熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

国立劇場・・・五月文楽:豊竹呂太夫襲名披露「菅原伝授手習鑑」

2017年05月21日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   久しぶりの華やいだ満員御礼の文楽:豊竹呂太夫襲名披露公演である。
   襲名披露狂言は、「菅原伝授手習鑑」の「寺子屋の段」である。
   その前の「寺入りの段」は、義太夫を呂勢太夫と三味線を清治、「寺子屋の段」は、前を呂太夫と清介、切を咲太夫と燕三。
   3年前の住大夫の引退披露狂言が、この「菅原伝授手習鑑」の「桜丸切腹の段」で、大阪の文楽劇場で観たのだが、その時と同様に今回も簑助の桜丸で、浄瑠璃を弟子の文字久太夫と三味線藤蔵で演じられて、当時を彷彿とさせ、口上を経て、呂勢太夫と清治の素晴らしい「寺入りの段」の後、この呂太夫の襲名披露狂言に続く重要な後半部分の簡略版「菅原伝授手習鑑」は、非常に充実した格調の高い舞台で感動的であった。
   
   この「寺子屋の段」のメインテーマは、
   「梅は飛び桜は枯るる世の中に何とて松のつれなかるらん」、
   松王丸が、我が子小太郎を菅秀才の身替りに立てて、その本心を武部源蔵に明かす時に、引いた丞相の詠んだ歌で、
   「菅丞相には我が性根を見込み給ひ、何とて松のつれなかろうぞとの御歌を、松はつれないつれないと、世上の口にかかる悔しさ、推量あれ源蔵殿。倅がなくばいつまでも人でなしと言われんに、持つべきものは子なるぞや。」
   「松だけが、つれない筈がない」と認めてくれ、烏帽子親である丞相の御恩に報いたい気持ちは、敵方藤原時平に仕えても、決して忘れていない、心底丞相に忠義者であって薄情ではない証として、最愛の息子小太郎を犠牲にして、丞相の子菅秀才の命を守り抜くことで、身をもって実証した松王丸の断腸の悲痛。
   これが、この舞台の眼目であり、身替り、もどりなど義太夫浄瑠璃の常套手段が使われているが、やはり、息を飲むシーンは、松王丸が、首実検で、菅秀才の首だと小太郎の偽首を見る場面であろう。
   歌舞伎でも、色々な型バリエーションがあるが、松王丸が桶に手をかけようとすると、とっさに源蔵(和生)が遮り、緊張が走り、丁々発止の緊張が舞台に漲り、松王丸の苦渋と安ど綯い交ぜの表情が悲しい。
   この日の主役呂太夫の情緒連綿たる浄瑠璃と清介の三味線の名調子が、観客の肺腑を抉る。

   それに、何と言っても感動を呼ぶのは、幕切れの死んだ小太郎の野辺の送りの「いろは送り」の流麗で哀調を帯びた浄瑠璃が哀切極まりない。
   舞台中央で、美しい白装束で慟哭をこらえて踊るように舞う勘十郎の女房千代は、サンサーンスの瀕死の白鳥を思わせる優雅さと悲痛。
   躍り出た玉男の松王丸との流れるように優雅な相舞の絵の様なシーン。
   千代はエビぞりの後ろ振りで哀惜の情を表し、松王丸は棒立ちになって中空を仰いで左手で顔を覆って慨嘆・・・感動的な咲太夫と燕三の浄瑠璃に乗って、悲しくも美しい幕切れが涙を誘う。
   すごい舞台であった。
   
   
   
   
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落穂ひろいは永遠の指標であろう

2017年05月20日 | 政治・経済・社会
   少し日本経済も上向き傾向だと報じられている。
   失われた10年、あるいは、失われた四半世紀と言われて久しく、日本のGDPが、500兆円を境にして、一向に上昇せずに、エズラ・ヴォーゲルが、Japan as No.1を書いたのは1979年であるから、もう、昔々の話で、夢の世界である。

   さて、何故、こんな話になったのか。
   積読であった大著のトーマス・セドラチェクの「善と悪の経済学」を読んでいて、第2章 「旧約聖書」の社会の幸福と言う箇所で、落穂ひろいの話が出ていて、迂闊にも知らず、非常に興味を持ったからである。
   このブログでも、We are the 99%.運動など、経済格差の拡大が、非常に深刻な問題として今日の資本主義、民主主義を毒していると言うことについて書いてきたが、古くから、弱者救済への教えがあったと言うことを感じて、感銘を受けたのである。

   この口絵に借用したフランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーによって描かれた「落穂ひろい」の絵は有名で、私もパリのオルセー美術館で何度か見ており、印象に残っているが、この絵そのものが、この旧約聖書の「レビ記(Leviticus)」記されている、貧しい寡婦や貧農などのために、落穂を残さなければならないとの戒律に想を得たと言うことである。
   この絵を見た時に、解説書か何かで見た記憶も微かにあるのだが、忘れてしまっていた。

   宗教的なことは分からないので、詳細は避けるが、貧困層のために広く富を残すと言う社会政策と結び付けられた巧みな経済規制だと思うのだが、このような慈善は、善意の表れではなく、むしろ責任と見做されて、寡婦とか孤児と言った弱者だけではなく、移民も社会的保護の対象になったと言う。

   もう一つ、セドラチェクが言及しているのは、キリスト教の章で、私有財産制について、例外規定を設けていて、「貧困の際には、すべてのものは共有財産となる」として、現世の財産は本来的に共有されると言う考え方があって、「飢えた人は満たされるまで他人のぶどうを食べてよい」と、これは、前述の落穂ひろいに関する定めと同じで、社会的弱者を守るための掟だと説いている。

   何千年も経た今日、世界中には、経済格差が益々拡大して、移民排斥が渦巻き、環境破壊が勢いを増し、正に、宇宙船地球号が危機に瀕している。
   それに、中流社会だと言われて貧富の格差が比較的軽微であったわが日本社会が、経済の歪が進行して、先進国中でも、経済格差が拡大して、貧困率が上昇して悪化の一途を辿っている。
   最近、世情において、殆どこの弱者救済対策など経済社会のセイフティネットの構築議論が、俎上に上らなくなったが、益々、状態は悪化している筈であり、日本の政治が迷走を続けているが、非常に憂うべき状態だと思っている。
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團菊祭五月大歌舞伎・・・「昼の部」

2017年05月18日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   今回、観たかったのは、まず、新皿屋舗月雨暈の「魚屋宗五郎」。
   新皿屋舗月雨暈と言った雰囲気の殆どない独立した世話物の舞台で、庶民の典型的な代表のような魚屋宗五郎の泣き笑いの生き様を、人間国宝の菊五郎が至芸を見せるのであるから、何回観ても感動する。
   それに、この舞台には、菊五郎の孫、すなわち、寺嶋しのぶの長男寺嶋眞秀が、酒屋丁稚与吉として初舞台を踏み、可愛くて器用な素晴らしい芸を見せてくれたのである。

