてはなりません。

 多国間外交、日露戦争においては当時アメリカとの友好関係を維持していたロシアに対し、アメリカへの積極的な外交関係を進展させ、講和交渉の仲介を得る事が出来ました。同盟国以外でも友好国との関係を増進させる意義といえましょう。ただ、開戦以前に日露協商交渉が模索され、実現していれば、戦争そのものを回避できた可能性もあるのですが、ね。

 この視点は現代に顧みますと、重視しているようで、深層部分の躊躇があります。多国間関係を経済協力や国際公序具現化、人道支援に留めており、防衛協力という国家の最大の緊急事態における支援体制を大きく制約している為、同盟国との関係さえも限定的、包括安全保障協力協定の拡大にも漸く着手したばかり、現段階では表層だけで満足する形です。

 戦術研究と戦力集中原則の堅持、日本海海戦では連合艦隊を集中運用する事で戦勝に至りました。これは云うほど簡単ではありません、対馬海峡通峡以外に津軽海峡や宗谷海峡を通行する可能性があり、連合艦隊は朝鮮半島鎮海湾へ集結していましたが、仮に津軽海峡を通行された場合は、完敗に終わる可能性が高かった一方、艦隊分散は行いませんでした。

 統合機動防衛力整備として、基盤は徐々に醸成されています。ただ、この視点は憲法の制約により戦術上の制約が課されている状況があります。また、日露戦争に続く太平洋戦争では戦力温存主義により結果的に戦力逐次投入という大きな失敗を繰り返しました。一歩前進一歩後退、という実情があります。この克服には広い視野を持ち望む他ないでしょう。

 少数ながら有力な主力艦の整備、日本海軍が装備した戦艦三笠は当時世界最大の戦艦としてイギリスヴィッカース造船所、現在のBAEにより建造されたものでした。日本海海戦ではロシア海軍は戦艦8隻に海防戦艦3隻を有していたのに対し日本海軍には戦艦4隻があるのみでしたが、質的優位堅持と要員の自覚に基づく訓練が勝利を確たるものとしました。

 徹底した科学主義への資材の集中、日本海軍は昭和海軍の印象が強く、日露戦争時代の海軍を知る語り部は旅立たれてしまいました。理論を建て討議して、やって見せ云って聞かせ、上を敬い下を愛する敬愛、という。昭和海軍は行き過ぎた訓練と背景の物量不足を精神論に単純帰結し梗塞状態に陥りました。この悪弊、現代社会全体が継承していませんか。

 科学主義とは絶え間ない検証が必要でありその為には討議が必要です、しかし、討議とは共有知に基づく問題領域の共有に依拠した知的集約から新論理や新対応策への昇華の過程です。決して責任回避のための責任共有の根回しや合意への妥協捻出の場ではありません。その上で資材集中とはリスクを負うものであり、決断に至る過程は重要度を持つのです。

 平和を謳歌する我が国ですが、東西冷戦の緊張という20世紀後半の厳しい国際情勢への対応、今日では中国による冷戦時代には見られなかった急速な軍備拡張と海洋進出、我が国領土の割譲宣言に等しい対外政策や軍事的圧力という厳しい現状があります。その上で、同盟関係や憲法上の平和を第一としてその他禁忌を恐れない施策への集中が求められます。

 日本海海戦は前世紀初頭の歴史です。しかしその後の日本は、歴史の転換点となった戦史から学ぶべき点と留意すべき点の二つとの均衡と共に歴史を歩むこととなりました。その上で第二次世界大戦の歴史へと進み、その上でここからも歴史的教訓と得ています。一方、防衛安全保障は現在進行形の命題であり、ここから学ぶ部分を模索する姿勢は、決して少なくは無く、又、得られるものが多々見出す事が出来るでしょう。

北大路機関:はるな くらま
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