熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

山川静夫著「私の出会えた名優たち 」

2017年07月24日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   山川静夫の本は、かなり読んでいるのだが、この本は、結構面白かった。
   20世紀、それも、少し前の傑出した歌舞伎役者とのインタビューと概説エッセーを合わせたような本で、歴史的な記録としても貴重だと思うのだが、残念ながら、私が実際に舞台を観たのは、歌右衛門だけで、その他は、仁左衛門、鴈治郎、長谷川一夫、幸四郎と言った映画やテレビで観たことがあるか、全く名前だけしか知らない歴史上の名優たちである。
   私が、初めて歌舞伎を観たのは、何十年も前だが、1990年初だったか、ロンドンでのジャパンフェスティバルでの玉三郎や勘三郎、染五郎の歌舞伎に触発されて、本格的に歌舞伎座などに通い始めたのは、1993年からであるから、歌右衛門でさえ、最後の「建礼門院」「沓手鳥孤城落月」「井伊大老」の舞台に接しただけである。

   しかし、ずっとずっと昔の話であり、はるかに若かった筈のその後の團十郎も勘三郎も三津五郎も逝ってしまっており、山川さんが、いくら名優だと言って褒めちぎっても、その素晴らしさを想像するほかにない。
   ただ、例えば、仁左衛門で言えば、寅さん映画の「男はつらいよ」の陶芸家や、ドラマでの安宅の会長、それに、鴈治郎なら、「鍵」や「浮草」などの映画を随分見ているし、幸四郎は、「忠臣蔵」や「鬼平犯科帳 」などの映画やテレビ、長谷川一夫に至っては、どれほど沢山映画を見たか、いずれにしろ、私には、銀幕やテレビでの名優であり、多少はイメージが湧いてはくる。

   読んでいて、私なりに何かを感じて付箋を貼った個所がある。

   梅幸では、
   「女形は、立役の後見という心で勤めろ」、常に立役より一歩下がって座ったり芝居をせよ、と言う父五代目菊五郎の教え。
   女形は、やっぱり芯に男じゃない何かピリッとしたものがないとだめで、女優になっては困る。

   仁左衛門は、
   同じ和事と言うか色事師でも、やるなら忠兵衛が好き。色事師と言うのは、貢にしろ、忠兵衛にしろ、いじめられているところが良い。派手な型もあるが、和事から出た二枚目は、哀れみがなくなるので、あんまり偉そうに派手になってはダメ。
   私は幸せだなあ。七世中車、十五世羽左衛門、六代目菊五郎、初世吉右衛門、七世宗十郎に、習ってますわ。と言って、七代目幸四郎には、夕食を共にして、午前四時ころまで、毎日のように教えてもらって、玄関まで送り出して貰ったと言う。
   汽車が好きだと言う話、子供の我當・秀太郎・仁左衛門への思いが、清々しい。

   歌右衛門は、
   籠釣瓶の八ツ橋で、初代吉右衛門のあいそずかしの「縁切り」を耳にして、本当に気の毒に思った。それに、八ツ橋にとっても、難しいのは、この「縁切り」で、八ツ橋が憎らしく見えたら、もうおしまいで、可哀そうとか気の毒に聞こえなけれな、あの役はダメなんです。と言う。
   (テアトロ・コロンで、「舞踏会」を観て、)オペラと歌舞伎は非常に似ている。その動き、動作も似ているが、マの取り方が非常に似ている。
   (政岡の話になって、)ある程度その年輪がきて、いわゆる動作よりも内面が深くなってきますと、長丁場も長く感じなくなり、一寸額に小皺がでたり、一寸動作がしんどくならないと、歌舞伎の役者はダメでしょうね。

   勘三郎は、
   学生時代から35年間、勘三郎と言う名優の芝居をじっくりと味わうことが出来たと言う幸福感が、山川さんの至福の幸せだと言う、最も愛し最も親しかった勘三郎への思いは、「庶民の中の勘三郎」に凝縮されていて、インタビューでは、勘三郎の酒飲み談義が面白い。

   鴈治郎は、
   当時、新進気鋭の猿之助(猿翁)を、非常に将来有望な役者と高く評価していた。
   扇雀(藤十郎)との親子による「曽根崎心中」が、700回を超えているのだが、せがれとか孫、親父と一緒に芝居をしているとはちっとも感じない、最初からそんなことを考えていたらやられない。と言う。
   襲名話や、映画生活の話が興味深い。

   長谷川一夫は、
   天下の二枚目映画俳優と言うのが、世間の定評だが、初代鴈治郎から教えられた二枚目役者の心得やラブシーンの話、有名な流し目の話など、面白い。

   最後の二代目松緑、八代目松本幸四郎、十一代目市川團十郎は、偉大な七代目松本幸四郎の傑出した子息3兄弟だが、夫々の舞台や芸風と言った芸能の奥深さのみならず、戦後から今日の歌舞伎界を背負って立ってきた華麗な一族と言うか家系図の凄さをも彷彿とさせて、非常に興味深い。
   松緑は、3兄弟の話をしており、舞踏家藤間勘右衛門としても語っていて面白い。

   幸四郎の話が、一番身近な感じがして興味深く読んだ。
   播磨屋の「石切」を観て、ピンときて、こっちに近いものがあるような気がして近づき、義太夫に興味を持ち、播磨屋と文楽の綱大夫とが親しいこともあって、文楽の義太夫で歌舞伎を上演すべく、「日向嶋」をやったと言う話は、非常に興味深い。
   役者のせりふと義太夫の語りのパートのスミワケは、役者・大夫・三味線の3人が完全に一致したと言うのが凄い。
   松竹のやり方では、恐らく続くまいと思って東宝へ移籍した話や、染五郎(当代幸四郎)のミュージカルへの傾斜とこつこつ歌舞伎を勉強している吉右衛門の兄弟が変わったことをやることが歌舞伎のためになると思ったと言う話や、パワーズとの歌舞伎談義の成功で歌舞伎上演が許された話等々、読んでいて興味津々である。

   團十郎とは、早く亡くなったので、インタビューはなくて、追悼文だけ。

   山川アナウンサーであるからできた、HNKの放送用のラジオやテレビのインタビュー記事の集大成だが、それだけに、貴重な記録にもなっていて、歌舞伎の一時代を画した本となっている。
   
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箸と言えば、毎日、竹の箸を使っている

2017年07月23日 | 生活随想・趣味
   今日の日経朝刊に、小山薫堂の「使い心地のいい箸 高価でも上手な無駄遣い」と言うエッセイが載っていた。
   趣味人は、色々な意表を突くようなモノやコトに拘るようなのだが、場合によっては、多少自分にも関係があると、興味をそそられることがある。

   ところで、箸だが、私は、最近、ずっと、竹の箸を使っている。
   最初に竹の箸を使ったのは、随分前に、鹿児島の「仙巌園 」に行ったときに、何の気なしに竹の箸を買ったのが切っ掛けであった。
   非常にシンプルで、何の飾りも細工もない竹を箸の形にしただけの箸だったが、使い始めると、とにかく、モノが滑らずに掴めるので、便利であることに気づいた。

    別に拘るほどの関心もなかったので、時々、観光地などで、箸を売っている店を見かけると、立ち寄って見る程度であったが、竹の箸をおいている店は殆どなくて、あっても、中途半端で貧弱なものしかなくて、買えなかった。

   記事の上に乗せて撮って失礼だが、今使っているこの口絵写真の箸は、短い方は、仙台の街の中で、もう一方は、京都嵯峨野の二尊院近くの古風な土産物店で買ったものである。
   仙台の店では、この箸しかなくて、竹箸だと言うことで、買った。
   嵯峨野は、竹で有名な土地でもあり、いくらか竹箸が並んでいたのだが、芸術品でもなかろうと思って、実用的でシンプルな上の下くらいの値段の箸を選んだような気がする。

   小山さんのエッセイでは、どんな箸かよく分からないが、1~2万円する高価な箸で、くたびれてくると、店に持って行き、先を削って油を足してメインテナンスして貰っており、18年前の箸も使っているのだと言う。
   プロのバラの育種家が、研いで研いで、すり切れたような剪定鋏を使っている、あの心境であろうか。

   余談だが、ロンドンには、ピカデリーから一筋下がったところに、 英国紳士が通うジャーミンストリートがあり、ダンヒルは勿論、最高級の紳士ものを商う老舗が店を並べている。
   私など、時々、ここで、帽子を求める程度だが、
   私の知人であったサー・フィリップ・ダウソンは、この通りの老舗靴店の常連で、一生ものだと言う高価な高級靴を買って、メインテナンスこれつとめて、長い間愛用していた。
   バーバリーのレインコートなど、袖が擦り切れれば、折り返して使うなどと言うのは、常識であり、スコットランド人のジャケットの肘の当て布も、ファッションではなく、接ぎあてなのであって、イギリス紳士は、高級品を求め続けて、それを大切に使う。
   もう一人、知日派のBBCの知人は、海外が多い所為か、携帯用のフォークやナイフをポケットに忍ばせて歩いていたが、このあたりの用心も、イギリス人の嗜みなのかも知れないと思っている。

   さて、竹の箸だが、短くして先を揃える程度で、小山さんの箸のように削って再生すると言う代物ではないし、それに、精々3000円止まりで安いので、メインテナンスなど埒外である。
   使いずらくなれば、廃却して、新しいのを求めると言うことで、良いと思っているのだが、これが、結構、強くてかなり長く使えるのである。

   小山さんは、箸だけではなくグラスも茶碗も皿も、「これだ」と思うものを一つ一つ揃えて、一番上等で気に入ったものを毎日、ずっと使い続けている。と言う。
   有名な放送作家で芸術大学の副学長で、京都の老舗料亭「下鴨茶寮」の主人だと言うのであるから、当然の趣味人生だと思うのだが、私の場合、コーヒータイムのカップくらいは兎も角、気に入った器などと言っていると、家では、顰蹙を買うことになって、望むべくもない。
   しかし、ヨーロッパで買い揃えた陶磁器の出番が、殆どないのだが、娘たちは使うのであろうか、と、時々、気になることがある。
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国立能楽堂・・・第40回 納涼能