   この舞台については、あまりにもポピュラーなのだが、
   ”屋敷勤めの妹が無実の罪を着せられて殺されたと知った宗五郎は、堪らずに禁酒の誓いを破って、酒乱と化して磯部屋敷に乗り込むと言う話である。
    普段は分別のある宗五郎だが、次第に酔って行き、恨み辛み憤りが朦朧とし始めて、磯部(松緑)憎しだけが昇華して、われを忘れて酒乱状態になって行く。
    召使おなぎ(梅枝)が持参してきた酒を、湯呑茶碗に注がれたのを口をつけて一気に飲み干し、飲むうちに湯呑茶碗では満足できずに片口から直接飲み始め、おはま(時蔵)や三吉(権十郎)の止めるのを振り切って、角樽を鷲掴みにして飲み干して酒乱に変身。目が座って、人が変わったように暴れ出して、おはまや三吉を蹴飛ばし突き飛ばし、壁をぶち破って、角樽を振り回しながら、磯部の屋敷へ突進して行く。
   酒乱と化した宗五郎は、磯部邸の門先で、散々に悪態を突き家老の浦戸(左團次)に悔しい胸の内をぶちまけて寝込んでしまう。
   目が覚めたのは屋敷の庭先、そこへ磯部主計之助が現れ、短慮からお蔦を殺めたことを深く詫び、弔意の金も与え、典蔵の悪事も暴かれ、めでたしめでたし。”

   去年、国立劇場で、芝翫の魚屋宗五郎と梅枝のおはまで観ており、幸四郎の魚屋宗五郎でも観ているのだが、菊五郎の舞台が一番多くて、今回同様に、時蔵のおはまと團蔵の父太兵衛と左團次の浦戸十左衛門が定番のように印象に残っている。
   玉三郎のおはまもそうだったが、格調高く風格のある芸で観せる時蔵が、「文七元結」や、この舞台で、菊五郎と魅せる庶民の女将の実に滋味深い味のある芝居は特筆ものである。

   短気で一寸問題のお殿様磯部公は、今回は、松緑であったが、染五郎であったり錦之助であったり梅玉であったり、颯爽とした二枚目が登場して、それぞれの風格を見せてくれた。
   この新皿屋舗月雨暈の舞台だが、この魚屋宗五郎の前の舞台などが上演されて、殺された妹のお蔦が登場してお家乗っ取り騒動の物語が展開されるなど面白いのだが、私は、この魚屋宗五郎の世話物の舞台だけで、完結していると思っている。

   今回は坂東彦三郎家の襲名披露公演であるので、昼の部では、「梶原平三誉石切」が、メイン舞台であろう。
   襲名した彦三郎の祖父十七世市村羽左衛門の殆ど晩年の舞台あたりから歌舞伎鑑賞を始めたので、襲名した楽善の渋い舞台を観続けてきた感じだが、
   今回の「梶原平三誉石切」は、彦三郎の梶原平三、父楽善の大庭三郎、弟亀蔵の猪俣五郎の親子二代が、重要な役を演じた正に襲名披露狂言に相応しい素晴らしい舞台であった。

   これまで、何度か、この「梶原平三誉石切」を観ているが、吉右衛門や幸四郎の梶原平三で、吉右衛門型だったようで、今回は、彦三郎は、当然、羽左衛門型で演じると言う。
   いい加減にしか観ていないのか、その違いは良く分からないのだが、これまでは、大御所の成熟した舞台を観ていたので、彦三郎の若さと活力の漲った清新な梶原平三像は、正にフレッシュで、強烈な印象を与えた。
   朗々と響き渡る綺麗な台詞回しやハツラツとした流れるような演技や流麗な見得の数々、多少ぎこちなさの残る芸ながら、感動的な舞台であり、父弟そして二人のおじのバックアップも素晴らしかった。

   今回、菊之助が颯爽とした奴菊平で、松緑がコミカルで愉快な剣菱呑助で登場して、華を添えていて面白い。
   それに、團蔵の父太兵衛と市川右近の梢が、良い味を出していて楽しませてくれた。

   義経千本桜の「吉野山」は、海老蔵の佐藤忠信と菊之助の静御前の観せて魅せる絵の様な美しい舞踊劇。
   それに、コミカルな男女蔵の逸見藤太が、華を添える。

   いずれにしろ、流石に團菊祭で、密度の濃い舞台であった。
   
   
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クライド・プレストウィッツ著「2050 近未来シミュレーション日本復活」

2017年05月16日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   この本は、”Japan Restored: How Japan Can Reinvent Itself and Why This Is Important for America and the World”
   上智大学や慶応大学でも学びウォートンを出て、自動車や半導体などの経済摩擦時に日米交渉等対外貿易交渉にあたるなど国際経済に精通した現在経済戦略所長であるClyde Prestowitzの日本経済論。
   抜本的な再生計画を実現して、世界に冠たる経済大国に復活した2050年の日本の姿を展望して、その道程へのシミュレーションを綴った興味深い本である。
   ”復活した日本 どのようにして日本は蘇り、その再生が如何にアメリカや世界にとって重要なのか”と言う問題を提起した経済学書で、ある意味では、日本人以上に日本を知った知日派の提言であり、現在の世界のシステムなどのベストプラクティスの導入なども目論んだ再生論であり、単なる絵空事ではなく、参考にもなることもあって、面白い。

   日本は、かって、明治維新と第二次世界大戦の二度の改革を経験してきた。
   これら過去二度の改革は、大きな危機に見舞われたのが切っ掛けとなったのだが、日本は、今まさに、アベノミクスが失敗すれば経済が崩壊するかもしれない短期的な重要問題のみならず、米軍の撤退など予断を許さない国際情勢の激変など、色々な危機が国家の非常事態を招きかねない状態にある。
   これに対処するために、日本政府は、社会の様々な分野の知名人を糾合して「特命日本再生委員会」を立ち上げ、三度目の国家改革を行って、2050年に日本復活を実現した。
   と言うシナリオである。
   この本が書かれた2015年時点から、2050年に向かってのシミュレーションなので、2017年の現在読むと、現実と仮想が混在していて、事実関係に混乱を来すのだが、我々日本人とは、違った発想が随所に現れて困惑することもある。
   しかし、著者が描きあげている2050年の日本復活像と言うかそのイメージが、非常に興味深い。

   このシミュレーションで、まず、意表を突くのは、ソニーがサムソン電子の傘下に入って「サムソン—ソニー」になるとか、三菱重工がボーイングを買収すると言った産業編成である。
   著者が言うように、日産がルノーの傘下に入り、パナソニックが日本史上最大の損出を出し、日立は数百の事業から撤退し10万人近い人員削減で会社を守り、エルピーダやルネサスが倒産寸前まで追い込まれ、超巨大なトヨタでさえシェアの低下に頭を抱えて・・・、かっての日本株式会社がこれであるから、何があっても可笑しくないと言うことであろうか。
   東電が原発事故で危機に陥り、シャープは台湾の軍門に下り、東芝の惨憺たる苦境、電通の違法行為・・・コーポレートガバナンスの欠陥か経営者の無能なのか、弱り目に祟り目で、日本企業が迷走して危機的な状況が続く。

