熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

顔見世大歌舞伎・・・「夜の部」

2017年11月22日 | 観劇・文楽・歌舞伎
   顔見世興行だけあって、昼夜とも、歌舞伎座のプログラムは豪華である。
   この日観たのは、「夜の部」で、演目は次の通り。

   仮名手本忠臣蔵 五段目 六段目
   山崎街道鉄砲渡しの場
   同   二つ玉の場
   与市兵衛内勘平腹切の場
    早野勘平 仁左衛門
    女房おかる 孝太郎
    斧定九郎 染五郎
    千崎弥五郎 彦三郎
    判人源六 松之助
    母おかや 吉弥
    不破数右衛門 彌十郎
    一文字屋お才 秀太郎

   恋飛脚大和往来 新口村
    亀屋忠兵衛 藤十郎
    傾城梅川 扇雀
    孫右衛門 歌六


   真山青果 作 真山美保 演出
   元禄忠臣蔵 大石最後の一日
    大石内蔵助 幸四郎
    磯貝十郎左衛門 染五郎
    おみの 児太郎
    細川内記 金太郎
    吉田忠左衛門 錦吾
    赤埴源蔵 桂三
    片岡源五右衛門 由次郎
    久永内記 友右衛門
    堀内伝右衛門 彌十郎
    荒木十左衛門 仁左衛門

   仮名手本忠臣蔵の五段目六段目については、仁左衛門と孝太郎、秀太郎が出演するので、上方バージョンの舞台を期待したのだが、そうではなく、決定版となっている五代目菊五郎の編み出した音羽屋型であった。
   勘平が猪に向かって打つ二つ玉についても、与市兵衛の殺害シーンについても、勘平が切腹の時に、「色にふけったばっかりに」で血糊で顔を汚すところも、浅葱の紋服に着替えて切腹するところも、江戸バージョンであったように思う。
   浅葱の紋服に着替えるところは、13代仁左衛門も、その方が良いと言うことで上方版でも取り入れており、仁左衛門が、多少江戸版に傾斜しても、不思議はないのだが、前に観た舞台では、多少、折衷版に近かったような気がするのだが、記憶は定かでないので分からない。
   いずれにしろ、私は、仁左衛門、と言うよりは、松嶋屋の仮名手本忠臣蔵なら、上方版を観たかったので、残念であった。

   本格的な上方版の五段目六段目を観たのは、5年前の四月の歌舞伎座公演で、猿之助が亀治郎の頃の舞台で、亀治郎の勘平に、いたく感動した。
   藤十郎の「鴈治郎芸談」で、
   江戸版と上方版の主要な違いは、勘平の人間像の解釈の差で、浅葱の紋服に着替えて応対し、形容本位に運び、武士として死んで行く音羽屋型に対して、上方はすべて丸本本位で、武士に戻りたい一心の勘平が、ついに武士に戻れないままに死んで行く哀れを描くことに力点があるのだと言う。
   おかやが、紋服に着替えようとする勘平の紋服を取り上げて許さず、はじめて、死に行く勘平の後ろからおかやが武士の象徴である紋服をかけてやることによって、死んで初めて、武士の姿に戻れたと言うことであろうか。

   音羽屋型で、最も脚光を浴びる一場面は、仲蔵が編み出した斧定九郎(染五郎)が、与市兵衛を殺害して50両を奪い勘平の弾に当たって死ぬ一連のシーンで、黒羽二重の着付け、月代の伸びた頭に顔も手足も白塗りにして破れ傘を持つという拵えにしたので、絵の様に様式的で絵画的な舞台となり、これまでに、海老蔵や松緑など若手の名優の格好良い芝居を楽しんでいる。
   しかし、この定九郎の与市兵衛の殺害場面は、丸本踏襲の文楽の舞台では、もっと泥臭い人間的な芝居が演じられており、私は、この方が面白いと思っている。

   いつも、この舞台を観ていて、勘平が、一応、定九郎の懐の財布をそのままにしてその場を去って、もう一度現場に帰って財布を取って、その金50両を持って、京へ向かう千崎弥五郎(彦三郎)に追い付いて手渡す、すなわち、他人の金を着服して、仇討に加わろうとする、このことに対する罪の意識が、作者にはなかったのかと言う疑問を感じている。

   この時の50両を包んだ財布だが、終幕に近い泉岳寺での「早野勘平の財布第二の焼香」のシーンで、
   一番焼香は、柴部屋から師直を見つけ出した矢間十太郎重行だが、二番焼香に押された由良之助が、懐中より、碁盤目の財布を取り出して、「これが忠臣第二の焼香。早野勘平がなれのはて。」と言って、勘平の死の経緯を語って、六段目の勘平切腹の場で、自分の指示で、折角の拠金を、数右衛門と弥五郎に突っ返させたことについて、さぞ無念であろう口惜しかろう、ふびんな最期を遂げさせたのは、由良之助が一生の誤り、片時忘れず肌身離さず、今宵夜討ちも財布と同道。と語って、妹婿の平右衛門に焼香を命じる。
   財布を香炉の上に着せ、「二番の焼香 早野勘平重氏」と、高らかに呼ばわりし。声も涙にふるはせれば、列座の人も残念の、胸も、張り裂くばかりなり。
   となるのだが、尤も、あの六段目のストーリーがなければ、この場面も生きてこないのだが、しかし、いつも引っかかってはいる。

   「恋飛脚大和往来 新口村」は、近松門左衛門の世界。
    亀屋忠兵衛の藤十郎と傾城梅川の扇雀のコンビは、望み得る最高のキャスチングであろう。
   絵のように美しい詩情あふれる情感たっぷりのシーンの連続。
   孫右衛門の歌六が、哀切極まりない心情をギリギリまでセーブしてしみじみとした老父を演じて泣かせる。
   曽根崎心中など近松門左衛門の文楽の死への道行きシーンもそうだが、美しくも切ない男女の慟哭忍び泣きが走馬灯のように絵になった舞台は、上方の和事の世界であろうか。

   真山青果 作 真山美保 演出の「元禄忠臣蔵」は、どの舞台を、何時観ても感動する。
   「大石最後の一日」は、浪士の磯貝十郎左衛門とその許婚のおみのの純愛が、最も感動的なサブストーリーだが、
   吉良家の家名断絶を聞き満足し、初一念を貫きとおした内蔵助は、従容として威儀を正して切腹の場へ歩みゆく。
   幸四郎のこの舞台を何回観たか、とにかく、決定版であろう。
   磯貝十郎左衛門の染五郎は、幸四郎襲名の前哨戦で上手いのは当然だが、おみのを演じた児太郎が、実に感動的な舞台を見せて秀逸である。
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