2017年07月22日 | 能・狂言
   昨日午後、国立能楽堂に出かけた。
   素晴らしい能楽協会主催の「納涼能」。
   観世清和宗家の弁慶で、能「安宅」が舞われ、人間国宝の友枝昭世の能「枕慈童」、野村万作の狂言「文荷」、それに、3流派の宗家の仕舞が加わると言う超豪華版で、能楽鑑賞初歩の私でも、楽しませてもらった。

   プログラムは、次の通り。
第40回 納涼能
日時:2017年7月21日(金) 13:00開場 14:00開演
会場:国立能楽堂
能  喜多流 「枕慈童」友枝昭世
狂言 和泉流 「文荷」野村万作
仕舞 宝生流 「嵐山」宝生和英
仕舞 金剛流 「半蔀 クセ」金剛永謹
仕舞 金春流 「天鼓」金春安明
能  観世流 「安宅 勧進帳 瀧流之伝」 観世清和

   何よりも期待して観たのは、最後の能「安宅」。
   歌舞伎・文楽鑑賞歴25年ほどなので、「勧進帳」の舞台は、入れ替わり立ち代わり何度も観ているのだが、そのオリジナルバージョンの能「安宅」の鑑賞は、今回がやっと3回目で、最初は、5年前に、喜多流の「安宅」(シテ/粟谷能夫)、次は、昨年の金剛流(シテ/金剛流宗家永謹)であった。
   歌舞伎や文楽には、能や狂言からテーマを取った本歌取りの演目が結構多くて、その元を知りたくて、この5~6年、主に国立能楽堂に通っているのだが、「勧進帳」に限っては、かなり、能「安宅」を、正確に踏襲しており、興味深い。

   最初に書いた私のブログ「国立能楽堂:能「安宅」、そして、勧進帳との違い」を引用して書くことにするが。
   両者には、ニュアンスを含めて、かなり、微妙な違いがあって、
   能は、シテ一人主義を通して主役は弁慶一人で、歌舞伎では主役の義経が、能では子方が演じており、豪快でパワフルな弁慶が、ワキ富樫何某と、男と男との死を賭した息詰まるような対決を演じることによって、一本大きな筋が通っている。
   もう一つの大きな違いは、歌舞伎では、富樫が、義経だと分かっておりながら、男の情けで、安宅の関を通させるのだが、能では、弁慶が力づくで富樫と対決して関所を突破すると言うことになっている。

   この富樫が、義経と知ってか知らずかと言うことについては、能では、力の対決で押し切ったと言う解釈が主流のようだが、確かに、能の
   弁慶が、とっさの機転で義経を金剛杖でしたたかに打ち据えるも、なお疑うので、「強力を止めて、笈(荷物)に目をつけるのは、盗人と同じだ」と言って抗議すると、激高した九人の郎党たちが、橋掛かりから一気に舞台に飛び出して来て、弁慶が金剛杖をバリアーにして必死に制止するも、「打刀抜きかけて、勇みかかれる有様は、いかなる天魔、鬼神も恐れつべうぞみえたる」と、富樫たちに激しく立ち向かう。この息詰まるような緊張感と迫力を見れば、富樫とて後退りして通さざるを得ないであろう。

   ところが、非常に興味深いのは、弁慶を舞った清和宗家の次のような見解である。
   私のブログからそのまま引用すると、
   富樫が、義経だと分かっていたかと言うことについて、観世清和宗家は、「一期初心」の”「安宅」の心理劇の項で、山伏の一行が到着した時から、それが義経主従であることを見破っていて、弁慶の読み上げる勧進帳がおかしいことも分かっていたと書いている。
   一方、弁慶も見破られていることに気付いていて、お互いに相手の心を読み、もうこの先は、刀を抜いて斬り合うしかないと言うギリギリのところでぶつかり合っている。表舞台で進む派手なやり取りの後ろで、もう一つのドラマが進んでいる。この二重構造が「安宅」の特徴であり、演者にとっての醍醐味だと言っていて、。
   「安宅」が大曲と言われるのは、展開する舞台の華々しさによるのではなく、背後で同時に進んでいる緊迫した心理劇をどう表現するか、そこに演じるものの力が問われているからだと言うのである。

   そう思って観ていると、最後のシーンで、弁慶に促されて、義経を先頭に郎党たちが一気に橋掛かりから幕に消えた後、最後に舞台に残った弁慶の清和宗家が、富樫に向かって、頭を下げて舞台を後にする、一方、富樫は、切腹覚悟で万感胸に迫る思いを噛みしめながらじっと見送る、実に印象的なシーンであった。
   ”・・・虎の尾を踏み、毒蛇の口を、遁れる心地して、陸奥の国へぞ、下りける”・・・地謡の謡が肺腑をえぐる。
   歌舞伎でも、この富樫に向かって示す弁慶役者の退場シーンが、非常に重要なのである。
   このラストシーンだが、永謹宗家の弁慶は、笈を肩にかけて退場して行ったが、清和宗家は、橋掛かりで情感豊かに舞い余韻を残しながら消えて行った。
   
   弁慶の見どころは、やはり、面をかけない直面の弁慶で、堂々たる骨太の謡いと最高峰の観世流を背負って立つ端正で強直な風貌の醸し出す弁慶の威容は、正に、感動的であった。
   ワキ/富樫は、宝生欣哉で、絶品であったと言う人間国宝であり実父の宝生閑の富樫の芸の継承を感じさせる舞台であろう、弁慶に位負けせずに対峙していた。
   武田志房著「能楽師の素顔」を読んでいて、能三代の孫である武田章志が、先年から、観世流の舞台で、子方として活躍しているのだが、今回、随分凛々しく成長して素晴らしい義経を見せて、舞台に華を添えていた。

   能の「安宅」では、狭い舞台の空間に、弁慶と9人の郎党が、富樫たち2人に対決する大変な迫力で、圧倒されるのだが、
   これに対して、フォローした筈の歌舞伎では、金剛流の「風姿」では、歌舞伎で郎党の数が少ないのは、富樫方とのバランスもあるが、七代目團十郎初演の折、腕の立つ役者が能ほどに揃わなかったので、その時の演出の型がそのまま今も踏襲されているのだと言うのだが、富樫側は3人に増えており、このバランス感覚の差が面白い。

   「安宅」は、謂わば、対話劇の性格が強くて、謡も対話口調が多いので、筋を追いやすく分かり易いのだが、それだけに、囃子の楽の音や、地謡の素晴らしさが、引き立つ舞台で、正に、総合芸術の醍醐味を感じさせてくれるのが嬉しい。

   参考のために、ポスターを大写し、そして、能楽堂のカレンダー写真を借用すると、
   
   
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片岡秀太郎著「上方のをんな」

2017年07月19日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   片岡秀太郎は、松嶋屋3兄弟の真ん中、兄の我當と弟の仁左衛門に挟まれた、愛之助の義父である上方歌舞伎の重鎮である。
   この名女形が、父十三代仁左衛門や松嶋屋の歌舞伎人生や、自身が演じ続けた名舞台や役柄など芝居の醍醐味を余すことなく語っているのだから、最初から最後まで興味津々で、楽しませてくれた。

   古希を迎えた秀太郎が、昨年国立劇場の「仮名手本忠臣蔵」で、今でも、堂々と、格調高い品のある顏世御前を演じたのであるから、近松門左衛門の和事の世界から三大義太夫狂言は勿論、多くの歌舞伎の舞台で、名演を見せて魅せている。
   それも、今や数少なくなった上方歌舞伎の芸の継承者で、上方歌舞伎と江戸歌舞伎の違いなどについて、語っているのが、非常に興味深く、鑑賞の参考になる。

   上方歌舞伎は、「吉田屋」や「封印切」と言ったじゃらじゃらしたものから、重厚感やスケール感がある義太夫狂言「妹背山婦女庭訓」など、すなわち、和事の他愛ない楽しさも、義太夫狂言の深みや情愛もと、色々な面の面白ろさがあるのだが、上方芝居の共通点は、情を大切にすること、自分を犠牲にしてでも誰かを助けたり、気遣ったりする芝居が多く、見た目の華やかさより、ドラマを重視する演出がなされて、上方歌舞伎は、情の世界である。と言う。

   上方の匂いのする役者が、上方の言葉で、上方風に演じる。義太夫は、上方言葉で物語が繰り広げられており、上方歌舞伎のニュアンスや風情に欠かせない上方の言葉は、やはり、関西で暮らして関西の文化に触れていないと身につかないものであり、それ程、義太夫狂言には、上方の言葉が大切である。と語っている。
   この点は、住大夫が、語っていた次の言葉が、すべてを物語っている。
   ”大阪生まれの大夫が大阪弁で語った浄瑠璃――義太夫節の神髄はこれに尽きます。
   大夫で一番困るのは、”なまり”です。文楽の浄瑠璃は、大阪生まれの竹本義太夫師がその当時の大阪言葉で語られたものです。
   三味線も大阪弁の節付になっていますので、「音がなまっている」と、・・・大夫の語り如何で、適切な撥がおりませんし、人形の動きにしてもそうです。”
   いずれにしても、義太夫をはじめ、貴重な伝統芸能など日本文化の粋は、上方で生まれ育って、下って行ったもの・・・その大元である上方文化を守らなくて、何が日本文化芸術の伝承か、と言うことであろう。