   いずれにしろ、詳細は避けるが、著者の日本経済に対する知見や分析、評論はかなり的を得ていて、イノベーション立国、エネルギー独立国、日本株式会社から「ミッテルシュタンド」へ、「インサイダー」社会の終焉、等々の章での記述には、殆ど異存はない。
   さらに、女性が日本を救う、とか、バイリンガル国家「日本」と言う指摘などは、当然であろう。

   他に、信憑性はともかく、次のような仮説も提示していて面白い。
   ✓2017年、中国による尖閣占領危機
   ✓米軍が日本から完全撤退
   ✓沖縄で独立運動が勃発する 等々

   この本のサブタイトルにもあるように、この本の重要な指摘は、
   ”結び―――アメリカと世界にとって日本が重要である理由”である。
   まず、世界経済に占める、日本の経済規模や経済的貢献度も評価すべきだが、「グローバル・サプライチェーン」における、今日の世界経済を支える最も基本的なコンセプトやプロセスである「ジャスト・イン・タイム」や「カイゼン」が如何に偉大か。
   日本の「侘び・寂び」の美意識から日本美の数々、無駄を排した簡潔な様式や作法、歌舞伎など伝統芸術、本音と建前の概念等々。

   もっと重要なことは、日本が衰退し続ければ、アジア太平洋地域は勿論、世界全体が非常に不安定になる。
   経済大国で、民主的で、大きな軍事力を持つ日本、第二次世界大戦後独自の平和外交を推進し、重要な近隣諸国やオーストラリアやインドと言った国とも相互安全保障体制を結ぼうとしている日本は、アメリカにとってかけがえのない大きな利益になる。
   アメリカの地政学的な負担を大きく軽減するとともに、世界の民主主義勢力を強化し、世界の経済成長にも貢献してくれる。
   日本復活は、全世界の、そして、特に、アメリカの、極めて大きな利害に関わっている。
   と言うことである。

   このあたり、ワシントンポストも論評しており、アメリカでは、かなり評価されているようである。
   "Clyde Prestowitz's new book is one of the more thought-provoking forays into Asian-Pacific geopolitics to have been published in recent years — at least as noteworthy for its messenger as for its message." —The Washington Post
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クレジットカードのフィッシング詐欺

2017年05月15日 | 政治・経済・社会
   今朝、メールを開けたら、
   三菱東京UFJ銀行(メールアドレス)【重要:必ずお読みください】と言うメールが入っていた。
   開けると次のような内容であった。

   MUFGカードWEBサービスご登録確認
いつも MUFGカードWEBサービスをご利用いただき、ありがとうございます。
この度、MUFGカードWEBサービスに対し、第三者によるアクセスを確認いたしました。
万全を期すため、本日、お客様のご登録IDを以下のとおり暫定的に変更させていただきました。
お客様にはご迷惑、ご心配をお掛けし、誠に申し訳ございません。
何卒ご理解いただきたくお願い申しあげます。
http://www.(以下略)
上記MUFGカードWEBサービスIDは弊社にて自動採番しているものですので、
弊社は、インターネット上の不正行為の防止・抑制の観点からサイトとしての信頼性・正当性を高めるため、
大変お手数ではございますが、下記URLからログインいただき、
任意のIDへの再変更をお願いいたします。
なお、新たなID?パスワードは、セキュリティの観点より「10桁以上」のご登録を強くおすすめいたします。
http://www.(以下略)
*ID変更の際はこれまでご利用いただいておりましたIDのご利用はお控えいただきますようお願い申しあげます。
*他のサイトでも同じIDをご利用の場合には、念のため異なるIDへの変更をおすすめいたします。
-----------------------------------------------------------------------
本件に関するお問い合わせにつきましては、MUFGカード係まで
お電話いただきますようお願い申しあげます。
お問い合わせ・ご照会
<三菱東京UFJ銀行 BizSTATION>
受付時間 9:00〜19:00(土日・祝日・銀行休業日を除きます)

   さらに、次のように書いてあった。
   ご協力お願いします:2017年5月15日月曜日までに開始してください。2017年5月15日が期限です。
   宛先には、私のメール以外に、よく似たメールアドレスが列挙されていた。

   冒頭のbiglobeの発送メールアドレス(三菱より削除されたので表示が消えた)やこれらをよく見れば、フィッシング詐欺のメールであることは良く分かるのだが、私は、JALカードを持っているので、良くも考えずに、大変だと思って、記述のURLをクリックした。
   セキュリティはマイクロトレンドを使っているので、すぐに、警告表示が現れたので、フィッシング詐欺メールであることが分かった。

   すぐに、三菱UFJニコスに電話を入れ詳細を伝えたら、15分後に回答があって、三菱からそのようなメールを発信したことはないので、メールを削除してくれと言われた。
   安全のため、カード番号を変更しようとか、暗証番号やメールアドレスを変更するようにと言われたのだが、とにかく、あっちこっちに使っているデータなので、変更すれば、たちまち困ってしまう。
   フィッシングされたわけではないので、当分、このままで様子を見たいと言った。

   しかし、問題は、JALカード、すなわち、三菱UFJのカードのメールアドレスが、何者かに漏洩していることは確かで、それ故に、このようなフィッシング詐欺メールが届いたので、どの程度個人情報が漏洩しているのか不安だが、その対策だけは頼んでおいた。

   マイクロトレンドの警告がなければ、このフィッシングに掛かっていたであろう自分の不注意に愕然としたのだが、よく考えてみれば、長い人生、これに似たようなバカな経験は何度もあったような気がして、反省しきりである。
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今日の一日・・・国立能楽堂、神田祭の神輿、国立演芸場

2017年05月13日 | 今日の日記
   昼頃には、かなり、激しい雨が降り、少し寒い日であった。
   朝、青山の病院に立ち寄って、午後、開演の国立能楽堂の「普及公演」に出かけた。
   普及公演なので、冒頭に、天野文雄氏の能楽案内の話があり、その後、狂言・大蔵流「呼声」と能・観世流「清経」が上演された。
   風邪をひいており、薬の所為もあって、冴えない観劇であった。
   

   その後、夜6時からの国立演芸場での「国立名人会」まで、時間があったので、いつものように、神田神保町の書店街に行った。   
   古書店で、書棚を見ていたら、調子のよいお囃子の音が聞こえてきた。
   外に出てみたら、笛や鐘など鳴り物入りの屋根付きの車が先導して、お神輿が見えた。
   猿楽町の神輿である。
   
   

   この日は、神田祭の神幸祭の日で、神輿が、”江戸・東京の下町を巡行し、祭礼絵巻を繰り広げる神田祭のメイン神事”を行うと言うことである。
   私が見たのは、猿楽町と神田一丁目の神輿である。
   猿楽町の神輿は、靖国通りを行ったので、そのまま見過ごしたが、神田の神輿は、すずらん通りをねって三省堂裏で、拍子木を打って小休止するところまで見ていた。
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   その後、靖国通りの駿河台下あたりで、神輿が合流して、大変な賑わいであったが、時間の関係で、遠望しただけで、北参道に向かった。
   

   この日の「国立名人会」は、「小朝が愛する人々 2」と言うタイトルであったが、まだ、小朝の高座を聞いたことがなかったので、聞いてみたかったのである。
   落語は、ぴっかりの「動物園」、正蔵の「鼓ヶ滝」は二度目、木久蔵の「看板のピン」は、これまでに聞いているので、それなりに、話術の差があって面白かった。
   マツモトクラブは、相手の言葉や自分の心象をナレーションで語る一人芝居で、ウィットやギャグが利いて面白い。
   尼神インターは、吉本の上方漫才で、パンチの利いた大阪の女の子の話で、故郷感覚。

   小朝は、新作であろうか、「お見舞い」。
  先輩の噺家の病気見舞いに病院に通う男の述懐で、その度毎に色々話し込むのだが、患者には感謝されていなかったことが、患者の書き残した日記で分かり、金輪際見舞いには行かないと言う話。
   弟子が、先輩の見舞いに行くと言うので、これで、何かを買ってお見舞いにしろとお金を渡すのだが、持って行ったのは、「沢尻エリカのヘアーヌード本」。
   師匠が、病人に持って行ったのが、「五月みどりと小柳ルミ子と西川峰子のヌードの本」で失敗したと言う話を逆手に取った強烈なオチである。
   高座にだけ照明を当てた舞台で、病院での会話では、更に照明を落として語り、日記を読むときには、バックのナレーションにあわせて表情を変えるなど、芸の細かい舞台であった。
   
   
   
  
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マーティン・ファクラー著「世界が認めた「普通でない国」日本」

2017年05月12日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   本書の帯に、「憲法9条は「ジャパニーズドリーム」、天皇は「日本の良心」だ」と大書されているように、変な外人(?)の日本への提言書である。
   ブルームバーグ、AP、WSJの日本駐在員、その後、NYTの東京支局長を務めた敏腕ジャーナリストの興味深い日本論だが、ファクラーの考え方には突っ込まずに、本書における印象記を記してみたいと思う。
 
   ファクラーが、日本が普通でない国だと言うのは、憲法第9条を護り抜いて、1945年終戦以降、一度も戦争をしてこなかった大国であり、ODAなど平和外交を展開して相手国の経済援助を促すなど、日本の貢献とその存在を世界の国が認めていると言うことで、この平和日本を日本の世界の中のアイデンティティとして維持して普通でない国を目指すべきだと提言しているのである。
   日本人は、先の戦争についても、十分に総括せず、近隣諸国との歴史的認識においても収束していない現状だが、世界が大きく変わりつつ、日本も転換期を迎えていることさえ十分に認識しておらず、現下の様な世界情勢の中で日本がどうあるべきかと言う国民的議論が全く足りていないので、今こそ、日本人が挙って、真剣に、日本が如何にあるべきか、国民的な議論を起こして考察すべきである、と言う。
   日本製品のガラパゴス化を逆手に取って、多くの先進国と全く違う道を歩いてきたガラパゴス・日本が、貴重な存在として脚光を浴びてきたので、他国と違う、オンリーワン、脱・普通の国こそ、日本の進むべき道である、と説いている。

   この本で、2章に亘って、日本の経済や経営やイノベーションなどについて議論を展開しているのだが、東大経済学修士なので、多少辛口の論評ながら、殆ど違和感なく納得できる。
   イノベーションや起業に対して、「日本版シリコンバレーを作れ」は、止めた方が良いと言うのが面白い。
   日本の強みは、シリコンバレーのように突然何か大きなアイデアをバーンと世に出すアメリカ的な短期的爆発的な想像力(創造力)ではなく、職人あるいは達人がこだわって時間をかけて、すごくいいものを世に出すと言う長期的で地味な想像力(創造力)であるからである、と言うのである。
   この問題は、政治経済社会システムなど、国のかたちを変えない限り難しい論点だと思っている。

   素晴らしい日本文化と言う章での文化談義については、私自身よりも現在の雑日本文化論については、詳しくて斬新なので、興味深く読んだ。
   今や、IT技術はシリコンバレーで、スマホはアップルが圧倒的で、日本のイメージは、ハイテク技術でも家電製品でもなく、デザインと食べ物だと言って、世界で活躍する日本の建築家、美術家、音楽家などから説き起こし、江戸時代以前の文化を蔵から取り出し始めた日本を論じていて興味深い。
   食については、ラーメン好きの著者故か、値段によって味が天地程違う欧米と比べて、どこで食べてもほどほどに美味しい日本の強みはB級グルメだと言って、日本人シェフが世界で認められる時代となり、日本食のイメージは、一挙に、フレンチやイタリアン並になったと言う。

   この本で、結構、迫力があるのは、「劣化する日本の政治家」と言う章である。
   前述の、今こそ日本のあるべき姿を国民的議論にすべし、と言う観点からすれば、今の国会や東京都議会に関する報道を見ていれば、如何に、箸にも棒にも掛からないお粗末極まりない議論に終始して空転しているかを考えれば、ファクナーに言われなくても分かっている。
   それに引き換え、象徴天皇を、高く評価しているのが興味深い。

   もう一つ、平和日本を支えてきた船のバラストの役割を果たしているのは、戦争を経験してきた老人たちであり、どんどん消えていくので、今後どの方向へ行くのか分からないと言う論点も面白い。
   「絶対戦争をしてはならない」と言う哲学と価値観の喪失とでも言うのであろうか。

   また、日本の民主主義は、ヨーロッパのように市民が犠牲を払って勝ち取ったものではないので、民主主義の基本的な価値観が、国民には浸透していない。とも言う。
   万機公論に決すべしとしながらも、徹底的な国民的議論を完遂せずに政治や国家運営を行っていると言うのがファクラーの見解であろうか。

   しかし、真の民主主義国である筈のアメリカの現下の政治の異常さ迷走ぶりは、どう考えればよいのか。
   一宿一飯の恩義があるので、アメリカを批判したくないが、今回の異常なトランプ現象が巻き起こす激烈な反民主主義的な嵐を生むアメリカの民主主義の土壌が、果たして、健全と言えるのかどうか分からないのである。
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わが庭・・・ばらとシャクヤク咲く

2017年05月11日 | わが庭の歳時記
   やっと、わが庭のばらとシャクヤクが、咲き始めた。
   まだ、咲き始めなので、他の花は、スタンドバイしているのだが、綺麗な開花を見ると嬉しくなる。