   「上方には型がない」と言うことについて。
   江戸歌舞伎では、伝統仕来たりが、頑ななほど、守られ継承されているが、上方では同じ芝居をしていると芸がない工夫がないと批判されることについてだが、秀太郎は、
   私に言わせれば、上方には型があり過ぎるんで、藤十郎などは、毎日少しずつ違っていて新鮮である。上方の芝居をこれから継承して行く後輩たちには、数多くある型を熟知した上で、選択していって欲しい。と言う。

   秀太郎は、歌舞伎の演目や芝居の演出などの江戸と上方の違いにつて、克明に語っていて、非常に興味深い。
   例えば、仮名手本忠臣蔵の六段目だが、女房おかるの身売りが決まって、駕籠で連れて行かれるところへ勘平が帰ってくる。猟の帰りで、着物が濡れているので、勘平は、着替えるのだが、
   上方では、普段着に着替えるのだが、あくまで写実で、息を引き取る寸前に、勘平が、義母おかやに頼んで紋付を羽織らせて貰い、哀れを誘う。
   江戸では、祇園一文字屋の女房お才の手前、「紋服を持っておじゃ」と言って、水浅黄の紋服に着替える。この色を着ると、切腹に至る暗い場面がはんなりとして、主役を際立たせ、絵としても綺麗で、派手にと拘る。
   面白いのは、江戸で若年修業をした父仁左衛門は、江戸風も取り入れていたようで、「芝居をはんなりさせた方がええやろ」と水浅黄の紋服を着て切腹した東西折衷のブレンド型だったと言い、当世仁左衛門の勘平は、江戸型だと言う。

   一方、近松ものや上方主体の和事の世界では、上方と江戸との違いと言うよりも、仁左衛門家の松嶋屋型と鴈治郎家の成駒屋との違いが、非常に面白い。
   廓文章の「吉田屋」での伊左衛門は、仁左衛門の舞台を観ることが多いのだが、藤十郎の伊左衛門とは、演出が随分違っていて、興味深かった。
   最近2回観たのは、鴈治郎の伊左衛門で、夕霧は藤十郎と、玉三郎であったが、これは、成駒屋型であったが、先の舞台の吉田屋の女将おさきが、この本でも蘊蓄を傾けて語っている秀太郎であり、この辺りは、折衷なのか、とにかく、いずれにしろ、この「吉田屋」や、近松門左衛門の世界になると、上方歌舞伎の独壇場であり、この本で秀太郎が語っている芸論の豊かさは、格別である。

   片岡家は、家庭と芝居が一体になったような家で、13代仁左衛門は、家では優しく楽しい「お父ちゃん」で、芝居の話をしながら一緒に夕食を食べていて、秀太郎は、大の「お父ちゃんっ子」だったと言う。
   秀太郎は、仁左衛門が演じて絶品であった「河庄」の孫右衛門、「沼津」の平作、「女殺油地獄」の徳兵衛などを、女形でありながら、その芸を踏襲してつとめ、次の世代に伝えられたらと語っているのが、感動的である。

   この一家、兄弟姉妹を含めた大家族が、一致団結して、「仁左衛門歌舞伎」を立ち上げて、瀕死の状態であった上方歌舞伎の再生を図ったのだと言う涙ぐましい話が興味深い。
   上方歌舞伎役者であるが故に、長い間冷遇されて檜舞台に上れなかった当代仁左衛門の苦境については、小松 成美の「仁左衛門恋し」のレビューで触れたが、それであればこそ、関西に踏みとどまって、上方歌舞伎の灯を守り通そうとしている秀太郎や愛之助の心意気と努力は大変なものである。

   「仮名手本忠臣蔵」では、顔世御前、おかる、お才、お石、を、
   「女殺油地獄」では、おかち、小菊、お吉、おさわ、を演じてきたが、
   一つの歌舞伎でも、色々な立場から舞台や芸論を展開していて、非常に面白く、その蘊蓄を傾けた語り口が爽やかで分かり易く、次からの歌舞伎鑑賞へのアプローチが違ってきそうである。
   歌舞伎の女が美しいのは、この世にない女を女形が演じているからだと先の雀右衛門が語っていたが、それとは違った、もっと平凡だが血の通った人間臭い歌舞伎のをんなを感じることであろうか。

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七月大歌舞伎・・・海老蔵の「加賀鳶」「連獅子」

2017年07月17日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   海老蔵にとって、最愛のベターハーフを失うと言う大変なご不幸直後の歌舞伎の舞台だったが、流石に、歌舞伎界最高峰の成田屋團十郎家の頭首で、押しも押されもしない堂々たる舞台を務めている。
   この日は、勸玄君が宙乗りで脚光を浴びている「通し狂言 駄右衛門花御所異聞」ではなく、昼の部に出かけた。
   「歌舞伎十八番の内 矢の根」、河竹黙阿弥の「盲長屋梅加賀鳶」「連獅子」であった。

   今回は、海老蔵の「盲長屋梅加賀鳶」の盲長屋の小悪人竹垣道玄を見たいと思った。
   この道玄については、菊五郎や幸四郎などの舞台を観ているのだが、7年前に見た團十郎の道玄が非常に印象的であったので、海老蔵だとどうなるのか、非常に興味を感じていた。

   團十郎の時の私の印象は、次の様なものであった。
   性格的にもまじめ一方と言うか、大きな目にモノを言わせた團十郎の道玄は、実に味がある。不思議にも凄みを全く感じさせない、しかし、俗に言われている小悪党と言う感じではないが、器用に世渡りをしながら泳いでいる倫理観道徳観全く欠如の欠陥人間を地で行くように巧みに演じている。このあたりの團十郎は、お家の芸である荒事の豪壮な世界を現出する團十郎ではなく、正に、等身大、しかし、人間の真実に迫ろうとする気迫と思い入れが脈打っていて感動的である。

   今回の海老蔵は、くりくりとした目が、独特な芸を見せてくれるのは同じだが、芸の質は全く違っていて、私は、セリフ回しなど、幸四郎の芝居を彷彿させるような雰囲気を感じて、びっくりして見ていた。
   それに、團十郎の場合には、既に、50歳を超えての道玄であったので、それなりの人生を経た灰汁のようなどこか人間臭い雰囲気を醸し出した芝居であったが、海老蔵の場合には、若さの所為もあろうか、芸そのものが直球勝負のストレートな演技で、悪の表現も、非常にモダンで、掛け値なしに飾りっけなしのシンプルなものであった。
   それがまた、独特な悪の世界を現出していて面白い。

   女按摩お兼(齊入)に入れあげて、女房おせつ(笑三郎)を邪険にして追い出そうとないがしろにしているのだが、この女房をベテランの女形の笑三郎が演じていて、その二人の醸し出す雰囲気が味があって実に良い。
   女按摩お兼を演じた齊入(右之助)は、團十郎の時には、この女房おせつを演じていて、今回は、一寸出世して女按摩のお兼であるから、知り尽くした舞台であり、実に上手く、海老蔵をサポートしている。
   道玄と渡り合う正義の味方の親分日陰町松蔵は、最近歌舞伎役者として益々存在感増してきた中車で、重量感のある芸を披露している。
   
   私が観たほかの舞台は、
   幸四郎の道玄、秀太郎のお兼、吉右衛門の松蔵 
   菊五郎の道玄、福助のお兼、東蔵の女房おせつ、仁左衛門の松蔵、
   これらの舞台に比べれば、海老蔵の今回の舞台は、一寸貫禄負けと言った感じであるが、海老蔵の清新な世話物の舞台を観ただけでも幸いであった。
   冒頭の「本郷木戸前勢揃いより」で、威勢の良い加賀鳶を命を張って追い返した天神町梅吉の雄姿は、海老蔵の本領発揮の胸のすくような晴れ舞台であったのは言うまでもない。

   ところで、これは、私の歌舞伎観だが、次のように書いたことがある。
   江戸歌舞伎には、悪人やアウトローが主役の芝居が結構多くて、悪の華などと言って、粋だ格好良いなどと言って囃す傾向があるのだが、なぜか、これにずっと抵抗を感じている。
   三津五郎が、「め組の喧嘩」とか、「加賀鳶の勢揃い」とか、別段深い意味はないけれど、ただただ、鳶頭がかっとしているだけで血が騒ぐような、喧嘩場の湯気が立つような場面はワクワクしました。そしてその場面に出ることが子供の頃からの憧れだった。この場面に出たかった。と言っていて、関東人は、やはり、江戸歌舞伎の任侠ものや荒事に共感しているのだと思った。
   私は、やはり、元関西人である所為か、どうしてもナンセンスなアウトローものや筋も何もない荒事のパーフォーマンスにはしっくりと来なくて、どちらかと言えば、シェイクスピアに近い近松ものや上方の世話物・和事の世界の方が、楽しめるような気がしている。

   そんな感じから言えば、今回の舞台は、「矢の根」や「加賀鳶」の序幕など、殆ど内容のないパフォーマンスやセリフで見せる舞台は、苦手である。

   さて、最後の「連獅子」だが、海老蔵と已之助の親仔獅子の舞台は素晴らしい。
   これは、能「石橋」を基にし、狂言「宗論」をアイ狂言に加えた歌舞伎の舞台だが、少し、趣が変わっていて、見せて魅せる舞台にしているのが歌舞伎の妙である。
   能舞台を模した松羽目の舞台に狂言師の右近、左近が登場して、獅子の子落とし伝説を再現し、父の思いを描く。次に、法華宗と浄土宗の僧が清涼山の麓で出くわして、南無妙法蓮華経VS南無阿弥陀仏の宗論。最後に、勇ましい親子の獅子の精が登場して、牡丹の枝を手に、芳しく咲く牡丹の花をバックにして、それに戯れる獅子の様子を演じて、最後に、親子の獅子が長い毛を豪快に振り続けて、獅子の座につく。

   親獅子の海老蔵の豪快さは勿論だが、仔獅子の日本舞踊坂東流の家元でもある已之助の舞も流石に目を見張るものがあり、正に、華麗な絵になる檜舞台であった。
   能「石橋」とは、多少、ニュアンスが違うが、非常に趣があって素晴らしい舞台であった。
   
   
   
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「チケット AIが値付け」と言うのだが

2017年07月16日 | 経営・ビジネス
   今日の日経朝刊に、「チケット AIが値付け 三井物産、まずプロ野球で試行 順位や需給に応じて変動」と言う記事が掲載された。
   人工知能(AI)を活用して、過去の実績をもとに需給を予測したり、現状の需給などに応じて、チケット価格を随時変えて行く仕組みで、興行主の収入を最大化することができると言う。

   実際に、三井物産は、ソフトバンクとヤクルトの主催試合の一部座席を、ぴあやヤフーと共同で試験的に価格を変動させ始めた。球団から依頼を受けてデータ解析を施し、座席ごとに最適な価格帯を示している。のだと言う。
   欧米では、既に実施済みで、機械学習を使ったアルゴリズムによりチケット価格を算定してチケットの価格変動サービスを手掛けているニュースター社と提携する。と報じている。
   これは、プロ野球などのスポーツイヴェントだけではなく、コンサートやホテル業界でも利用されており、可変的なチケットの価格システムが、受け入れられつつあると言うことであろう。

   売れ残ったチケットの処理については、もう、何十年も前から、ニューヨークのブロードウエイや、ロンドンのウエストエンドなどには、パーフォーマンス・アーツの当日公演のチケットを半額で売っているチケットブースがあったりして、賑わっていたのを覚えている。
   ロンドンに駐在していた頃、サドラーズウェルズのイングリッシュ・ナショナル・オペラのボックスオフィスで、開演前に、当日券を半額で売っていたので、偶々仕事の都合で空きが出来た時には、上質なオペラ公演を楽しませて貰うことがあった。

   日本では、ぴあやイープラスや日経などで、売れ残っているMETやスカラ座やウィーンやロイヤルなどと言ったトップ・オペラハウスの高額チケットが、エコノミーだとかプレミアムエコノミーと言ったチケットに変わって、抽選になることもあるのだが、安く販売されることがある。
   利用したことはないが、国立劇場の文楽や歌舞伎などのチケットでも、時によっては、イープラスなどで、安く売りだされていることがあり、「得チケ」と言ったタイトルで、色々な公演チケットやエンターテインメントのイヴェントチケットが、バーゲン価格で提供されているので、思いがけない鑑賞が出来たりする。
   
   今回の「AI値付け」システムは、売れ残りのチケットを安く販売して席を埋めると言う手法ではなく、需要の高い人気公演のチケットは、定価以上に高く売り、売れないチケットは安くすると言う需給によってチケット価格が決まる時価販売システムと言うことになって、かなり、ニュアンスが違ってくる。
   このシステムになると、チケットの争奪戦が、激しくなるのを緩和する効果や、かなり早くチケットがはけるであろうし、売れ残りが少なくなると言った効果が見込めて、興行主にとっては、好都合なのかもしれない。

   先日、”「チケット高額転売防ぐ」と言うのだが”と”マイケル・サンデル著「それをお金で買いますか」”を、このブログに書いて、公演チケット取得について、問題点を検討してきた。
   今回のAI値付けシステムで問題にしたいのは、ただ一点、価格がダウンするのは良いが、価格が上がると言うケースである。
   それは、本来、庶民なり大衆が、挙って楽しむべきスポーツ・イベントやパーフォーマンス・アーツの世界に、経済格差を持ち込んで、金持ちだけが買うことのできるようなシステムを構築することにならないかと言うことである。
   異常な経済格差の拡大が、政治経済社会を機能マヒさせている今日、何でもカネで買える、金持ちだけが自由気ままに、財やサービスを押させて享受できる、そんなシステムを、この世界には持ち込んではならないのである。
   AIをフル活用して需給システムでチケット価格を決定するなどと言うのは、弱肉強食の市場メカニズムを野放しにすると言うことであって、上限なり、何らかのチェック作用を設定してシステムをフェアに運営する方法を考え出さない限り、格差拡大を排除できない。

   昔は、チケットを取るために、劇場の窓口に並んだ。
   ネット販売などほかの取得手段もあるにも拘らず、式能のチケットを買うために、国立能楽堂の窓口が開く前から、ファンが列を作っていたが、これは、この劇場割り当て分のチケットは、先着順にフェアに販売されることを信じているからである。
   サンデルは、ダフ屋が、ホームレスを並ばせてチケットを買わせて高額転売していると書いていたが、この能楽堂では、どこの席が空いているか、窓口に行かないと分からないので、どの席を選ぶかは、能狂言鑑賞に知識がある人かファンしか対応できないであろう。
   尤も、どの席でもよいと言う依頼者からの指示なら、窓口で、残っている席で一番良い席を、と言って買えば造作もないのだが。
   
   何でも、ICT革命で、IOT,AIが跋扈する世の中だが、こんな牧歌的なチケット取得システムが、続いて欲しいと思っている。
   チケットが高いか安いかを決めるのは、ファンに任せて欲しい。
  
   余談だが、先日、本人確認のスマホでの予約チケットが、高額転売されて摘発されたと言ったケースが起こったが、これは、入場直前に、ダフ行為者から、IDカードと交換にスマホを借り受けてなりすまし入場して、終演後、スマホを返すのだと言う、システムを逆手に取った悪知恵だった。
   政府が意図しているようにマイナンバー使用だと、多少は歯止めとなるかも知れないが、石川五右衛門ではないが、ダフ行為、金儲けの種は尽きまじ、ではなかろうか。
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孫の幼稚園と保育園の送り迎え

2017年07月15日 | 生活随想・趣味
   私の子供の頃の幼稚園は、宝塚の田舎で、定かではないが、田舎道を、1キロ以上は、歩いて通っていた。
   小学校と同じ敷地にあったので、大概は、同じ集落の子供たちと一緒に、行き帰りしていたのだが、偶には、一人で行ったり帰ったりすることがあった。
   途中に、鎮守の森もあり、小川や池もあれば、林もあり、田んぼや畑が続いていて、季節の草花を摘んだり、小鮒を追ったり、道草などは日常茶飯事であった。
   しかし、集団通学の規則もなければ、付き添う保護者などもいなかったが、全く、問題はなかった。

   ところが、時代が移り変わり、今では、幼児の幼稚園や保育園には、スクールバスの利用範囲の校区になければ、当然のこととして、保護者が送り迎えをしなければならない。
   我が家の場合、6歳の孫(男)は幼稚園に、1歳の孫(女)は保育園に通っていて、夫々、家から反対方向に、1キロ足らずの距離にあって、私たち老夫婦が孫たちの送り迎えを担当している。
   朝は、私が幼稚園に、家内が保育園に行っているのだが、夕方の送り迎えは、この暑さなので、ベビーカーを押しての長い上り坂は大変なので、私が両方とも引き受けている。
   鎌倉山の麓で、西にかけてのアップダウンの激しい地形にあるので、距離的には大したことがなくても、一回往復するだけで、汗だくになって、その都度シャワーを浴びなければならない程なので、結構、ハードなのである。
   私の場合には、東京へ往復すれば、1万歩を歩くのは通常なのだが、家で、晴耕雨読の生活をして居れば、強制的に散歩などで外出しなければ、運動不足は必定なので、趣味と実益を兼ねて、好都合だと喜んで引き受けたのである。

   ヤマハの電動自転車PASの高級車を買ったのだが、娘たちは、絶対にダメだと許さない。
   それに、自動車使用は禁止されており、私自身も運転免許書を返納したので、徒歩通学以外に方法がないのである。
   孫娘の保育園通学は、今年からなのだが、孫息子の方の送り迎えは、既に、3年目となっており、来年3月には、小学生になるので、孫娘の保育園の送り迎えだけになる。

   保育園は、働く親のために、夕方まで子供を預かってくれるのだが、孫の幼稚園も、終園後も、事後保育のシステムがあって、イングリッシュなど色々な出前レッスン受講も含めて夕刻まで面倒を見てくれるので、助かっている。
   私たちも娘二人を育ててきたので、多少は分かるのだが、二人の孫が、休日など家にいると、カサが高くて、世話の手間暇が大変なので、保育園のシステムは、保護者にとっては、大変な恩恵である。
   尤も、私の場合には、猛烈社員の時代で、仕事で、国内にいても外国にいても、殆ど家にいたことがなく、娘たちは、母子家庭だと、ずっと苦情を言っていたので、偉そうなことは言えないのだが、最近、孫たちの日常を見ていて、幼稚園・保育園の存在の有難味を、つくづく感じている。

   通学途次、孫との意思疎通を図るのによい機会で、例えば、路傍の草花を見ながら自然の不思議や生き物の生態などについて教えることもあれば、幼稚園での生活について語らせたり、
   それに、幼稚園の教室に入り込んで子供たちや先生と話し込むこともあれば、送り迎えの若いお母さんたちとの会話も弾み、日頃とは違った時間が展開する。

   ところで、まだまだ、日本には、待機児童が多くて、「日本死ね!」現象が残っていると言うことだが、政府も、お粗末極まりない森友・加計問題に振り回される愚挙を早々に卒業して、
   保育教育システムを拡充して、日本女性を、育児の重荷の一端から解放して、どんどん減っていく人口減を食い止めて人口増・国威発揚を画策すべきであろう。
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晴耕雨読、憩いのひと時は一杯のコーヒー

2017年07月14日 | 生活随想・趣味
   自由な身になると、やはり、自宅に居ての「晴耕雨読」の時間が多くなる。
   今でも、芸術鑑賞などを含めて、結構、東京などへ出かけることもあるのだが、鎌倉散策を含めて、鎌倉にいる時間が多くなったことは事実である。