   ばらは、イングリッシュローズのレディ・オブ・シャーロットとベルサイユの薔薇の仲間のフェルゼン伯爵である。
   ベルサイユの薔薇は、京成バラ園で買って、今でも、毎年、咲かせているが、王妃マリーアントワネットは、残念ながら、昨年枯らせてしまった。
   かなり立派な大苗であったのだが、再送して貰った苗も枯れてしまった。
   イングリッシュローズの栽培も結構難しくて、ウィリアム・シェイクスピア2000とプリンセス・アンも、新芽が出始めたにも拘らず、枯れてしまって、もう、10年以上も咲き続けているアブラハム・ダービーもあって、相性の違いもあるのであろう。
   栽培歴は長いのだが、特別に世話をするわけではなく、ガーデニングの流れとして、ルーティンとしてばらを栽培していては、ダメだと言うことかも知れないと思ってはいる。

   レディ・オブ・シャーロットは、デビッド・オースチンによると、”若いつぼみは、深みのあるオレンジレッドで、徐々に花びらが緩やかに並んだゴブレット型になります。花びらの一枚一枚は、表側がサーモンピンクに対して、裏側はコントラストの美しいゴールデンイエロー。” 
   繊細な花弁を風に靡かせるアプリコットピンクの抱え咲きで、非常に優雅である。
   フェルゼン伯爵は、フランスのメイアン作出の紫のばらで、ばらと言う典型的な花型で、ほんのりと香っている。
   
   
   
   
   
   
   

   シャクヤクは、コーラルチャームが、昨年同様に、一番早く咲いた。
   鉢植えと庭植えにしているのだが、庭植えの方が発育良く勢いが良い。
   花木の下草と言った感じの庭植えなので、混んだ植え込みの中から、茎をのばして咲いているのだが、十分に余裕のある植え方でないのが、一寸、可哀そうである。
   もう一つ、ネームタグが飛んでしまったので名前が分からないのだが、シンプルな深紅のシャクヤクが綺麗に咲いている。
   
   
   
   
   
   
   
   
   

   アヤメが、綺麗に咲きだした。
   水生植物園や河畔の菖蒲やカキツバタなどは、もう少し後であろうか。
   ヨーロッパでは、ジャーマンアイリスが豪華に咲いていたが、私は、こじんまりと清楚に咲くアヤメの方が好きである。
   
   
   
   
   
   
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ブルーボトルコーヒーは日本の喫茶店から

2017年05月10日 | イノベーションと経営
   ニュースでは知っていたが、ブルーボトルコーヒーが、 清澄白河に一号店をオープンして、大変な人気で、東京で順次店を展開中だと言う。
   HPからは、
   清澄白河ロースタリー&カフェは、海外各地から届いた豆が積み上がった倉庫の中で、大きな焙煎機で煎られる豆を見ながら、バリスタたちが入れるコーヒーを飲める場所。
   と言うことで、行ったことがないので、良く分からないのだが、マーティン・ファクラーの「世界が認めた「普通でない国」日本」を読んでいて、このコーヒー店が、日本の喫茶店から発想を得たのだと言うのに、興味を感じたのである。

   ファクラーによると、ブルーボトルの創業者フリーマンに話を聞いたところ、このコーヒーショップのアイデアを得たのは、日本街中どこにでもある個人経営の喫茶店だったと言う。
   店に入ると、注文を受けてから、一杯一杯ドリップしてコーヒーを淹れていて、その美味しさにびっくりして、アメリカでも同じような店が出来ないか考えて、日本の喫茶店のスタイルをもとにして、独自のカフェを考案して、チェーン店を始めたと言うのである。
   これが、アメリカで好評を得て、清澄白河へ、逆上陸したと言うわけである。

   このケースは、ハワード・シュルツが、ミラノで、エスプレッソとカフェラテの美味さに感激してスターバックス起こして、美味しいコーヒーを、安くて簡便に身近な店で味わえなかった英米人に提供したので、皆が喜んで押しかけて一気に人気を博した成功物語を彷彿とさせる。
   この両者に共通していることは、同じコーヒーであったも、味やサーブの仕方や店舗システムなど、異文化異文明の異国で展開すると、全く違う反応なり受け取り方をされて、鴇によっては、大ブレークすると言うことである。
   
   このスターバックスについては、あの偉大なピーター・ドラッカーでさえ、イノベーションだと言ったほどで、私も、このブログで、イノベーション論やスターバックスについては、何度も書いている。
   私は、確かに、スターバックスの経営手法や事業展開については多少の差はあったとしても、喫茶店文化が幅広く花開いている日本人にとっては、特に目新しいものではなく、欧米などでは、イノベーションであっても、日本ではそうでないと思っている。

   これとよく似たケースは、ドトールコーヒーである。
   創業者は、ブラジル移民として渡航後帰国して起業したと言うことだが、あの最初の止まり木形式の簡易ショップの発想は、ブラジルの街角に沢山あるバールから得ているのに間違いない。
   サンパウロなどには、街路に面したビルの角などに、小さな飲料や軽食をサーブする止まり木形式の小さな椅子を置いた簡易ショップが必ずあって、人々は気楽に憩っていて重宝している。
   この発想で、安くて簡単にコーヒーが飲める場を提供して百円コーヒーを始めれば、今のコンビニでのコーヒーが流行っていることからも、成功は十分に推察ができる。
   要するに、ところ変われば品も変わるので、イノベーションになるのである。

   これも、再説で気が引けるのだが、イノベーションとして囃されている1000円散髪のQBハウスのケースである。
   私が、フィラデルフィアのウォートン・スクールで学んでいた時、イタリア人の散髪屋に通って居たのだが、いつも、「カットオンリー」であった。
   アメリカの散髪システムは、頭を刈って、髭を剃って、頭を洗って・・・と日本のように順繰りに整髪作業が進むのだが、途中で、止めても良い。
   日本人学生は、外人に剃刀を持たれるのは躊躇するので、殆ど、「カットオンリー」であった。
   カットした後、寮に帰って、頭を洗って髭を剃れば良いので、安上がりで簡便である。
   カット後の、バキュームの様な毛の吸い取りマシーンが違う程度で、QBハウスのシステムは、私がやっていた「カットオンリー」と殆ど変わりがないのである。

   少し極論かもしれないが、ところが変われば、品も変わってしまうので、上手く行けば、イノベーションとなって、ビジネスブレークすることがある。
   このあたりに、海外進出なり、日本での新規事業のヒントがあるような気がすると言うことである。
   
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わが庭・・・アガパンサス、シラン、昼咲き月見草

2017年05月07日 | わが庭の歳時記
   わが庭は、椿が終わると、一気に寂しくなる。
   これから咲き始めるバラやシャクヤクやユリやアジサイまでは、晩春から初夏に咲く花木や草花を、あまり植えていないので、寂しいのである。

   下草でひっそりと大人しく咲いているのは、アガパンサス、オダマキ、
   昼咲き月見草とシランは、結構、庭のあっちこっちに散らばっていて、妍を競っている。
   昼咲き月見草は、蕾の時は、だらしなく頭を垂らしているのだが、咲き始めると、一気に直立して花を開く、面白い習性を持っている。
   