   暇になっても、いまだに、やりたいことが多くて、結構忙しいのだが、私の場合には、やはり、基本的には、正に「晴耕雨読」そのもので、実際に、庭で花木の世話などガーデニングと、書斎や居間で、本を読むことで時間を過ごすことが多くなった。
   ガーデニングは、もう、何十年も続けているので、体調さえ良ければ、趣味と実益を兼ねて、十分に楽しみながらやることが出来る。
   読書については、私自身の人生イコールであって、本に囲まれて生きてきたようなものである。
   幸いなことに、メガネのお世話にはなっているが、白内障など目の障害とは縁がなく、今でも、何時間も本を読み続けても、疲れないし、むしろ、喜びが高じて元気になる。

   晴耕雨読の合間に、間奏曲の様な時間を過ごすのが、コーヒータイム。
   大げさなことではなく、気分によって、紅茶であったり、茶プレッソで淹れた緑茶であったりすることもあるが、やはり、コーヒーが多い。
   最近は、UCCのコーヒー豆を、カリタのセラミックミニで挽いて、メリタのコーヒーメーカーで淹れている。
   時には、ネスカフェのドルチャグストでラテ マキアートを淹れて、気分を変えることもある。
   本当は、サイフォンで淹れると良いのであろうが、その根気はない。

   イギリスにいた時には、アフタヌーンティーを好んで食し、それに、コーヒータイムでも、ティーケーキやショートブレットやビスケットなどを同時に頂いていたのだが、最近は、健康を意識して、極力、茶菓子を排除すべく努力をしている。

   コーヒータイムでのもう一つの気分転換は、どのカップを使うかと言うことである。
   緑茶などの場合には、大体、湯飲みが決まているけれど、コーヒーと紅茶の場合には、適当に器を変えている。
   この口絵写真は、沈壽官窯のコーヒーカップだが、ヨーロッパにいた時に、あっちこっちで陶磁器を買っていて、結構持っているし、日本各地への旅行の途次にも、趣味のようにカップなどを買ってきているので、選択肢は十分ある。
   しかし、なまくらになってきた所為もあって、最近では、気に入ったマグカップを盥回しすることが多くなった。

   ガーデニングで庭にいる時には、芝庭においてある椅子に座って、コーヒータイムを憩う。
   庭には、大きなヤマボウシやハナミズキなどの木が植わっているので、恰好の緑陰になる。
   読書の後は、書斎ではなく、離れの和室に出て、縁側越しに庭を見ながら、小休止する。
   結構、花木や草花の植栽については、努力して維持してきているわが庭であるので、綺麗な花が咲いていて、小鳥や蝶などが、訪れてきてくれていたりすると嬉しくなる。

   ささやかな私の幸せなひと時である。

   このブログを始めた時は、まだ、少しは若かったので、”熟年の文化徒然雑記帳”と銘打ったのだが、”老年の・・・”に変えた方が良くなったのかも知れないと思いつつ、少しずつ、変わっていくわが人生に感じいる今日この頃でもある。
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粟谷 明生著「夢のひとしずく 能への思い 」

2017年07月13日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   2年前に、この著者が、父であり人間国宝であった喜多流能楽師粟谷菊生からの聞き語りを集大成した”粟谷明生編「粟谷菊生 能語り」”を、ブックレビューしたが、この本は、自分自身の能楽人生と能や演能に対する思いを語ったもので、非常に興味深くて面白い。

   第一部の「わが能楽人生」では、初舞台、そして、子方時代から還暦を越えた今日までの能楽遍歴を辿りながら、能への思いや心の軌跡を綴っている。
   第二部の「演能の舞台から」では、能の曲や演能を、神、男、女、狂、鬼と順を追いながら、自身の舞台の経験や思い出を交えながら語っており、シテ方の能楽者の立場からなので、普通の能の曲の解説などとは違って、奥行きと含蓄があって楽しませてくれる。
   幸い、私の場合、国立能楽堂などには200回以上も通い続けており、この本で取り上げられている曲の殆どは、観聴きしているので、夫々の舞台を追っている感じで親しみを感じながら読み続けた。
   
   子方のところで、「大人の義経がなぜ子方か?」と問うて、船弁慶では、シテ(静・知盛)とワキの弁慶と言う拮抗する二人の大人に義経と言う大きな存在を入れると舞台の焦点が散漫になるため、そして、安宅では、弁慶と富樫の対決をくっきりと出すには、もう一人の重要人物は、子方が相応しいと言うお能マジックであると言って、子供ながらにも、心して舞台に臨むのだと言っている。
   「墨田川」で、子方を出すか出さないかを、世阿弥と元雅が論争した「猿楽談義」に触れて、自身は、子方を出す場面こそが最高の見せ場だと言う。

   著者も、能楽に疑問を持った時期があり、父や伯父に反発してハラハラさせた不良時代があったのだと述懐しており、転機となってやる気にさせたのは、30歳直前の「黒塚」だったと言う。
   従兄の能夫師から、「”月もさし入る”と、喜多流では月を見る型だが、観世寿夫は”月もさし入る閨の内”と、あばら家の床に差し込む月光をじっと見た」と言われて、月と言えば上を見る、型付通りにするものだと思っていたので衝撃を受けた。詞章の深い読み込みでいろいろな演出ができることを知ると途端に気持ちが明るくなり、やる気がふつふつと湧いてきた。と言うのである。
   演じることに規制が効きすぎ自由のない能の世界、能は完成された演劇で、決まりごとを粗相なく伝承しておれば無難にこなせる、余分な創造性は無用と、知らぬうちに思い込んでいた自分を、意外に自由な演劇だと感じ、流儀内の決められたもの以外に、色々な解釈と表現がある、これは何て面白いのだろうと、心が震えたと言うのである。
   次に披いたのは、「道成寺」であるから、一気に開眼、「道成寺」については、多くの紙幅を割いて丁寧に語っていて面白い。

   父の菊生師は、スポーツであれ、他の舞台芸術であれ、貪欲に多くの分野にアプローチして、たとえば、背中と足の裏で俊寛を表現した凄い吉右衛門の歌舞伎に刺激されて、「鬼界島」に取り入れたりしていたが、著者は、その方面は触れておらず、その代わりに、「自然居士」の稽古で、ワキ方や狂言方や囃子方、そして、流儀を越えた謡などを糾合した斬新なシステムを編み出して実行したと言う。

   私には、全く分からない次元の話だが、同じ詞章であっても、5流の演能が、時には、全く違うように、傑出したパフォーマンスが流儀内の型付として伝承されているのであろうし、決定版などはない筈で、本来なら、いくらでもアウフヘーベンされてしかるべきであろうと思う。
   先日取り上げた「二人静」など、3つのバージョンだけでも、雲泥の差があり、他の曲でも、小書きにもよるであろうし、流儀を越えれば、かなりのバリエーションが生まれ得てしかるべきだと思っている。
   歌舞伎では、江戸歌舞伎では、伝統・伝承が重視されるのだが、上方歌舞伎では、切磋琢磨工夫努力して、新しい芸を編み出せずに同じ芸を続けていると、「あの役者、全く芸がない。ダイコンやなあ。」と言われると言うのだが、どちらが真実か。難しいところであるが、私は、欧米のオペラやシェイクスピア戯曲の舞台を観ていて、あれだけ、どんどん、新しいパフォーマンスが生まれて変化を遂げて進歩しており、日本の古典芸能の伝統重視を最大限貴重だと思ってはいるが、新しい試みがあってこその芸術だと言う気がする。

   新しい演能の世界を追求してきた過程で、批判されてきたようだが、新しい試みに挑戦してきた友枝昭世は、「そんな型、喜多流にあるの?」と問われて、「ない。しかし、能にはある。」と答えていたと言う。
   流儀を越えて、能に向き合うことの素晴らしさを感じて、「能にはある」を信念として演って行きたい。能よ、永遠なれ!だと言う。

   さて、第二部の、能のそれぞれの曲に対する解説なり著者の思い入れが、非常にユニークで面白く、これからの観能に非常に役立つと思う。
   例えば、六条御息所の「野宮」など随分丁寧に語っているが、私など、原本や谷崎の源氏物語を持って、京都や源氏物語の故地を歩いて思いを馳せた京都での学生時代を思い出しながら、
   能を通じて、どんどん、増幅して広がって行く源氏物語や平家物語など、古典の世界の奥深さに感激しているのであるから、二重の楽しみである。
   
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「チケット高額転売防ぐ」と言うのだが

2017年07月12日 | 生活随想・趣味
   今日の日経朝刊に、「チケット高額転売防ぐ」と言う記事が載っていて、マイナンバーで本人確認して、会場で購入者本人と特定して入場を許可する方式を採用して、この高額転売を防ぐ仕組みを、総務省・ぴあが開発して、東京五輪でも活用するのだと言う。

   先日、ブックレビューしたマイケル・サンデルの「それをお金で買いますか」でも真っ先に論じられていたポイントで、要するに、「行列に割り込む権利の販売」の最たる、行列の代行、ダフ行為である。
   他人を雇って行列に並ばせるかわりに、今では、インターネットで瞬時にチケットを取得して、転売して利益を稼ぐと言うシステムだが、個人の自由意志の発露である市場は行列に優越すると言うのが大方の経済学者の考え方のようで、表立った経済学からの反発はなかったと言う。

   私の場合、もう、半世紀以上も、クラシック音楽やオペラの鑑賞から、バレエ、シェイクスピアなどの戯曲、歌舞伎・文楽、能・狂言等々、国内外、色々な観劇や鑑賞で劇場に通っていて、チケットを買い続けて来たので、チケット取得には、色々な経験や思いがある。
   あまりにも人気が高かったり、高額過ぎて買えなかったりしたことが、かなりあるのだが、それでも、例えば、オペラでは、古い話だが、パバロッティやドミンゴやカレーラスと言った三大テノールのオペラを何度か観ることが出来たし、マリア・カラスやレナータ・テバルディ、マリオ・デル・モナコやジュゼッペ・ディ・ステファーノ、エリザベート・シュワルツコップやビルギット・ニルソンやフィッシャー=ディースカウと言った伝説的な名歌手のオペラやリサイタルに行くことも出来たので、恵まれた方だったと思っている。

   さて、私自身の思いだが、海外に出た時に、例えば、オペラ劇場で、素晴らしい公演があるのを知った時には、どうしても見たくなって、ダフ屋でも何でもよいから、チケットを手に入れたいと思ったことがある。
   プラハやブダペストでも経験がるのだが、ヨーロッパの偉大な歴史的な歌劇場で、素晴らしいオペラ公演を鑑賞することが、如何に至福の喜びであるか、この千載一遇の機会を、なんとしても手に入れたいと言う思いである。
   バルセロナのリセウ大劇場で、演目は忘れたが、モンセラ・カバリエが歌うのを聴きたかったが果たせず、唯一残っていた天井桟敷の立見席を買って入場して、はるかかなたの奈落の底のソプラノを聴いたことがある。
   また、マドリッドのテアトロ・レアル(王立劇場)では、幸いと言うべきか、劇場前にダフ屋が居て、近づいてきたので、二倍の価格でチケットを買った。
   ウィーン国立歌劇場で、大晦日の「こうもり」のチケットを取ろうと長い列に並んでいた時、行けなくなったファンが、近づいてきて譲ってくれたと言う幸運もあった。
   ウィーン、ニューヨーク、ミラノ、パリ、ベルリンなどでは、公演が多くて劇場が広い所為もあり、何度か涙を飲んだが、チケットは大体手に入った。
   ウィーンでは、劇場近くに当日のチケットを売っている金券ショップの様な店があったのを後で知って残念に思ったことがある。

   国立劇場のチケットでも、ダフ行為が頻発しているようで、最近、国立劇場チケットセンターが、一般販売について警告を発して対応を考えているようである。
   確かに、最近は、会員主体のあぜくら会の新規発売日でも、10時のオープン時間には、インターネットが錯綜して、しばらく繋がらないことが出てきて、繋がった時には、チケットがソールドアウトと言うケースも出ている。
   普段はそうでもないのに、襲名披露などと言った特別公演などになるとネット予約がヒットして、ファンがチケットが買えなくなって、公演当日には、日頃とは違った観客層が会場を埋めるなどと言うのは、この異変の一端なのかも知れない。
   能楽堂公演での拍手のタイミングは特殊なのだが、こんな時には、必ず、頓珍漢なところで、拍手が来たりする。

   歌舞伎座のウエブやぴあやイープラスなどでは、初日のインターネット錯綜は常態だが、ファンが多くなってきたのか、ダフ屋の横行が激しくなってきたのか、分からない。
   倫理道徳から距離を置いてきた経済学としては、喜ぶべきことかどうかは分からないが、昔から、行列をカットしてダフ行為に頼る金持ちが多いことは事実で、これも、需要と供給の市場のなせる業であった。
   特に、最近では、経済格差の拡大と、ネットディバイドで、ネットを使えない金持ち老人が増加の一途を辿るので、政府が懸念する「チケットの高額転売」が、益々、増えて来るのではないかと思う。
   都民劇場など、会員の多くが老年のためか、いまだに(最近止めたので今もどうかは分からないが)、ネット予約を排除して、電話とはがき予約を通している天然記念物の様な組織もあるが、行列よりも、インターネットでチケットを取得しなければならないとなれば、特別なテクニックも必要なので、高額転売の阻止は難しいであろうが、マイナンバーとは考えたものである。

   私の場合には、知盛の心境ではないが、「見るべきものは見つ」と言う思いであるし、これまで鑑賞してきた公演や舞台以上に素晴らしいものには接し得ないであろうから、あくせくしてチケットを追いかけることはないと思っている。
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国立劇場・・・歌舞伎:菊之助の「一條大蔵譚」

2017年07月11日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   7月の国立劇場の歌舞伎は、普及版の学生や社会人や親子のための歌舞伎鑑賞教室。
   今日も、朝昼2回の公演だが、中高校生の団体が押しかけていた。
   前半に、「解説 歌舞伎のみかた」があって、若手の花形役者(この日は亀蔵)が、舞台や演者たちの模様や公演の解説などを丁寧に説明するこのセッションが、初心者には非常に好評のようである。
   今回、面白かったのは、下手の黒御簾の枠と簾を取って内部の演奏模様を見せてくれたことであった。

   今回のプログラムは、「鬼一法眼三略巻」の4段目の「一條大蔵譚」。
   この「鬼一法眼三略巻」は、清盛がまだ健在で平家全盛の頃を舞台にして、源氏再興のために暗躍する人物たちの物語で、源氏の縁者吉岡鬼一、鬼次郎、鬼三太の3兄弟が主人公だと言うことだが、3段目の「菊畑」は、結構見る機会があるのだが、殆ど筋書きは、関係がないし、よく分からない。

   従って、この「一條大蔵譚」も、この舞台だけを見ておれば、作り阿呆の一條大蔵卿(菊之助)が主人公の物語の筈だが、
   この通し狂言から行けば、鬼次郎が本来の主人公であって、鬼次郎(彦三郎)が妻のお京(尾上右近)と図って、一條大蔵卿の妻になっている常磐御前(梅枝)の源氏再興への本心を確かめたくて、一條大蔵卿邸に侵入して、常盤御前に会って、遊興三昧を隠れ蓑にして清盛の絵像を弓で打ち据えて調伏していたことを知った上に、夫の一條大蔵卿が、平家の重臣ながらも隠れ源氏であって、源氏の重宝友切丸を渡して、清盛の首を討って源氏再興を祈る。と考えるのが本筋であろうか。

   私は、2005年の勘三郎襲名披露公演で、勘三郎の、その後、吉右衛門、菊五郎、仁左衛門、染五郎の大蔵卿の舞台を見ているが、吉右衛門の舞台が、一番多くて、染五郎も今回の菊之助も、吉右衛門の監修指導と言うことであるから、吉右衛門の一條大蔵卿像が定着している。

   この物語で、興味を持ったのは、巷の定説を引いて、清盛はダメだが、重盛が素晴らしいので、重盛が消えてから、源氏の旗揚げをしろと長成に言わしめていることであった。
   常盤御前にメロメロであった清盛も、重盛の助言によって常盤を諦めて、長成に下げ渡さざるを得なかったと言うのも面白い。
   義経の母であった常盤御前は、清盛との間に一女をもうけたと言う噂が残っているが、長成との間には嫡男・能成と女子一人をもうけており、常盤は、この義経の妹とともに、一時鎌倉方に囚われたと言う。
   
   ウィキペディアによると、義経が幼少時、奥州平泉の藤原秀衡に庇護されたのは、縁戚でもあった長成の支援によるものといわれており、
   長成と常盤の子である能成は、異父兄の義経が武人として頭角を顕すとこれに接近し、平家滅亡後、義経が異母兄の源頼朝と対立した後も、能成は義経と行動を共にし、文治元年(1185年)11月の都落ちの際には自らも武装しこれに随行したという。から、長成の義経へのサポートは、かなり、鮮明なのである。
   それは、それとして、長成が、この歌舞伎のように作り阿呆を貫いたと言う話は残っていないので、作者の手の込んだフィクションであろう。
   
   さて、吉右衛門を義父に持つ菊之助の、謂わば、意表を突いたキャスティングだが、非常に期待する向きが多かったのか、このシリーズにしては、結構、満席の日もあって、人気が高い舞台である。
   とにかく、美しい。
   絵本一條大蔵譚と言った感じで、どこを見ても、菊之助の一條大蔵卿は、絵本から飛び出したような絵姿で、義父吉右衛門の薫陶宜しきを得て、吉右衛門バージョンの一條大蔵卿を、綺麗になぞっている。
   よく分からないが、実父菊五郎からも、一條大蔵譚卿像の教示を受けたのであろうが、そうだとすれば、二人の偉大な先達人間国宝からの直伝であろうから凄いことである。

   世間を欺くために本心を偽って、20年(?)も作り阿呆を装い続けている尋常ならざる剛の者である一條大蔵卿を、どう見るかだが、こんなに若々しくて美しくて良いのかと言う戸惑いも隠せない。
   これも、大衆あっての歌舞伎で、このような清新なバージョンもあってよいのではないか、と言うのが印象であった。
   とにかく、いずれにしろ、また、菊之助の末恐ろしい芸の新境地を観たと言う思いであった。

   これまで観た「一條大蔵譚」と比べて、一気に、若手役者の舞台を見た感じであった。
   常盤御前の梅枝、鬼次郎の彦三郎、お京の尾上右近が、素晴らしい舞台を見せてくれた。



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日欧EPA・・・ワインが安くなる

2017年07月09日 | 生活随想・趣味
   日本とEUは、経済連携協定(EPA)の締結で、大筋合意したと発表した。
   トランプの保護主義に一矢報いた感じであり、国際貿易上は、一歩前進である。
   グローバル時代に、アメリカファーストで、貿易相手国との収支に辻褄を合わせようと、保護貿易主義に走るトランプの時代錯誤的な考え方が分からないのだが、ウォートン・スクールで学んだのなら、余程、勉強しなかったのか頭が悪かったのかであろうか、いずれにしろ、そのような発想が生まれる筈がなく、同窓生として恥ずかしいと思っている。

   それはそれとして、世界貿易の30%を占めると言う日本とEUの協定であるから、日本経済にとっては、かなり影響が大きいであろう。
   デヴィッド・リカードが提唱した比較優位論が、有効に働くためにも、貿易の自由化は必須だが、いずれにしても、自由貿易は、究極的には、自由市場での弱肉強食とも言うべき自由競争であるから、須らく、自国の経済産業を振興強化して国際競争力をアップすることが肝要である。
   日本人は、日本の国際競争力が、十分に活力があって強いと言う前提でモノを考えているので、農業など自国産業保護のためにマイナスがなければ、貿易収支の黒字はプラスだと考えているのだが、独り勝ちのドイツが、グローバル経済に与えている深刻な影響を考えれば、そうとも言っておれないであろう。