   
   
   
   
   

   蕾を付けてスタンドバイしているのは、バラ、シャクヤク、ユリ、アジサイである。
   バラとシャクヤクは、早いものは、もう、2~3日で咲き始めるであろう。
   シャクヤクは、昨年夏に挿し木をした苗木も、蕾をつけているので、どのような花が咲くのか、楽しめそうである。
   
   
   
   
   

   昨年、剪定し過ぎて結実しなかった梅が、今年は、実が着いた。  
   梅酒をと思ったのだが、孫が梅ジュースと言うので、今年は、まず、ジュースを作ろう。
   まだ、小木だが、もみじの鴫立沢が芽吹いて、綺麗な葉を広げた。
   紅葉するまで、変化して行くのだが、暑い夏をうまく過ごすのが至難の業で、完全な形で、秋を迎えるのは難しい。
   
   
   

   花木や草花が動き始めると、小動物が訪れてくる。
   ジョウビタキやツグミなどの渡り鳥が去って寂しくなったが、何故か、この近辺では燕を見ない。
   鶯だけが、鳴き続けていて、和ませてくれる。
   まだ、蝶々やトンボを見ることは少ないのだが、小さな昆虫が動き始めている。
   交尾をする小動物を見ると感動する。広い世界で、良くベターハーフを見つけ得たものだと。
   
   

   椿は、花が終わったので、お礼肥えを施した。
   私の場合は、園芸書とは違って、ハイポネックスの液肥を使っていて、適当にインターバルを置いて、2回ほど施すと、綺麗な新芽が伸びる。
   5月後半から6月にかけて、やや、水やりをセーブすると、まずまずの花芽が着く。
   これで、庭植も鉢植えも、毎年、綺麗な花が咲き続ける。
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ミニトマトを二本仕立てで育てる

2017年05月05日 | ガーデニング
   トマトは、次から次へと、葉の付け根から脇芽が出てくるのだが、これを摘み取って、主柱の一本だけ伸ばして栽培するのが普通で、テキストなどにも、このように書かれている。
   しかし、私は、少し前から、二本仕立てで、ミニトマトを栽培している。
   主柱を二本にして、育てるのである。
   理屈から言えば、木に負担がかからねば、二倍のミニトマトが採れることになるのだが、そううまくは行かなくても、1・5倍くらいの増取にはなるであろう。
   尤も、私の場合は、増取を目的にするのではなく、トマト苗は、一本仕立てだと、苗によっては、2メートル以上になって、扱いに困るので、これを避けたいのである。
   二本仕立てだと、両方とも、第5花房程度で摘心すれば、2メートルくらいで止まる。

   やり方は、至って簡単。
   原則的には、第一花房のすぐ下の葉から伸びる脇芽を、そのまま伸ばして第二支柱として残して、その後は、一本仕立てと同じ手法で栽培を続ければよいのである。
   脇芽が沢山出るのだが、第一花房下の脇芽が一番勢いがあって元気だと言うことである。
   尤も、苗によっては、第一花房下の脇芽が貧弱である場合もあるので、その時は、残しておいた脇芽のうち、一番勢力の強い脇芽を、第二主柱にして残せばよい。
   

   私の場合には、プランター栽培であるので、比較的場所もセイブできるので、この二本仕立てで、重宝している。
   中玉トマトでも、今年は挑戦してみようと思っている。
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アマゾンの商法・・・「アマゾン1円詐欺」というのだが

2017年05月04日 | 生活随想・趣味
   今話題になっている「アマゾン1円詐欺」と言うことだが、残念ながら、私も、この記事がでる直前に、これに似た経験をして、失敗している。
   孫が、新発売の「仮面ライダーエグゼイド DXマキシマムマイティXガシャット 」が欲しいと言ったので、間違いなく、比較的安くて信頼のおけるアマゾンに予約を入れた。
   しかし、その商品ページの商品名のすぐ下に、「出品者からお求めいただけます」と書いてあって、その下の「新品」と言う項目で、アマゾンの半額の出店の表示があった。
   これまで、最安値を追っかけて失敗したことがなかったので、通常のマーケットプレイス店からの出店と思って、予約をきりかえてオーダーを入れた。

   アマゾンから、即刻予約の確認のメールが入った。
   ところが、数時間後に、在庫がなく30日以内に商品が入らないので、キャンセルすると言う一方的なメールが入ってきた。
   仕方がないので、アマゾンの方に再オーダーを入れようとしたが、既に完売で、マーケットプレイスの他の業者に変わっていて、送料込みで、はるかに高くなっていたので諦めた。
   翌日、同じように、この商品のページを開いたら、別のマーケットプレイスが、やはり、同様に安い価格を表示していたので、疑いもなくオーダーを入れた。
   しかし、予約確認のメールが来たのも同じなら、数時間後のキャンセルメールが来るのも、全く同じだった。

   翌日、クレームのために、アマゾンに電話を入れて抗議した。
   私のクレイムのポイントは、如何にアマゾンではなくマーケットプレイスの出店であろうとも、在庫がなくなった瞬間に販売を停止する、すなわち、在庫がなくなった瞬間に、アマゾンのページから、その販売をページから削除するのが、アマゾンのプログラミングの責任ではないかと言うことであった。
   しかし、アマゾンの返事は、そのあたりの管理は一切マーケットプレイスの出店側に一任していて関知していないと言うことであった。
   この時点で、私もアマゾンの担当者も、「アマゾン1円詐欺」事件が起こっていると言う認識がなかったので、商品の保有もなく架空の取引を表示して、カスタマー情報を盗み取ろうとする手口であることは分からなかった。
   押し問答しても仕方がなかったので、電話を切ったが、アマゾンが、マーケットプレイスの出店を十全に管理していないことだけは分かった。

   ところで、メディアの報道などで分かったことは、このような悪質なアマゾンアタックは、マーケットプレイスを乗っ取って、無茶苦茶な商品や価格で出店して混乱を招いたり、アマゾン利用者の情報を盗み取ることだと言うことであった。
   私の場合には、クレジットカードの決済でオーダーを入れたが、商品発送後の決済なので金銭的被害はなかったようだが、オーダー時に表示した個人情報は、そのまま、盗み散られていると言うことで、どのような被害が及ぶのか分からないところが、不安ではある。

   ところで、先の「仮面ライダーエグゼイド DXマキシマムマイティXガシャット 」のページだが、観察のためにフォローしていたが、数日、同じような格安業者の表示が社名を変えながら残っていたので、まだ、アマゾン顧客の情報盗み取りなり、詐欺行為が残っていたのであろう。