   今回のEPAの締結による効果だが、我々消費者にとっては、関税の撤廃や引き下げによって、ワインやチーズなどのEU製品が安くなると言うことである。
   ワインは、即刻、無税になる。
   93円程度のダウンだと言うが、フリーで入ると言うのが良い。
   何も、アルゼンチンやチリ、オーストラリアやニュージーランド、南アなどの輸入ワインが安く手に入る今日、フランスやイタリアやスペインやドイツやポルトガルのワインが100円程度安くなると言って、騒ぐことはないのだが、ワイン好きには朗報である。

   晩酌などと言った習慣がなかった私だが、現役を退いて自由の身になると、いつの間にか、夕食時に、ワインなり日本酒なりを飲むことが楽しみになってしまった。
   尤も、食中酒と言う位置づけであるから、ワイングラスに1~2杯程度であり、他では飲まないので、酒好きには当たらないと思う。
   ワインを嗜み始めたのは、ヨーロッパに赴任して8年間ロンドンやアムステルダムで生活して、ヨーロッパ各地を歩いてきたお陰(?)である。
   ヨーロッパ人との会食では、ワインがつきもので、いわば、飲む食べ物と言う位置づけであるから、食前酒から食後酒まで、会食の間、ワインから離れることはない。

   この習慣にいたく感激して、ワインの伴奏で食事が一層美味しくなると言う経験をしてから、一気に、ワインファンとなった。
   当時、仕事や個人旅行で、ヨーロッパを駆け回っていたので、各地で、ミシュランの星付きレストランを行脚し、ソムリエの教示もあって、少しずつワインに対する知識が増していった。

   日本に帰ってからは、仕事の関係で、稚内や根室から那覇まで、日本各地を歩き続けることが多くなって、地元の食事を頂きながら地酒を飲むと如何に美味しく食事を楽しめるかを経験して、私の生活の中に、酒の占める位置が大きくなってきた。

   それが、今日であるから、当然、ワインや日本酒が安く手に入って楽しめると言うのは、願ってもない幸運である。

   ところで、ワインなり日本酒の味わい方だが、決して、ロマテコンテが最高であり、大吟醸の特別酒が最高である筈がなく、高級酒に拘ることはない。
   これは、ヨーロッパを随分歩いていて、地元の高級料理を頂くときに、地元のそれなりのワインが如何にマッチして美味しく頂けるかを、身をもって経験してきている。
   ビールも同じで、フランクフルター、ウィンナー、ニュールンベルガー等々、その地のソーセージや地元料理を、地ビールで味わうと如何に美味いか。
   これは、日本各地を歩いていても感じた実感でもあり、地元の高級料理には、地酒が完全に合って美味しい。
   これこそが、食文化の食文化たる所以であって、全国銘柄の有名な日本酒や焼酎、ビールなどで、地元の料理を頂く人がいるが、理解に苦しむ。

   日本のワインも、品質が向上して、国際級品になったと言う。
   何故か、日本のワインに関しては、比較的高いと言う感覚があって、こんなにフランス産やイタリア産が安くなると、日本産のワインを飲むことは少ない。
   日本産のウィスキーは、すでに、最高峰だと言うことだが、前に放映されていたNHKの朝ドラ「まっさん」を見ていたし、今、日経に掲載されている伊集院静の「琥珀の夢」も読んでおり、山崎は知らないが、「ニッカウヰスキー余市蒸留所」には行っている。
   地方に行くと、酒蔵を訪れる機会も多いし、スコットランドでは、ウィスキー蒸留所も行ったし、大回転で量産されているビール工場は一寸苦手だが、土の香がする小さな酒蔵などの雰囲気は好きである。
   しかし、イギリスにいた時には、偶に、ウィスキーをストレートで飲んでいたが、帰ってからは、ブランデーもウィスキーも埃をかぶっている。

   余談が長くなったが、欧米ほどではないが、ワインが、かなり、リーゾナブルな価格で手に入り、それなりに支払って、輸入ワインを買って飲めば、水準以上の楽しみを味わえるようになっていると言うことである。
   さて、ワインだが、成城石井など実店舗で買うこともあるが、最近では、 AEON de WINEなど通販で、買うことが多くなった。
   高級品も普及品も、結構品ぞろえが豊かで、好みのワインが、時を選べば、かなり、安く買うことが出来て、即刻配送されてくるから便利なのである。
   
   いずれにしろ、ヨーロッパのワインが安くなると言うことは嬉しい。
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国立能楽堂・能「二人静」から湘南シネマ「パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊」

2017年07月08日 | 今日の日記
   今日は、朝鎌倉を出て、昼の国立能楽堂での
   普及公演、
   解説・能楽あんない 音阿弥、天下無双のマエストロ 松岡心平
   狂言 入間川 茂山千五郎(大蔵流)
   能 二人静 梅若万三郎(観世流)
   を鑑賞した。
   その後、北参道ー横浜ー辻堂ルートで、109シネマズ湘南に行って、「パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊」を見た。

   途中、少し時間があったので、辻堂のブックオフで小一時間暇つぶしをした。
   古書店は、神保町通いを続けてきたのだが、行きつけの書店がどんどん潰れて面白くなくなってきており、それなりのブックオフの店舗に行けば、古い本を含めて、大型書店よりも、結構、本が揃っている場合があって、それに、時には、新しい新本が30%オフくらいで買えるので、時々、これを利用している。
   今回買ったのは、読みそびれていたフリーク・ヴァーミューレンの「ヤバい経営学」。

   能楽堂での普及公演は、冒頭30分間、専門家の能・狂言や上演プログラムの解説など興味深い話が聞けるセッションがあるので、私の様な初歩ファンには好都合である。
   音阿弥については、今の観世流の直流なのであり、偉大な功績を残して将軍に認められているので、松岡教授の「天下無双のマエストロ」と言う高名についてはよく分かるのだが、先年、上演された梅原猛の創作能「世阿弥」では、世阿弥が元雅を後継者とすべく、執拗に音阿弥を拒否していたような趣があったので、多少、その印象が頭に残っていて複雑な気持ちである。

   狂言は、襲名なった千五郎が、芸と舞台が一気に大きくなった感じがして、堂々たる偉丈夫で貫禄のある大名役を演じていて感服して見入っていた。
   ベテラン狂言師の七五三の真面目でコミカルな雰囲気を醸し出した芸の奥深さ巧みさも凄いが、このおじの七五三を食っている感じさえする。
   この狂言は、何でも反対のことを言う入間言葉を巧みに織り込んだ掛け合いが面白いのだが、太郎冠者を演じる茂山茂も上手く、大蔵流の京都茂山家の芸の確かさを示していた。

   観世流の能「二人静」は、これまで、鑑賞してきた「二人静」の舞台とは、変わっていて興味深かった。
   後場で、同じ衣装を着けた、本物の静の霊(シテ)と霊が乗り移った菜摘女と言う二人の静が、相舞すると言う華麗な見せ場を備えた舞台が見ものであったのだが、このバージョンでも、舞台での相舞は、ツレ静の霊が、一ノ松の床几にかけて、シテ菜摘女一人が序ノ舞を舞うのを見ていて、最後キリだけ相舞すると言う「立出ノ一声」のケースもある。
   しかし、今回は、ツレ静の霊(梅若紀彰)は、前場で、菜摘女に僧への回向を頼むだけで橋掛かりに登場して、そのまま、消えて行き、後場は、一切、シテの菜摘女(梅若万三郎)だけの登場で、二人静の相舞シーンなどはない。
   私は、この三種類のバージョンを見ているので、興味を感じて観ていたが、こうなると、「二人静」の意味が希薄になる。

   さて、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊」だが、特に、見たくて行ったわけではなく、一寸、気分を変えたくて、久しぶりに映画館へ行ったのである。
   これまでのシリーズは、孫と一緒に通っていたので、適当に雰囲気は分かっており、当時の海賊とは違っているものの、英国海軍が登場したり、植民都市の港町の模様などが出てくるので、興味を感じて見ている。

   以前に、ピーター・T・リーソンの「海賊の経済学」をブックレビューしたのだが、私にとっての海賊は、フック船長の雰囲気ではなく、あくまで、ナイトの称号を得た海賊の頭目ドレイクのような悪人か偉人か分からないような歴史で暗躍した人物である。
   私掠船(privateer)などと言う、政府から敵国の船を攻撃しその船や積み荷を奪う許可、すなわち、私掠免許を得た個人の船が、正に、ドレイクなどの船なのだが、このあたりの大航海時代以降の歴史は、非常に面白くて、如何に、力をつけ始めたヨーロッパの列強が、世界制覇への歩を歩み始めたのか、その一端が垣間見えて興味深いのである。
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わが庭・・・椿が新梢に花芽をつけ始めた

2017年07月07日 | わが庭の歳時記
   6月は、椿が、花が散った後に、新梢を勢いよく伸ばした先端に、花芽をつける時期なのである。
   新芽は、最初は、花芽か新枝か分からないのだが、少し経つと、花芽はふっくりと膨らみ始める。
   この花芽が、夏の間に成熟して、秋から春にかけて花を咲かせる。
   半年待たねばならないので、気の長い話であるが、春にはどんなに素晴らしい花を咲かせてくれるのか楽しみに待つのである。

   荒獅子、くすだま、至宝、タマアメリカーナ、
   庭植えと鉢植えで、すでに20種類以上の椿が植わっている。
   鉢植えは、木が小さくても毎年咲くが、鉢苗を庭に移植すると、一気に根鉢が大きくなるので地面に定着するまで、2~3年は花付きが悪くなる。
   鎌倉へ来てから、ほぼ4年になるので、わが庭の移植椿も、かなりの大きさになって、よく咲いているので、落ち着いてくるであろう。
   