   さて、「アマゾン1円詐欺」と言うことだが、この詐欺とは関係なく、以前から、立派な文学書などまともな本が、マーケットプレイス出店で、1円で販売されていて、多くの実績を積んでいる。
   メディア報道によると、アマゾンが、送料257円と決めているので、実質送料との差額が出店側の利益になると言うのだが、アマゾンに出店料も払わなければならないから、殆ど利益にならず、むしろ、利用者のカスタマーレビューの高評価への底上げを期待しているのであろう。
   たとえ、本の価格が1円であっても、その出店マーケットプレイスに対するカスタマーレビュー数が多くて、高い評価%が表示されて居れば、問題ないと思っている。
   
   アマゾンを、比較的、他の通販と比べて信用していたので、今回のことは、一寸、ショックであるのだが、そんなに安くて有利なビジネスがある筈がないと心して、カスタマー自身が、賢くならなければならないと思う。
   ネットショッピングでは、支払っても商品が届かないなどと言った金銭トラブルが主体だったようだが、今回のケースは一寸異質で、やはり、リアルショップの方が安全だと言うことでもなかろうが、便利だとは言え、ネットショッピングには、結構落とし穴があると言うことであろう。
   
   
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ウィリアム・H・マクニールほか著「世界史 Ⅱ」共生関係の再構築

2017年05月03日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   先日、本書において、著者たちの重要な提言は、格差解消の問題であったと書いたが、もう一つもっと注目すべきは、都市化の進展によって失われてしまった長年村落で培われて来た共生関係を新たに作り直す必要があると言う指摘である。

   この本の最後の文章は、
   二十世紀の主要な社会的変化は都市化と人口増加だった。5000年かそれ以上にわたって平均的な人間が経験してきたのは村落の生活で、文化的な挑戦や変化が生じるのは主に都市だとしても、イデオロギー、制度、習慣はいずれも、、まずは農村で発達したのであった。現在、人類の多くが経験しているのは、匿名性を帯びた非個人的な都市生活だ。この都市化は、・・・既存の政治の構造に対してだけではなく、支配的な宗教、イデオロギー、世界観芋大きな圧力をかけていた。社会的、政治的、心理的、倫理的、生態学的な意味で、大都会での生活に適応せざるを得ないことが、私たちの時代における深刻な問題の一つであることには間違いない。
   と言うのである。

   科学と社会の大変化によって、20世紀に入って、急速な人口増と並行して都市化の進展が顕著となった。
   都市化によって、道徳、宗教、アイデンティティ、政治、野心、教育、健康、娯楽など、人間を取り巻くあらゆる局面に影響を与え変化を引き起こした。
   それまでの人間は大抵の地域で、村落と言う場で、共同生活を送るすべを徐々に身に着け、あらゆる交流が個人同士の対面で行われ、どの人物の評判を誰もが知っており、対立を抑制するための風習が発展していた。
   ところが、都市においてはこうした風習や抑制が消滅し、掠奪的な振る舞いを思い止まらせるのは、法律、警察力、道徳教育だけになってしまい、都市に暮らしながら、円滑で安定した社会的関係を確保する方法や満足のいく道徳基準は、まだない。

   マクニールは、
   人類が長期にわたって生き延びて行くためには、顔と顔を突き合わせるような原初的コミュニティが、すなわち、私たちの祖先が所属していた、構成員が共通の意味や価値や目的を持ち、誰にとってもーーどんなに貧しくても、不運な者にとっても――人生が生きるに値するものであるコミュニティが必要だと言う。
   人類の未来にとって、最も重要な課題は、現在の人口、富、権力を維持している、世界を覆うグローバルな流れの中で、どうすれば、細胞の様な原初的なコミュニティが、こうした流れを妨害せず、また妨害もされることなく生き延び繁栄できるのかと言うことで、もう一度、共生関係を新たに作り直す必要がある。と説いているのである。

   尤も、マクニールは、自分の予感だとして、人類の回復能力は想像する以上に大きいことが明らかになるであろうと語って楽観視はしている。
   公序良俗が秩序と安寧を維持し自ずから人々の幸せのために機能するような市民社会を構築できると言うことであろうか。
   凄まじいほど波乱に富んだ激動の人類の世界史を読んだ後なので、余計に、人類の幸せとは、一体どんなことなのか、人類がそのために闘い抜いてきたはずなのだが、考えざるを得ない心境である。

   トインビー以来の大歴史学者のマクニールの人類の始まりから説き起こした壮大な世界の歴史であるから、5000年の村落と言う場で培われた原初的コミュニティーが、何を意味するのか、私には、もう一つ定かではないのだが、このような高邁な思想と言うか哲学で締めくくっている歴史書に、感激を覚えている。
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ウィリアム・H・マクニールほか著「世界史 Ⅱ」格差拡大の問題

2017年05月02日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   マクニールが、この本の最後で、「ウェブの圧力 1890年以降の世界」で論じている点に興味を感じた。

   1962年以降、医療と人口増加、石油などのエネルギー、科学的知識とテクノロジーの発達などで、長期的な経済の発展を遂げた。
   しかし、経済の金融化による経済格差やデジタル・デバイドによる情報へのアクセスの差など、深刻な格差拡大を惹起してしまった。
   20世紀後半以降の格差の拡大は、情報が自由に飛び交う電子的に統一されたウェブの中で起きており、10億人の貧しい人々が、カフェやバーにあるテレビやラジオ、他人の言葉や電子メディアを通して、残りの世界の大部分が自分たちより裕福で、十分な食料に恵まれ、健康で安全に暮らしていることを認識しており、彼らが黙って今の立場に甘んじているとは思えない。と言う。

   まず、政治経済情勢の把握だが、
   経済発展のドライブ要因は、人口増、エネルギー、科学技術の進歩と特定しており、
   1914年以前の国際的な資本移動は、債権、鉄道、工場への長期的な投資が大部分であったのに対して、1980年以降は株式や通貨を物色する短期的投資になり、これが指数関数的に増加して、外国為替市場の急増で世界貿易が見劣りするようになった、すなわち、経済の金融化が経済構造をスキューさせた。
   また、この収入源が、労働から資本に移るのを助け、社会の内部や、社会間の不平等を急速に拡大させた。
   一方、輸送コストの減少や、世界の状況に関する情報がICT革命によって極めて安価になり、グローバリゼーションの進展にも呼応して、欧米や中東などを筆頭に移民受け入れ余力の拡大で、移民の増大によって、新たな緊張を生み出した。と論じている。
   多少、ニュアンスには疑問はあるが、現在の情勢把握としては異存はない。

   マクニールの論点で興味深いのは、格差の拡大として、経済的な格差以外に、デジタル・デバイドが、不平等の歴史に新しい項目を付け加えたとして、ICTへのアプローチ如何を格差要因として語っていることである。
   こう言った認識があるからこそ、ICT,情報革命によって、世界の人々の多くが豊かな消費や飽食状況にあるなど情報が丸見えになる世界で、BOP,最貧困層が、目を瞠るような経済格差に直面していると言う危機的な状況が、如何に危険かを、警告しているのである。

   このマクニールの問題意識は、確かに、現実的には考え得る指摘だとは思う。
   しかし、2010年に、チュニジアのジャスミン革命から、アラブ世界に波及したアラブの春を考えてみれば、正に、ツィッターやフェイスブックなどのSNSが大きな役割を果たした現下のICT革命にバックアップされた革命騒ぎではあったが、殆ど何の進展も果たし得ていない。
   問題意識はあっても、大きなうねりとしての改革は難しく、もし、経済状態の向上や貧困の撲滅に、多少なりとも貢献したと考えられるとしたら、中国やインドなどの新興国の経済成長によって、それらの国民の生活水準の向上で最貧状態から抜け得たと言うことであろうか。

   しかし、この経済成長も、資本主義システムの欠陥ゆえに、逆に、格差の拡大を増幅させて、新しい深刻な問題を引き起こしている。
   むしろ、黙っていないとすれば、アフリカや南アジアのBOP、最貧層ではなくて、先進国なり、新興国などの経済格差に怒りを覚えている「We are the 99%」の方だと思っている。
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国立能楽堂・・・「狂言の会」、そして、新宿御苑

2017年05月01日 | 能・狂言
   家・世代を越えてと、銘打ったこの「狂言の会」は、和泉流「二人袴」、和泉流「咲嘩」、大蔵流「首引き」の3曲が上演されたのだが、夫々、野村万作、野村萬、山本東次郎と言う人間国宝がシテを演じると言う豪華版であった。

   まず、「二人袴」は、「聟狂言」の一曲である。、
   頼りない息子(野口隆行)が聟入りするのに、不安なので父親に付いて来てくれと言うので、付いて行ったは良いが、付き添いに来たことが太郎冠者(奥津健太郎)に見つかって、舅(三宅右近)に、親子ともども座敷で会うことを促される。ところが、袴が一つしかないので、止むおえず、袴を前後に割いて、半分ずつを前にあてて横歩きで登場したものの、盃事の時に、舞を所望され、後ろを見られないように注意して舞うのだが、親子と舅との三人の相舞になって、太郎冠者に袴の後ろがないことが見つかって、大恥をかく、と言う話。

   野村万作は、聟の親を演じる。
   いぶし銀の様な渋くて端正な芸が感動的である。

   ところで、「聟入り」とは、結婚後初めて夫が妻の実家へ挨拶に行くことで、儀式でもあったので、作法がある。
   初めてのことでもあり、聟は何も知らないので、その作法を教えてもらうのだが、教え手が、無茶苦茶教えて恥をかいたり、聟の無才や無知を笑うことが主題だったりするのだが、祝儀であるため、舅が聟の失敗をとりなすと言う形で終わることが多い。
   しかし、この曲でもそうだが、「お初にお目にかかります」と言うことが多いのだが、家と家との結婚と言う伝統があった筈でありながら、結婚制度がどうなっていたのか、いまだに良く分からず、疑問に思っている。
   とにかく、この親子のように、子離れ親離れできない過保護の親子が、狂言のテーマになっており、時代が変わっての、親子の情は同じなのであろう。

   「咲嘩」は、「小名狂言」の一曲。
   主(三宅近成)が、次回の連歌の会の当番になったので、都に住む伯父御に宗匠に頼もうと思って、太郎冠者を呼びにやるのだが、伯父を知らないので、都で呼ばわっていると、咲嘩(高澤祐介)が叔父だと偽ったので、伯父だと思って連れ帰る。主は、それが、名うての「見乞の咲嘩」だと知ってびっくりして、荒立てないように、座敷へ上げて、太郎冠者に相手をさせる。陰に隠れて、太郎冠者に対応の指図をするのだが、頓珍漢ばかりするので、自分が変わって、太郎冠者に、自分が言ったとおりにせよと指図する。ところが、太郎冠者が全く自分の言うとおりにするので、怒って打擲すると、同じように太郎冠者が咲嘩を打ち据える。

   勿論、太郎冠者を演じるのは、野村萬で、孫のように若い二人を相手に、元気溌剌矍鑠たるエネルギッシュな冴えた芸を披露する。

   最後の「首引」は、鬼狂言で、登場人物は、アドの鎮西八郎為朝(善竹隆平)以外は、総て鬼で、山本東次郎の親鬼、姫鬼(善竹隆司)、五人の眷属が、面をつけて鬼装束で登場する、カラフルで見せる面白い曲である。

   為朝が、播磨の印南野で、鬼に出くわし、取って食おうと追いかけたが、若い良い男なので、姫鬼の食い初めにしようと、姫鬼を呼ぶ。姫鬼は、為朝に挑むが歯が立たず、為朝は、姫鬼と勝負して、負ければ食われようと、腕押し、脛押しをして勝つ。最後に。首引をすることになり、二人は、首に掛け布を掛けて引き合うのだが、姫鬼の力が弱いので、親鬼は、眷属の鬼たちを呼んで加勢させる。鬼たちは姫鬼の後ろに数珠つなぎに取り付き、親鬼が扇を開いて音頭を取って引くのだが、徐々に引き込まれ、為朝は、頃合いを見計らって、首に掛けた布を外すと、鬼たちは床几倒しに倒れる。為朝は幕に走り込み、鬼たちが追いかける。

   東次郎は、厳つい面をつけて鬼衣装に身を包んで、若々しくダイナミックに親鬼を演じているので壮年期の演技だが、二人の人間国宝と6~7歳若いとしても、80歳目前。
   とにかく、狂言の大家は皆揃って、何故、これほどまでに、元気溌剌として、全く、芸の衰えを見せないのか、いつもびっくりしながら、益々の芸の冴えと深みへの姿に感動している。

   この「首引」で、面白かったのは、眷属たちが、姫鬼の後ろに数珠つなぎになる時、夫々が首に短い白い布を掛けて出て、両手で持って前の鬼の肩に掛けると、一瞬に、全員が繋がっているように見えることである。
   登場直後は、厳つくて獰猛な鬼だが、姫鬼が登場し、旗色が悪くなり始めると、トーンダウンして人間の親のように優しさ弱さが出てきたり、眷属たちの掛け声に合わせて、扇で音頭をとる姿は、子どもの運動会・・・とにかく、そのあたりの東次郎の心の揺れ動きの描写が心憎いほど上手い。

   ところで、為朝と姫鬼との3番勝負だが、これは、中世に流行した男の力比べだったと言うのだが、いくら鬼だと言っても、脛押しとは、どうであろうか。
   姫鬼が「腹押しならばせう」と言う場合もあったと言うのだが、何となく猥雑ムード、これも狂言なのであろう。

   この日、3時過ぎに公演が終わったので、一寸、荒れ模様だったが、千駄ヶ谷門から、新宿御苑に入った。
   土曜日だったので、人が混んでいたが、八重桜だけは、見頃で、藤棚が一つだけ綺麗に咲いていたが、殆ど、殺風景で見頃の景観はなく、いつものように、日本庭園を素通りして、御苑を出た。
   
   
   
   
   
   
   
   


   
   
   
   
   


   
   
   
   
   
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