   
   
   
   

   私にとって、何よりも嬉しいのは、千葉から持ってきて、庭植えした実生の椿に、初めて、花芽が着いたことである。
   実生で活着した苗木は、開花に5年くらいかかると言うことだが、この苗木は、もう、それ以上になる。
   特に、種蒔きしたわけではなく、摘み取った種を鉢に集めておいたのが、活着したので、鉢に移して、そのまま千葉から移転と同時に持ち込んで、庭に適当に植えこんでおいたのである。
   実生苗は、当然、どこから来た花粉で受粉したのか分からないので、雑種であり、親木とは違った花を咲かせる。
   当時、わが庭には、50週以上の椿が植わっていたので、どんな花が咲くのか、楽しみである。
   
   
   

   昨年秋に、取り蒔きした椿の種が、何本か発芽して成長してきたので移植しようと思う。
   取った種を平鉢に蒔いてほっておいたのが発芽したので、特に、注意を払ったわけではないが、自然の摂理は強いのである。
   今年は、至宝やエレガンス・シュプリームやマーガレット・デイビスなど、意識して
テキストにならって挿し木をしたのだが、昨年、無造作に挿し木した苗が何本か活着しているので、これも、鉢に移植しようと思う。
   とにかく、やることが多いので、接ぎ木もしたいしと思いながらも、ガーデニングにも十分に身が入らず、やりたいことばかりで終わっているのが残念ではある。

   さて、わが庭だが、今、アジサイのほかに、オリエンタル・ハイブリッドのユリが咲き乱れている。
   派手でそれなりに美しいが、花期が短いし、花粉を切り落とさざるを得ないので切り花には不都合だし、庭に、そのままにして楽しんでいる。
   今年は、昼咲き月見草が、咲き続けている。
   
   
   
   
   
   
   
   
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国立能楽堂・・・狂言「八幡前」・能「善知鳥」

2017年07月06日 | 能・狂言
    7月最初の定例公演で、狂言は和泉流野村万蔵家の「八幡前」、能は、観世清和宗家がシテで舞う「善知鳥」。

   狂言「八幡前」は、登場人物/聟志願の男・有徳人・太郎冠者・教え手の4人
   八幡山下に住む有徳人(万蔵)が、美人の一人娘に聟を取ろうと考えて、一芸に秀でた者を募ると高札を打つ。それを見た男(能村晶人)が、その高札を引いて聟入りを望むのだが残念ながら無芸なので、日ごろ世話になっている知人(万禄)を訪ねて指南を仰ぐ。即席で名人に仕立てるなど無理だが、仕方なく、弓の達人だと名乗らせて鳥を射る方法を教え、どうせ当たるはずもないので、射損じた言い訳に、一首の秀歌を詠んで歌道の達人を装えと教える。しかし、教え手は、男があまりにも頼りないので、群衆に紛れて指図をすることにするのだが、教えても頓珍漢な受け答えを続けるので、耐えられなくなって場を外し、師を失った男は終句を詠めずに右往左往して馬脚を現す。

   この八幡は、石清水八幡宮のことで、捕獲された魚類や鳥類を開放する放生会の舞台である放生川で、鳥に矢を射かけてしくじると言うストーリーを和歌に引っ掛けたのが面白いが、要するに、「萩大名」と同じで、和歌を覚えられない無風流で教養のない人物が、馬脚を現して恥をかくと言う狂言話。
   
   この聟公募と言うのが、一般化していたのかどうかは知らないが、ほかの狂言でも、
   復曲狂言「眉目吉」では、有徳人が美男の聟を募集している所へ、聞きつけた博打打ちが醜男の息子を美男と偽り応募させる。と言う話や、
   「賽の目」では、ある金持ちが、自慢の美人の一人娘に聟を探そうとして、算用に達した者(計算に強い人物)を聟にすると高札を立てる。と言った曲もある。
   いずれにしろ、聟公募は、あくまで、狂言の骨組みの筋書きと言うことであって、狂言師の、如何にも取ってつけたような真面目な仕草で、しかし、そのシンプルながらも研ぎ澄ました芸の巧みさ面白さを、楽しむことが眼目であろう。
   私にも、二人の娘が居て、夫々結婚して家庭を持ち孫たちもいるのだが、親としては、娘の結婚と言うのは、個人的には、最大の関心事でありイベントであることには間違いないので、この有徳人の心境は分かるであろう。


   能「善知鳥」は、救いようのないほど悲惨な悲しい曲である。
   猟師が主人公として登場し、生前の殺生の罪ゆえに死後苦しむ能は、本作と「阿漕」と「鵜飼」で、「三卑賤」と総称されているが、中でも本作は特に陰惨な描写が続き、苦しみのもととなった殺生の様子が生々しいタッチで描かれている。と言う。

   銕仙会の解説を借用すると、次のようなストーリーだが、この解説では、運命付けられた殺生を生業とする卑しい身ながらも、”殺生を生業とし、殺生に楽しみを見いだしてしまった、哀れな猟師。苦しみつつも猟に熱中してしまう、運命の残酷さ。”と言う見方をしていて、「殺生じたいを楽しむようになってしまった猟師・漁師の悲しみ」というテーマを浮き彫りにしており、一層、シテ/漁師の悲惨さ哀れさが強調される。

   陸奥へ下る旅の僧(ワキ宝生欣哉)が、途中、立山地獄で修行していると、一人の老人(前シテ)が現れ、自分が外ノ浜の猟師の霊であることを明かし、蓑笠を手向けるよう妻子に伝えてくれと伝言を頼み、その証拠にと衣の片袖を託す。僧が猟師の家を訪れ、猟師の妻(ツレ清水義也)と子(子方清水義久)に猟師の言葉を伝え、形見の片袖を渡して猟師の霊を供養していると、猟師の幽霊(後シテ)が現れ、弔いに感謝する。猟師は我が子に触れようとするが、罪障ゆえに叶わず、殺した雛鳥の親の気持ちを推し量って悔恨の念を述べる。猟師は、生前に殺生を唯一の楽しみとして熱中していたことを懺悔し、善知鳥を捕っていた様子を再現して見せ、親鳥の流す血の涙に染め上がる凄惨な猟の様子を語る。猟師は、地獄に堕ちたのち今度は自分が捕られる側となって責め苦を受けていること、特に鷹と化した善知鳥によって苦しめられていることを明かし、救済を求めつつ消えてゆく。

   猟の様子を再現する「カケリ」の場面において、殺生に熱中する猟師の鬼気迫る様子を見せる場面として挿入されており、「追打ノカケリ」あるいは単に「善知鳥のカケリ」と呼ばれているとかで、、
   この「追打ノカケリ」では、猟師が雛鳥を捕ろうとして一度逃がしてしまったのち、遠くから息を殺して狙い寄り、杖で打ち据えてついに雛を捕らえる、という演技がなされ、獲物を狙う猟師の様子が演じられる、緊張感のただよう場面となっている。と言う。
   とにかく、シテが、息を殺して狙い寄り、杖で打ち据え獲物を捕る凄まじさ。床を激しく踏み据え、杖を背後に投げ捨て、傘を宙に投げ飛ばしながら舞い続ける激しい殺生に熱中する猟師の、鬼気迫るその表情。

   ”この世を渡るのなら、士農工商の家に生まれればよいのに、そうならず、また、琴碁書画といった風流なわざを嗜む身にもならず、ひたすら明けても暮れても殺生を生業とし、
暮れの遅い春の日も、仕事に追われて時が過ぎ、秋の夜長というが、その長い夜には、
漁火の白い火を灯して働き、眠る間もない。暑い夏の日々も暑さを忘れ・・・”
   人夫々の業と言うべきか運命と言うべきか、生まれ出でた瞬間に選択の余地なく運命付けられた生業のなせる業と言うのは、あまりにも残酷である。

   詞章の文章も、やや崩して表現するも、その描写の激しさ凄まじさは、普通ではない。
   ”善知鳥と言う鳥は、平らな砂地に雛を生む哀れにも愚かな習性を持っていて、「ウトウ」と呼ばれた雛は「ヤスカタ」と鳴いて答えるので、簡単に捕獲されるのだが、空からは、雛を捕られた親鳥が血の涙を流すので、漁師は蓑笠を深く着て血の涙から身を守るが、なおも降り注ぐ血の雨に、視界も遮られるばかりで、辺り一面は、紅くれないに染まり上がる。
   地獄に堕ちた漁師は、生前の報いか、冥土では怪鳥が罪人を責め立て、鉄の羽に銅の爪で、罪人の眼をつかみ肉を引き裂く。苦しみ叫ぼうにも猛火の煙で声は出ず、逃げようにも歩くことすらできぬ。善知鳥は鷹となり、雉となった漁師を捕らえては苦しめる。安らぐ暇もなき身の苦しみ続ける。
   どうか救って下さりませと僧に願って、猟師の霊は消えて行く。”

   後場で、妻子に衣の片袖を渡して読経しているところへ、漁師の霊が現れて再会するのだが、このシーンは、些細ながらも救いであろう。
   しかし、自分が殺した雛鳥の親とて、子を思う思いは自分とと変わるまいに。ああ、懐かしいと、我が子の髪を撫でようとする猟師は、罪障故に遮られてそれも出来ず、泣くばかり、と言うシーンが、人の親子と善知鳥の親子を対比させて、実に悲しい。
   この能においては、恐らく、漁師は成仏することはなかったのであろうと思われるのだが、
   何故か、人間に火をあたえたために、ゼウスの怒りにふれて、カウカソス山の山頂に縛り付けられて、鷲に内臓を蝕まれ続けるプロメテウスを思い出していた。

   観世清和宗家の「善知鳥」を鑑賞できたと言う幸せを噛みしめながら、家路についた。
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